きょう29日(水)は、西日本から天気が回復し、夜には全国的に晴れ間が戻る見通し。日差しの出る西日本を中心に、気温が30℃くらいまで上がる所があり、きのう28日(火)との気温差に注意が必要だ。 きのうは、前線や低気圧の影響で、全国の広い範囲で雨となった。きょう午前5時時点でも、関東や東北、北海道を中心に雨雲がかかっている。 ただ、前線や低気圧は次第に東に離れるため、天気は回復に向かう見通し。関東や東北では、雨は昼までには止む所が多くなりそうだ。午後は、関東の沿岸部や北海道の東部で雨が残るものの、夜にはほぼ全国的に晴れ間が戻る予想となっている。 西日本や東海は再び気温上昇 日中は、日差しの戻る西日本や東海を中心に気温が上がる見込み。予想最高気温は、高知で30℃、鹿児島で29℃、福岡や広島で28℃などとなっている。 先日の真夏のような暑さではないものの、きのうと比べて大幅に気温の上がる所がありそうだ。日ごとの気温差が大きくなるため、体調を崩さないように注意したい。(気象予報士・石上沙織) 【関連記事】 Source : 国内 – Yahoo!ニュース
キャリア官僚、また職場で覚醒剤使用か 注射器を押収
文部科学省のキャリア官僚が覚醒剤取締法違反などの疑いで現行犯逮捕された。中央省庁では、経済産業省でもキャリア官僚が同法違反(密輸、使用)の罪で起訴された。いずれも職場で使用した疑いが持たれている。 経産省では4月末、製造産業局自動車課の課長補佐だった西田哲也被告(28)が警視庁に逮捕された。何者かと共謀して4月、米国から覚醒剤約21グラムを密輸したほか、同月25日ごろに自宅で覚醒剤を使用した、として起訴された。 警視庁による経産省内の家宅捜… 980円で月300本まで有料記事を読めるお得なシンプルコースのお申し込みはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
奈良の富雄北小学校で現金2度盗まれる 校長室の金庫から修学旅行の小遣いなど計38万円(産経新聞)
奈良市立富雄北小学校で3~5月、校長室の金庫から2度にわたり現金計38万円が盗まれていたことが28日、同小などへの取材でわかった。奈良県警奈良西署が窃盗事件として捜査している。 同小によると、被害は教育実習用の教材費などの積立金約5万円と、修学旅行で6年生(110人)に配る予定だった小遣い計33万円。積立金は3月25日に金庫に納めたが、4月3日になくなっていることに教頭が気づいた。小遣いは23日、6年担当の教諭が銀行口座から引き出し、金庫に納めたが、5月8日にはなくなっていた。 同小の正面玄関はオートロック式で許可なく校内に立ち入ることはできない。金庫はキーロック式で常時施錠されていたものの、鍵は職員室内にあり、誰でも取り出せる状態だった。金庫をこじ開けたような痕跡はなかった。 修学旅行の小遣いは、保護者から集めた旅行積立金の一部。今月23、24日の修学旅行では教職員らが小遣いを立て替えたという。 奈良市教育委員会は29日にも保護者説明会を開く予定。後藤誠司校長は産経新聞の取材に「子供たちが心待ちにしていた小遣いを盗まれたことを大変申し訳なく思う。今後は校内に現金を置かないなどの対策を徹底したい」と話している。 【関連記事】 Source : 国内 – Yahoo!ニュース
金融ブローカーら5人再逮捕へ 融資金1億7千万円詐取か 警視庁(産経新聞)
経営破綻したインテリア雑貨販売業「ラポール」(東京都港区、破産手続き中)をめぐる融資金詐取事件で、主導役の金融ブローカー、黒木正博容疑者(53)ら5人が別の2金融機関からも計約1億7千万円をだまし取った疑いが強まったとして、警視庁組織犯罪対策4課が29日にも詐欺容疑で5人を再逮捕する方針を固めたことが28日、捜査関係者への取材で分かった。 捜査関係者によると、黒木容疑者らは平成28年2~6月、銀行2行に虚偽の決算書類を提出し、計約1億7千万円をだまし取った疑いが持たれている。5人は28年5~9月にも別の金融機関から1億円を詐取したとして逮捕されていた。 黒木容疑者らは26年ごろ、ラポールの7割近くの株式を取得し、黒木容疑者が実質的に同社を支配。ラポールは27、28年に約20の金融機関から二十数億円を借り入れていた。このうち約3割が黒木容疑者に流れ、借金返済などに充てていたとみられる。 捜査関係者によると、融資を受ける際に金融機関との交渉を進める「実行役」は主に、ラポール元社長の鈴木忍容疑者(44)、大脇高志容疑者(52)が担っていたという。 【関連記事】 Source : 国内 – Yahoo!ニュース
「最高の一日」首相流おもてなし外交の舞台裏 米大統領来日(産経新聞)
令和初の国賓として来日したトランプ米大統領が28日、3泊4日の日程を終えて帰国した。安倍晋三首相はトランプ氏との個人的な信頼関係を一段と深め、日米が「世界で最も緊密な同盟」であることを国内外に示したといえる。首相は首脳会談に先立ち、ゴルフ、大相撲観戦、夕食会でトランプ氏を手厚く接待し、賛否両論が渦巻いた。首相が仕掛けた「おもてなし外交」の舞台裏に迫った。 バババババッ-。26日午前9時過ぎ、千葉県茂原(もばら)市のゴルフ場に1機のヘリコプターが轟音(ごうおん)とともに姿を現した。風圧に耐える報道陣をよそに、機体は悠然とフェアウエーのど真ん中に着陸。ゴルフコースにヘリで登場する非日常的な光景に豪快さを感じた。 到着を待ち構えていた安倍首相はトランプ氏に歩み寄って握手を交わす。その自然な姿からも親密さが感じられる。トランプ氏は首相が運転するカートに乗り込み、クラブハウスへと向かった。 これを「朝日新聞霞クラブ」はツイッターで「とうとうトランプ大統領の運転手に。。」と皮肉ったが、首相が訪米した際のゴルフではトランプ氏が運転していた。これが洋の東西を問わず、客人へのマナーというものなのだろう。 「グレイトショット!」 トランプ氏のバンカーショットがピン側に寄ると、周囲から歓声が上がり、当人はご満悦の様子だったという。両首脳は計16ホールを約2時間半かけてプレー。スコアはこれまで通り「国家機密」だった。 ゴルフに続いて、夕方の大相撲観戦を終えると、2人を乗せた大統領専用車は東京・六本木の炉端焼き店へ。周囲の道路は約1・5キロにわたって封鎖され、店の周辺はシークレットサービス(米大統領警護隊)が立ち並び、厳戒態勢が敷かれた。周囲は2人の姿を見ようと通行人であふれ、異様な空気に包まれていた。 午後6時過ぎ、店前に張られた巨大テントの中に大統領専用車が吸い込まれ、2人がテント内に敷かれた赤いカーペットの通路を通って店内に入っていった。 「じゃがいも、お待ちどうさまでーす!」 2人が着席すると、店員のかけ声とともに、大きなしゃもじで「じゃがバター」が差し出された。だが、皿を受け取るトランプ氏の表情が険しい。疲れているのか、それとも何か気になることがあったのか。その表情から読み取ることは難しかった。 一連の接待には「やり過ぎだ」との批判の声も上がった。ただ、唯一無二の同盟国の首脳と多くの時間を共有し、緊密な関係を構築することは日本の国益に資するはずだ。日米は貿易交渉も抱えており、相手の本音を探らずに、まともな交渉など期待できまい。ましてやタフネゴシエーターで知られるトランプ氏が相手ではなおさらだろう。政治は結果が全てだ。日本の国益になるのか、ならないのか…。 トランプ氏はこの日夜に更新したツイッターで首相に感謝した。 「最高の一日だった。ありがとう安倍晋三」 (広池慶一) Source : 国内 – Yahoo!ニュース
外務省職員刺殺され省内外衝撃 妻は「今は何も…」(日刊スポーツ)
28日午前7時40分ごろ、川崎市多摩区登戸新町の路上で、私立カリタス小学校(同区)のスクールバスを待っていた児童17人、大人2人の計19人が男に次々と刃物で刺された。 ◇ ◇ ◇ 子どもたちを守ろうとして犠牲になったとみられる小山智史さんは、外務省職員で、約10人しかいないミャンマー語の通訳担当官も務めた。日本とミャンマーの交流を支え、将来を嘱望された専門家で、子ども好きでもあった。理不尽な惨劇に、省内外で衝撃が広がっている。 同省ホームページに掲載された小山さんのインタビュー(13年9月)によると、あまり知られていない言語を学ぼうと、大学(東京外大)でミャンマー語を専攻。語学を生かした仕事を希望、04年に入省した。現地の大学や日本大使館で計5年過ごし、カラオケでミャンマーのロックを歌い、語学力を磨いたという。 帰国後は大臣クラス以上の通訳を務めることが期待される「通訳担当官」として勤務。アウン・サン・スー・チー氏が来日した際は私的な買い物にも付き添い、日本のお菓子を探した。国連総会では、ミャンマー外相と会談した岸田文雄外相(当時)の通訳も担当。現在は、広報文化外交戦略課に所属していた。 同省の採用案内にも登場。「両国の交流が進むアイデアを出したい」と話し、妻とミャンマーの衣装を着て撮影した写真も掲載されていた。妻は弁護士を通じて「突然のこと過ぎて、深い悲しみの中にあります。今は何も考えられない状態です」とし、取材自粛を求めたコメントを発表した。 【関連記事】 Source : 国内 – Yahoo!ニュース
6番目バス到着時に犯行/川崎刺傷事件ドキュメント(日刊スポーツ)
28日午前7時40分ごろ、川崎市多摩区登戸新町の路上で、私立カリタス小学校(多摩区)のスクールバスを待っていた児童17人、大人2人の計19人が男に次々と刃物で刺された。小学6年の女児(11)と、別の児童の保護者の男性(39)が死亡し、3人が重傷。男は同市の岩崎隆一容疑者(51)で、児童らを襲撃後に自分で首付近を刺し、死亡が確認された。 【写真】献花される路肩には血痕がまだ残っている スクールバスは午前7時25分から8本、ピストン輸送で運行されていた。当日の事件までの経過は以下の通り。(小学校の倭文教頭の説明による) ▼午前7時10分 教員1名がJR、小田急線の登戸駅に到着する第1陣の児童を改札前に集め、バス停まで徒歩で引率。所要時間7~8分。 ▼7時20分 1年生が登戸駅に到着する指定時間。 ▼7時25分 教頭が1年生を改札口に集め、バス停に引率。 ▼7時32分前後 教頭が1年生を引率してバス停到着。 ▼7時40分ころ 教頭がこの日5番目のバスを学校に送った後、バス停に6番目のバスが到着。先頭の6人の児童をバスに乗せた時、列の後方から子どもたちの叫び声。岩崎容疑者が両手に長い包丁のようなものを持ち、無言で子供を切りつける。 ▼7時45分 教頭が児童のケガ、状況を確認した上で110番通報。警察にパトカーと救急車を手配し現場の状況を説明。 ▼7時51分 教頭が学校に携帯電話で状況を説明。 【関連記事】 Source : 国内 – Yahoo!ニュース
川崎殺傷事件、犯行現場で対応した教頭の無念「怒鳴りながらやって来れば…」(ハフポスト日本版)
神奈川県川崎市多摩区登戸で、登校中にスクールバスを待っていた小学生らが男に次々と刺された事件。5月28日午後6時過ぎに行われた私立カリタス小学校(内藤貞子校長)の記者会見では、事件現場に居合わせた倭文覚(しとり・さとる)教頭が出席して当時の状況を語った。(中村かさね・高橋史弥/ハフポスト日本版) 人力では防ぎようがない被害の状況が明らかになった。 同校によると、スクールバスの定員は60人で、登戸駅から学校まで毎朝8本運行している。駅では、小田急線とJR南武線で登校する子どもたちを教師が迎え、まとめてバス停まで引率。倭文教頭も午前7時25分ごろ、登校した1年生を連れてバス停に向かった。 数十人を引率し、列に並ばせると、ちょうど3番目のスクールバスが出発するところだった。間もなく、6番目のバスが到着。倭文教頭は、2列に並ぶ子どもたちの先頭で、児童を車内に誘導したという。 子どもたちを6人ほど誘導したところで、子どもたちの叫び声に気づいた。何事かと列の後方に向かったところで、無言で両手の刃物を振り回す男を見た。 倭文教頭は「無言でした。子どもたちは(前方の)バスを見ていて、後ろから走りながら切りつけられていた。叫び声でそれぞれ振り向いたところを切りつけられたんだと思います」と当時の状況を回想。 犯行後は110番通報や学校への連絡を行い、怪我をしていない児童をバスの車内に避難させ、コンビニ内に逃げ込んでいた児童の確認や、怪我をした児童の手当も行ったという。 「怒鳴りながら、大声あげてやって来れば、子どもたちも逃げることができたのかなと思います」と無念さをにじませた。 亡くなった6年生の栗林華子さんについて、内藤校長は「毎朝学校の前でおはようと声をかけると、『おはようございます』と笑顔いっぱい元気に挨拶を返してくれるお子さんでした」と語り、「本当に信じられません。今日も元気のいい挨拶が聞けるかなと思っていました」と声を詰まらせた。 容疑者については「心当たりがない。警察の捜査にお任せする」と話した。 Source : 国内 – Yahoo!ニュース
笑顔が印象的 犠牲の栗林さん 川崎19人殺傷(産経新聞)
川崎市多摩区で28日に起きた無差別殺傷事件で犠牲になった小学6年の栗林華子さんは、笑顔で周囲を和ましていた。 近隣住民によると、華子さんは両親と3人暮らし。犬も飼っていて、早朝に華子さんと母親が一緒に散歩する姿が見られた。「仲のよい家族だった」。住民らは口をそろえる。 近くに住む40代の女性は、華子さんが家の前の公園で池をのぞきこんでいる姿を見かけた。「何をしているの」と尋ねると、「オタマジャクシがいるよ」と教えてくれたという。女性は「まさか。間違いであってほしい」と言葉を詰まらせた。 華子さんが通っていたカリタス小によると、華子さんは、学校を見学にきた編入希望者らに「外国語がたくさんできるよ」と笑顔で説明することもあったという。倭文覚(しとり・さとる)教頭は「お願いしていないのに、学校の良いところを話してくれた。今でもそれが忘れられない」と振り返った。 「今日は勘弁してほしい。今後、対応する。今日は妻を一人にすることはできない」。華子さんの父は自宅前で、こう言葉を振り絞った。 【関連記事】 Source : 国内 – Yahoo!ニュース
恨んだ父、手術強いた国 20年闘った女性の原点
子どもを産み、育てる自由を奪われた人たちの訴えは、司法に届かなかった。仙台地裁は28日の判決で、旧優生保護法を違憲としながら、国の賠償を求める原告の訴えを退けた。 法廷を出た70代の原告女性は会見場の椅子に座ると、背中を丸め、体を震わせた。20人が全国7地裁で起こした強制不妊手術訴訟は、この女性の20年にわたる闘いから始まった。 宮城県の知的障害者施設を卒業後の1963年、不妊手術を受けさせられた。16歳だった。住み込みで職業訓練をしていた先の「職親」に言われ、行き先は分からぬまま、連れて行かれた。診療所には父親がおり目を覚ますと手術は終わっていた。半年後、父が「子どもができなくなる手術をした」と母に話すのをふすま越しに聞き、初めておなかの傷の意味を知った。 「なぜ手術させたの?」と父を責めても、口ごもるだけだった。3度結婚したが、不妊手術を打ち明けると、みんな離れていった。 97年、父から手紙が届いた。… 980円で月300本まで有料記事を読めるお得なシンプルコースのお申し込みはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル