きょう(木)も北日本を中心とした冬型の気圧配置が続きますが、だんだん風が弱まり、雪の止む所も多そうです。 太平洋側は朝から一日よく晴れるでしょう。 北海道では、昼頃まで猛ふぶきや吹きだまりによる交通障害に警戒が必要です。 午後になると、北海道や東北北部の雪は止んできますが、東北南部から北陸にかけては雪や雨の降りやすい状況が続くでしょう。大気の状態が不安定な為、雷を伴う所もありそうです。 また北陸の平野部など、雨になる所も多いので雪解けや路面状況の悪化に注意が必要です。路上の雪が、べちゃべちゃのシャーベット状になっている時は非常に滑りやすいそうですから、車の運転などは特にご注意下さい。 太平洋側はしっかり晴れて、雨具なしでお出かけが楽しめます。ただ、空気が乾燥してきていますので火の取り扱いには十分注意する様にお願いします。 日中の気温は、きのう(水)とだいたい同じ位で、東日本や西日本はこの時季らしい気温となりそうです。 北日本はきょうも上空の寒気の影響を受けて、日中も厳しい寒さとなるでしょう。 (気象予報士・池田沙耶香) 【関連記事】 Source : 国内 – Yahoo!ニュース
水曜日のダウンタウン×ゴッドタン 実はすごい芸人は誰
「水曜日のダウンタウン」藤井健太郎さん×「ゴッドタン」佐久間宣行さん 「若者のテレビ離れ」なんてなんのその。斬新な発想で生み出す企画の数々は、若者に絶大な支持を受け、テレビの世界をひょうひょうと泳ぐ。TBS系「水曜日のダウンタウン」を手掛ける藤井健太郎さん、テレビ東京系「ゴッドタン」を手掛ける佐久間宣行さん、2人が互いの番組作りや注目する芸人、テレビの未来やコンプライアンスとの向き合い方、自身の新人時代までを語り合った。 ――お互いが作る番組の印象は? 佐久間宣行 番組の作り方は、全然違うと思っています。藤井君は僕より5歳ぐらい下になるんですよね。僕は1980~90年代の「夢で逢(あ)えたら」や「ごっつええ感じ」で、ダウンタウンさんやウンナン(ウッチャンナンチャン)さんが夢をかなえていくのを見ていたわけで、(ゴッドタンで)今の自分と同年代のおぎやはぎや劇団ひとりとお笑い番組を作るのは、ロマンを感じているところがある。たぶん藤井君は「電波少年」などの世代で、藤井君自身はそこまでお笑いにこだわるわけではないんだよね? 藤井健太郎 もともとお笑いにそこまで夢中になった覚えはないですね。もちろん今では大好きだし、人並みには理解してるはずですけれども。入社のときはスポーツ番組に行こうか、バラエティーに行こうか、とか希望もあまり決まっていなかったぐらいですから。 佐久間 僕もお笑いは大好きでしたけれども、最初の入社の時はドラマかバラエティーか悩んでいました。入ってみたら、面白い番組は制作会社が作っていて、テレビ東京本体でお笑い番組を作ろうと思っても、1個もなかったんで。 ――具体的に番組作りで違いを感じることは。 佐久間 藤井君がすごいのは、… 【1/15まで】デジタルコース(月額3,800円)が今なら2カ月間無料!詳しくはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
住宅全焼、焼け跡から2遺体 居住の高齢夫妻か 浜松
2日午前0時50分ごろ、浜松市南区寺脇町、無職八木祥次さん(90)方が燃えていると近所の人から119番通報があった。約3時間後に鎮火したが、鉄骨2階建て住宅が全焼し、焼け跡から2人の遺体が見つかった。出火後、八木さんと妻の裕子さん(88)と連絡が取れておらず、静岡県警浜松東署は、遺体が八木さん夫妻の可能性が高いとみて身元の確認を急いでいる。 署によると、八木さんは裕子さんと息子(60)の3人暮らし。出火当時、息子は2階でテレビを見ており、両親が寝ていた1階から出火したとみられるという。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
ゴーン被告、レバノンで裁判模索か 妻と再会、米紙報道
