俳優の夏菜(なつな)さん(31)が一般男性と結婚したと17日、所属事務所が発表した。16日に婚姻届を提出したという。芸能活動は続けていくという。 夏菜さんは2012~13年のNHK連続テレビ小説「純と愛」でヒロインを演じたほか、映画「GANTZ」などに出演。バラエティー番組などでも活躍している。 事務所を通じて「この度一般男性の方と結婚致しましたことをご報告させていただきます。どんな時も穏やかに包み込んでくれる優しさと物事に対する広い視野、柔軟な考え方に触れ、心から彼を尊敬し惹(ひ)かれるようになりました。これからは共に支え合い、笑顔溢(あふ)れる家庭を築いて参りたいと思っております」とのコメントを発表した。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「母さん生きてたんやで」の涙 3人の子と歩んだ26年
出会いは神戸・湊川神社の春祭りだった。 人もまばらな昼間。2人組の女子がヨーヨーの屋台で立ち止まった。店番をしていた小林祥人(ひろと)さん(65)は当時19歳。目が合った1人に声をかけた。 「暇やったら、手伝ってよ」。その相手が16歳の直美さんだった。 頭の回転が速く、編み物も料理も器用にこなした。4年後に結婚。4人の子どもに恵まれた。兵庫県西宮市の自宅は、いつも大騒ぎだった。 1995年1月17日。 寒い朝、目を覚まし、暖房のスイッチを入れた。その瞬間、ドーンと下から突き上げられ、2階が落ちてきた。 暗闇の中でしばらくすると、「お父さん」と声が聞こえた。長男で14歳だった義人(よしひと)さんが自力で脱出していた。 義人さんに近所の人を呼んでもらった。2時間ほどで屋根の瓦が割れ、光が差した。 近所の人たちと一緒に土を掘り起こした。それから約2時間後、10歳だった由似(ゆに)さん、5歳だった泰樹(たいき)さんも助かった。 最後に生後6カ月だった三男の祐太ちゃん、そして隣で寝ていた直美さんが救出された。 隣の家に運び入れ、布団に寝かせてもらった。医師が駆けつけてくれたが、亡くなっていると伝えられた。祐太ちゃんも、目を開けることはなかった。 男手一つで3人の子を育てることになった小林さん。寂しそうな顔を見せなかった子どもたちにも、ある変化が起きていました。 ◇ 「とにかく、子どもたち3人を… 【1/25まで】デジタルコース(月額3,800円)が今なら2カ月間無料!詳しくはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
宮本亞門がみた紅白 演出に脱帽も男女別は「時代と…」
コロナ禍、史上初めて「無観客」で行われた昨年末の紅白歌合戦。NHKホール以外の会場を多用し、収録場面も盛り込まれた異例の紅白をどう観たのか。審査員として参加した演出家の宮本亞門さんに聞いた。 ◇ これほどガツンと歌が心に刺さる紅白は初めてです。昨年はコロナ禍で、「不要不急」などと言われ、エンターテイメントのあり方が問われましたが、紅白はその底力を証明してくれました。その気迫に、審査員の私も「応援隊」の気分になっていました。 今回は審査員も劇場ではなく、大きな2つのモニターと長椅子がある別室での鑑賞でしたが、Kis―My―Ft2のメンバーが突然、審査員室に現れたことには度肝を抜かれました。曲中、モニターが突如移動し始め、音響が爆音になり、(黒柳)徹子さんと「何が起きたのかしら」と心配していたら、メンバーがどっと部屋になだれ込んで来たのです。劇場が横にあるとはつゆ知らず審査員全員が驚いていました「視聴者と同じように楽しんでいただきたい」と(NHK側から)お話しいただいたのですが、この「生」を感じるサプライズ演出には脱帽しました。 またコロナ対策で、複数のスタ… 【1/25まで】デジタルコース(月額3,800円)が今なら2カ月間無料!詳しくはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
謀反後の山崎の戦い 光秀は土壇場で重臣に見限られた?
本能寺の変に参加していた明智光秀の家臣が語ったとされる情報も盛り込まれている「乙夜之書物」には、戦国時代の貴重な情報が残されている可能性がある。その内容を検証しながら、3回にわたって、謎の多い本能寺の変の実像を探ってみる。連載の最終回。 天正10(1582)年の本能寺の変から87年後にまとめられた「乙夜之書物(いつやのかきもの)」。この書物には、主君の織田信長(1534~82)を討ち取った明智光秀(1528?~82)が、「中国大返(おおがえ)し」と呼ばれる日本戦史上、屈指の大強行軍を敢行した羽柴(のちの豊臣)秀吉(1537~98)と激突した「山崎の戦い」についても詳しく書かれている。戦況を再現してみよう。 山崎の戦いが書かれているのは、1669年に成立した「乙夜之書物」の上巻だ。光秀の旧臣とみられ、のちに加賀藩(現在の石川県と富山県の一部)の藩士となった進士作左衛門という人物が語った内容として、次のように書かれている。ちょっと長いが、該当部分を紹介する。 虚構説も出ている天王山、やはり天下の分け目だった? 【大意】明智光秀は、本能寺と二条御所の両方で勝利を得て、織田信長・信忠父子を討ち、その後、しばらく京都を保った。そうしたところで、安土へ向かった。安土城の御蔵に残されていた金銀財宝を奪い、自らの軍勢に分け与えた。ところが、その折に羽柴秀吉が中国の毛利氏と和睦し、京都へ攻め上っているとの報に接した。安土城に明智左馬助(さまのすけ)を残し、光秀は勝立寺(勝龍寺の誤りか)へ向かい、6月13日に合戦(山崎の戦い)に臨んだ。 光秀は本陣をヲンボウガ塚に置… 【1/25まで】デジタルコース(月額3,800円)が今なら2カ月間無料!詳しくはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
ウメとミカン以外も伝えたい 声優・中島由貴さんの決意
新型コロナウイルス感染拡大に振り回された2020年は、人と人との関係が見直された年でもあった。人との付き合い方はどう変わったのか。活動が一変したという声優・中島由貴さんが、中島由貴さんが、コロナ禍で力を注いだファンとの交流方法と、地元への思いを語ってくれた。 昨年12月上旬、東京・秋葉原のホビーショップ。歌手デビューを控えた声優・中島由貴さんのCDアルバム発売を記念するイベントが開かれていた。ファンと会うのは約4カ月ぶりだ。 ツイッターのフォロワー数は25万人を超え、多くのファンに支えられている。「お話ししているとすごく元気になれるし、自分のやってきたことを届けられていると実感できる。かけがえのない人たちです」 これまで、握手会やライブなど、顔が見える中でファンと交流してきた。しかしコロナ禍で、活動は一変した。ファンとのイベントは中止が相次いだ。「直接お会いした方が、表情などからどう思っているかが感じ取れる。それがなくなってしまったのは寂しい」 その中で力を注いだのが、オンラインでの交流だった。動画配信アプリの活用もその一つ。「内容は近況報告や、時にはくだらない雑談など。けれど、ゆっくり、ゆったりした時間をお届けできるのは配信ならでは。リアルで会えないファンの方々に楽しんでもらえたら、という気持ちでやっています」。できる時間を見つけては、取り組んでいるという。 他にも、さまざまなネット上のツールを使っている。ツイッターやブログ、ユーチューブなどを日々更新して情報を発信。寄せられたコメントや、自身がパーソナリティーを務めるラジオ番組へのメッセージ、事務所へ届いた手紙などにもできる限り目を通している。「ファンの方がどう思っているかわかって、私も安心します。そういう関係性の方が好きなんです」 コロナ禍の昨年は、「計画して… 【1/25まで】デジタルコース(月額3,800円)が今なら2カ月間無料!詳しくはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
東京都、新たに1592人が感染 日曜としては過去最多
東京都は17日、新型コロナウイルスの感染者を新たに1592人確認したと発表した。1494人だった10日を上回り、日曜日の発表数としては過去最多となった。また「人工呼吸器か体外式膜型人工肺(ECMO(エクモ))を使用」とする都基準の重症者数は、前日から2人増えて138人だった。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
16歳の娘と性交、父親に懲役6年判決 差し戻し審
18歳未満の娘と性交したとして監護者性交の罪に問われた40代の男に対する差し戻し後の一審判決が15日、福島地裁であった。柴田雅司裁判長は懲役6年の実刑を言い渡した。焦点となった娘の証言を巡る検察の訴訟活動の不十分さも指摘した。 判決によると、男は2018年8月3日、同居する当時16歳の娘と自宅で性交した。 行為があったことを示す決め手となる物的証拠はなく、裁判では娘の証言の信用性の有無が焦点となった。福島地裁郡山支部は19年3月、懲役6年の実刑判決を言い渡したが、仙台高裁の控訴審では、犯行時刻などをめぐる娘の証言が男のスマートフォンの利用履歴などと矛盾しているとして、審理を福島地裁に差し戻していた。 判決は娘の証言が事実と整合しないと認めつつ、その理由は娘が記憶があいまいなまま、証言の重要性を認識せずに供述したためと指摘。「原審を担当した検察官の不十分な訴訟活動」が原因であり、娘が意図的に虚偽の証言をしたわけではないとして、犯行に直接関係する娘の証言の信用性を認めた。 福島地検の矢部良二・次席検事は検察側の不手際を認め、「被害者の方に負担をおかけしたことは申し訳ない」と謝罪した。 園田寿・甲南大学法科大学院教授(刑法)は「監護者性交のように物的証拠が残るとは限らない性犯罪では、被害者の証言は極めて重要。検察や警察が捜査段階で証拠と精査しながら調べていれば矛盾に気づけたはずだ」と指摘した。(飯島啓史) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
コロナ禍で迎える震災の日 変わる風景、変わらぬ祈り
コロナ禍が広がるなか、迎えた26回目の震災の日。多くで集い、追悼することが難しくなり、祈りの形は変わったが、人びとは変わらぬ思いであの日を振り返り、亡き人をしのんだ。 「1・17のつどい」が開かれた神戸市中央区の東遊園地。訪れたのは午前7時時点で約2500人と、最も多かった6年前と比べ8割以上減った。 中山剛さん(52)=神戸市東灘区=は竹灯籠(とうろう)の明かりを少し離れた所で見つめた。「1人で来るのは26年間で初めて。寂しいわ」 震災で自宅が倒れ、姉の能理子さん(当時29)が亡くなった。喪失感を埋めるかのように、避難先の小学校でボランティア活動に没頭。支えになったのが、全国から集まった仲間だ。 毎年前日の1月16日にはみんなで居酒屋へ。夜通し語り合ってから、午前5時46分、この場で一緒に手を合わせてきた。 「祈りの形も変わるかもな、なんて言う仲間もおるけど、俺は変われへん。来年はきっと、またみんなで集まりたい」と語った。 大学2年の宮内輝さん(20)=神戸市灘区=は初めて東遊園地に来た。「コロナ禍で、来たくても来られない遠くの人がいるだろうと思って。近くにいる僕たちが行かなあかんと」 竹灯籠(とうろう)の一つに書かれた「日常生活」という文字にハッとした。当たり前のように送っている生活は、これまでの悲しみや復興に向けた努力の上に成り立っていることを実感した。 「『ありがとう』と伝えたくて… 【1/25まで】デジタルコース(月額3,800円)が今なら2カ月間無料!詳しくはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
子どもの代わりに親同士がお見合い 子の身上書を交換
子どもの代わりに親がお見合いをする「結婚支援フォーラム 良縁親の会」が29日、福岡市中央区の天神クリスタルビルで開かれる。参加者全員の職業や趣味が書かれた一覧表を事前に見て、相手の親と当日、子の身上書を交換する。 主催は一般社団法人「良縁親の会」西日本支部。同会は2005年から全国各地で親同士の見合いを490回以上開催してきた。入会金や年会費、成婚時の謝礼は必要ない。 フォーラムの数日前に、年齢や学歴、転勤の有無、趣味などを記した参加者の一覧表が自宅に届く。これをもとに興味がある相手を探し、当日は相手の親と、写真を貼った子の身上書を交換することができる。 フォーラムは午後1時から。参加費1万1千円。定員は100人(先着順)。申込書は19日必着。新型コロナウイルス感染対策として、参加者の検温や会場の換気をする。問い合わせは同支部(093・953・7411)。(島崎周) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「逃げ恥」海野つなみさんの1・17 トラウマと救い
新春に4年ぶりの新作が放映されたドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」の原作者で、漫画家の海野つなみさん(50)は兵庫県西宮市の実家で阪神大震災を体験した。1月17日で震災から26年。海野さんに、あの日のことを振り返ってもらった。 うみの・つなみ 1970年生まれ。89年、「お月様にお願い」でデビュー。2012~17年、「逃げるは恥だが役に立つ」(講談社)を連載。16年に新垣結衣、星野源の主演で同作はテレビドラマ化され、ブームを巻き起こした。 ――阪神大震災の時はどこにおられましたか。 「当時は大阪で一人暮らしをしていたんですが、たまたまその前の日に神戸に用事があって、西宮の実家に泊まっていました。最初は『何これ、ミサイルが落ちたの?』というくらいの衝撃でした。実家は半壊。ただ、震災後は電話が通じにくかったので、実家住まいの兄と両親の無事がその場で確認できたのはよかったですね」 「ベッドの上の棚からアルバムやら重い物が落ちてきて、テーブルの装飾のガラスが割れて床一面が破片だらけ、歩くこともできない状態でした。冬だから厚い布団があったけど『夏だったらやばかったね』と母と話しました。当時、関西の人たちは地震に免疫がなかったので最初、地震だと分からなかったですね」 ヒールで小学校の給水車に 「周囲の家は、ぱっと見、普通なんだけど、よく見ると屋根がずれていたり、家が傾いていたり。道路もボコボコで車が走れない。実家はしばらく水道が止まったんですが、私、ヒールの靴で来てたので、近くの小学校の給水車のところに行くのにヒールでいかなくちゃならないのがつらかったですね。近所で井戸があるおうちが井戸水をみんなに使わせてくれて助かりました。小学校の時に同級生の家だったんですけど」 「当日や次の日、とりあえずお水が出ないので、『下の倉庫にビールがあるよ』となって、『水が出ないからしょうがないよね~』と言って昼からビールを飲んでたりもしました」 「水道はしばらく復旧しなかったんですけど、電気はすぐ来たんですよ。最初は状況が分かってなくて、『関西がこんなに壊滅状態だったら、東京とか静岡はもっと大きな地震が起きてたんじゃないか』と思っていたのに、テレビをつけたら、『あれ? ここだけらしいよ』となって。『高速道路倒れてる!』、うちの兄も『会社行けへんやん』と。『でもうちら被災者やから行かんでええんちゃう?』『俺が被災者か!』みたいな。最初は、こんな感じのよく分からない状態でした」 ――いつ大阪のご自宅に戻りましたか? 「阪急西宮北口まで、わりと早く電車が復旧したんですね。電車が復旧したら家にいてもしょうがないんで数日後に帰りました。西宮北口は自衛隊のトラックとか走ってて戦後の日本みたいな状況で、沿線でも古い長屋みたいなのは全部潰れてるしマンションの2階がつぶれていたりする。でも大阪に行くにつれてどんどん普通になっていく。変わらない街並みがあって、本当にぼうぜんとしました。うちの周りはあんな世界の終わりみたいなことになってるのに、ちょっと離れただけで大阪は何も変わっていない。すごくショックでした。これはトラウマ的になりました」 「父はJR社員、母は看護師、兄は通信会社勤務なんです。全員復興を支える仕事をしている。父は目を真っ赤にして2週間も家に帰れないで『もうすぐ電車つながるからな~』って言ってて。母は病院から何日も帰れない。兄は『早く電話がつながるように』って。私だけ特にすぐに社会に役立てないことをしていて。『みんな復興に向けて頑張ってるのに、私、何やってるんだろう』みたいなことはずっと思ってました」 ――どのくらいで気持ちの整理がついたんでしょう。 「被災した友達と『被災地以外の人たちとの温度差があるよね』って気持ちを共有したりしてましたね。ちょうどその時連載中で、ネームはできていたので、ずっと描いてました。頭が空っぽでもできる。何かやることがあって精神を保っていられたところはあると思います。直接すぐに社会の役に立つわけではないけれど、何かしら仕事があったことは自分の救いになります」 「でも、心がやさぐれているから募金活動を見たりしても、何だか心の中で『けー』みたいな気持ちがわきあがってしまって。『こんなぬくぬくの暮らししてるのになんだよ』みたいな、ゆがんだ心になっていて、その一方でそういう嫌な心を持つ自分も嫌だなと思って。すごいつらかったですね、震災後しばらくは。少しずつ回復しました」 「地方住み」 デジタル化する前は… ――ペンネームの由来は。 「漫画の投稿を始めた14歳の… 【1/25まで】デジタルコース(月額3,800円)が今なら2カ月間無料!詳しくはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル