新型コロナウイルスの流行が続く中、横浜国立大学は7月31日、一般選抜の個別学力検査(二次試験)について、2021年度入試では一部を除き行わないと発表した。教育学部以外では受験生の地元で受けられる大学入学共通テストの得点で合格者を決定。教育学部では実技ではなく課題の提出を求めるなど、従来と方法を変更する。 発表によると、横国大には例年、前期・後期合わせて7500人を超える出願があり、うち5000人が県外からという。大学で試験を行えば各地からの移動は避けられず、感染のリスクを高めることになると判断した。また、試験を行うとしていた場合、感染状況の変化によっては直前に実施困難になる可能性もあるため、「全国の受験生にこれ以上の心配をかけず、安心して受験準備に集中できるよう、この決定に至った」としている。 大学が公開した選抜方法の詳細などによると、全ての学部で自己推薦書の提出を求め、教育学部以外は全て、二次試験は実施しない。二次試験で予定されていた試験科目については大学入学共通テストの成績で代替。教育学部では当初、集団面接試験に加え、小論文または実技検査を予定していたが、動画やレポートなどで合格者を決める。 2021年度入学者向けの大学入試については、新型コロナウイルス感染拡大による臨時休校やスポーツ・文化関係の大会などの中止も相次いだことから、文科省が各大学に対して配慮を求めている。大学入学共通テストは1月16・17日に行われる第1日程か2週間後の第2日程かを本人の希望などで選択できるようにしており、例年と異なる対応が行われている。 横国大の長谷部勇一学長は「受験生の皆様へ」として公開した文書で、「様々な制約を受けながらも、各自の目標達成のために勉学を続けておられる皆様に、敬意を表します」と、コロナ禍で試験に備える受験生を労った。 今回の決定は「苦渋の決断」だったとし、「全国の受験生の皆様、体調管理には十分に注意して、入学後に必要となる基礎学力を磨いてください。皆様とともに、新しい時代の教育と研究を切り拓いていきたいと思います」と呼びかけている。 ハフポスト日本版編集部 Source : 国内 – Yahoo!ニュース
東海から九州 暑さ指数は最大級の「危険」(ウェザーニュース)
ウェザーニュース 今日は西日本を中心に気温が35℃以上の猛暑日となるところも複数ある予想。 特に九州では、昨日に引き続き暑さ指数が「危険」ランクとなるところが広範囲に広がるため、先日の大雨で被害を受けたエリアでの復旧作業も熱中症に十分お気をつけください。 ※WBGT28℃以上で熱中症患者は急増 暑さ指数(WBGT)は国際的に用いられている指標で、人体の熱収支に与える影響の大きい湿度、日射・輻射など周辺の熱環境、気温の3つの要素から計算されています。単位は℃ですが、気温とは値が異なります。 気温よりも熱中症患者発生率との相関が高く、WBGTが28℃を超えると熱中症患者が著しく増加することがわかっています(厳重警戒・危険に相当)。WBGTが31℃以上の場合は運動は原則中止すべきとされています(危険に相当)。 環境省と気象庁は今年から一部地域で、WBGTが極めて高い予想となる日に「熱中症警戒アラート」を発表することを決めています。 Source : 国内 – Yahoo!ニュース
御嶽山頂上の規制解除 戦後最悪の火山災害から6年(テレビ朝日系(ANN))
All Nippon NewsNetwork(ANN) 2014年の噴火で死者・行方不明者63人が出た長野県の御嶽山で、王滝頂上までの規制が噴火後、初めて解除されました。 長野県王滝村では1日午前8時前に規制が解除されると、登山客約70人が山頂を目指しました。 当時も登った愛知県の登山客:「ここで噴火が起きたんだったなとそういうのを思い出すと思います。まさか山頂であんな惨事になっているとちょっと思っていなくて」 9合目から王滝頂上までの登山道は、6年前に噴火してから入山規制が続いていました。村は先月11日に解除する予定でしたが、大雨の影響で安全確認が遅れ、先送りとなっていました。王滝頂上には安全対策として鋼鉄製のシェルターや避難施設が整備されています。 Source : 国内 – Yahoo!ニュース
山梨・女児不明 “我が子のいない夏休み”母親語る(テレビ朝日系(ANN))
All Nippon NewsNetwork(ANN) 山梨県のキャンプ場で当時小学1年生の小倉美咲ちゃん(8)が行方不明になってから10カ月が過ぎました。美咲ちゃんのいない夏休みを迎えた母親がつらい胸の内を語りました。 美咲ちゃんの母親・小倉とも子さん:「去年の夏休みにキャンプに行ったのを絵日記に描いていて。小さい魚をつかまえたり『かわいいからおうちで育ててあげるんだ』と言っていた顔も鮮明に覚えています」 小倉美咲ちゃんは去年9月21日、山梨県道志村のキャンプ場で行方が分からなくなりました。母親らは情報を求めビラ配りを続けてきましたが、新型コロナウイルスの感染拡大で3月以降、中断しています。先月には少しでも手がかりを得たいと新たにホームページを立ち上げました。 美咲ちゃんの母親・小倉とも子さん:「(感染拡大で)山梨に通うこともちょっと難しくなっている。都内でのビラ配りも今できなくて本当に苦しいです」 これまでに警察には3500件以上の情報が寄せられていますが、有力な手掛かりは得られていません。 Source : 国内 – Yahoo!ニュース
被爆した建物、きれいにしすぎ? 他の壁と見分けつかず
75年前の原爆に耐えたとして広島市が保存に取り組む「被爆建物」。この夏、世界遺産・原爆ドーム(中区)に次いで爆心地から近い二つの建物が、相次いで大規模な「衣替え」をした。いずれも被爆前の外観を再現するものだが、被爆の痕跡が分かりづらいという指摘も上がる。(宮崎園子、辻森尚仁) 広島市屈指の繁華街・広島本通商店街内に1日、ひときわ目立つルネサンス様式の建物が再オープンした。パン製造大手のアンデルセングループ(広島市)の旗艦店「広島アンデルセン」で、2年余りに及ぶ建て替え工事を終えた。 地上5階建て、延べ床面積3400平方メートル。商店街に面した建物北側の2階部分には、1925年に完工した元の建物にあったコリント式の円柱を復元した。一方で内装は、「スタイリッシュ・デンマーク」をコンセプトに、白木と白壁などで「北欧」を表現した。新型コロナウイルス対策のため、限定的な営業での再出発。この日は、午前10時の開店と同時に買い物客でにぎわった。 原爆で被爆した後も現存する「被爆建物」で、広島市がリストに登録している86件の一つ。原爆ドームと平和記念公園内のレストハウスに次いで、爆心地から3番目に近い。元の建物は1925年、三井銀行広島支店として建てられ、帝国銀行広島支店に名前を変えた。45年8月6日、建物の西360メートルの上空で原爆が炸裂(さくれつ)し、天井や屋根の大半が壊れた。 アンデルセングループは67年に建物を買い取り、ベーカリー・レストランに。原爆に耐えた金庫室は扉を撤去して冷蔵庫とするなど内部を改修したが、爆心地と反対側の東側と北側の外壁は被爆した当時のまま残っていた。耐震性の不安から2016年に旧建物での営業を終えた。工法をめぐり検討を重ねたが、耐震補強を施した改修はむしろ工事費が高額になると判断し、建て替えを決めた。その際、被爆した外壁約290平方メートルのうち耐久性に問題がない約50平方メートルだけを切り出し、新店舗の2階部分の東側外壁に貼り付けた。だが、他の壁と見分けるのは難しくなってしまった。同社の担当者は「『できればそのまま残して』との声を多くいただいた。被爆した壁は基本的に残すつもりだったが、補強しても活用できるのがこの部分だけだった」と話す。 外壁の一部だけを残した全面的な建て替えだが、市は被爆建物の保存工事として、国の負担分を含めて計8千万円を補助。建物は今後も「被爆建物」であり続ける。 ■むき出しの床、歩きやす… 【8/7まで】シンプルコース(月額980円)が今ならキャンペーン中!詳しくはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
連獅子はいつもより奥で 歌舞伎座が再開、かけ声も禁止
東京・歌舞伎座で1日、「八月花形歌舞伎」が開幕し、約5カ月ぶりに公演が再開された。新型コロナウイルスの影響で歌舞伎は3月から全国で中止されていた。多くのファンが来場したが、感染が拡大する中、厳重な感染防止対策に従っての観劇となった。 1部「連獅子」では片岡愛之助さんと中村壱太郎(かずたろう)さんが観客との距離をとるため、通常よりも舞台の奥で勇壮な獅子の舞を披露。長唄と三味線は8人ずつを5人ずつに減らし、唄方と演奏家は特製の黒いマスクを着用した。大向こうのかけ声も禁止された。橋本芳孝支配人は「安全対策に万全を期したい」と話した。 公演は1演目ずつの4部制で、各部の終演ごとに観客と俳優・スタッフを入れ替え、客席や楽屋を消毒する。客席は前後左右をあけて配置し、使用しない席は赤い帯で封じて1808席を823席に減らした。開幕直前に俳優・スタッフ約200人がPCR検査を受け、全員陰性だった。(藤谷浩二) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
日本の宇宙作戦隊、シンボルは○が六つ 「ごみ」を監視
今年5月に立ち上がった自衛隊の宇宙作戦隊のシンボルマークが31日、公表された。宇宙にちなんで、星や地球があしらわれた。部隊の士気を高めるだけでなく、宇宙に詳しい専門人材の確保に向けた情報発信などにも活用される見通しだ。 自衛隊初の宇宙分野を専門に扱う同部隊は、航空自衛隊の府中基地(東京都)に拠点を置き、約20人で活動している。人工衛星に宇宙ごみがぶつからないよう監視することが任務だが、まだ準備段階で、必要なシステムなどがそろうのはこれから。その準備の一環として、隊員らがシンボルマークをデザインした。 丸いワッペンの中央に地球、その周りに人工衛星の軌道が描かれ、部隊発足が2020年だったことにちなんで20個の星もあしらわれた。下の方にある六つの「○」は、山口県内に新設予定の宇宙監視レーダーのアンテナの数を表現しているという。 丸茂吉成・航空幕僚長は「宇宙にふさわしいデザインを誇りに、隊員には士気高く職務に邁進(まいしん)してもらいたい」と述べた。(伊藤嘉孝) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
<報国のペン>太平洋戦争、そのとき新聞は 戦争と西日本新聞(2) 笑顔の挿絵で銃後も鼓舞、作者はあの漫画家(西日本新聞)
先の戦争にペンで加担した「報国報道」は、西日本新聞も例外ではなかった。当時を振り返り、これからの報道にどう向き合うべきか、考える糧としたい。 ※この記事は2015年に掲載したもので、年齢などは当時のものです。 ■ ■ ■ 一目見れば、誰もがピンとくるに違いない。国民的漫画「サザエさん」に登場してきそうなキャラクターが、終戦1年前の1944年夏ごろから、西日本新聞の挿絵に登場する。 作者の署名はない。そこで東京の長谷川町子美術館を訪ね、橋本野乃子学芸員に鑑定してもらった。「町子独特の画風です。間違いないでしょう」 Source : 国内 – Yahoo!ニュース
新聞が報じなかった「本当のこと」 太平洋戦争下の西日本新聞(西日本新聞)
瞬時にして焦土と化し煙突1本のみ残った広島市街の一部。1945年8月23日付の本紙2面に掲載された 戦争中、新聞はメディアの主流だった。だが、軍部による情報統制を前に、事実を正しく伝えていたとは言い難い。積極的に戦意高揚に加担する「報国」の側面も徐々に強まっていった。1931年の満州事変から終戦までの間、西日本新聞と前身の福岡日日新聞、九州日報は何をどう伝えたのか。節目の紙面をなぞり、当時の報道を振り返る。 Source : 国内 – Yahoo!ニュース
戦時下の新聞記者たち 紙面と、その裏側にあったもの(1) 従軍カメラマン、死の間際の一枚 破格の訃報「名誉の戦死」(西日本新聞)
1937年 比山国雄記者が撮影した南京城の中華門(中央奥)に迫る日本軍決死隊=1937年12月16日付、福岡日日新聞特別号外 戦時下の西日本新聞。記者たちの思いもまた、歴史の陰に覆い隠されてきた。その心の内と向き合う。 ※この記事は2015年に掲載したもので、年齢などは当時のものです。 ■ ■ ■ 決死隊が、城門をよじ登るためのはしごを手に突入する。その瞬間を背後から捉えた写真が西日本新聞の前身、福岡日日新聞の1937年12月16日付特別号外を飾った。見出しには〈血に染むフヰルム(フィルム)〉とある。 撮影したのは比山国雄記者だった。中国の南京城に迫る日本軍に同行し、中華門攻略戦を取材中、銃弾に倒れた。本紙で初めて戦場で命を落とした従軍記者とされる。享年28。 最後に載った1枚は、どこで写したのか。 Source : 国内 – Yahoo!ニュース