東京のシンボルである東京タワー(高さ333メートル)。その一部が朝鮮戦争で使われた米軍の戦車の鉄で出来ている、と聞いたことがありますか? 地上150メートルのメインデッキ(大展望台)から上の部分、空にのびて細くなっていくあたりからの鋼材は、こうした戦車のスクラップでつくられた、と言われています。有識者の話を聞きながら、戦後復興の歴史をたどります。 記事の後半では、東京タワーをめぐる美術家の奈良美智さんとの一問一答をお読みいただけます。 記者が戦車と東京タワーのことを知ったのは5年前、世界的に活躍する美術家・奈良美智さんのインタビューを読んだときだった。反戦・反核をテーマにした自身の画集「NO WAR!」(2014年)についてのインタビューで、奈良さんはこんな風に語っていた。 「東京タワーって、鉄でできてるんですが、朝鮮戦争でスクラップになったアメリカ軍の戦車が使われてるんです」「東京オリンピックの直前に、そんなふうにして復興の象徴である東京タワーが建てられた。だから、戦後復興って何なんだろうって思います」(15年8月15日のハフィントンポスト日本版) 拡大する真下から見上げた東京タワー。国の登録有形文化財でもある=東京都港区、林敏行撮影 奈良さんは、日本とドイツは同じ敗戦国同士だが、歴史への向き合い方が違うと言っている。20代のころから12年間、ドイツで暮らした奈良さんは、その違いにショックを受けたそうだ。ドイツでは現在は歴史の積み重ねのなかでとらえられ、過去から現在、未来へと一貫して考える、そういう思考が日本とは比べ物にならないほどできている、と。 1950年に勃発、53年に休戦となった朝鮮戦争は、経済的、軍事的に戦後日本の転換点となったと言われる。経済復興、高度成長の起点となる「特需」をもたらしたものとして語られることは多いが、日本では戦争のリアリティーをもって語られることは少ない。 奈良さんはインタビューで「自分でも『あっ』とか思ったのが、日本の経済復興っていうのは他の国で戦争があったからだったんだなって。朝鮮戦争やベトナム戦争のおかげ」と語っている。そして「大戦後のアメリカの繁栄と二人三脚だった」ことに気づいたと言う。 そもそも朝鮮戦争で使われた戦車の鉄が東京タワーになった、というのは本当だろうか。 奈良さんにいま改めて、それをいつ知ったのかを聞いてみた。 「10代の頃? いつだったの… 2種類の会員記事が月300本まで読めるお得なシンプルコースはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
原発の町、復興に明暗 「公民連携」の女川、福島は模索
津波被害と原発事故を引き起こした東日本大震災から10年がたつ。津波で甚大な被害を受けた宮城県女川(おながわ)町は、人口が4割減るなか、新たなまちづくりを「公民連携」で進め、復興モデルとして注目されている。一方、同じ原発立地自治体だった福島県では、原発被災地でコミュニティー再生の模索が続く。 「還暦以上は口出ししない」 女川町のJR女川駅前から海岸へと続くおしゃれな道沿いに、カフェやクラフトビール店、せっけん工房などが並ぶ商業施設「シーパルピア女川」がある。震災後にかさ上げした町有地に2015年に開業した。隣の物産施設「ハマテラス」と共に復興のシンボルとして、女川観光に欠かせない施設になっている。 拡大するJR女川駅前にあるシーパルピア女川とハマテラス。奥には女川湾が広がる=宮城県女川町 二つの施設は、商工会や町が出資する株式会社「女川みらい創造」が国の補助金で整備し、テナント募集や運営を担う。計36店舗のほぼ半数は被災店舗の再建だが、地元NPOの支援などで住民や出身者、移住者らの新規出店を促し、町外からの出店も受け入れて多彩な店がそろった。 町では震災前から過疎化が進み、商店街はシャッター通りになっていた。同社の阿部喜英(よしひで)社長(52)は「復旧するだけでは寂れてしまう。新しい店に入ってもらい、『復幸(ふっこう)』を目指した」と力を込める。 女川町は震災で最大14・8メートルの津波に襲われ、住宅の66・3%が全壊し、当時の人口の8・3%の827人が死亡・行方不明になった。中心部は壊滅し、阿部さんの営む新聞販売所と自宅も流された。「現実と受け止められず、言葉も出なかった」と振り返る。 拡大する「シーパルピア女川」に立つ運営会社の阿部喜英社長。防潮堤機能のある構造物は海沿いの国道の下に埋まっている=宮城県女川町 不明者の捜索やがれきの片づけが続く中、震災翌月には商工会長の呼びかけで「女川町復興連絡協議会」を設立。これが契機となり、行政と民間が力を合わせて公共サービスを担う「公民連携」による復興が動き始めた。 「これからの町づくりは若者に… 2種類の会員記事が月300本まで読めるお得なシンプルコースはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
5歳児餓死 「支配」解いた県警、北九州・久留米の経験
福岡県篠栗(ささぐり)町のマンションで昨年4月、5歳の碇(いかり)翔士郎ちゃんが餓死した事件で、母親が知人の女から受けていたとされる「マインドコントロール」を福岡県警の捜査員らが解いていった様子が、捜査関係者への取材で明らかになった。 捜査関係者によると、保護責任者遺棄致死容疑で逮捕された赤堀恵美子容疑者(48)は2018年5月ごろ、翔士郎ちゃんの母親の碇利恵容疑者(39)=同容疑で逮捕=に「(両容疑者が)ママ友に提訴された」と作り話で不安にさせた後、「ボス」と呼ぶ別の保護者が解決してくれたとして示談金名目で現金を要求したという。県警はこの一件が赤堀容疑者による「支配」の始まりとみる。 さらに赤堀容疑者は「ママ友がLINEであなたの悪口を言っている」とうそをついたり、示談金を捻出させるために一家の食事を制限するよう指示するなかで「ボスが監視カメラで見張っている」と脅したりしたという。碇容疑者は次第に周囲から孤立し、赤堀容疑者が唯一の相談相手になり、徐々にマインドコントロール状態に陥っていったという。 記事後半では、福岡県内でおきた過去の事件との共通点などに関して、識者に話を聞いています。 碇容疑者が指示通りに食事を制… 2種類の会員記事が月300本まで読めるお得なシンプルコースはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
ハンスト終了、遺骨ふくむ土砂「基地の賛否以前の問題」
沖縄戦の遺骨収集を続けてきた具志堅隆松(たかまつ)さん(67)が6日、那覇市での6日間にわたるハンガーストライキを終えた。いまなお遺骨が見つかっている沖縄本島南部から、米軍基地建設のための土砂採掘が計画されていることへの抗議だった。 戦争体験者をはじめ連日多くの人が励ましに訪れ、1万数千人規模の署名も集まっているという。 土砂採掘は、大規模な埋め立てを伴う米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古移設をめぐって政府が計画。本島南部は76年前の地上戦の激戦地だった。 「自分の兄も(南部の)糸満で… 2種類の会員記事が月300本まで読めるお得なシンプルコースはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
ディズニーシーで成人式 舞台にミッキー、ハグは中止
千葉県浦安市は7日、東京ディズニーシーで成人式を開催した。新型コロナウイルス対応の緊急事態宣言下で多くの自治体が式典開催をあきらめるなか、市は感染対策を徹底することで可能と判断。ミッキーやミニーの登場は舞台上だけだったが、ディズニーならではの音楽と一体となった式典で盛り上げた。 浦安市では2002年から毎年、地元の東京ディズニーランドで成人式をしてきた。今年はランド内の施設が改装中のため初めてシーで開いた。当初は1月11日を予定していたが、緊急事態宣言を受けて3月7日に延期。直前に宣言の期間が再び延びたが、開催に踏み切った。 約1500人収容の屋内ステージに例年なら2回に分けて開くのを4回にし、時間も30分から20分に短縮。新成人たちが座る客席にミッキーたちが降りてハグする例年の演出はやめて、舞台から手を振った。 市の集計で約1700人が参加した。大学2年の女性は「都内の友人の多くが式典中止なのでうらやましがられました」。別の大学2年の女性は「感染対策でミッキーとは会えないと思っていたのでよかった」と喜んでいた。(三嶋伸一) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
震災直後から犯行継続か アワビ密漁の疑いで2人を逮捕
岩手県大船渡市の海岸でアワビを密漁したとして、県警は7日、無職八重樫敏博容疑者(67)=花巻市=と職業不詳駿河昭久容疑者(44)=同市=を漁業法違反(特定水産動植物採捕の禁止)の疑いで逮捕し、発表した。 アワビやナマコの組織的な密漁が横行していることから密漁を厳罰化した改正漁業法が昨年12月に施行されている。改正同法の適用は県内では初めて。 生活環境課によると、両容疑者は2月28日夜、大船渡市三陸町の小壁漁港周辺で、漁業権や採捕許可がないのにアワビ数十個(約10キロ)を密漁した疑いがある。 県漁業取締事務所から今年1月、県警に「夜に海岸近くで密漁しているとみられる人影がある」と通報があり、捜査していた。2人が拠点にしていた花巻市のアジトから潜水用のボンベやアワビ捕獲用の網などが見つかった。県警は2人が2011年の震災直後から陸前高田や気仙沼などの海岸で密漁を続け、被害はアワビ1トン(1千万円相当)以上になるとみており、流通経路などを調べている。(中山直樹) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
次男からの「触んな!」に傷つく母 姜尚中さんの助言
(悩みのるつぼ)相談者 大学生と高校生の2人の息子の40代シングルマザーです。次男について相談です。 次男は小さな頃から、少年野球チームに入り、高校でも野球部に所属して頭の中は野球のことでいっぱいです。テレビを見ながらも筋トレやシャドーピッチングをしています。 私も野球当番、弁当作り、遠征応援にと週末の息子との思い出は野球と共にあります。そんな次男は中学生の頃から全く私と話をしなくなり、学校の友達も誰と親しいのかも何も知らない状態が続いています。毎日作るお弁当も、おいしかったの一言も無く、台所のゴミ箱に残したおかずが捨ててあったりします。「量が多かったら多いって言って!」と言いますが、目を合わそうともせず、時間なかったと返ってくるだけです。 家の中でも、すれ違いそうになると、あからさまに嫌な顔をするし、この間息子の首に何か付いていたのを取ろうと触ったら、嫌悪の顔で「触んな!」。息子が口にするのは、「腹減った」「おやすみ」「明日は○○時に起きるから」くらい。夕飯時も、スマホで野球を見ながら黙々と食べるだけです。 長男は普通に話してくれます。2人とも性格は違うけど同じように愛情かけて育てて来たつもりです。次男にどう接して良いか分からず、傷付く毎日です。どうやってそんな次男に接すれば良いのでしょうか。 回答者 政治学者・姜尚中さん 切ない気持ちでいっぱいでしょうね。シングルマザーで2人の子供を育て、人一倍頑張っているはずのあなたに肝心の息子が親子のコミュニケーションを拒絶しているように見えるのですから。 あなたは長男に対しても、次男に対しても分け隔てなく、母親の愛情を注いできたはずです。それなのに、長男はその愛情に応えてくれているのに、次男は真逆にあなたを避けるだけでなく、嫌悪感すら露(あら)わにする。どうして? そう思うのは当然です。 しかし、ここで立ち止まって考… 2種類の会員記事が月300本まで読めるお得なシンプルコースはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
コロナ下でも「脱原発」求めて 大阪市で市民団体がデモ
東日本大震災に伴う東京電力福島第一原発事故から10年の節目を目前にした7日、大阪市中央区で脱原発を求める集会があった。約20の団体から450人(主催者発表)が参加。各団体の活動報告や有識者による講演の後、「原発やめて」などと書かれたプラカードを掲げ、デモ行進した。 新型コロナウイルス感染防止のため大きな声を出すのをやめ、太鼓を打ち鳴らすなどしてアピール。「原発再かどう(稼働)いらない」と刺繡(ししゅう)したエプロンを着て参加した大阪府四條畷市の大森正子さん(76)は「フクシマは、国民の原発への無関心が引き起こしてしまった事故。一市民でも、しっかりと声を上げていきたい」と話した。 集会は、原発事故のあった2011年から毎年開催されてきたが、昨年は新型コロナの影響で初の中止に。主催団体の一つ「ストップ・ザ・もんじゅ」代表の池島芙紀子さん(81)は「新型コロナで機会がなくなっていたけど、市民に関心を持ってもらうためにも意思表示を続けたかった」と話した。来年以降も集会を続ける方針だという。(山田健悟) 九州でも座り込み 九州では、脱原発をもとめる団体「原発とめよう!九電本店前ひろば」が2011年4月から、福岡市の九州電力本店前で座り込みを続ける。九電の原発を巡る訴訟のめどがつくまで、活動を続ける予定だ。 座り込みは当初ほぼ毎日だったが、緊急事態宣言が出た昨春から木曜だけに。青柳行信代表(74)ら数人がテントを広げ、脱原発の音楽を流すなどしている。震災から10年となる11日は感染対策をしつつ、他団体と市内で集会を開く。14日も予定している。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
脱原発の金曜デモ、資金難で休止 国会前で最後の訴え
東日本大震災後、東京・永田町の首相官邸前で毎週金曜夜に脱原発を訴えてきた市民団体「首都圏反原発連合」が、3月末で休止する。金曜デモを397回行ってきたが、参加者が減少し、資金難になったことが主な理由という。7日には、団体が主催する休止前最後の国会前での集会があり、参加者が「原発はいらない」「再稼働反対」などと訴えた。 集会は、11日に東日本大震災から10年となるのを前に開催し、数百人が集まった。新型コロナウイルス感染防止のため、参加者の検温などの対策をとった。 仙台市出身の高橋智彦さん(29)は、東京電力福島第一原発事故から約10年が経過し、記憶の風化が心配という。「事故はまだ終わっていない、という思いを政治に届けたかった」 東京都大田区の伊藤あき子さん(67)は9年前から金曜デモに参加。コロナ禍でいまは行っていないが、休止と聞き、この日の集会に参加した。「金曜デモを通じて、おかしいと感じたら、政府に怒っていいんだと気づかせてもらった」 12年6月には20万人、首相とも面会したが 首都圏反原発連合は2011年… 2種類の会員記事が月300本まで読めるお得なシンプルコースはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
地震で崩落から5年、新阿蘇大橋が開通 全長525m
2016年4月の熊本地震で崩落した熊本県南阿蘇村の阿蘇大橋に代わり、建設が進められていた新阿蘇大橋が完成し、7日午後3時に開通した。熊本地震で寸断した熊本県北東部の阿蘇地域の国道は、これですべてつながった。 旧阿蘇大橋は国道325号の一部で、阿蘇カルデラの入り口となる立野峡谷にかかり、阿蘇地域と熊本市方面を結ぶ主要ルートだった。新阿蘇大橋は元の阿蘇大橋から約600メートル下流に建設され、全長525メートルで、橋脚の高さは最大97メートル。橋の近くには展望所も整備された。 熊本地震では4月14日の「前震」と同16日の「本震」で最大震度7を観測。熊本県内では災害関連死などを含め273人が亡くなり、約20万棟の住宅が被害を受けた。(後藤たづ子) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル