「ぷいぷい」の愛称で親しまれたMBSの情報番組「ちちんぷいぷい」(月~金、午後1時55分~3時49分)が12日、最後の放送を迎えた。ほのぼのとした雰囲気と地域密着の姿勢で、22年にわたり愛されたローカル番組。終わるに至った背景とは。 番組が始まったのは1999年。それまで、90年代に同局が制作した午後のワイドショーは、前番組の「おかえりワイド」(98年10月~99年9月)をはじめどれも1~2年ほどで終わっていた。 状況を打開しようと起用したのが、同局のラジオパーソナリティーとして人気だった角(すみ)淳一アナ(現フリー)だ。 「当初はニュースをやりたがらなかった」と振り返るのは、スタート時から制作に携わる同局チーフプロデューサーの佐川昌裕さん。96年に脳梗塞(こうそく)で倒れ、闘病生活を送った角アナは「病室で見るワイドショーはしんどい」と言っていたという。「視聴者とおしゃべりを共有して、心の持ちようを変えてくれる番組にしよう、と思っていました」 最終週には人気企画が復活 奇抜な番組タイトルも、角アナのアイデアだ。「病気も番組もよくなれ、と願い、おまじないをかけるように『ちちんぷいぷい』にしようと提案したんです」と、2009年の朝日新聞の取材に語っている。 光を当てたのは関西の街であり… 2種類の会員記事が月300本まで読めるお得なシンプルコースはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
1億人運んだ九州新幹線、いまは鮮魚を… 全通10周年
九州新幹線は12日、博多―鹿児島中央間の全線で開業して10年を迎えた。全通以来これまでに1億2千万人を運んだが、いまは新型コロナウイルスの影響で乗客は激減。この日は新たな収益源と見込む貨客混載事業の一環で、鹿児島から鮮魚を運んだ。 午前9時25分、博多駅のホームに鹿児島中央発のつばめが入線した。乗客とともに到着したのは、鹿児島で朝取れたブリやカンパチ、タイなどが入った段ボール約30箱。車内から下ろされると、そのまま駅ビル10階の飲食店に届けられた。 新幹線の利用は前年より6割減っており、JR九州は5月から佐川急便と連携し、本格的に輸送事業に取り組む考えだ。 13、14の両日は博多駅前広場で10周年の記念イベントが開かれる。新幹線で運ばれた魚や、鹿児島と熊本の駅弁が販売される予定。(松本真弥) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「駆動音。私の青春」 秋田駅、キハ40系へ贈る言葉
【秋田】JR男鹿線や五能線など秋田、青森両県の在来線を走るディーゼル気動車キハ40系が13日のダイヤ改定に伴い、12日で定期列車としての運行を終える。旧国鉄時代から人々の通学、通勤などの足として親しまれてきた列車へのメッセージが、JR秋田駅構内に飾られている。 「たくましき駆動音。私の青春に刻まれています」「たくさんの思い出ありがとう!」。駅改札そばの壁にはこんな利用者からのメッセージが並ぶ。「約20年間、エンジンを修繕していました」「朝夕の5両編成、見るのも、乗るのも、撮るのも、圧巻でした」といった社員の声も紹介し、「引退」を惜しんでいる。社員の発案で当初は社員の声を、その後、利用者からも募集した。 1977年に登場したディーゼルの気動車。JR東日本管内では、男鹿線、五能線、津軽線、奥羽線の一部区間の在来線などを走っている。ダイヤ改定の13日からは、男鹿線は蓄電池電車の「EV―E801系」に、ほかの路線は電気式気動車に置き換えられる。 今後もリゾート列車の一部編成… 2種類の会員記事が月300本まで読めるお得なシンプルコースはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「ありがとうDD51」 機関車引退、国鉄時代から活躍
国鉄時代から主に地方路線で活躍してきたディーゼル機関車「DD51形」。最後まで定期運用していたJR貨物が今月のダイヤ改定での引退を決め、12日、最後の運行をした。 朱色に「凸型」の車体で広く知られたDD51は、JR貨物の愛知機関区(愛知県稲沢市)に6両だけ残り、うち3両が稲沢と関西線・四日市駅(三重県四日市市)を往復して石油類や工業製品を運んでいた。 12日は、四日市駅でJR貨物が記念の式典を開催。「さよなら ありがとう DD51」と記したヘッドマークを付けた車両を前に、「約50年にわたって活躍した」「物流を支えた」と長年の功績をたたえた。そして午後0時42分発の稲沢行きの列車を見送った。この日は沿線や駅に大勢の鉄道ファンらも詰めかけた。 内山健・JR貨物東海支社長は「人間的な機関車で人気もあった。老朽化が進み、部品も入手しにくい状態でコスト的にこれ以上の維持は限界だった」と話した。JR貨物の後継の機関車は「DF200形」で、DD51は解体されることになる。残るのはJR西日本やJR東日本が観光列車や工事用車両の牽引(けんいん)で使うだけとなった。 DD51は国鉄時代の1962(昭和37)年以来、計約650両が造られた。JR各社に引き継がれた後も、電化されていない地方区間で客車や貨車を引っ張った。「カシオペア」(上野―札幌)といった寝台特急も牽引(けんいん)した。しかし電化区間の拡大などもあって、徐々に減り、近年はJR貨物だけが第一線で運用していた。10年前の東日本大震災では、東北の被災地へ非電化区間を通って燃料を運ぶために全国から集められたことがあった。 女王乗った鉄道も引退 昭和の時代から活躍していた鉄… 2種類の会員記事が月300本まで読めるお得なシンプルコースはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
3号機が水素爆発した日、父は68歳の誕生日を迎えた
「第一原発の建設現場には何度も入ったことがあるんだよ。原子炉建屋に入り、フラスコを真下から見上げたこともある。いまは絶対に行けない場所だよ」 父の大内義洋(よしひろ)(77)は、福島県いわき市の小名浜(おなはま)港で働く公務員でした。今年初め、両親と東京電力福島第一原発(大熊町、双葉町)近くまでドライブした道中で、父は福島第一原発についてこんな思い出を話し始めました。 「もう、やる気なくしてるよ、だんだん」。実家の田んぼを大内悟史記者と訪ねた父・義洋さんは、そうつぶやきました。美しかったふるさとの景色は、いま……。ポッドキャストで大内記者の取材を追体験できます。 朝日新聞ポッドキャストは Apple Podcasts や Spotify では毎日配信しています。音声プレーヤー右上にある「i」の右にあるボタン(購読)でリンクが表示されます。 1960年代、日本は高度経済成長期の電力需要をまかなうべく、原子力発電に積極的に取り組んでいました。東京電力は米ゼネラル・エレクトリック(GE)の技術を導入して原発建設を進めました。 【連載】帰りなんいざ 福島へ(全10回)のページはこちら 実家の半壊や祖母の震災関連死。放射能の数値。そして両親は70歳代に――。東日本大震災の被災地である福島県いわき市に生まれ育った47歳の記者が、この10年間に故郷の農村と家族の身の回りに起きた出来事を、10回にわたってつづります。 拡大する双葉町産業交流センター屋上から福島第一原発方面を望む。手前は中間貯蔵施設のエリアで、正面左奥に原発の排気筒が見える=福島県双葉町 現在のIHI、日立、鹿島など… 2種類の会員記事が月300本まで読めるお得なシンプルコースはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
巡視艇は津波に向かった べたなぎの海、一転「やばい」
目の前に静かな海が広がる仙台塩釜港石巻港区(宮城県石巻市)の一角。5階建ての石巻港湾合同庁舎内に石巻海上保安署はある。1階の天井近くにある標識が、約8メートルまで到達した10年前の東日本大震災の津波の脅威を物語る。 かつては2階建ての庁舎だったが、震災後の2014年に建て替えられた。11年3月11日。旧庁舎の1階にあった掛け時計は、午後3時38分を指したまま止まった。 当時の巡視艇「しまかぜ」航海士補の石川琢朗(42)、次長の榊(さかき)浩文(58)、署長の三河勝志(68)ら署員にも、その津波は襲いかかった。 三河が新年度の引き継ぎで、後任職員を自家用車に乗せ、港湾の案内をしていた時だった。携帯が「ウィッウィッ」と鳴り、車が大きく揺れた。 「津波が来る。早く戻って指示を出さなければ」。急いで庁舎に戻った。 いざという時のため、大きな発電機を2階に抱えて運び上げた。乗組員の職員には、「船で行けるところまで、遠い沖まで出ろ」と指示を出した。 100メートル先「何かがおかしい」 石川ら4人の乗組員は、すぐに埠頭(ふとう)に向かった。「しまかぜ」(全長約20メートル、約26トン)と監視取締艇「ぺるせうす」(全長約8メートル、約5トン)に分かれて乗り込み、沖を目指した。 津波から船を逃すには、水深40メートルのところまで向かうことが決められていた。年に1度、津波を想定した緊急出港の訓練も行っていた。その内容を頭の中で再現した。 埠頭付近に作業員や釣り人の姿は見えなかったが、石川はぺるせうすのかじをとりながら、岸壁に向かってマイクで叫んだ。「大津波警報が出ました。すぐに逃げてください」。 すぐ後ろについてくる、しまかぜを確認しながら前へ前へと進んだ。 拡大する巡視艇「しまかぜ」から撮影した監視取締艇「ぺるせうす」(奥)=2011年3月12日午前5時30分、第2管区海上保安本部提供 10キロほど沖の目標地点に到達し、エンジンをかけたまま待機した。冬の石巻湾は風が強い。しかし、この日は珍しく、気味が悪いほどべたなぎ状態だった。 1時間ほど、そこにいた記憶がある。「全然来ないな」。ふと同僚が沖を指さした。「あれ津波じゃないですか」 記事の後半では、津波に遭遇した乗組員たちと、庁舎に残った署長のその後を描きます。文中の敬称は略しました。 沖から一筋の波が迫ってきた。… 2種類の会員記事が月300本まで読めるお得なシンプルコースはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
不仲に気づいていたけど…父母の別離問題、抱え込む傾向
両親の不仲に気づいていながら、両親からは何の説明もなく、周囲にも相談できない――。未成年時に両親の離婚・別居を経験した20~30代の1千人を対象に法務省が実施した調査から、父母の別離の問題を一人で抱え込む傾向が強い実態が浮かんだ。調査では、子どものための身近な相談窓口の設置を求める声が多く上がった。 調査は1月にネット上で行われ、法務省が12日に結果をホームページで公表した。同省は、法制審議会(法相の諮問機関)での離婚後の子どもの養育に関する議論や、今後の政策に生かしたい考えだ。 調査結果によると、両親が別居を始めた年齢は「3歳未満」から「中学卒業後」以降までまんべんなく広がり、母親と同居した人が786人と圧倒的に多かった。ただ、別居した親とも関係は悪くない人が多く、「非常に良い」「良い」「まあまあ良い」「普通」の回答の合計が約7割を占めた。 別居前の家庭内の状況を覚えていると答えたのは672人。このうち、両親の不仲について「知っていた」「薄々気づいていた」のは543人(80・8%)だった。また、235人(35・0%)は両親からの説明が「なかった」といい、周囲に相談したのは63人(9・4%)にとどまっていた。相談しなかった理由は、「人に言いたくなかった」が129人(19・2%)、「相談したかったが適切な人がいなかった」が128人(19・0%)、「相談できる人はいたが自分で抱え込んだ」が56人(8・3%)だった。 両親の離婚・別居が自身の恋愛… 2種類の会員記事が月300本まで読めるお得なシンプルコースはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
首里城の彫刻下絵、30年ぶりに発見 金沢の作家宅から
2019年に火災で焼失した首里城(那覇市)の正殿の彫刻に使われた下絵が、金沢市の彫刻作家・今英男(いまひでお)さん(1937~2014)の自宅で約30年ぶりに見つかった。制作過程の注意点や修正点が細かく記されており、関係者は「再建に向けて貴重な資料になる」と話している。 下絵は縦約60センチ、横約4・5メートル。向き合う2頭の「あうん」の竜と、その間に宝の玉「宝珠(ほうじゅ)」が描かれている。「宝珠双龍文様」と呼ばれる図柄の彫刻で、正殿の玉座の背後にある「内法額木(うちのりがくぎ)」(「額木」を「がくき」と読む説もある)と呼ばれる部分に施してあった。 下絵には「全体的に少し上げる」など、手書きの修正点や注意点が複数書き込まれている。 焼失と再建を繰り返した首里城は沖縄戦で破壊された。今回、見つかった下絵は「戦後の復元事業」として1992年に正殿が復元された際に使われたもの。当時、今さんとともに復元事業で首里城の彫刻制作にかかわった琉球大学の西村貞雄名誉教授(78)は「今さんが実際の作業に使ったものに間違いない。残っていたとは驚く」と話す。 復元にあたり、西村さんらは「宝珠双龍文様」の下絵を、戦前の写真などを元に書き起こしたという。「大変な作業だった。実際の作業の跡が分かる下絵は、次に作る人にとって得がたいもの。再建にも必ず役立つ」。沖縄県の特命推進課の担当者も「貴重な資料になる。ありがたい」と話している。 下絵を見つけたのは、今さんの妻の良子さん(74)。金沢市で開催される今さんの資料展(13~28日)のため、自宅にある資料を整理していた2月下旬、家具の隙間から出てきたという。首里城を2回訪れたことがある良子さんは、「お父さんが彫る様子を撮った写真もよく見ていたので、すぐにあの下絵だと分かった」という。 王が座る場という首里城の象徴… 2種類の会員記事が月300本まで読めるお得なシンプルコースはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「歓送迎会、できるだけして」島根知事が県民に呼びかけ
職場の歓送迎会、できるだけ行(おこな)って――丸山達也・島根県知事は12日、県民に対してこう呼びかけた。新型コロナウイルス感染拡大で打撃を受ける県内飲食店の支援が狙い。丸山知事は「過度な自粛で飲食店は苦しんでいる。政府にも支援をお願いしているが、知事としてできることを考えた上でのお願いだ」と話した。 県はこれまで、県民に対して、飲食店を利用する時は「9人以下で1時間30分まで」を目安にするよう呼びかけていた。歓送迎会についてもこの目安を適用し、異動や採用で県外から来た人がいる職場では、来県後2週間が経過した後で開くよう呼びかける。 県のまとめでは、県内の新型コロナ感染者計284人の推定感染経路は50%が家庭内で、県内飲食店は4%にとどまる。丸山知事は「全国的には飲食店が主要な感染経路かもしれないが県内ではそうではなく、とりわけリスクが高いわけではない」と話した。(浪間新太) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
MLB to experiment with larger bases and defensive positioning in minors
Major League Baseball is set to conduct a number of rules experiments during the 2021 minor league season, among them the use of larger bases, as well as restrictions on defensive positioning. Saying it is interested in more game action, as well as pace of play in the era of […]