竹とんぼのような形の小さな機械を頭に付けただけで、自由に空を飛ぶことができる。ドラえもんのひみつ道具で、最も知られているものの一つが「タケコプター」だ。漫画(てんとう虫コミックス第1巻)の最初の物語に登場する「古株」であり、繰り返し出てくる「常連」だ。至ってシンプルにみえる仕組みの道具は、様々なシーンでドラえもんやのび太の移動を助け、作品の世界を大きく広げている。 だが、「現代の技術では難しいです」。空中を移動する手段として「空飛ぶクルマ」を開発するベンチャー企業、テトラ・アビエーション(東京都)社長の中井佑(たすく)さん(29)は即答する。 タケコプターのプロペラでは、人が空を飛べるだけの揚力を生み出すことはできない。それに、タケコプターを見る限り、自分の体はプロペラとは逆方向に回転することになり、目が回ってしまうという。「タケコプターを付けることで無重力の状態になれたら、実用化できるかもしれません」と中井さん。 無人飛行に成功 実用化へ加速 ただ、空を自由に飛ぶという夢の実現を目指して、国内外の技術者は開発を続けている。 いま最も注目を集めるのが、中井さんも手がけている空飛ぶクルマだ。 世界で進む、空飛ぶクルマの開発。広島県では、1人乗りヘリコプターの開発が進みます。機体の座り心地は?実用化への課題は?記事後半で紹介します。 明確な定義はないが、電気で動… 【1/25まで】デジタルコース(月額3,800円)が今なら2カ月間無料!詳しくはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
別れ待つ550本のキープボトル 師走の盛岡、客は5人
最盛期に2千本あったキープボトルは550本ほどになった。盛岡市菜園で40年にわたり愛されたスナック「希林舘(きりんかん)」。コロナ禍のあおりを受け、来年4月までに閉店することを決めた。年内での閉店も考えたが、ネームプレートと写真をぶら下げたボトルを少しでも持ち主に返そうと、待つことにした。 「12月に入って半月、お客は5人。去年の12月は270人、最盛期は800人いたのにね」。店の経営者兼ママの昆恵子さん(71)は並んだボトルを見ながら言った。カウンター15席、ボックス35席。コロナ禍で遠のいていた客足は、11月半ばから県内で感染者が急増するとさらに減った。 開店は40年前。「希望のある、木々の安らぎが得られるような店に」との思いを店の名に込めた。店で客と撮った写真は分厚いアルバム十冊以上になる。 そのなかに、忘れられない一枚… 【1/25まで】デジタルコース(月額3,800円)が今なら2カ月間無料!詳しくはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
今年の紅白の見どころ リハーサル後の出演者の言葉から
年末恒例の「第71回NHK紅白歌合戦」が、31日に放送される。コロナ禍のもとで行われる今年の紅白は異例づくし。29、30日のリハーサル後に語った出演者たちのひとことから、見どころを読み解く。(以下、敬称略) 休養明けたNiziU のMIIHI、 「120%です」 拡大する紅白歌合戦リハーサル後の取材に応じたNiziU=2020年12月29日午前11時32分、NHK提供 「縄跳びダンス」が流行した初出場の9人組、NiziUは後半のトップバッター。メンバーのMAYAが体調不良でリハを欠席したが、RIMAは「小さい頃からこの番組をよく見ていたので、家族、友達のみんなが祝ってくれてうれしかった」。体調不良で休養していたMIIHIは体調についての質問に、「大丈夫です。120%です」と回答。「重大な役目をいただいたので、『Make you happy』という曲を通してたくさんの方に笑顔を届けられるように、私たち自身も楽しみながらテレビの前のみなさんを笑顔にしていきたい」と語った。 瑛人、ドルガバの歌詞「いつもより大きく・・・」 同じく初出場で「香水」を歌う瑛人は、コロナ禍で無観客開催となった紅白について、「みんな『特殊』と言っているが、僕は1年前まではアルバイトしてハンバーガーつくって、休みはのんびりしていた。初めましてが無観客だったので、わからない」。歌詞の中に「ドルチェ&ガッバーナ」とブランド名が入っており、公共放送のNHKでの歌唱が注目されていた。報道陣から問われた瑛人は「(リハは)いつもより大きく歌いました。うそうそ。いつも通り気にせず歌いました」と笑い、「(局側から)直接は言われていませんが、事務所の方から『歌っていいらしい』と聞いてうれしかった」と明かした。 一方、24年ぶり出場となる鈴… 【1/25まで】デジタルコース(月額3,800円)が今なら2カ月間無料!詳しくはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
空を守り、パイロット育て半世紀 F4ファントムが退役
「ファントム」(幻、お化け)の愛称で親しまれてきた航空自衛隊のF4戦闘機が12月、退役した。日本の領空に近づく外国軍機や国籍不明機への警戒にあたる戦闘機部隊のうち、唯一のF4部隊となっていた「第301飛行隊」が百里基地(茨城県)から三沢基地(青森県)へ移転するのに伴ってF4の運用を終えたためだ。 F4を運用する部隊として最後の第301飛行隊長を務めた岩木三四郎2等空佐は「最後の飛行隊を率いたことを光栄に思っています」と書面で感想を寄せた。 空自の戦闘機のなかで、通信ネットワークや電子装備が充実しているF15やF2が「第4世代」と分類されるのに対し、F4は米国開発の「第3世代」の戦闘機だ。 各国の空軍で採用され、生産総数は約5200機にのぼる。米軍はベトナム戦争にもF4を投入した。日本では1968年に機種選定され、空自は140機を導入。三菱重工業がライセンス生産を担当した。 空自トップで自身もF4パイロットの井筒俊司・航空幕僚長は記者会見で「(空自の戦闘機として)単一機種で最も長い期間(運用されたの)ではないか。防空能力、対艦・対地能力を発揮してきた機体」と話した。 第301飛行隊はF4を運用する最初の飛行隊として、73年に百里基地で編成された。85年に新田原基地(宮崎県)に移動したが、2016年に百里基地へ戻った。12月15日、F4のすべての運用を終えて三沢基地に移転。新たに、最新鋭ステルス戦闘機F35Aを運用する飛行隊として改編された。 岩木2佐は、F4の総飛行時間約3千時間で、生粋の「F4ライダー」だ。書面を通じた朝日新聞の取材に対し「多くの先輩方のしんがりとして飛行隊長に就任し、無事にF35Aへとバトンをつなぐ重い使命を常に感じながら勤務してきた。F4は空自における私のパイロット人生のすべて。ファイターパイロット人生をF4だけで歩み、最後の飛行隊を率いたことを光栄に思っています」と答えた。 緊急発進(スクランブル)の任務を担当するすべてのF4が退役した一方、空自の装備品の試験を担当する飛行開発実験団(岐阜基地)に配備されているF4の飛行は21年3月まで続けられるという。同基地周辺には、退役を惜しむ「F4ファン」がカメラを手に訪れているという。(土居貴輝) F4とはどんな戦闘機だったのか。記事の後半では、F4とともに歩んできた自衛官が、その魅力を語ります。 ベトナム戦争の教訓生かした戦闘機 導入から半世紀にわたって日本の空を守ってきたF4戦闘機。元F4パイロットで元空自航空支援集団司令官(空将)の織田邦男氏(68)に、F4の導入が空自の運用や米軍との連携、その後の戦闘機の整備に与えた影響について聞いた。 ――織田さんにとって、F4戦闘機とともに歩んだ自衛官人生と伺いました。 「国防会議で空自へのF4の導入が決まったのが1969年。翌70年に防衛大学校に入った。(卒業後、航空自衛官として任官する予定の)航空要員になり、74年に卒業した時にはF4の飛行隊が編成されていた。その後、F4のパイロットとなり、長くスクランブル任務につき、飛行隊長も経験した。2009年に退官するときもF4は現役。戦闘機の一般的な運用期間から考えればパイロットは戦闘機の生まれと終わりをみとるものだが、逆にF4にみとられて退官した」 ――F4に指名されたときの心境は。 「戦闘機操縦課程では単座のF… 【1/25まで】デジタルコース(月額3,800円)が今なら2カ月間無料!詳しくはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「十万石まんじゅう絶対買う」羽鳥慎一さんに宿る埼玉愛
「ださいたま」と揶揄されることもある埼玉県に、強い愛着を感じている人がいます。羽鳥慎一さん(49)と斎藤ちはるさん(23)です。 テレビ朝日の情報番組「羽鳥慎一モーニングショー」でコンビを組む2人は埼玉出身。ムーミンバレーパークから十万石まんじゅうまで、埼玉をテーマに熱く語り合いました。 羽鳥 斎藤さんはどこの出身ですか。 斎藤 さいたま市です。 羽鳥 でた。さいたま市のどこだった? 斎藤 中央区です。北与野です。 羽鳥 北与野。埼京線が走っているね。いつまで? 拡大する埼玉への思いを語る羽鳥慎一さん=北村玲奈撮影 〈はとり・しんいち〉 1994年に日本テレビへ入社し、2011年に退社。フリーアナウンサーとなり、同年4月からテレビ朝日「モーニングバード!」、15年9月から「羽鳥慎一モーニングショー」でキャスターを務める。1日午前6時から「羽鳥慎一モーニングショー新春特大スペシャル」を放送予定。 斎藤 一番最初は2歳から6歳ぐらいまで所沢で、そこからさいたま市です。 羽鳥 ちょっと都会にきたんですね。埼玉は東京より住みやすい? 斎藤 うーん。東京に来てあんまり違いを感じない。 羽鳥 ほんとかよ。 斎藤 (笑) 羽鳥 それは言い過ぎじゃない。 斎藤 言い過ぎですか? 東京の隣県の中で埼玉が一番住みやすいというか、通いやすい。 拡大する埼玉への思いを語るテレビ朝日の斎藤ちはるアナウンサー=北村玲奈撮影 〈さいとう・ちはる〉 人気アイドルグループ・乃木坂46のメンバーとして活躍。2018年にグループを卒業し、19年にテレビ朝日に入社。「羽鳥慎一モーニングショー」でアシスタントを務める。火曜夜の「林修の今でしょ!講座」での進行や深夜のバラエティー番組「秋山とパン」でナレーターを務める。 羽鳥 神奈川の人は神奈川が一番って言うよ。 2人 ははは。 羽鳥 僕は埼玉は小1までなんだけど、振り返ると埼玉での思い出の方が感傷的になる。上尾の水上公園とか吉見百穴にも親に連れて行ってもらった。親と一緒に行ったのは神奈川より埼玉の方が多い。 斎藤 私は、「けやきひろば」でよく遊んでいました。 羽鳥 さいたまスーパーアリーナでコンサートとかやってないの。 斎藤 やりました。 埼玉のディズニーランド? 羽鳥 子どものときに遊んだ公園の横で、乃木坂をするとは思ってなかったでしょ。 斎藤 アリーナでコンサートができると聞いた時は夢がかなった瞬間でした。小学生の時に職場体験で行ったんです。その時はまさか自分がライブをする立場になると思ってなくて。かなったときはすごいうれしかった。 羽鳥 ムーミンバレーパークは非常に良かった。人に紹介する場所が増えました。埼玉のおすすめの場所ありますかって言われて、「ムーミンバレーパーク」と言うと、「どこにあるんですか」ってなるけど。埼玉にとって東京ディズニーランドとほぼ変わらない。 斎藤 実は仕事であまり関わったことないんです。 羽鳥 所沢とか与野とかに呼ばれなかったの? 斎藤 在籍時代は住んでいたので、埼玉としか公表してなくて。 拡大する羽鳥慎一さん。埼玉への思いを色紙に書いてもらった=北村玲奈撮影 羽鳥 僕は上尾市の催しで、コメントを出した。小さいころに過ごした自治体から、コメントくださいって言われると「おおっ」って思う。所沢市制何十周年のイベントがあれば参加した方がいいよ。 「ださいたま」否定しない 斎藤 そうですね。ぜひ行きたいです。私の祖母も喜んでくれると思います。 斎藤 春日部ですね。「クレヨンしんちゃん」にゆかりがあるので行ってみたいです。 拡大するテレビ朝日の斎藤ちはるアナウンサー。埼玉への思いを色紙に書いてもらった=北村玲奈撮影 羽鳥 僕は秩父かな。埼玉って言うよりも「秩父」って言う感じがする。夜祭りのイメージです。埼玉の人にとっては京都と一緒ですよ。生活するというよりも歴史の街ですよね。 羽鳥 十万石まんじゅうの店は探します。絶対買って帰ります。「うまい、うますぎる」っていうCM、何十年やってるんだろう。 斎藤 私は所沢の武蔵屋の焼き団子。あとは肉うどんですかね。肉うどんって埼玉の名物なんですよ。焼き団子は炭火で焼いてくれる。しょうゆ味です。ぜひ食べてみてほしいです。 羽鳥 「私の体のほとんどは埼玉で出来ています “ありがとう埼玉”」 斎藤 「下克上! 埼玉!!」 羽鳥 埼玉がなければ私は誕生していませんので。その感謝の言葉が、「ありがとう。埼玉」。そんな埼玉が今後、より良い県になるように何かできるなら、どんどんやりたい。 いまコロナがあって、リモートとかプチ移住とか近距離移住とかが増えてきたので、それに関して埼玉は絶好の街。週1回、東京に行こうと思えばいけるし、北部にも良いところがある。私は老後に上尾に住むのもありだと思う。斎藤さんは「下」だと思っているってことだね。 斎藤 「ださいたま」と言われても否定はしない。時代が変わっていく中でどんどん埼玉の魅力と地位が上がっていけばと期待を込めて「下克上」にしました。住む場所として埼玉は良い。会社が東京じゃなければずっと埼玉に住んでいたと思います。買い物や遊ぶところもあるし、通勤も不便がない。魅力たっぷりで、いい場所ですよね。(聞き手・山田暢史、加藤真太郎) ◇ 〈はとり・しんいち〉1994年に日本テレビへ入社し、2011年に退社。フリーアナウンサーとなり、同年4月からテレビ朝日「モーニングバード!」、15年9月から「羽鳥慎一モーニングショー」でキャスターを務める。1日午前6時から「羽鳥慎一モーニングショー新春特大スペシャル」を放送予定。 〈さいとう・ちはる〉人気アイドルグループ・乃木坂46のメンバーとして活躍。2018年にグループを卒業し、19年にテレビ朝日に入社。「羽鳥慎一モーニングショー」でアシスタントを務める。火曜夜の「林修の今でしょ!講座」での進行や深夜のバラエティー番組「秋山とパン」でナレーターを務める。 Source : […]
大雪警戒、首相「不要不急の外出控えて」「先手先手で」
年始にかけて日本海側を中心に大雪が予想されていることを受け、政府は30日夕、首相官邸で関係閣僚会議を開いた。菅義偉首相は「大雪に備えるため、不要不急の外出は控えてほしい」と国民に向けて呼びかけた。 首相は、今月中旬の大雪では、関越自動車道で多数の車が長時間立ち往生したと説明。その上で、備えの確認と、国民への迅速でわかりやすい情報発信の徹底など「先手、先手の対策を講じ、安全・安心の確保に万全を期す」ことを閣僚らに指示した。また、大雪が予想される地域の住民らに対し、最新の気象情報や道路交通情報に留意するよう注意も促した。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
夢見て渡った日本で「死ね」「帰れ」 技能実習生の明日
【TBSラジオ「荻上チキ・Session」 in 朝日新聞ポッドキャスト】⑤ 日本に来る技能実習生が増え続けてきたなか、多くの人が厳しい生活を強いられています。職場で「死ね」「帰れ」と言われたり、急に解雇されたり。命を絶つ人もいるそうです。 TBSラジオ「荻上チキ・Session」で放送された「朝日新聞ポッドキャスト in Session」で、パーソナリティーの荻上チキさん、南部広美さんと、朝日新聞の神田大介・コンテンツ編成本部音声ディレクターが語っています。朝日新聞デジタルでは、放送で流せなかった部分も含めたディレクターズカット版をご紹介します。その一部を記事にして公開します。 このほかディレクターズカット版では、経済危機で困窮したベネズエラの話題にもなりました。読者の声を代弁するポッドキャストのあり方も議論します。ぜひお聴きださい。 ◇ 荻上:技能実習生の方々が、コロナ禍で生活が大変になっています。このテーマについて、朝日新聞はたくさん記事を掲載していますね。 神田:ベトナム人は約41万人いて、2009年から10倍に増えたと言われています。ただ、コロナの影響で日本人でもなかなか仕事がない状況です。ベトナム人は雇用の調整弁になっていて、厳しい状況になっている。 荻上:技能実習制度で来られる方は、多額の借金を背負っている方も多いですよね。それを返すために劣悪な労働を強いられても、逃げることができない。そういった問題は、多くの方がご存じだと思います。今回リポートした平山亜理記者は、どんな方ですか。 神田:平山記者はブラジル生まれで、幼い時はエジプトに住んでいました。朝日新聞でもロサンゼルス支局長兼ハバナ支局長となり、アメリカとキューバの国交正常化や、銃乱射事件などの取材を担当していました。現在は東京本社社会部の武蔵野支局にいます。 荻上:そんな平山記者が取材した、技能実習生に関するリポートの一部をご紹介します。 ◇ 「コロナの関係で、失業しました。技能実習生として来たんですけど、いまベトナムで小さい子ども、2人いる……」 平山:話しているのは、ティック・タム・チーさんという、ベトナム人の尼さんです。埼玉県本庄市の大恩寺で、大勢のベトナム人の若者を預かっているんです。 神田:お寺に住んでいるということですか。 平山:一時的に保護しています。コロナの関係で失業したり、ベトナムに帰りたいけど飛行機がなかったりして、居場所がない人たちを預かっています。ベトナム大使館がチャーター便を出しているんですけど、病気がある人や妊娠している人が優先されます。「私は帰りたい。だから助けて下さい」というような文章を書いて大使館に渡すと、大使館は尼さんに「預かって下さい」と頼むんです。 神田:「駆け込み寺」ですかね。 平山:そうです。読み上げていたのは、そのうちの一人の女性が書いた文章です。 ◇ 荻上:大恩寺については他社も報道して注目されています。駆け込み寺って江戸時代とか、セーフティーネットが脆弱(ぜいじゃく)だった時期のものだという認識があると思うんですが、現代ですよね? 神田:本当ですね。でも、お寺ですから、数十人しか入れないんですよ。お寺に来られるだけでも不幸中の幸い、命をつなぐことができている。どこにいるかわからなくなっている人も多いそうです。 荻上:監理団体も、技能実習生が失踪した職場を指導するのではなく、失踪した外国人を連れ戻そうとしている動きがありますよね。 神田:技能実習制度は、日本政府が作った制度です。正規の就職先で実習生が働いているにもかかわらず、手取りが1万円というケースもあります。 荻上:名目上は「実習」なので、労働とは言い切れないという姿勢ですよね。 神田:これだけ名目と実態が乖離(かいり)した例もないんじゃないかと思うくらいです。職場でもひどい扱いで、ハンマーで殴られたり、「死ね」「帰れ」と言われたり。さらに高所で命綱をベトナム人につけさせないということもあるそうです。いじめや差別が横行し、気に入らなくなると解雇する。 荻上:大恩寺に集まった方々は、コロナ禍で仕事も見つけられない。技能実習の制度上、別の職場に移れると規定は変わりましたけど、柔軟に運用されていないという課題もあります。 神田:本当に皆さん、行き場をなくしている状態です。「コンビニエンスストアのイートインのスペースで2時間ずつ滞在しなさい」とアドバイスを受ける人もいるそうです。 荻上:10カ所くらいのコンビニを、輪番でまわるということですよね。 神田:平山記者がベトナム人を取材したのも、ベトナム人が日本でたくさん命を落としていると聞いたことがきっかけだそうです。ベトナム人を保護している尼僧のティック・タム・チーさんは、自ら命を絶ったベトナム人の青年のためにお経を上げていたそうです。目につかないところで、命が失われているんです。 荻上:結論から言うと、技能実習制度を廃止して、すでに日本にいる方には滞在ビザを付与するなどして、これから日本に来る方も含めて「労働移民」と認める路線が必要だと思います。でも、政府はかたくなにそこには行かない。しわ寄せが苦しむ人たちを生み、犠牲につながっていますね。 神田:自治体や政府のセーフティーネットはない。実態も把握していない。私たちを支え、東京五輪の施設も作っている人たちを、こんな風に扱って良いんですかね? 荻上:技能実習制度については、実習生を送り出す国の方でも、不当な腐敗があるわけじゃないですか。菅首相がベトナムへ外遊に行った時、両国のトップ同士が会っている間で、両方で見えないようにされていると思いました。 神田:日本の給料はまだ高いですから、若いベトナムの人たちがやってくる。でも、ベトナム人の犯罪者集団にも日本人にも、食い物にされ続けるんですよね。留学生も良い「お客さん」になっている一面があります。「授業に出なくていいから、アルバイトをちゃんとやりなさい」という学校もある。 荻上:そうやって日本は魅力がない国になっていく。頼んでも労働者が来なくなる一方、これまでの技能実習生の扱いをめぐって裁判になるかもしれない。各国で当時の日本の技能実習制度を疑問視するようになり、国際的に非難されるとしても、避けがたいですよね。今から誤りを正すことが必要だと思うんですけど、歩みは遅いです。 神田:ベトナム人技能実習生の問題については、ハノイ支局長の宋光祐記者も、ベトナム現地で取材をしています。日本にいるベトナム人がFacebookで「暴力を受けた」と投稿していて、日本のイメージが悪くなっているそうです。代わりに人気が出ているのが台湾や韓国。台湾の方が条件が良いといいますし、韓国は政府がブローカーをなくすための動きを見せている。 荻上:その非人道性が外国人労働者や技能実習生に向けられているとするならば、日本の貧困層も厳しい目を向けられていると考えられます。そんな「蹴落とす」社会って、とんでもないものですよね。 神田:日本人でも、ホームレスが追い出されるという話もありますよね。 僕が生まれた昭和の頃より、世の中は良くなったと思うんですよ。でも社会的に弱いところにいる人たちに対して、まだまだ足りないところはあります。 このほかディレクターズカット版では、経済危機で困窮したベネズエラの話題にもなりました。読者の声を代弁するポッドキャストのあり方も議論します。ぜひお聴きださい。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
片目のだるま、願い込めて 宮澤さん母に寄り添う元刑事
家族4人が殺害された世田谷一家殺害事件から31日で20年。刑事として64歳までの16年間、遺族を支え、退職後も宮澤みきおさん(当時44)の母の節子さん(89)に寄り添う人がいる。警視庁捜査1課の元刑事松森みつ子さん(66)。事件を解決できない申し訳なさ、悔しさを胸に、容疑者逮捕の報を待ちながら、支援を続ける。 埼玉県の節子さん宅の居間には小さなだるまが五つ並ぶ。松森さんが定年後に毎年一つずつ贈ってきた。どのだるまも片目だけ。事件が解決したら2人で目を描く約束だ。 遺族を担当する刑事は、寄り添いながら、犠牲者の生前のことを聞くなどして事件解決の糸口を見つけるのが役割だ。捜査のセンスはもちろん、共感する力が求められるという。 松森さんが担当を命じられたの… 【1/25まで】デジタルコース(月額3,800円)が今なら2カ月間無料!詳しくはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
一家殺害事件を解決したい…時効撤廃へ動いた元警察署長
家族4人が殺害された2000年12月の世田谷一家殺害事件は31日で発覚から20年になる。殺人の公訴時効が10年に撤廃されなければ、15年末で時効を迎えていた。各地の遺族が手を取り合って声を上げたことで実現した時効撤廃。彼らを陰で支えたのは世田谷事件の捜査を警察署長として指揮した男性だった。「捜査を続けられる体制はご遺族が整えた。警察は威信にかけて解決して欲しい」と期待をかける。 土田猛さん(73)は、警視庁が世田谷事件の捜査本部を置く成城署で05年10月から署長を務め、07年3月に定年退職した。 重大事件の解決は国民の体感治安を左右すると言われ、警視庁にとってこの事件は最重要案件の一つとされる。 署長時代、解決の糸口を決して見逃さないため、1日も欠かさず署員にこの事件の話をしたという。街のパトロール、交通事故の処理、空き巣の捜査、警察署での来客対応――あらゆる現場で意識してほしかったからだ。自身も交通安全や犯罪抑止のイベントでは必ず、市民に情報提供を呼びかけた。捜査も従来とは違う切り口で聞き込みをするなど、試行錯誤を繰り返した。 引退後も事件が頭から離れず… 未解決のまま退職したが、署を去る際、自身に「やるべきことはやった」と言い聞かせた。気持ちの整理はできたはずだった。 しかし、引退しても頭から離れ… 【1/25まで】デジタルコース(月額3,800円)が今なら2カ月間無料!詳しくはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
不安な年の瀬、西成で相談会 食料や住まいなども提供
新型コロナウイルスの感染拡大による影響で仕事を失ったり収入が減ったりし、年末年始の生活が不安な人たちを救おうと、大阪市西成区のNPO法人などが30日から緊急相談会を始めた。必要な人には、食料や年明けまでの住まいを提供する。 相談会は西成区太子1丁目で開かれた。NPO法人の「釜ケ崎支援機構」や「ビッグイシュー基金」などが連携。この日は対面に加え、メールや電話で連絡があった計6人の相談に乗った。近くのビジネスホテルの計20室を来年1月7日まで確保し、必要だと判断した人に提供するという。 相談に来た男性(37)は大阪市内の実家に身を寄せながら仕事を探している。「コロナで仕事は見つからず、貯金を切り崩す生活で不安しかない。1日1食で過ごしているので、食料がとてもありがたい」。釜ケ崎支援機構の小林大悟さん(34)は「本当に先行きがわからない。精神的に疲れ、心を削られている人たちが多い」と話した。 ビッグイシュー基金の高野太一さん(39)によると、相談者はこれまで、高齢男性が多かったが、最近は女性や若い男性も増えているという。「家はあるけど支払いが回らないという人もいる。既存のホームレス支援の枠組みではサポートしきれない人が増えている」と話す。 緊急相談会は来年1月3日まで開催(午前10時~午後3時)。ウェブサイトの相談フォーム(https://peraichi.com/landing_pages/view/coronasoudan)でも受け付けている。(狩野浩平) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル