新型コロナウイルス感染症に立ち向かう強烈なリーダーシップで一躍名を上げた吉村洋文大阪府知事(44)。そんな知事が事あるごとに感謝する“名参謀”は、実は「いらち」なスーパーウーマンだった。コロナの医療対策で庁内に立ち上げた特別班250人の陣頭指揮を執る健康医療部の藤井睦子部長がこのほど、初めてスポーツ紙の単独取材に応じた。「いくつになってもチャレンジ」を信条にする女性リーダーの横顔に迫った。 全国に先駆け、「入院フォローアップセンター」「大阪モデル」などさまざまな独自のコロナ対策を打ち出した大阪。吉村氏の発信力もあり、全国で注目を集めることになったが、実は実務を担う藤井氏らの取り組みは、当初から抜群のスピード感を誇っていた。 神奈川県で国内初の感染者が出た1月16日。その10日後にはコロナ対策本部を立ち上げた。大阪で感染者が出る以前のことだ。それに合わせて1000人弱の健康医療部内に対策班を立ち上げてきた。「毎日、毎日“この業務が必要だから、こんな班を立ち上げる”という具合。急に4班立ち上げたこともあります」。最大25班で250人。感染者を1例ずつ追うチーム、マスクや防護服を調達する物資班、病院支援班、各国の情報収集など各班の業務は多岐にわたる。 迅速さは国を圧倒していた。「私、せっかちなんです」と笑う藤井氏。実は医療の専門家ではない。「私は一貫して行政の人間で、この(医療分野の)仕事もまだ5年目。そういう意味では慣習、慣例にうといんだと思います」。いい意味で“しがらみのない”藤井氏と、「特定の団体から支援を受けてないのでしがらみを考えずに発信、実行できる」と言い切る吉村氏。自然と一体感が生まれた。 1月末からはほぼ毎日顔を合わせ、休業要請など経済対策を担う「危機管理室」を交えて議論を重ねた。会見では吉村氏の隣に座り、ある日は「僕はうまくいくと思っているが、藤井部長が反対する」と暴露され、大阪の緊急事態宣言解除が決まった先月21日には、席上で「この日を迎えられたのは職員のおかげ」とねぎらわれた。「長時間頑張っているいろんな部署の職員に対して言葉を頂いたと思うと非常にうれしかった」。血の通った吉村氏の感謝の言葉に藤井氏の表情も和んだ。 京大教育学部を卒業し、男女雇用機会均等法施行初年の86年に入庁。当時は女性が配属される職場も限定されており「若いころは壁というか“女性だから”ということを感じたこともあった」という。だが、総務部人事課を皮切りに企画、財務、教育と異動を重ね、自然と「壁」も感じなくなった。その間、2人の子どもを出産。毎朝4時起きで子育てと仕事を両立した。 「自分の力はいくつになっても伸びると思っているんですね。だからいくつになってもチャレンジする」。50歳を過ぎ、現部署に異動した時も本を読みあさり「もの凄く勉強した」。そんなたくましさも備わった女性リーダー。まだまだ歩みを止める気はない。「凄く急いで作ったシステムが多い。だから小康状態の今のうちに、もっとスムーズに対応できるようバージョンアップさせたい」。必ず来るであろう「第2波」に向け、病床確保などの課題に早くも走り始めている。 ≪藤井氏からみた吉村知事≫藤井氏から見た上司・吉村氏は「自身の“これをやりたい!”という事のために、具体的に組織に指示する人」。だが、「部下が意見を言えない雰囲気ではない」と良好な関係だ。4月までは藤井氏も含め、感染状況の把握などに深夜まで奔走。SNSでは「#吉村寝ろ」と知事の体調を気遣う声も上がったが「知事は寝てます、と仰る。ただ1月からずっと、毎日、もの凄くコロナの事を考えておられる」と代弁した。独自政策の裏には前例のない危機事象を誰より考え、動くリーダーたちの存在があった。 ※「いらち」=関西地方の方言。「せっかち」「気が短い」という意味で使われる。 ◆藤井睦子(ふじい・むつこ)1962年(昭37)生まれ、大阪出身。京大教育学部卒業後の86年4月、大阪府入庁。に採用される。主に総務、財務、教育の業務に従事し、15年、府立病院機構に出向し初めて医療分野を手掛けることに。17年4月から現職。 Source : 国内 – Yahoo!ニュース
MLB players say teams ‘depriving America of baseball games’
Players accused teams of « depriving America of baseball games” as part of a money fight set off by the coronavirus pandemic and raised the possibility baseball Commissioner Rob Manfred might push ahead with a shortened season over the union’s objection. Bruce Meyer, the union’s chief negotiator, sent a letter to […]
自殺を手助けした容疑で19歳逮捕 女性は遺体で発見
新潟市の飲食店従業員の30代女性が自殺するのを手伝ったとして、岩手県警は6日、秋田県横手市の無職少年(19)を自殺幇助(ほうじょ)の疑いで逮捕し、発表した。少年は容疑を一部否認しているという。 岩泉署によると、4日午後7時50分ごろから5日午前11時半ごろの間に、自殺願望のあった女性を岩手県田野畑村真木沢の「鵜の巣断崖展望台」に車に乗せて連れて行くなどして、飛び降り自殺を手助けした疑い。女性の遺体は崖下の海中から発見された。 5日に展望台を訪れた観光客が、駐車場ではない場所に止められた不審車両があると通報。駆けつけた署員が、展望台の柵を越えて海側に立っている少年を見つけた。少年は意識がもうろうとしていたため、同県宮古市内の病院に入院。話ができる状態になり、事情を聴いていたという。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
ヤクルトのスアレスも新型コロナ陰性 村上に続いて
プロ野球ヤクルトは6日、新型コロナウイルス感染の疑いで4日にPCR検査を受けたアルバート・スアレス投手(30)が陰性と判定されたと発表した。急性咽頭(いんとう)炎と診断されたという。 球団によると、スアレス投手は4日午前の練習後の検温で37度2分あり、のどの痛みを訴えたため、東京都内の病院を受診。味覚、嗅覚(きゅうかく)に異常はなかったが、自宅に隔離されていた。現在、症状は治まっており、7日からチームに復帰することが可能だという。 ヤクルトでは村上宗隆内野手(20)も4日、発熱などの症状を訴え、PCR検査を受け、5日に陰性と判定されていた。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
ダム建設予定地で田植え 立ち退き反対「住み続ける」
長崎県などが洪水防止や水道水供給のため川棚町に計画する石木(いしき)ダムの建設予定地で6日、田植えが始まった。土地収用法に基づき、一帯の土地の所有権が昨年すべて国に移って初めて迎えるシーズン。立ち退きを拒む川原(こうばる)集落13世帯の住民らは、父祖の開いた田で親族の手も借りながら汗を流した。 水を張った田んぼの周りにはダム反対の決意を記した看板が立つ。周りには草が生い茂った荒れ地も点在。立ち退いた住民の田や畑だったところだ。 県は家屋の強制撤去などの行政代執行も辞さない構えでいる。川原集落の総代、炭谷(すみや)猛さん(69)は「『ここに住み続ける』と言い続けている私たちにとって、田植えは当たり前の日常だし、住んでいるあかし。みんな気負いはない」と語った。(原口晋也) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
拉致解決は私たちが継ぐ 横田滋さん、内外動かした行動と決断(産経新聞)
昭和52年11月に北朝鮮に拉致された横田めぐみさん(55)=拉致当時(13)=の父で、5日に87歳で亡くなった拉致被害者家族会初代代表の横田滋さんは、行動と決断で、政府に拉致問題解決を迫ってきた。愛娘(まなむすめ)の救出に生涯をささげた滋さんの生き方は、重大な国家主権、人権の侵害でありながら問題視されることもなかった北朝鮮の拉致問題に国際社会の目を向けさせる一方、日本には国の在り方を問いかけてきた。 ■仲間勇気づけ、時には体を張り 平成9年3月、家族会代表に就いた滋さんは会の結成理由をこう語った。「共通認識を持った家族が一つになることで、少しでも事態が前進すればと考えた」 世間の関心が拉致問題に向いた時流を逃さず、組織的な運動に打って出るという滋さんの判断はやがて、世論を大きく動かす。 「家族は皆、滋さんに勇気づけられてきた」。家族会結成当初から参加した市川修一さん(65)=同(23)=の兄、健一さん(75)も、修一さん失踪後、つらい日々を過ごしていた。「滋さんはわれわれの先頭に立ち、誰も関心がなかった拉致事件を全身全霊で日本全国に知らしめた」(市川さん)。 ときの首相ら政治家にも救出運動の後押しを求めつつ、体を張る行動もいとわなかった。17年、北朝鮮側の不誠実さに交渉の手掛かりを欠く日本政府に対し、滋さんは「対北経済制裁発動」を求め座り込みに出る。「拉致被害者全員を取り戻すという国家意思を示すこと。躊躇(ちゅうちょ)していると拉致問題を重視していないという大変危険なメッセージになりかねない」。滋さんは高齢を押し、身をもって政府に毅然(きぜん)とした姿勢を求めたのだ。 ■米国を動かし、国際社会に浸透 滋さんの言動は海外にも影響した。家族会は米政権に協力を求めるためしばしば米国へ渡った。訪米時の滋さんの言動は北朝鮮の人権侵害状況の深刻さを国際社会が理解するきっかけを与えてきた。 アーミテージ国務副長官は15年、拉致解決の後押しを約束。「北朝鮮をテロ支援国家に指定している理由に日本人拉致問題も含まれる」とまで明言した。 訪米に同行した支援組織「救う会」の島田洋一副会長は「深刻な拉致を伝える中で凜(りん)としながらも優しいほほえみを絶やさない。柔和な人柄は米国に深刻な問題を伝え、共感させる原動力になった」と振り返る。 ■涙とともに励ましあうやさしさ 滋さんにはまた、思いをともにするほかの家族と、泣きながら励ましあうやさしさもあった。 帰国拉致被害者の曽我ひとみさん(61)も滋さんに支えられた一人だ。一緒に拉致された母のミヨシさん(88)=同(46)=は行方不明。14年に帰国後、自ら救出運動に加わった。北朝鮮でめぐみさんと共同生活したこともあるひとみさんに会うたび滋さんは「一緒にいてくれてありがとう」とほほえみ、常に励ましたという。 14年に5人が帰国して以降から拉致問題は進展がない。日本政府は「最重要、最優先課題」に位置付け、安倍晋三首相は北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長と無条件で会談する意向を表明したが、道筋は描けていない。 政府が認定する未帰国拉致被害者12人の親世代で存命なのは滋さんの妻、早紀江さんと、有本恵子さん(60)=同(23)=の父、明弘さん(91)の2人だけになった。滋さんが生涯をかけて闘い続けた拉致解決への思いは政府のみならず、多くの国民が受け継いでいかなければならない。(拉致問題取材班) Source : 国内 – Yahoo!ニュース
雨の夜、ホタル乱舞 家から幻想的な光の世界へ
足立区生物園(東京都足立区)では4日から、ホタルの観賞会ライブ「おうちでホタル」を中継している。今年は新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、屋外観賞会は中止になった。一年かけて育ててきたゲンジボタルの命の光を多くの人に見てもらいたい。その思いを受け、同園と朝日新聞社が協力し、屋内展示場に設置した1辺2メートルのアクリルケースに約250匹のホタルを放ち、幻想的な光の世界へと誘う。撮影には高感度に強いカメラを使用しライブ配信をする。 「おうちでホタル」は6月7日までの午後7~9時。ライブ中継は同記事(http://t.asahi.com/wgaw)、もしくは朝日新聞社公式チャンネル「Channel ASAHI」(http://www.youtube.com/asahicom)で公開する。問い合わせは足立区生物園(03・3884・5577)へ。(竹谷俊之) 【動画】都会生まれのゲンジボタル 生態を解説=竹谷俊之撮影 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
さだまさしさん、中村哲医師を歌に 歌詞に込めた確信
シンガー・ソングライターのさだまさしさん(68)が、昨年12月にアフガニスタンで凶弾に倒れた中村哲医師(享年73)を追悼する歌「ひと粒の麦~Moment~」を作った。海外で人道支援に力を尽くす人たちを「風に立つライオン」とたたえ、歌ってきた、さださん。中村さんと直接会う機会はなかったが、その活動を尊敬し、手紙を書くつもりで作ったという。 銃撃事件から半年を前に、5月20日に発売したアルバム「存在理由~Raison(レゾン) d’●(eに^(曲折アクセント)付き)tre(デートル)~」に収めた。このアルバムで最も伝えたかったのが、「ひと粒の麦」だという。 歌詞には、アフガンの砂漠化した大地に用水路を建設し、農村を復興した中村さんの活動を織り込んだ。 … 980円で月300本まで2種類の会員記事を読めるシンプルコースのお申し込みはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
中村哲さん銃撃から半年 アフガン、コロナで活動制約も
アフガニスタンで人道支援に取り組んだ中村哲医師(享年73)が昨年12月に銃撃され死亡してから、6月4日で半年。中村さんを支えてきた福岡市のNGO「ペシャワール会」(福岡市)や現地でともに働いてきた人たちは「事業は全て継続し、希望は全て引き継ぐ」を合言葉に、手探りで活動を前に進めている。 「いまどちらですか?」 「農場から事務所に戻る途中です」 3日午後、ペシャワール会事務局が国際電話をかけていた。アフガンのNGO「平和医療団・日本」(PMS)との定時連絡。PMSは中村さんに率いられ、アフガン東部で医療、用水路の建設や維持管理、農業を担ってきた。 現地ではいま、新型コロナウイルス感染拡大防止のため、農業や用水路での作業が午前8時から午後1時までに限られている。都市部への道路は通行が一時規制され、資機材や燃料の搬入に影響が出た。規制は5月後半に解かれたが、人の移動に伴う感染の広がりが心配される。 そうした中でも、PMSは約230ヘクタールの農場で小麦や豆、野菜、果物を育てている。かんきつ類約3万本は無農薬。当初は枝が伸びっぱなしだった。昨年から養蜂に乗りだし、かんきつ類の花からは良質な蜂蜜が期待できることから、中村さんが現地スタッフとともに昨年9月、福岡県農林業総合試験場で剪定(せんてい)についてアドバイスを受けた。「これでかんきつ類も蜂蜜も質が上がれば」と、中村さんは成果を楽しみにしていた。 「100の診療所より、1本の用水路を」と唱えた中村さん。これまでに27キロの用水路が開通し、砂漠化した1万6500ヘクタールに緑を回復させ、農民65万人の暮らしを支える。 中村さん亡き後も新しい用水路… 980円で月300本まで2種類の会員記事を読めるシンプルコースのお申し込みはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
横田滋さん知人ら「必ずめぐみさん救う」 救出へ、決意新たに(産経新聞)
横田めぐみさん(55)=拉致当時(13)=の父で北朝鮮による拉致被害者家族会の初代代表、滋さん(87)の死去から一夜明けた6日、知人らは滋さんに思いを寄せ、めぐみさん救出への決意を新たにした。 小、中学校でめぐみさんの親友だった眞保(しんぼ)恵美子さん(55)は「何の根拠もないのですが、めぐみさんが帰ってくるまで元気でいらっしゃるものと思ってきた」と憔悴(しょうすい)した様子で打ち明けた。最後に会ったのは今年1月。病院を見舞い、まどろむ滋さんと言葉は交わせなかったが、妻の早紀江さん(84)は「眞保さんだと分かっているよ」と話してくれた。 眞保さんは滋さんが撮っためぐみさんの写真を自宅に飾っている。「めぐみさんを帰国させ、早紀江さんを支えるためにできることを何でもする」と誓った。 「滋お父さん、間に合わず申し訳ありません」。めぐみさんの同級生の会の池田正樹代表(56)=新潟市=は、言葉を詰まらせた。最後に会ったのは5年前。早紀江さんから容体を聞くたび、焦りが募った。 池田さんは今年4月、新潟市立寄居中を訪れた。滋さんがめぐみさんの入学記念で撮影した写真の背景になった美しい桜は朽ちかけ、ここ数年、花もほぼ咲かない。涙が止まらなかった。「時が流れ過ぎた。改めて、滋さんのめぐみさんへの愛情を胸に、諦めずに尽力する」。そう誓った。 父親が滋さんの同僚で東京都立川市立立川第七中の教諭、佐藤佐知典(さちのり)さん(60)は「生きる限り絶対に拉致問題を風化させない」と悔しさを押し殺した。めぐみさんが拉致された当時、自宅は近所にあった。 救出運動の初期から参加した佐藤さんは「滋さんは仏様のようだった」と振り返る。雨の日も風の日も路上で署名を呼びかけたが、世間の関心は薄かった。それでも滋さんは笑顔で訴え続けた。佐藤さんは「御霊(みたま)がきっと、空から見守っている。必ずめぐみさんを帰国させる」と力を込めた。 横田さん夫妻が住む川崎市のマンション住民が設立した支援組織「あさがおの会」の田島忠代表(78)は1月ごろ入院先を見舞ったのが別れとなった。 住民同士、30年近い付き合いだが「私の顔を見てもはっきりと分かってもらえなかった。状態が良くないと実感した」と振り返る。 めぐみさん拉致が表面化した平成9年2月に初めて、めぐみさんの存在を知った。「人知れず苦労があったと思う。今は安らかに、ゆっくり休んでくださいという思いだ」と声を震わせた。 Source : 国内 – Yahoo!ニュース