米紙ウォールストリート・ジャーナル(WSJ)は、日産自動車の前会長カルロス・ゴーン被告の逃亡について、「友好的な司法環境」が期待できるレバノンで裁判を受けるつもりだったと報じた。逃亡は協力者らによって数週間かけて計画され、妻キャロルさんが主導的な役割を担ったとしている。 WSJが関係者の話として伝えたところでは、逃亡を手助けするチームが先週末に日本に集結し、ゴーン前会長を東京の居宅から連れ出したという。プライベートジェットで日本を発ち、トルコを経由してレバノンに入ったのは12月30日の早朝。そこでキャロルさんと再会したとしている。キャロルさんはWSJに対し、夫との再会を「人生最大の贈りもの」と表現した。 ゴーン前会長は、日本での公判が始まる見込みが立たないことに加え、妻との接触が制限されていることに特にいらだっていたという。身の潔白を示すために、レバノンで裁判を受けることを模索。協力者たちは、レバノンの司法当局が日本側と協力し、訴訟をレバノンに移せると期待しているという。 日本での訴訟を避けるために、… 【1/15まで】デジタルコース(月額3,800円)が今なら2カ月間無料!詳しくはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
北条市と小田原の歴史を紹介 早雲没後500年記念し出版(カナロコ by 神奈川新聞)
小田原北条氏の初代・伊勢宗瑞(北条早雲)の没後500年という「早雲イヤー」を記念して北条5代からの小田原の歴史をまとめた書籍「戦国大名北条氏の歴史・小田原開府五百年のあゆみ」が発売された。 書籍はA5判252ページで小田原城総合管理事務所が編集、静岡大名誉教授の小和田哲男さんが監修した。宗瑞に始まる北条5代や近世の大久保、稲葉氏の小田原藩、城下町発展の歴史などを図版やコラムなどを交えて紹介している。 小田原市は、宗瑞の引退で小田原が本拠地となった「小田原開府」(1518年)と翌年の死去から500年になるのを顕彰しようと、2018年に実行委員会を組織して記念事業を展開。書籍はイベントとして開催したセミナーや講演会などの内容を基に、宗瑞研究の最先端にいる歴史家らが執筆した。吉川弘文館出版で1900円(税抜き)。小田原城天守閣(同市城内)のほか、全国の書店で購入できる。 神奈川新聞社 【関連記事】 Source : 国内 – Yahoo!ニュース
おみくじを引く時の注意点は?識者「悩みを具体的に…」
初詣に出かけると、いつも何げなく引いているおみくじ。しかし、どこをどう読めばいいのか、引いたおみくじは木の枝に結ぶのかなど、分からないままのことがたくさんあります。「おみくじのヒミツ」(河出書房新社)の著書がある成蹊大学の平野多恵教授に、今さら聞けないおみくじの作法を聞きました。 吉凶よりも大事なことは…… Q:毎回、「大吉」なのか「凶」なのかで一喜一憂しています。 A:吉凶はあくまで目安ですよ。おみくじは室町時代までに中国から伝来しました。江戸時代におみくじが大流行した際、庶民にもわかりやすくするために振られたものが吉凶なのです。おみくじで本来一番大事なのは、神様、仏様の「お告げ」にあたる部分。神様のお告げは和歌で、仏様のお告げは漢詩で書かれていることが多いので、そこをじっくり読んでみましょう。 Q:和歌や漢詩……。注目していませんでした。この取材の成功を祈って引いたおみくじには「うち頼むある心して訪ねしに散り行く花の草になりけり」という和歌がありました。 A:「花があると思って期待して訪ねてみると、花は散ってすでに草になっていた」という意味の和歌ですね。おみくじをテーマにしたらきっと読者が興味があるだろうと期待しても、それだけではだめ。しっかり下調べをして取材することが重要、といった解釈ができますね。 Q:肝に銘じます。でも、和歌や漢詩を自分で読み解くのは難しそうです。 A:私は声に出して読んでみることをおすすめしています。