1930(昭和5)年式の米国の乗用車シボレーを徳島県石井町の自動車整備業、元木和豊さん(68)が再生し、公道を走れるようナンバーも取得した。元木さんはこれまで多くの「旧車」をよみがえらせているが、車齢90年を超える車は初めて。関係者によると、戦前の車のナンバー再取得は珍しいという。 このシボレーは戦後、国内の住宅メーカーが展示用のクラシックカーとして輸入したとされる。元木さんの知人の徳島市の男性が1991年に購入し、30年ほど倉庫で保管していた。男性から「再び走れるようにしてほしい」と要望を受け、昨年から元木さんが整備に取り組んだ。 6気筒、3200ccのエンジンは当初、金づちで釘を打つような大きな音がしたが、部品を修理して解決した。修理が不可能だった発電機は交換した。ガソリンタンクにコールタールのように付着した燃料も取り除いた。ナンバーを得るため、スペアタイヤに方向指示器とサイドミラー、運転席にはマイル表示に代わるキロ表示の速度計も新たに取り付けた。 徳島陸運支局で車検証を得た後、1月末に取得したナンバーは、年式に合わせて「1930」を選んだ。運転には五つのペダルを駆使せねばならず、ワイパーも手動式など運転の難しさは現代の車の比ではない。最高速度は50キロ程度、燃費も1リットル2~3キロと想像を絶する悪さという。 元木さんは「戦前の車は初めてなので不安もあったが、思ったほど難しくはなかった。屋内で保管され、状態がよかったからできたと思う。声がかかれば阿波おどりなどのイベントで走らせ、高齢者に昔を思い出してもらいたい」と話す。 元木さんは60歳を過ぎてから、愛好家から動かないダットサンを持ち込まれたのを機に旧車の再生をはじめ、これまでに昭和20~40年代のオート三輪、消防車、乗用車など20台ほどをよみがえらせてきた。 「エンジンがかかったら『よっしゃー』という気持ちになる」と魅力を語る。地元の愛好家でつくる「徳島旧型車輛等保存協会」の代表も務めている。 戦前の乗用車を多数展示しているトヨタ博物館(愛知県長久手市)によると、元木さんが再生したシボレーは1930~31年の「シボレー6スペシャルセダン」とみられる。米国の自動車会社ゼネラル・モーターズ(GM)が、T型フォードの後継に対抗して発売した直列6気筒エンジンの車という。担当者は「個人で再生してナンバーまで取得するのはすごいことだと思う」と話している。(福家司) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
小型旅客船、前方席に注意 揺れで尻もち、脊椎骨折多く
小型旅客船の事故では、大けがをした乗客の約7割が腰や背中などが折れる「脊椎(せきつい)骨折」だった――。船や飛行機、鉄道の事故原因を調べる国の運輸安全委員会の調査で、こんなデータが明らかになった。脊椎骨折した人のほぼすべてが船首近くに座っていたこともわかり、運輸安全委は「波が高くなる冬場は揺れによる事故が起きやすい。小型船では、なるべく揺れない後ろの席に座ってほしい」と呼びかける。 国土交通省の調査によると、全国には約2200の旅客船があるが、このうち7割が20トン未満の小型船だ。旅客の少ない近距離航路で多く使われている。 大きな船に比べて波の影響をうけやすいが、障害物に衝突して浸水した場合でもすぐに脱出できるようにシートベルトの設置義務がない。そのため、高い波で船体が揺れて乗客が座席に尻もちをつき、脊椎を骨折する事故が後をたたない。 例えば、2019年12月に鹿児島県沖であった旅客船「なんきゅう」(19トン)の事故では、高波で船体が大きく揺れ、乗客55人のうち14人がけがをした。このうち9人が座席に尻を強く打ち付けた脊椎骨折で、いずれも客席の3列目までに座っていたという。 運輸安全委が08~19年に起きた旅客船の死傷事故115件を調べたところ、重傷以上のけが人がいた小型船の事故は28件で、37人が大けがをしていた。このうち16件の25人は脊椎が折れる大けがをしていた。重傷者の68%が脊椎骨折だったことになる。 船首側の大けが、なぜ多い? 報告書が公表されている事故をさらに詳しく見ると、軽傷と診断された人も含めて脊椎(せきつい)を骨折していた29人のうち、28人が船首側の席に座っていたという。 船首側の席で脊椎骨折が多いの… 2種類の会員記事が月300本まで読めるお得なシンプルコースはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
NHK経営委員長「改ざんではない」かんぽを巡る議事録
NHK経営委員会が2018年、当時のNHK会長を厳重注意した問題を巡り、NHKの第三者機関が経緯の分かる経営委議事録を全面的に開示すべきだと指摘する答申を出したことについて、森下俊三委員長は9日、「今後審議、検討していく」と話した。 議事録を巡っては、議論の要約などが開示されているが、答申は「要約された文書は開示の求めの対象文書との同一性を失ったもの」「公開制度の対象となる機関自らが対象文書に手を加えることは制度上予定されておらず、対象文書の改ざんというそしりを受けかねない」などと指摘した。森下委員長はこれについて「説明責任を果たすため、議事録に(要約を)追加する形で情報を公開したので、改ざんという認識ではない」と話した。議事録の開示を巡るこれまでの一連の対応が適切だったと考えるか問われると、「適切かどうかはそのときのいろんなやり方によって変わってくるので、なんとも言いようはない」と答えた。 厳重注意を巡っては、「クローズアップ現代+」が18年7月、かんぽ生命保険の不正販売問題の番組の続編に向け情報提供を呼びかける動画をネットで流し、日本郵政グループがNHKに抗議、経営委にもガバナンスの検証を求めた。これを受け経営委は同10月、ガバナンス強化名目で当時会長だった上田良一氏を厳重注意した。議論の中で当時委員長代行だった森下氏らが番組の制作手法を批判するなどしたとされ、放送法が禁じる経営委員の番組への干渉にあたるとの指摘もある。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
潜水艦事故後の連絡不通 海上幕僚長が「非常に問題」
海上自衛隊の潜水艦「そうりゅう」が民間船と衝突した事故で、海上自衛隊トップの山村浩・海上幕僚長は9日の定例会見で、そうりゅうが事故から3時間超、外部と連絡できなかったことについて「非常に問題がある」と述べ、衛星携帯電話などの新たな通信手段を導入する方針を明らかにした。 事故では艦上部のアンテナなどが損傷。無線や船舶電話など全ての通信手段が使用不能になり、携帯電話が使える海域まで移動するのに時間がかかったため、事故の把握が遅れた。山村氏は「全部使えなくなる想定はなかった。反省すべきで、想定外というのは許されない」と話した。 海上自衛隊では過去にも、事故… 2種類の会員記事が月300本まで読めるお得なシンプルコースはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
結婚で夫の姓に…「世間の常識」打ち勝てず、流した涙
国の法制審議会が選択的夫婦別姓の導入を提言してから四半世紀。女性の社会進出が進んだのに、なぜ自由に姓を選べないのか。芸術家のエリイさんは、改姓の時に泣いた体験を振り返り、「名字はいらないのでは」と訴えます。 エリイさん アーティストコレクティブ、Chim↑Pom(チンポム)のメンバー。社会的メッセージ性の強い作品で知られる。 私は7年前に結婚し、婚姻届を出すとき、夫の姓になりました。判子を押しながら泣きましたね。 泣いた理由の一つは、自分の代で、家族の名字が途絶えることでした。私の実家は、父、母、妹との4人家族で、妹も結婚し相手方の姓になっています。家族の名字がいずれ消えることの申し訳なさから自責の念にかられました。 もう一つの理由は、結婚で姓を… 2種類の会員記事が月300本まで読めるお得なシンプルコースはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
勉学はすべての根っこ 真理尊ぶ学問を大切に 麻布校長
入試シーズンが本格的に始まりました。コロナ禍の中で頑張っている受験生たちへ、校長たちからの言葉をお届けします。 校長から受験生へ:麻布中学・高校の平秀明さん すべての受験生にエールを送ります。目標を定めて努力し続けた事実はみんな同じ。それはとても尊いことです。入試は実は自分との闘いです。皆さんは成績が上がらない、先が見えない、楽をしたいといった様々な自分に打ち克(か)ってきたのです。 本校を志望した子どもたちは全員入学させてあげたい。合格発表で大喜びする姿、歯をかみ締めて去っていく姿を見て、いつも思います。 合格、不合格は紙一重。限られた教科、範囲、時間の中での学力測定に過ぎません。どちらにしても結果を引きずらないでほしいです。合格を手にしても、それはスタートラインに立ったというだけのことです。 私は時に、「成功の反対はなに?」と生徒たちに聞きます。多くは「失敗」と言うでしょう。私は「チャレンジしないこと」だと思います。成功と失敗はコインの表裏。結果はほんのちょっとした運の違い。チャレンジしたこと自体が貴重なのです。若い人はどんどん挑戦し、そして失敗をしていい。失敗こそが人間としての成長を促すのです。 コロナ禍のもと、子供たちは本当に頑張ってきました。個別試験をやめる大学もありますが、挑戦させてあげるべきです。教育は医療と同じく、止めてはいけないエッセンシャルな分野です。振り返れば、9月入学論をはじめ、今回の大学入学共通テストの日程後ろ倒し論などは、実に飛躍した議論でした。思慮なく小手先の改革を行っても何も解決しません。 昨年6月、遅れて実施した入学式で「かつてニュートンは、ペストの大流行で通っていたケンブリッジ大学が休校になり、故郷で過ごした1年半の間に万有引力の法則や光学、微分積分法など主要な業績の着想を得た」と話しました。ままならない時だからこそ、思索を巡らすことができるのです。 学校の一番の役割である人と人との磨き合いも、行事の縮小などで様々な制約がありました。私も、生徒から「文化祭を実施して欲しい」と熱く訴える長い手紙をもらいました。時期をずらし内部のみで開催しましたが、他方、運動会は中止になりました。そうした苦しい経験が、他者へ思いが至る人間を育てるのだと思います。 勉学はすべての根っこになります。本校の校歌には「愛と誠を もとゐとたてつ」とあります。若い人たちには真理を尊ぶ学問を大切にし、権威をうのみにせず、本質を見極める力で社会に貢献して欲しいと願います。 私は草花を育てるのが好きです。いま校長室で水耕栽培しているヒヤシンスは、どれもしっかりと根が張っています。だから茎が支えられ、美しく花が咲きます。今年、正門からのアプローチにパンジーを植えました。行き来する受験生たちを少しでも力づけられたらと思います。(聞き手・柏木友紀) ◇ 〈たいら・ひであき〉1960年、東京生まれ。麻布中学・高校卒。東大工学部、教育学部を卒業後、麻布学園に数学科専任教諭として28年間勤務。2013年から現職。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
映画配給会社から1600万円横領疑い 元社員を逮捕
映画配給会社から約1600万円を着服したとして、警視庁丸の内署は9日、東京都中野区新井1丁目、無職長沢順子容疑者(46)を業務上横領の疑いで逮捕した。捜査関係者への取材で分かった。調べに対して容疑を否認し、「会社の経費などを立て替えていた金額を引き出しただけ」などと供述しているという。 捜査関係者によると、長沢容疑者は2018年12月下旬~19年4月上旬ごろ、複数回にわたり、当時業務委託社員として勤めていた映画配給会社の預金口座から出金したり、自らの口座に送金したりして、計約1600万円を着服した疑いがある。長沢容疑者は当時、会社の口座を管理できる立場で、着服した金はギャンブルなどに使っていたとみられるという。 社内調査で使途不明金が判明し、関与が浮上したという。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
22年前の乳児遺棄、母親特定 DNA再鑑定し事件動く
22年前にごみ箱に出産直後の乳児を遺棄したとして、警視庁は、埼玉県川口市の無職の女(46)を母親と特定し、10日にも保護責任者遺棄致死容疑で書類送検する方針を固めた。捜査関係者への取材でわかった。乳児のへその緒などから採取したDNA型を最新技術で再鑑定したところ、別の事件で立件された女のものと一致したという。 当時の保護責任者遺棄致死罪の公訴期限は7年。今回の事件では2006年3月に時効が成立しており、女は不起訴となる見通し。 事件の発覚は1999年3月17日朝。西新井大師(東京都足立区)の境内でごみの分別作業をしていた警備員が、ごみ箱の中の遺体を見つけた。男の子で、胎盤とへその緒がついたままだった。目立った外傷はなく、専門家の鑑定で呼吸した形跡があり、死産でないことが判明した。ただ、身元を特定する手がかりが少なく、保護者の特定に至っていなかった。 事件が動いたのは昨年。男児の胎盤やへその緒の付着物から採取したDNA型を新たな技術で再鑑定したところ、警視庁が過去に別の恐喝事件で立件した女から任意で採取したものと一致した。同庁は今年に入り、女から事情を聴取。女は「気づいたら妊娠していた。不意の出産だった」という趣旨の話をしたという。父親は不明という。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
変異ウイルス感染者、13人確認 11人は同じ施設利用
厚生労働省は9日、英国や南アフリカで報告されている変異ウイルスが、9県で新たに20~50代の男女計13人から見つかったと発表した。このうち英国の変異株の感染が確認された11人は、栃木、茨城、福島、埼玉、長野、神奈川、静岡、新潟、群馬の各県在住。同じ施設を利用した職場の関係者といい、厚労省はクラスター(感染者集団)が発生したとみている。いずれも海外渡航歴はなく、滞在歴のある人との接触も確認されていないという。 残る2人は神奈川県の40代男性と50代女性で、南アフリカの変異株の感染が確認された。4日に変異株の感染が公表されたアフリカ滞在歴のある50代女性の濃厚接触者という。 変異株の感染は、国内と空港検疫を合わせて105人になった。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
自宅療養中の女性、容体急変し死亡 家族も陽性 埼玉
さいたま市は9日、新型コロナウイルス感染で自宅療養中だった60代女性が容体が急変して救急搬送され、約2~3週間後の今月7日に亡くなったことを明らかにした。市保健所は「毎日、様子は電話で聞き取っていた。これ以上の対応は難しかった」と話している。 女性は軽症で基礎疾患もなかったことから、市保健所は入院の必要がないと判断し、症状の軽重の手がかりとなる血液中の酸素濃度を測る「パルスオキシメーター」を貸与して、電話で毎日、その数値を聞き取るなどして体調を確認していたという。しかし、1月中旬ごろに急に体調が悪化したため、市内の病院の救命救急センターに搬送され、そのまま亡くなったという。 市保健所によると、自宅療養としたのは女性側の希望ではなく、あくまで市側の判断と説明。女性は同居する家族にも陽性者がいたといい、家族内でどのような態勢で看病をしていたかは把握していないという。担当者は「容体の急変はこの疾病の特徴だが、これ以上の対応は難しかった」と話している。(森治文) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル