5/31(日) 14:54配信 31日午前11時ごろ、北海道別海町の牧場で4歳の男児が農業用トラクターにひかれた。男児は頭などを打ち救急搬送されたが間もなく死亡した。 道警中標津署によると、男児はきょうだいと一緒に父親が運転するトラクターの前部に乗っていたところ転落し、ひかれたという。 【関連記事】 Source : 国内 – Yahoo!ニュース
吉村知事「逃げずに判断するというのは意識」(日刊スポーツ)
大阪府の吉村洋文知事(44)が31日、MBSテレビ「緊急SP 生! 池上彰×山里亮太」に生出演した。 【写真】ジャンパーを脱ぎ腕まくりをして会見を行う吉村知事 南海キャンディーズ山里亮太(43)が「発信するまでのスピードが速いんですけど、そういったチームを組んでるのか」と質問。吉村知事は府庁の中で組織をつくり、職員や専門家ともやりとりしているといい「逃げずに判断するというのは意識してます」と明かした。 山里は「ブレーキを踏ませようとする人は出てこなかったですか」とさらに質問。吉村知事は「政治家っていうのは選挙でいろんなところから応援を受けてやってるので、そこも顔向かなきゃいけないっていうのは政治家によくあるパターン」と説明。その上で「大阪でやってる選挙は誰からも支援を受けてないし、特定の政党からも支援を受けてないので、しがらみを考えずに発信したり実行できるのがある意味強み」と語った。 【関連記事】 Source : 国内 – Yahoo!ニュース
【動画解説】土曜日はストロベリームーン 今週半ばから後半は晴れ間あり(ウェザーマップ)
今週前半は曇りや雨ですが、後半は晴れ間が期待できそうです。6日(土)は満月、ストロベリームーンですので、今週は次第に満月に近づいていく月を楽しむチャンスがありそうです。 30日(土)は上弦の月が東京都内でもしっかりと眺められました。この先、6日(土)には満月を迎えるため、今週はだんだんと月が存在感を増していきそうです。 アメリカの先住民は、6月の満月をストロベリームーンと呼んでいたそうですが、ピンク色に見えるというわけではなく、いちごの収穫時期だったからだそうです。 水曜日以降は、全国的に度々、晴れ間が出る見込みで、満月に向かう月を眺めるチャンスがあるでしょう。 土曜日の未明から明け方は、全国的に雲が出やすく、特に関東から北は厚い雲に覆われる見込みです。土曜日の夜になると、今の所は九州から東北南部にかけて、晴れ間が出て、月を見られそうです。 ただ、この時季の予報は特に変わりやすいので、直前の予報もご確認ください。 (気象予報士・長谷部愛) 【関連記事】 Source : 国内 – Yahoo!ニュース
西村氏、トランプ米大統領のG7サミット延期に「コメント控えたい」(産経新聞)
5/31(日) 14:35配信 西村康稔経済再生担当相は31日の記者会見で、トランプ米大統領が6月下旬に首都ワシントンでの通常開催を目指していた先進7カ国首脳会議(G7サミット)を9月に延期する意向を示したことについて「詳しい状況をまだ聞いていないので、コメントは控えたい」としつつ、「G7を中心に今後(新型コロナウイルスの)感染対策や世界経済を回復させるのかを議論するのは非常に大事なことだ」と述べた。 【関連記事】 Source : 国内 – Yahoo!ニュース
吉村大阪知事、家庭では「ある意味自由」な状況に(日刊スポーツ)
大阪府の吉村洋文知事(44)が31日、MBSテレビ「緊急SP 生! 池上彰×山里亮太」に生出演し、自身の家庭の様子を明かした。 【写真】大阪府の吉村洋文知事 リモートで出演したオアシズ大久保佳代子(49)が、多忙の吉村知事に妻からの不満の声はないかと質問。吉村知事は「全然ないですね。子どもが3人いて、そこは嫁さんにお願いしてるというとこもあって、僕自身がいろいろ迷惑かけてるとは思いますが、あんまり仕事のことを言われたりすることはない」と答えた。 続けて「ある意味自由にさせてもらってる状況です。ああでもない、こうでもないと言われると僕も精神的にきついですけど、そういうのは家では全然ない」と明かした。 大久保が「私の周りのおばさんも吉村知事のファンが多いです」と言うと、吉村知事は苦笑い。ジャーナリスト池上彰氏(69)から「さっきまで立て板に水でしゃべってたのに」とツッコまれると、吉村知事は「ここは不得意分野なので」と笑わせた。 【関連記事】 Source : 国内 – Yahoo!ニュース
企業の持病「たこつぼ文化」壊すためには 久保利英明氏
利用者軽視の姿勢、原発事業の不透明さ、そしてガバナンス(企業統治)意識の欠如――。原発事業をめぐる電力会社の金品受領問題から課題が見えてきた。社会の理解を得るよりも原発を動かすことを優先させた時、何が起きるのか。様々な視点を持つ専門家らにインタビューで聞いた。 弁護士・久保利英明さん 関西電力のガバナンス(企業統治)で問題なのは、取締役会や監査役会が機能せず、金品受領が発覚時の社長や会長、相談役による隠蔽(いんぺい)体質の下で会社が動いてしまったことだ。 関電の取締役会は、会社の不祥事を自分たちで正す意識が欠けている。会社が事業部ごとの縦割り組織になっていて、各事業部で出世した人が取締役に就く。その人間を選ぶのも、同じ事業部で先に偉くなった先輩。こういう「たこつぼ文化」の中では、取締役には「よその原子力事業本部の問題だから、口は挟まない」という意識が働く。 くぼり・ひであき 専門は企業法務。関西電力を含め、企業の第三者委員会の報告書を評価する「格付け委員会」委員長を務める。 第三者委員会の調査を踏まえて… 980円で月300本まで2種類の会員記事を読めるシンプルコースのお申し込みはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
四国が梅雨入り、平年より5日早く 九州南部などに続き
朝日新聞デジタルに掲載の記事・写真の無断転載を禁じます。すべての内容は日本の著作権法並びに国際条約により保護されています。Copyright © The Asahi Shimbun Company. All rights reserved. No reproduction or republication without written permission. Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
謎の珍魚アカナマダ、富山湾で次々 胃から判明した特徴
富山湾で珍魚「アカナマダ」が漁船に引き揚げられた。赤い背びれが特徴で肛門(こうもん)からスミを噴く。深海にすむ魚だが、なぜ捕獲されたのか。 ホタルイカ漁も終わりに近づいた5月15日未明、富山県射水(いみず)市の漁船「新徳丸」が引き揚げた定置網に見慣れない魚が入っていた。頭が突き出た特徴のある顔。背びれを波打つように動かし、1メートル前後の銀色の魚体が水しぶきを上げている。網を引き揚げた菅沼タクさん(24)はこの時期よく入るサケガシラだろうと思ったが、魚に詳しい後輩の漁師はアカナマダと推測。珍しい魚ならばと、魚津水族館に引き取りを求めた。 拡大する漁船に引き揚げられたアカナマダ(2020年5月15日、富山県射水市沖の富山湾、菅沼タクさん提供) アカナマダは沖合の中層(深さ200メートルから1千メートルの層)に生息するといわれるが、捕獲例は少なく、生態はよくわかっていない。水族館の木村知晴飼育研究係員によると、刺し身はヒラメのような歯ごたえのある白身で、癖がなくあっさりした味わいという。 水族館に残る記録では、富山県内では1988年に魚津市の片貝川河口に打ち上げられて以降、30年以上見られなかった。それが昨年は、2月から4月にかけて8個体が相次いで釣り上げられたり、網に入ったりした。 通常は水温差などですぐに死ん… 980円で月300本まで2種類の会員記事を読めるシンプルコースのお申し込みはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
終戦後も国内潜行生活を続けた元日本陸軍参謀が国会議員になった理由(FNNプライムオンライン)
戦時中、陸軍参謀として前線に出ていた辻政信氏。 “作戦の神様”とも呼ばれ、多くの戦地で活躍したとされる辻氏だが、一方で悪評も絶えず、“悪魔”と呼ばれる面もあった。 ラオスで撮影された辻政信氏の生前最後の写真 真逆の評価をまとう男は、どんな素顔だったのか?激動の時代に、非難と脚光を浴びながら生きた男の姿は、今を生きる人々にどう映るのか。 前編では辻氏の戦時中の活躍と、戦後の海外での潜行生活に迫った。後編では、辻氏の国内での潜行生活と、国会議員となってからの歩みを追う。 祖国でも引き続き潜伏生活を余儀なくされる 1948年に日本へと帰国を決めた辻氏だが、一度は東京に戻るも、追手の多さを悟り、かつての部下に案内され兵庫県豊岡市三原地区へとやってきた。 「誰も住んでいない古い寺を貸してほしい」と訪ねてきたのは、大学教授・本田正儀を名乗る辻氏だった。 当時、辻氏に直接会った住民・谷岡善一さんは今も健在だ。「(大学教授の本田を名乗る辻が)家にお願いに見えて。(寺で)本を書きたい、執筆したいということで、部落の総会もして『よかろう』ということはありました」と当時を振り返る。 寺は2007年に建て替えられたが、広々としたつくりは以前とほぼ同じだ。 教授に扮した辻は、ここでいつしか身につけた僧侶の務めを行っていた。 「朝晩のお経の務めをしなさった。無住の寺ですから、木魚を叩く音が10年もないわけです。それが朝晩の勤めをしはった。『ああ、木魚をたたいてもらえる』『鐘の音がする』って(地区の)年寄りも尊敬して。それから駐在さん(警察)も寄っているんです。駐在さんも世間話をして、(辻と知らずに)何も言わんで帰しとるんです。そこらへんは、今思えば我々では想像できん度胸ですね」(谷岡さん) 晴れた日には、近くの小川で釣りを楽しみ、質素ながらも豊かな生活を送っていたが、それも長くは続かなかった。 「息子さん(辻の長男)が、豊岡までの切符を買って(父に会いに来た)。豊岡までの切符を買ったことで足がついちゃった。辻が豊岡の周辺におるということが東京の方にばれた。本当に気を許して4カ月おられたと思うんです。息子さんさえ来られなかったら、もっとおられたと思うんです」(谷岡さん) 次ページは:自らを「卑怯者」としながらも潜行し続けたのは? 【関連記事】 Source : 国内 – Yahoo!ニュース
【2002年5月31日】サッカーW杯日韓大会、フランスは初日に“連敗”していた!?(スポーツ報知)
2002年5月31日、アジア初の開催となる日韓共催のサッカーW杯が開幕したその日、ソウルでフランス対セネガルの開幕戦を観戦した。ケガでエースのジダンを欠いていたとしても、前回大会優勝のフランスの優位は絶対。初出場のセネガルを相手に何点取るかに注目していたが、結果は下馬評を覆して0―1でセネガルの勝ち。大会初戦から番狂わせが起きたのだった。 その日深夜、青いジャージーを着た大柄な男たちの一団が、ソウル中心部からやや離れたホテルの地下にあった。現在のグランデ・ウォーカーヒルホテル。好きな人ならすぐにピンと来るであろう、韓国最古のカジノ、パラダイスカジノである。私がチビチビとルーレットで遊んでいると、体も声も大きな男たちがホールに入って来た。 私はもちろん、その姿を見た周囲のカジノ客はビックリ。ほんの数時間前に、まさかの敗戦を喫したフランス代表が姿を見せたのだ。確か、囲んでいたのは「カジノの王様」と呼ばれるバカラの台だったと思うが、勝っても負けても大騒ぎ。ただ、徐々に歓声よりも嘆きの回数の割合が増えていったことを覚えている。 彼らがカジノにいた時間はそれほど長くはなかったが、その場に残したインパクトは強烈だった。試合後のリラックスのつもりだったのか、“ヤケッパチ”の参戦だったのかは謎だが、見た目は明らかに「負け」。特に、MFプティが肩を落としていたのは印象的だった。もちろん、そんな彼らに声をかけるような「剛の者」はいなかった。結局、フランス代表はグループリーグを2敗1分。一度も勝利できずに大会を去った。 ちなみに、当時芸能記者だった私が開幕戦のスタジアムにいた理由は、男性デュオ・ケミストリーが開会式のセレモニーで日韓混合6人組ユニット「Voices of KOREA/JAPAN」の一員として出演するのを取材するため。当時、日本語の曲が主要テレビ局などで政府公認の下で解禁されるのは戦後初とされた。日韓混合のユニットが当たり前のように存在する現在からすれば、これもまた懐かしい記憶である。(高柳 哲人) 報知新聞社 【関連記事】 Source : 国内 – Yahoo!ニュース