声に出して読むと、心に響く言葉があるものです。おみくじには決まった解釈はないので、自分が気になった言葉に着目して、自分の状況に沿って意味を考えればいいのです。現代語訳や解説が書かれているものも多いので、そこも参考にしましょう。 願い事は具体的に Q:おみくじを引くときの注意点はありますか。 A:まずはお告げをくれる神様、仏様に心を込めてお参りしましょう。というのも、かつておみくじは全身全霊で神仏を招いてから引くものだったんです。例えば江戸時代から続く漢詩のおみくじ「元三大師御籤(がんざんだいしみくじ)」は、まず観音様のお経を3回唱え、三つの真言を333回ずつ唱えてから33回礼拝し、それからおみくじを引くことになっていました。本来、おみくじを引くのは大変なことで、自分でぎりぎりまで悩んだけどどうにも決めがたいことがあるときに使われていました。 Q:漫然と引いてはいけないんですね。 A:今もおみくじを引くときは、自分が悩んでいることなどを具体的に思い浮かべるといいでしょう。その方が、お告げである和歌や漢詩を読み解くときにも、より今の自分に即したアドバイスを見いだすことができます。 Q:「願い事」「待ち人」「失せ物」といった様々な項目別の運勢も書かれています。 A:項目別になっている欄は、昔から多くの人がお願いしてきたことを箇条書きにしたもの。かつては巫女(みこ)さんやお坊さんがお告げを受け、読み解いてくれましたが、多くの人がおみくじを引くようになると、誰もがお告げを読み解きやすくするために項目ごとの解釈が書かれるようになりました。 Q:長い間におみくじも洗練されてきたのですね。 A:時代に合わせた進化は今も続いています。私にとっては少し寂しいことですが、最近では現代の人になじみの薄い、和歌や漢詩が省略されたおみくじが増えました。一方、内容を英語で書いたり、QRコードを読み取ると多言語で読み上げたりするなど、外国人観光客への対応が広がっています。 引いたおみくじはどうする? Q:引いたおみくじは木に結んだ方がいいですか? A:おみくじを結んで帰る人も多いですが、私は持ち帰って読み返すことをおすすめします。おみくじを木に結ぶ風習は江戸時代にはあったようですが、詳しい由来はわかっておらず、文献上の根拠はありません。たくさんのおみくじを木の枝に結ぶと生育を妨げてしまうので、おみくじを結ぶ奉納場所が設けられるようになったのでしょう。 Q:決まったルールはないんですね。 A:中には、木などに結んでしまうと「結ばれて願い事がかなわない」と書いてあるおみくじもあるくらいです。せっかくいただいた神様、仏様のお告げに向き合って、日々の指針にしてみてはいかがでしょうか。 ◇ ひらの・たえ 1973年富山県生まれ。成蹊大学文学部教授。著書に「おみくじのヒミツ」「おみくじの歌」など。2015年、東京都板橋区の天祖神社と連携して新たなおみくじ「天祖神社歌占」を制作。成蹊大学のゼミ生とともに、江戸時代の和歌占い本「晴明歌占」を元にインターネットやスマホでおみくじが引ける「開運 せいめい歌占」(https://ssl.japanknowledge.jp/utaura/)もつくった。(聞き手・伊藤舞虹) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
高校サッカー広島代表、広島皆実で食中毒か 44人搬送
首都圏で開催されている第98回全国高校サッカー選手権大会の広島代表、広島皆実高校の部員44人が31日夜、さいたま市内で合宿中に集団食中毒とみられる症状を訴え、病院に救急搬送された。入院した部員もいるが、いずれも回復しつつあるという。 市消防局などによると、31日午後9時50分ごろ、サッカー部の顧問から「腹痛や吐き気、手足のしびれを訴える生徒がいる」と119番通報があった。さいたま市の浦和東高校で部員や引率の教諭ら58人が合宿中で、夕食を取る前ごろから症状が出始めたという。44人は昼食で弁当を購入したという。市保健所が原因を調べている。 広島皆実は2日の2回戦で日大藤沢(神奈川)と対戦する予定。仲元洋平監督によると、大会のメンバーになっている部員たちは別の場所で合宿していたという。仲元監督は「試合は通常通りできる」と話した。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
最高の緑のじゅうたんで 東京五輪へ、国立競技場を整備
12月下旬、国立競技場(東京都新宿区)のピッチの片隅で、池田省治さん(67)が芝生に顔を近づけていた。硬さは。香りは。色つやは。元日はサッカー天皇杯決勝がある。そして夏には、五輪・パラリンピックがやってくる。 芝生を管理する「オフィスショウ」(東京都)の社長として、35人ほどのグラウンドキーパーを率いる。管理する芝生は、味の素スタジアム(同)やJヴィレッジ(福島県)など全国32面に上る。 国立に107メートル×71メートルの天然芝が敷き詰められたのは2019年夏。かつての国立でも手がけたことがあり、競技場が11月末に完成した後は運営主体の日本スポーツ振興センターから管理を委託されている。芝刈りや肥料やり、散水などを担う。 1989年、米プロフットボールリーグ(NFL)プレシーズンゲームの東京開催に携わった。ゼネコンを辞め、イベント運営に打ち込んでいた36歳のころ。NFL側は、練習場として選手たちの宿舎である都心のホテルから30分以内で行ける天然芝のグラウンド2面を求めていた。見つからず、代々木公園の土のグラウンドを借りて種まきから始めることになった。 やったことのある芝生の仕事といえば、ゼネコン時代に高速道路ののり面に施したことくらい。ゼロから指導してくれたのが、ジョージ・トーマさん。NFL王者を決める大会を半世紀以上担当する「伝説のグラウンドキーパー」だ。朝5時から夜8時まで食事も取らずにコーラだけで働くトーマさんにくっつき、種のまき方や水のやり方を学んだ。本番までの半年ほどで、茶色の広場を青々としたグラウンドに仕上げた。芝生をつくる奥深さとうれしさ。「一生の仕事にしたい」と思った。 朝4時に起き、現場に向かう。芝刈り機に乗ったり、カメラからの見ばえを確かめたり。天気予報が晴れなら心は弾み、雨だと「芝刈りはずらそうか」「線はいつ引けるか」とやきもきする。芝生にうつぶせになるほど近づいて土をほぐせば、選手のスパイクがかかる地下茎の太さがわかる。刈り取った芝を手のひらでこねれば、硬さや香り、水分が健康状態を教えてくれる。 五輪・パラの東京開催が決まったとき、「将来ある若い仲間と一緒に携わりたい」と思った。仕事が決まって19年初夏、国立競技場近くに、山梨県の自宅から数えて三つ目となる居を構えた。特に大会期間中の交通渋滞は見通せない。きちんと行き来して晴れ舞台を仕上げられるように。「臆病で心配性なんです」。入浴中も、横になっても気が休まらない。 五輪・パラの先に、描く夢がある。砂ぼこりの舞う公園や校庭を芝生に変えることだ。自身が小学生だった64年、テレビにかじりついてマラソンやバレーボールを見た。その五輪が再び東京に来るのを変化のきっかけにしたいと願う。「幸せになれる場所を増やしたい」 国立のピッチは、五輪の女子サッカー決勝や、やり投げといった投てき種目の舞台となる。アスリートたちに緑のじゅうたんの上で「最高だね」と笑ってほしい。(荻原千明) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
あの国旗担当者が語る国立競技場 64年秘話と戦争の傷
東京五輪・パラリンピックの会場として世界のアスリートを迎える、新しい国立競技場。年末に開かれたオープニングイベントの光景に、1964年東京五輪で組織委員会の国旗担当専門職員を務め、今大会にも携わる吹浦忠正さん(78)はある記憶を重ねた。64年大会の秘話とともに語られる、この地で刻まれた祝祭ばかりではない歴史、そして今大会への願いとは。 国旗はどこに? 半年後、ここでどんなドラマが繰り広げられ、観客はどんな記憶をとどめるのだろうか――。大きな木と金属の柱に囲まれた新しい国立競技場に向かう群衆の中で、そんな思いが浮かんできた。 東京・神宮の森に58年に完成し、64年五輪の主会場となった国立霞ケ丘競技場・陸上競技場。日本のスポーツの「聖地」として数々の歴史を刻んだスタジアムは取り壊され、建築家の隈研吾さん設計による新競技場に生まれ変わった。 12月21日に開かれたオープニングセレモニーを、今大会でも組織委の国旗アドバイザーとして携わる吹浦さんと観覧した。64年大会では、豊富な国旗の知識を生かして組織委の国旗担当職員を務め、NHK大河ドラマ「いだてん」では俳優の須藤蓮(れん)さんが演じた人物だ。72年の札幌、98年の長野の両冬季五輪も顧問などとして関わった。 競技場の前でチケットを確認さ… 【1/15まで】デジタルコース(月額3,800円)が今なら2カ月間無料!詳しくはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
若き日の樹木希林さんも…男はつらいよガイド中・上級編
かつて正月映画の定番といえば、「男はつらいよ」だった。22年ぶりの新作公開でいま話題になっているが、久々すぎて記憶がおぼろげだったり、シリーズを見たことがなかったり、という人も少なくないだろう。そこで寅さんといえば、朝日新聞にはこのひとがいる。大衆文化・芸能担当の小泉信一編集委員(58)だ。マドンナら数々の出演者にインタビューし、全作品を繰り返し見てきた。「これを見ればきっと新作も楽しめる」というおすすめを紹介する。今回は中・上級編。 ◇ 中級編 寅さんは全国各地でいろいろなマドンナと出会ってきた。中には悲しい別れもあった。寅さんの恋の軌跡を知る上で欠かせない作品を挙げる。 「寅次郎夕焼け小焼け」 (第17作、1976年7月公開) 歴代マドンナの中で、もっとも気っ風がいいのは播州龍野(兵庫県)の芸者・ぼたんだろう。演じた太地喜和子の魅力も相まって、明るく弾けるような笑い声がロケ現場に響き渡ったという。とてもいい雰囲気で寅さんとの物語が展開するのも面白い。多くの寅さんファンが「ベストワン」と推す作品。日本画の巨匠に宇野重吉、そのかつての恋人に岡田嘉子が出演。宇野の長男で歌手でもある寺尾聰が市役所職員役で出てくるのも見逃せない。 「寅次郎純情詩集」 (第18作、1976年12月) 満男の小学校の先生・雅子(檀ふみ)が、母・綾(京マチ子)を連れて柴又の団子屋にやってきた。病院から退院したばかりで元気そうに見えるが、不治の病に侵され長くは生きられないという。寅さんは毎日のように綾が住むお屋敷に通っては一緒に食事をしたり話し相手になったりして励ます。「人間はなぜ死ぬのでしょう」と問う綾の言葉が切なく観客の胸に響く。シリーズ中、最も不幸なマドンナと言えるだろう。 「浪花の恋の寅次郎」 (第27作、1981年8月) 「大阪なんか大嫌いだ」と言っていた寅さん。だが妹さくらへの手紙に書いてあった。「人情は厚いし、食べ物はうまい。この土地は俺の性に合っているらしい」。実は理由があった。大阪の芸者ふみ(松坂慶子)にほれてしまったのである。通天閣の旅館主に芦屋雁之助、そこに寝泊まりする謎の男に笑福亭松鶴、ふみの先輩芸者にかしまし娘の正司照枝・花江、そして関西喜劇界の大御所、大村崑と、上方芸人が脇を固める。 「花も嵐も寅次郎」 (第30作、1982年12月) 寅さんが若いカップルの恋愛指南役に徹する。そのカップルとは驚くなかれ。当時、歌手として人気絶頂にあったジュリーこと沢田研二。うぶで口べたな動物園の飼育員を演じる。相手は、確かな演技力と蠱惑(こわく)的な魅力で注目を集めていた田中裕子。観覧車での甘いキスシーンは見ていてドキドキする。自称「三文役者」の殿山泰司が大分の和尚役を好演。ちょい役だが、寅さんとは幼なじみの女性を朝丘雪路が演じているのも見逃せない。 「知床慕情」 (第38作、1987年8月) 北海道で、武骨で偏屈者の獣医・順吉(三船敏郎)と出会い、家に居候する寅さん。そこへ、娘りん子(竹下景子が東京から帰ってきた)。離婚したのだという。もともと結婚に反対だった順吉は優しく迎えることができない。だが寅さんがいたお陰でその場は納まる。一方で、順吉は地元のスナックのママ(淡路恵子)に恋心を寄せていた。北海道の美しい自然を背景に描かれた本作。「世界のミフネ」の存在感は圧倒的だ。 上級編 寅さんの交友関係はとても広い。全国各地を旅しているからこそ、いろいろな人と知り合ったのだろう。演じた役者もバラエティーに富んでいる。「えっ?こんな人が」と驚くような人たちが登場している。 「フーテンの寅」 (第3作、1970年1月) 信州・木曽の旅館で風邪をこじらせてしまった寅さん。布団を運ぶ女性を樹木希林(当時は悠木千帆)さんが演じる。「男はつらいよ」シリーズが始まる前はテレビドラマで何度か共演した樹木さん。見合いの相手を渥美が演じたこともあったという。プライベートでは渥美清と一緒に三流どころの花街や、浅草のゲイバーに遊びにいったことがあったそうだ。 「寅次郎恋歌」 (第8作、1971年12月) 「馬鹿だねえ。ホント馬鹿だねえ……」。しみじみとおいちゃんは嘆くが、風来坊のおいっ子を心から愛していた。初代おいちゃんを演じたのは浅草軽演劇出身の森川信。飄々(ひょうひょう)とした演技で人気を集めたが、72年3月、60歳で急逝したため本作が遺作となった。観客動員は148万人。シリーズ8作目にして初めて100万人を突破した。マドンナ役はベテラン池内淳子さん。寅さんにはっきりと好意を寄せた、喫茶店の経営者を演じた。 「寅次郎紙風船」 (第28作、1981年12月) 寅さんの稼業は露天商。各地の縁日や祭りを回るテキヤだ。風が吹けば風に泣き、雨が降れば雨に泣く。明日をも知れぬ身。「そんなテキヤの哀れさが一番出ていた作品」と本作に出演した小沢昭一さんは言っていた。演じたのは商売仲間で病の床にふせっている常三郎。寅さんが見舞いに行くと、「万一、俺が死んだらくさ、あいつば女房にしてやってくれんと」と頼まれる。常三郎の妻を演じたのは音無美紀子さんだ。 「寅次郎サラダ記念日」 (第40作、1988年12月) 冒頭、ほんのワンシーンだが、若き日の出川哲朗が出ている。長野県小諸市でのお祭りの場面。寅さんのテキヤ仲間・ポンシュウとともに映っている。実は、寅さんシリーズの隠れた「準レギュラー」。第37作「幸福の青い鳥」(86年)、第38作「知床慕情」(87年)、第39作「寅次郎物語」(同)、第41作「寅次郎心の旅路」(89年)、そして公開中の第50作「お帰り 寅さん」では出版社の社員を演じている。 番外編 寅さんを演じた渥美清さんが亡くなったのは1996年8月4日。その前年に公開された作品が遺作となった。進行するがんと闘いながら撮影に臨んだ渥美さん。だが、「役者は私生活を明かしてはいけない」という信念から誰にも病状は知らせなかった。渥美さんの魂がこもった一作。 「寅次郎紅の花」 (第48作、1995年12月) 阪神・淡路大震災で大きな被害を受けた神戸市長田区で炊き出しを手伝うなど、ボランティア活動に励んでいた寅さん。村山富市首相(当時)と一緒に避難所を訪れる場面もある。CGによるニュース映像との合成だ。 撮影にあたって当初、山田洋次監督(88)は悩んだ。「大惨事の記憶も生々しい場所で撮影していいのか」。だが地元は「寅さんを見て、元気になりたい」。ひとりの青年が避難所を回り、16ミリの寅さん映画を上映していた。 神戸のほかに主な舞台は奄美。リリー(浅丘ルリ子)は旅回りの歌手をやめて資産家と再婚したが、先立たれる。その遺産で奄美の加計呂麻島に小さな家を購入した。そこに寅さんが転がり込み、物語は展開する。寅さんとリリー。今度こそ結婚するのだろうか。(編集委員・小泉信一) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル