「全国高等学校クイズ選手権」で17歳の時に番組初の個人2連覇を決め、東京大学在学中から「クイズ王」として活躍してきた伊沢拓司さん。26歳の今は、クイズなどの娯楽を通して新たな「学び」を発信するメディアサービス会社「QuizKnock(クイズノック)」を率いるCEOでもあります。愛するクイズのこと、自分のこと、経営者としての目標。たっぷり語ってくれました。 拡大するユーチューブの動画撮影用の部屋で、「QuizKnock」メンバーと早押しボタンを手にする伊沢拓司さん=東京都内、伊藤進之介撮影 ――人生を大きく変えたクイズとの出会いは? プロも夢見たサッカーで実力がないと悟ったのが小学3年のとき。「自分を肯定する何か」を失っていた僕が、進学した開成中学で出会ったのがクイズ研究部です。部員8人の弱小部で、備品の「早押しボタン」も1人1台使って練習できた。練習するほどに強くなる実感があり、8人の中で1番になれることが増えていき、クイズそのものより、「勝てる」自分に誇りを感じていました。 一方で、優勝者が1人のクイズでは負けも日常です。でも負けに慣れ、悔しいと思わなくなってはだめ。早押しで一つでも正解できれば、それは「勝ち」です。そんな「小さな勝ち」を握りしめ、負けた悔しさも忘れず、次に生かす。クイズで学んだこのバランス感覚が、人生の礎になっています。 起業への道のり ――東大在学中の22歳で、ウェブサイト「QuizKnock」を作ります。 バイト先の塾で、ネットにあふれる情報への対処法を学ぶ場のない生徒らを見て「自分にできることはないか」と考えたのがきっかけ。僕自身、誤った情報が氾濫(はんらん)する世界では生きづらいと感じていたこともあります。文章を書くのが好きだったので、僕が編集長になり、「クイズとニュース」を組み合わせたウェブ記事で正しく情報を伝えるメディアを作りました。 ――起爆剤は翌年開設のユーチューブチャンネル。提案したふくらPさんに最初は反対しましたね。 人も資金も余裕がなく、手を広げればパンクすると思いました。我ながら直感力がない。でもその自覚があるから人の話を聞ける。反対したのに、しばらくしてふくらさんから「この日動画を撮るから」と言われ、「じゃあやるか」と。「クイズ系ユーチューバーはまだいないからうまくいく」と確信したふくらさんの先見性は、さすがでしたね。結果は大成功。人気コンテンツが次々生まれ、今では収益の大きな柱です。社会的認知度も飛躍的に上がり、企業や公的機関との提携など、次のステップへの推進力にもなりました。 ――2019年には株式会社化を果たします。 ユーチューブの成功で組織が拡大し、会社化が検討され始めた時期でした。ただ僕から見れば仲間に助けられ、状況に流されたことで得た結果。「自分」がなすべきこと、やりたいことを考え続け、たどりついたのが「楽しいから始まる学び」というフレーズです。 僕も嫌いな科目の勉強は嫌いでした。 でも好きなことの知識を得るの… 【1/25まで】デジタルコース(月額3,800円)が今なら2カ月間無料!詳しくはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
神奈川で新たに838人感染 過去最多を更新
朝日新聞デジタルに掲載の記事・写真の無断転載を禁じます。すべての内容は日本の著作権法並びに国際条約により保護されています。Copyright © The Asahi Shimbun Company. All rights reserved. No reproduction or republication without written permission. Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
兵庫で新たに297人感染 3日連続で過去最多を更新
兵庫県は8日、297人が新たに新型コロナウイルス感染に感染したと発表した。3日連続で過去最多を更新し、200人超は4日連続。また、県内で感染者5人が亡くなったことも公表された。 県内の感染者は再陽性も含めて延べ1万1505人、死者は計259人になった。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
安倍氏不起訴は「不当」 検審、市民団体の申し立て受理
安倍晋三前首相の後援会が「桜を見る会」前日に開いた夕食会をめぐる収支を収支報告書に記載しなかった事件で、安倍氏を不起訴(嫌疑不十分)にした東京地検特捜部の処分をめぐり、東京第一検察審査会は4日付で、処分は不当だとする市民団体の審査申し立てを受理した。市民団体が明らかにした。 審査を申し立てのは、安倍氏を刑事告発した「税金私物化を許さない市民の会」。安倍氏の不起訴処分について、「『秘書が勝手にやったことで知らなかった』との供述は到底信用できない」などと訴えていた。 特捜部は昨年12月24日、2016~19年の4年分の収支報告書に、安倍氏側の補塡(ほてん)分を含む計約3022万円の収支を記載しなかったとして、政治団体「安倍晋三後援会」代表の公設第1秘書を略式起訴した。安倍氏については不起訴にした。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
大企業の休業手当助成率、最大100%に 雇用調整金
厚生労働省は8日、雇用を維持する企業を支える雇用調整助成金の特例措置について、大企業が払う休業手当への助成率を最大100%に引き上げると発表した。2回目の緊急事態宣言の対象になっている東京都、埼玉県、千葉県、神奈川県で、営業時間の短縮に協力した飲食店などを対象にする。 厚労省は新型コロナウイルス禍に対応して、雇用調整助成金の助成率を、中小企業の場合は最大100%、上限額を1日1万5千円まで引き上げている。一方、大企業は助成率が最大75%となっていたため、与党から拡充を求める声が出ていた。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
花咲くいろは愛が結ぶ ファンと温泉、相思相愛の10年
「金沢の奥座敷」と呼ばれる温泉地に足しげく通い、10年にわたって「愛」を育んでいる人たちがいる。加賀藩主も通ったという由緒ある温泉地は、竹久夢二が愛人と滞在したことでも知られる。新型コロナ下でも彼らを温泉地に向かわせるのは、アニメ愛、そして――。 兼六園や金沢21世紀美術館など、観光客でにぎわう金沢市中心部から車で20分。静かな山里に湯涌(ゆわく)温泉はある。旅館は9軒。土産物店や商店が点在するが、半日もあれば、街を一巡りできる。 その小さな温泉地を年10回も訪れるのが、神奈川県在住のシステムエンジニア吉田匡さん(46)。「10年前から湯涌の人たちは僕らの趣味や存在を温かく受け入れてくれた。恩返ししたいんです」 10年前の2011年、吉田さんらと湯涌温泉を結びつけたアニメ「花咲くいろは」の放映が始まった。 拡大するアニメに登場する湯乃鷺駅のモデルは石川県七尾市ののと鉄道西岸駅とされる=(C)花いろ旅館組合 東京で暮らす女子高生・松前緒花(おはな)は、母の都合で突然、祖母が経営する「湯乃鷺(ゆのさぎ)温泉」の旅館で仲居として働くことになる。やりたくて始めた仕事ではなかったが、板前見習いとして住み込みで働く同級生の鶴来民子(みんこ)ら旅館の人々と関わることで、一緒に働く仲間や仕事を好きになっていく。 その温泉街のモデルが湯涌温泉だった。 拡大する作中でも描かれている湯涌温泉街の風景=2020年12月14日、金沢市湯涌町、堀越理菜撮影 もともとアニメ好きだった吉田さん。キャラクターのかわいさはもちろん、旅館の経営難などリアリティーのある設定や、働くことの大変さが丁寧に描かれていることに共感したという。舞台の描かれ方も、聖地がある作品の中では「トップクラスの再現度」と断言し、「そこにある現実かと錯覚し、引き込まれる」と絶賛する。 それもそのはず。制作した富山県南砺市のアニメ会社「ピーエーワークス」は、何度でも足を運んで確認できるよう、物語の舞台を北陸と決めていた。そして、絵になるスポットが多く、静かな雰囲気の湯涌温泉を堀川憲司代表が気に入り、選んだという。 実際に作品を見てから街へ行くと、その再現度に驚く。街の入り口に立つのは、アニメのオープニングなどに登場する茶色の案内看板。左手には、緒花の同級生で同じく「旅館の孫」の和倉結名の旅館のモデルになった宿が見える。緒花が働く旅館のモデルとされる建物こそ数年前に取り壊されてしまったが、商店や宿が並ぶ通りも、稲荷神社も、商店前のベンチも、アニメを通して「見慣れた」光景が広がる。どこかから緒花が走って来るような気さえする。 拡大する作中のぼんぼり祭りでも描かれている湯涌稲荷神社=2020年12月14日、金沢市湯涌町、堀越理菜撮影 温泉街にそぐわないのでは、という心配 だが、地元が最初から賛成一色だったわけではない。 湯涌温泉観光協会の山下新一郎… 【1/25まで】デジタルコース(月額3,800円)が今なら2カ月間無料!詳しくはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
Tokyo condamné à dédommager d’anciennes esclaves sexuelles sud-coréennes des militaires japonais
Une statue représentant ces « femmes de réconfort » à Séoul, vendredi 8 janvier. Ahn Young-joon / AP La décision est sans précédent. Le tribunal du district central de Séoul (Corée du Sud) a condamné, vendredi 8 janvier, le Japon à dédommager douze femmes qui avaient été réduites à l’esclavage pendant la seconde guerre […]
宣言から一夜、通勤風景ほぼ変わらず 遠い出勤7割減
新型コロナウイルスの感染拡大で、2度目の緊急事態宣言が出てから一夜が明けた8日朝。首都圏の通勤風景は、宣言前と大きな違いは見られなかった。政府は在宅勤務の徹底で出勤者の7割削減を掲げるが、早くも黄色信号だ。 川崎市中原区の武蔵小杉駅。駅周辺にタワーマンションが近年立ち並ぶようになり、利用客の急増でホームを増設中だ。この日、改札付近での混雑は見られなかったが、JR横須賀線や東急東横線は午前8時ごろには通勤客でいっぱいになった。満員の車両に人が駆け込む。 横浜駅まで乗るという会社員男性(34)は「(宣言前と比べて混み具合は)全然変わらないですね。今週から学校が始まって、さらに人が増えた」と話す。 7日夜、会社から来週以降のテレワークを指示するメールが来たという。「私は事務の仕事なので自宅でもできるが、営業部門の人は難しい。今後もあまり乗車人数は変わらないのでは」と語った。 駅近くのコンビニで働く女子大学生(21)も「利用客が少し減った気はしますが、(宣言が出る前の)7日朝と同じぐらい。今日はバイトが終われば大学に向かいます」と話した。 東京メトロ銀座線の虎ノ門駅の… 【1/25まで】デジタルコース(月額3,800円)が今なら2カ月間無料!詳しくはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
平和願う「折り鶴」のキセキ 日米開戦80年に映画製作
広島で被爆し、多くの折り鶴を残して亡くなった故・佐々木禎子さんのおい、祐滋(ゆうじ)さん(50)=東京都中野区=が、ドキュメンタリー映画「折り鶴のキセキ(仮題)」の製作を始めた。日米開戦から80年となる今年12月にかけて製作を進め、作品を通じて平和を願うメッセージを発信したいという。広島への原爆投下を承認したトルーマン元米大統領の遺族の協力も得る予定だ。 禎子さんは1945年8月6日、2歳の時に被爆し、10年後に白血病を発症し、亡くなった。入院中、自らの回復を祈り、薬の包み紙などで作った折り鶴は約1500羽にのぼった。 祐滋さんは2009年、自身の父で禎子さんの兄・雅弘さん(79)とともにNPO法人「SADAKO LEGACY」を設立し、折り鶴を国内外に贈りながら平和の大切さを訴える活動をしてきた。13年秋には、米ハワイ・真珠湾の国立追悼施設アリゾナ記念館で開かれた式典で折り鶴を寄贈。トルーマン大統領の孫、クリフトン・トルーマン・ダニエルさん(63)の仲介で実現したという。 1941年12月7日(日本時間8日)の旧日本軍による攻撃で、日米開戦のきっかけとなった地に折り鶴を寄贈することに反対する声が日本国内にはあった。日米間の政治問題につながり、平和の象徴である禎子さんのイメージを傷つける恐れがあるとの理由だった。 しかし、祐滋さんは寄贈に踏み… 【1/25まで】デジタルコース(月額3,800円)が今なら2カ月間無料!詳しくはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
漁師×畑×民泊…全部かなった 島に移住した夫婦の笑顔
徳島県南部、牟岐(むぎ)町沖に浮かぶ出羽島(てばじま)に暮らす野口真治さん(34)は、朝起きると家の裏に出て、堤防ごしに暗い海を眺める。 「今日は凪(なぎ)かな」。冬場の出漁は午前4時ごろ。親方と2人で近海の漁場へ向かう。かじかむ手で、はえ縄を海に入れた。引き揚げたレンコダイを朝日がキラキラと照らす。高級魚のアマダイが交じっていた時は、心が弾む。 ずっと漁師になりたかった。海に出られるのがうれしい。魚がとれると、もっとうれしい。 ◇ 出羽島は周囲約4キロ。牟岐町の港の沖合約3キロにあり、連絡船で15分ほどかかる。人口約70人の島内に自動車は1台もなく、手押し車で荷物を運ぶ。 江戸時代の終わりごろから、漁業の島として知られ、カツオ漁を中心としてきた。1934(昭和9)年には約800人が住んでいたという。 今も、入り江を囲み、昭和初期のたたずまいを残した街並みが広がる。真治さんと妻の美保さん(48)が暮らすのは、そんな一角。「タマネギが甘くて、すごくおいしい。島の土と気候かな」と美保さん。 家の前で、タマネギや枝豆、キュウリ、トマトなど季節の野菜を育てている。港近くで民泊「うたタネ」を営む。築100年超の民家を譲り受け、昨年9月にオープンした。新型コロナウイルスの影響で思ったように客を迎えられないが、2人は笑いが絶えない。 「田舎暮らし、漁師、畑、民泊。やりたいと思ってたことができちゃった」 夫婦ともに東京出身で、住まいのあった神奈川から、休みのたびに移住先を探す旅行をしていた。2016年秋、初めて訪れた徳島に心を奪われた。海、山、どちらも身近だ。釣り船屋で働きながら、いつか独立したいと考えていた真治さんは、漁師を養成する「とくしま漁業アカデミー」が翌年春に始まることを知り、移住を決めた。 真治さんは半年間、底引きや養殖など漁業を体験。出羽島でも5日間過ごし、はえ縄漁業を教わった。島は静かで、のんびりした時間が流れていた。 「この島で漁師をやりたい、この島で暮らしたい」。アカデミーの現場研修が始まった17年秋、2人で島に移り住んだ。 美保さんは島の女性たちに、畑のうねの作り方や種のまき方を、手取り足取り教えてもらった。山すそに段々畑を開き、好きなミカンの木を植えた。春先から初夏は、島特産のテングサ採り。海岸に打ち上げられたテングサを干して洗って、白くなるまで繰り返す。自然を肌身で感じながら3年が過ぎた。「島の人たちのおかげで、今の暮らしがある」 真治さんも、マグロ船やはえ縄漁で60年ほどの経験がある親方のもとで漁師の経験を積む。牟岐町漁協組合長で出羽島部落会会長の田中幸寿さん(77)は「若い人が来てくれると、活気がある」と喜ぶ。 ◇ 2人は今後、民泊体験を充実させたいと考えている。とれたての野菜を使ったバーベキューや、テングサでところてん作り。魚の干物作りも。島の資源を五感でたっぷり味わえる体験は、売りになる。 漁師の熟練の技術も「島の資源」だと感じる。島で19年に開かれたアートの催しでは、漁網を浮かせるために使うガラスの浮き玉「ビン玉」に、網を編んで掛けるワークショップが好評だった。講師役の漁師たちも生き生きとしていた。 島伝統の漁を続けていきたい。そして、魅力いっぱいの島を、それだけで終わらせるのはもったいない。「まだ、何かできそう。島の人の収入になることを、島全体でやっていきたい」 真治さんと美保さんは、今日も忙しい。(斉藤智子) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル