NEW YORK – New York Mets outfielder Michael Conforto was scheduled to be examined by a doctor in New York after tweaking his side while making a catch in a recent spring training game. The slugger had an MRI in Florida but left camp and was sent to New York […]
大阪で新たに18人感染 うち6人はライブハウス訪問
大阪府は10日、府内で新たに、20~70代の男女18人が新型コロナウイルスに感染したことを確認したと発表した。基礎疾患がある70代の男性1人が重症だという。府内で感染が確認されたのは計73人となった。 府によると、新たに確認された18人のうち6人は、大阪市北区や中央区、都島区にあるライブハウスを訪れていたという。このほか3人は、ライブハウスを訪れていた感染者の同僚ら濃厚接触者だった。 ライブハウスを訪れていた6人のうち4人は、大阪市北区のライブハウス「Soap opera classics Umeda」の客や関係者だった。また30代の1人は2月15日に「大阪京橋ライブハウスArc」(同市都島区)も訪れていたという。残りの2人は同市中央区のライブハウス「americamura FANJ twice」を訪れていた。 一方、18人のうち9人について、現時点で感染源が推定できないとしている。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
ブラジル人男性殺害容疑で同僚の日本人の男を逮捕 静岡
静岡県菊川市の住宅地で、ブラジル国籍の派遣社員、デ・ソウザ・マルコスさん(当時44)が殺害された事件で、静岡県警は10日、同県御前崎市佐倉、派遣社員山口正文容疑者(64)を殺人と殺人未遂の疑いで逮捕し、発表した。認否については明らかにしていない。 菊川署捜査本部によると、山口容疑者は、2月17日午後7時半ごろ、菊川市赤土の住宅敷地内で、マルコスさんと妻(43)を刃物で刺し、マルコスさんを殺害、妻を負傷させた疑いがある。 山口容疑者は、マルコスさんと同じ工場に勤務していたという。捜査本部は、今後、動機などを調べる。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
母子を救った消防士のキャラメル 9年後、所在追うと…
長さ7センチ。幅2・5センチ。森永製菓の黄色い包み紙が、母子手帳にはさまっている。中身は空だ。その下に1枚の紙片がある。 〈3月13日PM〉 〈通りすぎたのに戻ってきて、子供にキラメルをくれた ありがとう がんばります〉 慌ててメモしたため、小さい「ヤ」が抜けている。 拡大する9年前にもらったキャラメルの包み紙と、山本和子さんが飲み薬の袋の裏に書いたメモ=2020年2月5日、岩手県大槌町 山本和子さん(41)は、長男・悠稀(ゆうき)くんの母子手帳を開くと、30歳過ぎだったあのときの感情がわき上がってくる。 これからどうなってしまうのか。離婚し、夫はもういない。3歳の一人息子を守っていけるのか。 ひとこと、お礼が言いたい。あの人は誰だったのか。 9年前の初春。岩手県釜石市の… 980円で月300本まで有料記事を読めるお得なシンプルコースのお申し込みはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「3・11」の記憶胸に歩む…浪江の咲く「希望」の花、産地化目指す(スポニチアネックス)
死者・行方不明者が1万8000人を超えた東日本大震災は11日、発生から9年を迎えた。福島県浪江町は風評被害の少ない花の栽培に力を入れる。花農家の男性は「復興に少しでも役立てば」と挑戦を続けている。(安田 健二) JR常磐線の全線運行再開を14日に控える浪江駅から車で20分ほどの苅宿地区。この一画にある2棟のビニールハウスで鈴木好道さん(65)はトルコギキョウの苗の周りに生えた雑草をつんでいた。約100坪の田んぼを借りて花の栽培を始めたのは2018年。「年は65なんだけど、2年生です」と朗らかに笑う。「まだまだ花で食っていけるとは考えてないが、復興の役に立てれば」。生まれ育った故郷への恩返しの思いは強い。 3月は卒業式や彼岸で、例年なら花の需要が高まる時期。だが今年は新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、政府が休校やイベントの自粛を要請し、全国的に需要が急減。農林水産省が今月に入って花の消費拡大を図る施策を急きょ打ち出すほどだ。「日本全体からすれば自粛が続いて需要が少なくなったと感じられるが、うちはハウス2つだし、出荷の数量が少ない。個人的に直接的な影響はない」。鈴木さんは気にするそぶりを見せなかった。 浪江町が産地化を目指すトルコギキョウの花言葉の一つが「希望」だ。震災後、いち早く農業による復興に取り組むNPO法人「Jin」代表の川村博さん(64)は「浪江のトルコギキョウは茎が太くて日持ちする。全体のバランスがよく、花が大きい」と話す。町も積極的に県外に出て「なみえのはな」としてアピールする。 鈴木さんは、川村さんの指導を仰いで花農家になった。震災前は町内でジャケットやシャツなどを扱う商社を経営。原発事故に伴い、埼玉県の親族宅に約1カ月の避難生活。その後、いわき市に新居を構えるとともに、浪江の避難指示が一部解除されて両親の住宅をリフォーム。故郷で農業への挑戦を決めた。 「除染は進んでるが、実際に口にするものだと残念ながら消費者にとって受け入れられないかもしれない。それなら、人が見て感動する花がいいと思った」。避難した住民の田んぼを借りて“オールドルーキー”として踏み出した。 現在は需要と出荷時期を見極めながら、トルコギキョウとストックの2種類の花を栽培。「高品質で1本あたりの生産コストをどう削減できるか。道楽じゃなくやるからには真剣勝負」と元経営者の顔ものぞかせる。 日本中が新型ウイルスへの不安に覆われ、福島県では原発の風評被害も100%消えていない。浪江の面積の約8割は原発事故による帰還困難区域のまま。それでも「町のため、消費者のため、自分のためにいい花を作る。85歳まで元気でやるのが目標です」と鈴木さん。太陽の光を浴びたビニールハウスに生気に満ちた声が響いた。 ≪除染土 農地に再利用≫浪江町に隣接する飯舘村の帰還困難区域となっている長泥地区では、除染土を農地に再利用し、花などを栽培する実証事業が行われている。環境省によると、除染土を深く埋めて、山砂で覆って放射性物質を遮蔽(しゃへい)する。覆土の山砂には養分があまりないことから、肥料を加えて花などの育成状況を見ている。花から放射性物質が含まれるような数値は出ていないという。先月9日には小泉進次郎環境相がストックを栽培するビニールハウスを現地視察。東京・霞が関の大臣室にも飾られている。 Source : 国内 – Yahoo!ニュース
東日本大震災から9年…津波にのまれた次女、今も捜し続ける(スポニチアネックス)
死者・行方不明者が1万8000人を超えた東日本大震災は11日、発生から9年を迎えた。福島県大熊町には、原発事故による帰還困難区域で、今も津波にのまれた次女を捜し続ける男性がいる。地震翌日に避難し、亡くなった家族3人を捜し切れなかった無念を抱えている。(岩田 浩史) 熊川海岸からわずか200メートルの自宅跡に建てた小屋を拠点に、木村紀夫さん(54)は7歳だった次女汐凪(ゆうな)さんを今も捜し続けている。自宅は福島第1原発からわずか4キロ。帰還困難区域に指定され、今も帰宅できない。午前9時から午後4時まで認められる「一時立ち入り」を利用し、遺骨や遺品を探している。 津波に奪われた家族の命は3つ。父王太朗(わたろう)さん(当時77)と妻深雪(みゆき)さん(同37)は、1カ月後に遺体で発見された。ただ一人、見つからなかった汐凪さん。16年12月、顎の骨などが見つかった。「ホッとした面もあるけど、実感が湧かなかった。遺体じゃなく、小さな骨なんだもの。それを娘と言われても…顎の骨は、歯や銀の詰め物から、娘だと分かってはいるけど…」。これで終わらせては娘がかわいそうだと思った。 昨年4月、長女(19)が進学で上京したのを機に移住先の長野県白馬村を離れ、いわき市に引っ越した。「長女と離れた寂しさはある」というが「自由に汐凪を捜せる」と強がり、車で約40分の道のりを通う。当初は3カ月に1回の制限があった立ち入りは、徐々に緩和され今は年30回が上限。だが実際には、申請すればさらに入れるといい「今年度の立ち入りは130回を超えた」という。 9年前、勤務先であの揺れに遭った木村さん。暗くなってから帰宅すると、家は流されていた。懐中電灯1本で、3人を捜したが見つからない。夜が明けると原発事故が起きて避難を余儀なくされた。生き残った母と長女を連れて故郷を離れるしかなかった。 当初は海岸沿いを中心に捜索したが、今は自宅近くのガレキ置き場に重点を置いている。そこで汐凪さんの遺品や遺骨を見つけたためだ。「マフラーの泥を払ったら何かがポトリと落ちた。首の骨でした。ということはマフラーを首に巻いてたんだ。汐凪はこの辺りにいたんですよ」と生前の汐凪さんを思う。 「やんちゃな娘でね。近所のおじさんを“ハゲチャビン”とか言ってシャワーで水を掛けたり…ひやひやしましたよ」と笑った。 自宅そばの田んぼでは王太朗さんが見つかっている。避難ギリギリまで捜索を続けた地元消防団から「人の声がした」と聞いたことが胸に刺さる。「誰の声かは分からない。父が生きていたんだろうか。汐凪だっていたかもしれない。避難せず捜せば、助けられたかもしれない。家族を見殺しにしたのかもしれない」と自分を責める。わずかでも救える可能性があったと想像するだけでやり切れない。原発事故さえなければ「少なくとも、もっと早く見つかった」と怒りは消えない。 せめて娘の遺骨や遺品を全て見つけてあげたいと思う。一方で「全て見つけたら、それで終わってしまう。ここに来続ける方が、彼女はうれしいかもしれない」。探し続ける時間は、汐凪さんを思い、つながれる大切な時間なのだろうか。子を思う親の心が消えることはない。 ≪大熊町帰還困難区域 いたるところに汚染土入りの黒い袋≫今月3日、木村さんに同行して大熊町の帰還困難区域に入った。有人ゲートで許可証を見せ、線量計を渡されて区域内に入ると、頑丈なバリケードで封鎖された家屋が目についた。いたるところに「フレコンパック」と呼ばれる汚染土を詰め込んだ黒い袋が積み上げられていた。 工事関係者以外、歩く人の姿がほとんどない。汐凪さんが通った熊町小学校も静まりかえったまま。校舎をのぞくと、小さな机の上には辞書や教科書が積まれ、あの日、子供たちが避難したまま時計が止まったようだった。 7時間の滞在で線量計が示した値は9マイクロシーベルトだった。胸部エックス線検査が1回あたり50~60マイクロシーベルト前後とされる。 Source : 国内 – Yahoo!ニュース
ブラジル人夫婦殺傷容疑で男逮捕 同僚の日本人、静岡(共同通信)
静岡県菊川市の住宅前で住人のブラジル人夫婦が刃物のようなもので刺され殺傷された事件で、菊川署捜査本部は10日、夫に対する殺人と妻に対する殺人未遂の疑いで、同県御前崎市の派遣社員山口正文容疑者(64)を逮捕した。認否は明らかにしていない。 捜査本部によると、山口容疑者は死亡した夫の派遣社員デ・ソウザ・マルコスさん(44)と同じ工場で働く同僚だった。捜査本部は山口容疑者とマルコスさんの間に何らかのトラブルがあったとみて調べる。 【関連記事】 Source : 国内 – Yahoo!ニュース
今日11日(水)の天気 東京は晴れて21℃予想 各地で強風注意(ウェザーニュース)
■ 今日の天気のポイント ■ ・関東は晴れて20℃超の暖かさ ・西日本は晴れても空気冷たい ・日本海側は冷たい雨や雪に 今日3月11日(水)は低気圧が発達しながらオホーツク海に進み、日本付近は一時的に冬型の気圧配置になります。日本海側は雨や雪が降り、太平洋側は晴れる見込みです。 暖かな空気が残る東京など関東は気温が上がるものの、そのほかの各地は寒さが戻ります。 関東は晴れて20℃超の暖かさ 関東は天気が回復して朝から青空が広がります。晴れてしっかりと日差しが届いて気温が上昇、東京都心で21℃の予想と各地で20℃前後の暖かさとなる見込みです。 ただ、雨上がりで気温上昇、さらに風も強めで花粉が大量に飛散する条件が揃います。花粉症の方は万全な対策が必要な一日です。 西日本は晴れても空気冷たい 西日本は太平洋側で晴れるところが多くなります。朝は雨の残る日本海側も午後は天気が回復に向かう見込みです。 日差しが届いても冷たい風が強めに吹くため、暖かさは少し控えめです。 日本海側は冷たい雨や雪に 北陸から北日本の日本海側は雨や雪が断続的に降ります。西または北西の冷たい風が強く吹き付け、荒れた天気です。 特に北海道は雨から雪に変わるとともに、吹雪となるおそれがあるため、視界の悪化や吹き溜まりの発生などに警戒が必要です。また、融雪による道路冠水や河川増水、山沿いではなだれの危険性もあるため、警戒してください。 ウェザーニュース 【関連記事】 Source : 国内 – Yahoo!ニュース
福島の花で恩返し、五輪で「復興」から「振興」へ(日刊スポーツ)
11年に起きた東京電力福島第1原発事故後、トルコギキョウなどの花栽培に一から取り組み、花卉(かき)業界から一目置かれる存在になった。 【写真】川村博さんが育てたトルコギキョウ 福島県浪江町のNPO法人「Jin」代表川村博さん(64)。県産トルコギキョウは東京オリンピック(五輪)でメダリストに授与する副賞「ビクトリーブーケ」に使用される。五輪で「復興」に終止符を打ち、産業を盛んにする「振興」を目指す。 ◇ ◇ ◇ 寒空の下、ビニールハウスに足を踏み入れると、セネシオやストックが色鮮やかに咲き誇っていた。手掛ける花はトルコギキョウ、キンギョソウなど計6種類。全国展開する有名花店に市場を通して花を卸すなど、業界からの信頼は厚い。 東日本大震災前まで、花作りとは無縁だった。高齢者らのデイサービス施設を運営するなど、介護や福祉の仕事に従事した。被災後、福島市や南相馬市などで避難した浪江町の高齢者や障害者を支援するサポートセンターを運営。同時に被災した故郷に元気を取り戻す糸口を探った際、農業を通じた復興を思い立った。 13年4月1日、震災前まで浪江町で運営していた事業所周辺が避難指示解除準備区域に再編され、日中の立ち入りが可能に。この日から浪江町の事業所敷地内で野菜栽培を始めた。自宅は震災で住めなくなり、家族と離れ、南相馬市の借り上げアパートに単身暮らしながらだった。原発から約7キロの距離。「戻る人もいなくて農業をやる人なんていなかったけど、前に進まないから」。出荷目前の同年夏。高い放射線量が検出され、野菜は出荷できなかった。 翌14年春。出荷できなかった野菜が畑で一斉に菜の花を咲かせた。植えたチューリップも咲き、一帯が花畑に。荒れ果てた土地が続く国道沿いに突然現れた花畑に、ダンプカーを止めて運転手たちが降りてきた。「心が洗われる」と喜んだ。「ああ、花はいいなと。食べ物がダメなら花でいくしかない」。復興は花に託そうと決意した。 長野県のトルコギキョウ栽培第一人者の元に1年半通って勉強した。師匠のブランド名での出荷を許可されたが丁重に断った。「浪江からいい花を育てて、ブランド化したいからね」。花や土壌の放射線量を測定し、問題ないと確認した上で出荷。花市場関係者の助言にも素直に耳を傾けた結果、トルコギキョウは最高値を付けるようになった。 以前から、被災地の花が東京五輪のビクトリーブーケに使用されることを望んでいた。「もしも注文が来たら、いつでも最高級の花を提供できる態勢は整えています。被災地から感謝と決意を伝えられればいいね」。さらに「復興は五輪で終わり。次は産業を盛んにさせる振興じゃないと」ときっぱり言った。 五輪の先に大きな目標がある。10年に1回開催され、“花の五輪”ともいわれる国際園芸博覧会「フロリアード」トルコギキョウ部門で金賞を獲得すること。次は22年に開催される。「トルコギキョウで金メダルを取れれば恩返しだよね。福島の花で世界を驚かせたい」と意気込んだ。【近藤由美子】 ○…農林水産統計によると、18年福島県トルコギキョウ出荷量は382万本で全国8位だが、東日本大震災の被災3県(福島、宮城、岩手)ではトップ。浪江町によると、同町でトルコギキョウを手掛ける農家はわずか4軒だが、同町産トルコギキョウの品質の良さは、花卉業界で広く知られている。町では、華道家の仮屋崎省吾氏(61)が各地で行う「仮屋崎省吾の世界展」の東京タワー展(3月21~29日)など全国3カ所の個展で、同町産の花材協力を行っている。 ◆浪江町の現状 東京電力第1原発事故で、町民は避難を余儀なくされた。当時の人口は約2万1500人。浪江町HPによると、2月末現在、避難者数は2万262人、住民登録は約1万7200人。現在、町内に約1100人が居住する。避難先の約7割が福島県内。浪江町内は空間放射線量が低い順に<1>避難指示解除準備区域<2>居住制限区域<3>帰還困難区域が指定され、13年4月から<1>と<2>への日中の立ち入りが可能となり、17年3月末に避難指示が解除されたが、<3>は避難指示が続いている。 ◆東京五輪のビクトリーブーケ 花材は東日本大震災の被災地が産地のものを主に利用する予定。オリンピックのブーケには、福島県産トルコギキョウのほか、宮城県産ヒマワリ、岩手県産リンドウ、福島県産ナルコラン、東京都産ハランを、パラリンピックのブーケには、福島県産トルコギキョウ、宮城県産バラ、岩手県産リンドウ、東京都産ハランを使用予定。ビクトリーブーケ贈呈は2大会ぶり。オリ・パラで計約5000個が用意される予定。 Source : 国内 – Yahoo!ニュース
【3・11東日本大震災9年】片道5時間、福島支え 茅ケ崎の医師(カナロコ by 神奈川新聞)
◆希望生む「ありがとう」の一言 東日本大震災の発生直後から9年間、神奈川県茅ケ崎市の医師が福島県南相馬市まで片道5時間をかけて通い続け、地域医療を支えている。産業医の中尾誠利さん(49)は、医師不足に悩む地元住民から「中尾ちゃん」と慕われる人情味あふれる医師だ。あまたの災害現場にも駆け付け、南相馬の人々が教えてくれた医療にも勝る言葉を重ね、各地の被災者に希望を届ける。それは感謝の心、ありがとう-。 「求められればどこへでも飛んで行く。お節介焼きなんですよ」。湘南を拠点に産業医を務める中尾さん。使い古したスーツケースを引き、せわしなく次なる患者の元を目指す。「午後は茅ケ崎に向かって、明日は南相馬に…」。ぼろぼろになるまで使い古した定期券にひたむきな活動がにじむ。週4日を南相馬で過ごし、2日は千葉県内の病院、残る1日は茅ケ崎で働き、妻と5歳の長女が待つ自宅にようやく帰り着く。 福島との縁は震災直前から。2011年2月、医師不足に悩む小高病院(南相馬市)の非常勤医師の募集要項が目に留まった。交通費に加えて電車の「特急料金支給」の文字。公立病院としては好条件だった。 名乗りを上げた数週間後、東日本を地震と津波が襲った。東京電力福島第1原発事故が発生し、原発から半径20キロ以内に避難指示が出され、域内の小高病院は休診に追い込まれた。 多くの被災者が故郷を離れる中、とどまる決断をした人々を思うと、待遇など頭から吹き飛んだ。「ここで引くわけにいかない」。被ばくの危険を顧みず、5月末から南相馬の医療ボランティアとして市立総合病院で月1回の診療を始めた。 出勤が週1日、2日と増える中、心のケアにも当たった。いつしか住民から「中尾ちゃん」の愛称で呼ばれ、祭りでは屋台の設営に始まり、着ぐるみ姿で盛り上げに一役買った。来場者が体調を崩せば、その姿のまま手当てに駆けつけた。 長距離移動後の体にむち打ち、救急外来の対応に追われる日々。疲労を癒やす“特効薬”がある。「『ありがとう』と言われると、やめられない」。中尾さんと南相馬をつなぐ患者たちの言葉だ。中尾さんの元に通い続けて5年、市内に住む佐藤愛子さん(69)は「先生の前向きな姿に気が晴れる。月に1度の診察が楽しみ」と声を弾ませる。 中尾さんは、「ありがとう」の一言が災害時のキーワードだと南相馬の人々から教わった。震災以降、14年に土砂災害に遭った広島、16年に大地震に見舞われた熊本など災害現場に赴き、被災者に掛け続けた言葉は「会えてうれしいです。ありがとう」。人々は笑顔を取り戻してくれた。 今年2月には日本医師会の災害医療チーム「JMAT」の一員として、新型コロナウイルスの集団感染が発生したクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」に乗り込み、外国籍の乗員らの診察に当たった。防護服越しに感謝を伝えると「サンキュー」のお礼が返り、殺伐とした船内にひとときの安らぎが訪れた。 人影が消えた街にはお年寄りが散歩する姿、子どもたちの笑い声が戻りつつある。被災地の人々と時を重ねたからこそ思う。「節目なんてない。日々刻々と状況は変わっている。復興した。全ての街の人がそう言える日が待ち遠しい」 Source : 国内 – Yahoo!ニュース