各界で活躍する受験経験者や、さまざまな分野で学びを深めている現役大学生・大学院生たちからの、受験生へのメッセージを随時お届けします。 ラッパー・ラジオパーソナリティー 宇多丸さん 通っていた中高一貫校の巣鴨では当時、成績が張り出されていた。点数が悪いと「自分はできない子だ」という意識になって、余計に腐りましたね。名字は佐々木って言うんですが、同じ学年にもう1人佐々木がいて、僕は「バカの方の佐々木」。学外の友だちとクラブで夜遊びしてた。だから、早稲田大の法学部に受かると先生たちは驚愕(きょうがく)してました。 大学受験は私立文系に絞り、科目は国語、英語、政経。苦手科目のカバーをせず、得意科目を伸ばして勝負すると決めた。高2の途中で駿台予備校に入ったけど、授業を取ったのは現国と英語だけだと思う。得意だった現国で、当時のすごい有名な先生の授業を受けたら目からウロコだった。 「受験の国語は文学的な感受性を問うてるわけじゃない」と言い切ってた。文章は数学と同じく記号の集まりなんだから足し算や引き算と同じだと。答えは絶対出る、出なければ出題者が悪いと。古文は当時、巣鴨にいい先生がいたので大丈夫だった。 高3の夏、予備校の模試で国語が全国2位になった。先生に呼ばれ、「佐々木すごい成績出たぞ」って。「俺はいけるんだ」とすごく思えた瞬間です。 社会は政経。早稲田の日本史は「腕に覚えあり」みたいな人が受けるので、そこで勝負したくないし、世界史は範囲が広い。政経なら基礎知識レベルまでが出題範囲なので、ここだけきっちりやろうと。 政経の勉強は自分の興味と一致しており、タイミングもよかった。当時、チェルノブイリの原発事故があり、広瀬隆さんの「危険な話」って本がはやってた。それまで消費社会どっぷりだった少年が、遅まきながら「世界の仕組み、何にもわかってなかった」と。それで、改めてマルクスから読んでみたり。もちろん受験用の政経の勉強もした。学校の授業でもパーフェクトなノートを作ろうと心がけた。 あとは英語。あれ? 3科目でいいんだって思った。計算ずくというか、受験勉強をゲーム的に、「どうしたら自分の持てる能力でクリアできるか」ととらえた。だから過度に根詰めることもなかった。 でも、調子に乗った状態で受験に臨んで失敗もした。早稲田の政治経済学部の試験後、コバヤシくんという友だちと答え合わせをしたら「えっ佐々木、それ逆だよ」て言われて。問題は「間違っている部分を抜き出せ」だったのに、正しい部分を選んじゃった。 これはまずいと、翌日の法学部は気を引き締めて、合格できた。みなさんも問題の読み間違えには気をつけてくださいよ。 受験とは、やれるタスクがはっきりしているゲーム 僕の中で受験勉強というのは、色んな不条理を強いてくる学校というシステムとは違う、自分でコントロールできる領域だった。学校をさぼったり、友だちと無駄な時間を過ごしたりするのと同じで、大人の干渉を受けずに好きなことを伸ばせる、楽しい時間だったという記憶です。中学時代は暗い思い出だけど、高校時代は勉強も遊びも自分でコントロールできたから楽しかったんだと思う。 両親は「勉強しろ」とはそこまで言わなかった。たまに夜遊びはしても別に不良ではなかったし、信用があったのかな。だけど、放任ともちょっと違った。いい先生、友だちがいる学校にいくのは大事だよっていつも言ってました。父親は東大の経済学部から安田生命に入り、そこをやめて医学部入って医者になった人。母は高卒で銀行に入り、大学の出版会に転職、僕が大学の頃に自力で明治大学に入った。平然とやり直した人たちが身近にいたのは大きかった。 結果的に早稲田でライムスターの仲間と出会えたし、当時は学生運動の名残もぎりぎりあって、大学自治の気風、自由な気風があった。「自分らには何でも可能だ」みたいな。すごく面白い人が色々いて、自分で授業を選び、先生を選んで、授業に出なくても誰も怒らない。今の子にも大学って楽しいよ、と伝えたい。 近年の受験生は受験システムのブレに振り回されてかわいそうだけど、条件はみんな同じ。そこで「ガタガタの状態でやらされてる!」と焦ってしまうだけなのか、動じないようにするのか。例えば僕なら、試験とかの前には、ちょっとドトールに行って一杯入れる。いつも通りにワンクッション入れて、余裕だよって自己暗示をかける。 僕、受験直前の年越しまでは引き続き夜遊びしてたくらいだし。で、年明けに、ここまで遊んだからハイ勉強、と。「あれもこれもやりたい」とモヤモヤしながら勉強するよりは、やっちゃってからメリハリつけるほうがいいなと。 受験を「我慢の時」ととらえるのがよくない。得意なところで勝負する、コツをつかむ。山をかけるという要素もあり、過去問という素晴らしい資料もある。やれるタスクがはっきりしているゲームというかね。努力が比較的反映されるし。ゲームって言うといい気になってるように思われるかもしれないけど、やっぱり近いものがあるんじゃないかな。ゲームはクリアできるように作られてる。受験も、誰かが受かるようにできている。 学歴が生活レベルを上げる糸口のひとつに そこから先の実社会は、もっとシビアな弱肉強食だったり、必ずしもフェアではなかったり、他人は基本助けてくれない世界でしょう。それに比べると勉強して学歴を得るって、「ここをクリアした人はここまではいける」という、比較的オープンでフェアなシステムでもあると思う。よくある学歴批判は、教育機会の不公平という問題と混ざっちゃってる気がする。 格差が目に見えて広がっているいまこそ、学歴って、生活レベルを上げる糸口のひとつとして、意義を増しているところもあると思う。そのルートまで否定したら、いよいよ固定的な階層社会しか待ってない。もちろん教育の機会は均等であるべきだから、そこの格差にはみんな怒らないといけないと思うけど、それもやっぱり、学歴に価値があればこその話でしょう。 僕の場合、中高6年間バカな子として扱われたので、「俺はバカじゃない」と証明するチャンスだった。「勉強では勝負できない」というのはただの「思い込まされ」で、ルールブックを改めて見てみたら俺でも勝てるルールがあった。目的のために努力し、クリアできたという成功体験になり、自分への信頼を取り戻せた。 みなさんも自動的に周りにのみ込まれるんじゃなくて、自分が勝てる方法があるか、よく調べてみたほうがいいかもね。推薦入試だって一芸入試だっていい。 成功するにせよ失敗するにせよ自分次第っていうのは、人に命令されて成功や失敗をするよりはるかにいいというのが僕の考え。嫌々やったから失敗した、みたいなのは嫌だね。 嫌々やってる勉強はうまくいかない。人生全般にも言える。嫌なことを我慢する時間より、好きなことを喜々としてやる時間を増やすように生きていきたい。 「嫌々生きるのはやめようよ」 僕は就活はあまり考えてなかった。バブル景気で世の中全体が楽観的だったせいもあるけど、暑い夏にネクタイ締めるのは理不尽だなと。その時点で、何かを我慢する能力を試されてるわけじゃないですか。 学生で始めた音楽ライター業が軌道に乗ってたから、月に何本かCDのライナーノーツを書いて。もちろんライムスターもやってた。でも元々、音楽で食べるつもりは全然なくて、クラブが好き、ヒップホップやラップが好きで、大学でそれに関わるサークルに入ろうというだけだった。かなり後になっても、音楽で食べるんだという気持ちはなかったです。 だからいま若い子に「音楽一本でやっていきたいんです」って思い詰めた感じで相談されると、必ず言うのは「なんで二者択一なの?」ってこと。受験でもそうだけど「これが達成できないと失敗」みたいに人生を考えるのって不幸になりません? 人生思い通りにならないことのほうが絶対に多いんだから。それより得意なことを伸ばしたり、とりあえず目の前のやんなきゃいけないことをがんばったりしてるうちに、気づいたら「ああ、これもありかな」と思える場所にいるとか、そのくらいの気構えのほうがよくない? 受験生って合格不合格という大きな分水嶺(ぶんすいれい)があるようにみえるから、思い詰めるのはわかる。でも、あの時落ちてよかった、みたいなのも、結構ある話だよ。 一つ言えるとすれば、「俺いま嫌々やってるな」とか「私いま嫌々ここに来てるな」とか思ったら、とっとと撤退するのもあり。「嫌々生きるのはやめようよ」ということに尽きるかな。(聞き手・宮崎亮) ◇ 〈うたまる〉ラッパー、ラジオパーソナリティー。1969年、東京都生まれ。早稲田大学法学部卒。ヒップホップグループ「ライムスター」メンバー。TBSラジオ「アフター6ジャンクション」を担当。ラジオ番組内での映画評も支持を集めている。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
2度目の緊急事態宣言 東京の1月を映像で振り返る
2021年1月8日、新型コロナウイルスの感染再拡大を受け、2度目となる緊急事態宣言が発出された。 休業や時短営業を余儀なくされた飲食店、客足が途絶えた商店、中止となった成人式―。「コロナが勝つか、宿屋が勝つか」。外国人旅行客向けの旅館の主の言葉には悲壮感が漂う。 緊急事態宣言下の東京の1月を、映像で振り返る。(藤原伸雄) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
ママは自分の姓で歩む VERYモデルが選んだ「離婚」
子育て世代向けの女性誌「VERY」などで活躍するモデルの牧野紗弥さん(36)は、夫婦別姓に向けた準備を進めていることを誌上で公表し、反響を呼びました。何が3人の子を育てる牧野さんの背中を押したのか、思いを語ってもらいました。 〈まきの・さや〉愛知県出身。1984年生まれ。VERYなどの女性ファッション誌や広告で活躍。 年内をめどに法律婚から事実婚に切り替え、夫婦別姓にする準備を進めています。結婚して11年。夫の姓を名乗ることにずっと違和感がありました。25歳で結婚した時も自分の姓を名乗りたかったけれど、そのための知識も勇気もありませんでした。 モデルの仕事は旧姓で続けていますが、重要な書類ほど夫の姓を書かなければならない。出産した時に夫や私の両親が、夫側の家の孫という認識で話していたことも疑問でした。姓を変えたことで夫と対等ではない、所有されている感じになっているのではと思うようになりました。 夫にある日、「姓を変えるって… 2種類の会員記事が月300本まで読めるお得なシンプルコースはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
藤井聡太二冠「勝負メシ」商品化 「高校3年生はぜひ」
将棋棋士の藤井聡太二冠(18)がタイトル戦で食べた高菜ピラフがレトルト食品になった。食事を提供した西鉄グランドホテル(福岡市)が商品化した。 藤井さんは昨年8月、福岡市で行われた王位戦第4局に勝ち、4連勝で二冠を達成。その昼に食べた同ホテルの高菜ピラフは「勝負メシ」と話題になった。 ネットなどで販売し、2個買うと、五角形を「ごうかく」にかけた駒ストラップのおまけ付き。担当者は「藤井さんと同じ高校3年生たちにぜひ」。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
大阪で214人の感染確認 200人台は6日ぶり
大阪府は31日、府内で新たに214人が新型コロナウイルスに感染していることを確認したと発表した。1日あたりの感染者が200人台となるのは6日ぶりで、400人を下回るのは7日連続。また、コロナに感染していた11人の死亡を確認した。府内の感染者は延べ4万3788人、死者は計926人になった。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
根性焼きされ大学退学…甲子園Vの元主将が罪を犯すまで
千葉県八街市で2019年、強盗目的で住宅に侵入し住人にけがをさせたとして、強盗致傷などの罪に問われた無職千丸(ちまる)剛被告(21)の裁判員裁判の論告求刑公判が28日、千葉地裁であった。検察側は懲役6年を求刑。弁護側は「再犯の可能性は低い」として執行猶予付きの判決を求めた。判決は2月4日の予定。 千丸被告は、花咲徳栄高(埼玉)が2017年夏の甲子園で優勝した時の主将。共犯とされる20代の被告の男3人には、懲役7~11年が求刑された。 検察側は論告で、千丸被告が他の被告と現場に向かう車内にいた約4時間で、強盗と知らされていなかったのは不自然と指摘。「女性を押さえつけるなど積極的に参加している。公判で自らの高校時代の活躍を雄弁に語った一方、真摯(しんし)な反省をしていない」とした。 弁護側は、千丸被告は強盗とは聞かずに参加し、犯行前に「逃げたらヤクザに家族が狙われる」などと脅されたと主張。現場でも恐怖のあまり、指示をされても女性に暴行できなかったとして、「最も役割は小さい」とした。 起訴状によると、4人は金品を奪う目的で、19年4月26日夜、八街市の住宅に侵入。バールでこの住宅に住む夫を殴るなどし、頭蓋骨(ずがいこつ)骨折など全治約3カ月の重傷、妻の額に全治約10日の切り傷の軽傷を負わせたなどとされる。(福冨旅史) 被告が語った1年半の経緯 2017年夏に甲子園の頂点に立った球児が、強盗事件の被告として法廷に立った。わずか1年半の間に何があったのか。27、28日の被告人質問で一端が明らかになった。 千丸被告は高校卒業後の18年… 2種類の会員記事が月300本まで読めるお得なシンプルコースはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
資本主義は「もう限界」コロナに地球破壊、立て普通の人
頻発する異常気象や猛威をふるう新型コロナウイルス……。地球環境の異変が世界中の人々を苦しめています。経済思想家で大阪市立大学准教授の斎藤幸平さん(34)は、危機を乗り越えるためには、無限の経済成長を求める資本主義システムでは限界があると、最新著「人新世の『資本論』」で指摘しました。環境保全と経済成長は両立できないのでしょうか。話を聞きました。 ――書名にある「人新世」とはなんですか? 人間の経済活動が地球環境を徹底的に破壊する、「人新世」と呼ばれる年代に突入した、と言われています。地表はビルや工場、道路、農地など人類の痕跡が覆い尽くし、海洋にはプラスチックが大量に浮遊し、大気中の二酸化炭素も激増しています。この状況を新しい地質年代として呼ぶことが提案されています。その破滅的な影響は、修復困難なほど大きくなっています。そのひとつが気候変動です。 ――毎年のように異常気象による災害が起き、気候変動の影響が指摘されていますね。 「犠牲になっているのは、環境だけでなく、労働者である私たち自身でもある」。大転換となる資本主義システムの見直しは、可能なのでしょうか。「人新世の『資本論』」の斎藤さんが論じます。 日本のような先進国でもスーパ… 2種類の会員記事が月300本まで読めるお得なシンプルコースはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
騒動相次ぐ国立大トップ 選考の全権担う会議の功罪
記者解説 社会部・土屋亮 国立大学でトップをめぐる騒動が相次いだ。文部科学省は総長や学長のリーダーシップの強化を求めるが、混乱が目立っている。 前代未聞の事態が起きたのは北海道大だ。文科相が昨年6月、職員らへのパワーハラスメントがあったとして総長を解任した。2004年の国立大の法人化以降、トップの解任は初めてのことだ。 昨年10月にあった東京大総長と筑波大学長の選考では、選考過程が不透明だとの批判が教職員から噴き出した。東京大は第三者委員会を置き、検証を委ねた。 法人化で国立大は文科省の付属機関ではなく独立した存在になった。背景には財政再建に伴う教育予算の削減がある。法人化以降、人件費や研究費にあてる補助金は1割減り、外部資金の獲得を求められるようになった。14年の法改正ではトップの権限が強まり、「象徴から経営者へと役割が変わった」(学長経験者)という。 そこでポイントになるのはトップ選びの全権を担う選考会議の存在だ。法人化と同時に導入された制度で、メンバーの半数を学外の企業経営者らが占めている。 東京大と筑波大では、この選考会議のあり方が問われた。東京大では1次候補10人を2次候補3人に絞り込む過程が反発を招いた。投票で上位だった候補が外れる一方、工学部系の2人が残り、工学部出身の小宮山宏・選考会議議長(三菱総合研究所理事長、東京大元総長)が誘導したとの疑いが生じたからだ。 東京大の第三者委は昨年12月に出した検証報告書で、選考のやり直しまでは求めなかったが、小宮山氏の議事運営について「やや疑問を呈さざるを得ない」と指摘した。 筑波大では選考会議が学長の任期制限をなくし、在任8年目に入った現学長の続投を決めた。教職員が「選考過程に疑義がある」と公開質問状を出すと、選考会議の河田悌一議長(関西大元学長)は記者会見で「変な会がいちゃもんをつけた」と突っぱねた。 パワハラ騒動が起きた北海道大のほか、旭川医科大でもコロナ禍対応で学長の問題発言があったとされ、文科省が事実関係を確認する事態に発展した。両氏を選んだ選考会議にも責任の一端があるだろう。 法人化前まで国立大のトップは教職員の投票で決めていた。投票は「大学の自治」を踏まえた民主的な方法である半面、教授の派閥争いなど内向きの論理に傾きがちな点を問題視する声もあった。 そうした弊害を改め、学外の視点も交えて運営能力の高いリーダーを公正に選ぶのが、選考会議に課された役割だったはずだ。一連の騒動は、選考会議が必ずしもうまく機能していないことを示している。 今後のカギになるのは選考の透明性だろう。どんな議論を経てトップを選ぼうとしているのかを公開し、教職員が過程をチェックできるようにする。そう改められなければ、騒動が繰り返されるのではないか。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
みんな魔法少女 障害ある子らが出演、特撮映画を撮影
障害がある子も病気がある子も、そうでない子も、みんな「魔法少女」――。こんなテーマの特撮短編映画を滋賀県近江八幡市の企画制作会社が制作中だ。4月の完成に向け、子どもたちが撮影に励んでいる。 昨年11月下旬、京都府内のスタジオ。集まった女の子たちの手には、色とりどりの短い杖が握られていた。設定は「魔法学院」。先生役の女性が「頭の上を通過するまでに呪文を言い切って」と解説した後、一斉に杖をふっていた。 タイトルは「魔法を使うおんなの子。」。小学1年生から中学1年生までの約20人が出演する。魔女を目指す少女たちが魔法学院に通い、人間を食べる鬼たちと戦うというストーリーを、約30分間で描く。 「何度も撮り直しになって大変だけど、映画を作る大変さがわかった。精いっぱいやりたい」 そう語るのは、「二分脊椎症(にぶんせきついしょう)」という病気を抱えながらアイドルを目指す京都市の宮本果凜(かりん)さん(8)。主人公のカリン役だ。勉強嫌いだったが、鬼と戦うために努力を重ね、「炎の魔法使い」として活躍する。 二分脊椎症は生まれつき脊髄(せきずい)の一部が脊椎の外に出て変形してしまう病気。宮本さんはこの病気により膀胱(ぼうこう)に機能障害があり、右足にまひもある。 宮本さんは保育園のころから女… 2種類の会員記事が月300本まで読めるお得なシンプルコースはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
63歳で司法試験合格 初受験から40年、あの日を境に
山形市の粟野和之さん(65)は東日本大震災後、司法試験に再び挑み、3年前に63歳で合格した。大学在学中の初受験から40年以上が過ぎ、二十数回目で念願かなった。 自宅のパソコンで自分の受験番号を見つけて、グッと拳を握りしめました。 中学生の頃に見た海外ドラマがきっかけで、弁護士に憧れました。大学卒業後も家庭教師の傍ら、司法試験を受け続けたが不合格。母親の説得で、30歳を過ぎて裁判所に就職しました。 東北各地や東京の裁判所を転々としながらキャリアを重ねた。震災当時は仙台地裁の会計課長だった。 あの日は、地裁5階の部屋で報… 2種類の会員記事が月300本まで読めるお得なシンプルコースはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル