世界遺産・平城宮跡(奈良市)を横切る近鉄奈良線を宮跡南側に移設することで、奈良県と奈良市、近鉄は25日に合意し、国に改良計画を提出した。総事業費は約2千億円規模で、用地買収や工事に約40年かかると県は想定している。 近鉄奈良線の電車が走る宮跡は、鉄道ファンに撮影スポットとして知られている。しかし、周辺8踏切が交通渋滞の要因だとして、国は2017~18年、「改良すべき踏切道」に指定していた。17年から県、奈良市、近鉄の3者は協議を重ね、20年7月に国が間に入って県の移設案を基に協議を進めると合意した。 今回初めて3者が合意した移設案は、近鉄大和西大寺駅から宮跡西側まで高架化し、いったん地上に降りた後、宮跡南側から近鉄奈良駅まで地下化する計画。近鉄奈良線が宮跡を迂回(うかい)するかたちになる。県や市、近鉄の費用負担は国の定めたルールに基づいて決めるという。 奈良県の荒井正吾知事は記者会… 2種類の会員記事が月300本まで読めるお得なシンプルコースはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
笹子トンネル事故、研修施設が完成 遺族「時すでに…」
2012年12月、山梨県大月市の中央自動車道笹子トンネル内で天井板が崩落し、9人が死亡した事故を受け、中日本高速道路(名古屋市)が東京都八王子市の同社敷地内に建設していた研修施設「安全啓発館」が完成した。4月から再発防止のための社員研修に使われるのを前に、遺族13人が25日、見学した。 館内には事故現場の実物大の模型や、3人の遺族から提供された遺品などを展示。亡くなった5人が乗っていたワゴン車も川崎市にある同社の施設から移された。遺族は、実際に崩落した天井板に触れたり、緩みが崩落の原因となった「アンカーボルト」の実物を手にしたりして、亡くなった家族に思いをはせた。 娘の友梨さん(当時28)を亡くした石川信一さん(71)は「完成してありがたいが、時すでに遅し。事故が起きてこうなったのは残念でならない。社員には危険性を予見するため、より一層研鑽(けんさん)をつんでほしい」と話した。 中日本高速によると、研修はグループ会社を含めた約1万1千人の社員を対象とし、5年で1巡する予定だという。(玉木祥子) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
クロエの新境地 デザインは控えめ、アクションは大胆に
クロエが2021年秋冬コレクションを映像で発表した。新たに就任したウルグアイ出身のデザイナー、ガブリエラ・ハーストによる初めてのコレクション。 茶色やベージュといった、ナチュラルであたたかみのある色が基調。ダウンを組み合わせたポンチョや、ロング丈のスカートなどゆったりと心地よさそうな服が目立つ。マルチカラーのボーダーのニットワンピースやフリンジの装飾など、1970年代のフォークロア調のスタイルも印象的だ。 ブランドの新しいコンセプトとして、「デザインは控えめに、アクションは大胆に」を掲げる。今季も、生地にリサイクル素材を使うなど、環境への配慮や社会貢献の取り組みに力を入れた。(神宮桃子) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
肌身離さず持ち歩いた123便の航空券、ともにひつぎに
偶然では片付けられない思いを抱き続けた。 音響機器メーカー役員だった西山徹さんは1985年8月12日、東京・羽田を午後6時に出発する大阪・伊丹行きの日本航空123便を予約した。母親の新盆で、兵庫県丹南町(現丹波篠山市)の実家に帰省する予定だった。 ところが、帰省のための休みが… 2種類の会員記事が月300本まで読めるお得なシンプルコースはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
宮崎監督へ「絵本は無理だ」 鈴木P語るナウシカ舞台裏
宮崎駿監督が12年以上の歳月をかけて完成させた漫画『風の谷のナウシカ』。コロナ禍の現在こそ、改めて読み込みたいと考え、スタジオジブリのプロデューサー、鈴木敏夫さん(72)に話を聞いた。抱腹絶倒の「連載当時の打ち明け話」を一部紹介する。 【連載】コロナ下で読み解く 風の谷のナウシカ(全8回) 宮崎駿監督の傑作漫画「風の谷のナウシカ」は、マスクをしないと生きられない世界が舞台です。コロナ禍のいま、ナウシカから生きる知恵を引き出せないかと、6人の論者にインタビューしました。スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサー、民俗学者の赤坂憲雄さん、生物学者の福岡伸一さん、社会学者の大澤真幸さん、映像研究家の叶精二さん、漫画家の竹宮惠子さんの6人が、それぞれの「ナウシカ論」を語り尽くします。 拡大する東京都内の事務所での鈴木敏夫さんの近影。いつも素足だ=篠田英美撮影 ――漫画『風の谷のナウシカ』の連載が徳間書店の雑誌「アニメージュ」で始まった1982年当時、鈴木さんは同誌の編集部に在籍されていましたね。『ナウシカ』の連載はどのようにして始まったのでしょうか。 「宮さんが初めて劇場用映画の監督を務めた『ルパン三世 カリオストロの城』(1979年)の興行が大失敗してしまった。映画の世界って、1本でも当たらないと、その後がなかなか続かないんですよ。それでね、『この先はなさそうだから、アニメーターから足を洗おうか』と考えていた時期があったんです」 「そのころ、彼が一番やりたかったのは絵本です。『鈴木さん、絵本の世界でメシが食えるかな?』と聞かれた。僕は『申し訳ないけどそれは無理だ』と即答しました。彼は『そんなに大変か』と肩を落としていました」 ――今になってみると、信じられない話ですね。 「ちょうどその頃、徳間書店グループ内では『映像企画が必要』という話になっていた。そこで、僕は宮さんが映画のために描きためてきた絵をまとめ上げて、映像企画会議に持ち込んだ」 「ところが、映画畑の人たちからは『原作もなく、いきなりオリジナル企画で映画を作るなんてありえない』と言われてしまった。それを宮さんに伝えたら、『わかりました。だったら原作の漫画、やっちゃいましょうよ』という話になり、『ナウシカ』へとつながったんです」 拡大する1991年、漫画『風の谷のナウシカ』連載中の宮崎駿監督 ――絵本から漫画に路線変更したわけですね。 「宮さんは連載を始める前、『家族を養わなきゃいけない。1枚でいくらもらえるのか』と聞いてきた。僕、しょうがないからその場で『1万円』って決めたんですよ。そうしたら彼は『たった1万円か!』ってショックを受けてしまって……」 「当時、新人の原稿料が1枚3千円で、ちょっと描けるようになってくると5千円。超大家になると7万~8万円というのが相場でした。漫画は連載1回分が24枚というのが基本だったので、1カ月分の原稿料が24万円。宮さんは『これで食べていけるかな』と心配していた。『途中から原稿料上げますよ』とは言ったんですけど、彼はぶつぶつ言いながら描き始めてくれました」 拡大する漫画『風の谷のナウシカ』連載第1回分から 物語の舞台となる「腐海」がすさまじい密度で描きこまれている(C)Studio Ghibli ――連載中は苦労の連続だったと聞いています。 「物語の終盤で、腐海(ふかい)や王蟲(オーム)が、実は滅びた文明が作り上げた『人工的な生態系』だったことが明らかになる。それについて僕が『これ、まずいんじゃないですか』と言ったら、宮さんが怒っちゃうという事件がありました」 「だって、映画では『腐海は自然の象徴で、腐海こそが人類を救う』って謳(うた)いあげたわけですよ。それを『人工的なもの』と言い切っちゃうのは、映画を見て感動した人への裏切りだと思ったんです」(太田啓之) 鈴木敏夫さんの略歴 すずき・としお 1948年、名古屋市生まれ。慶応大文学部を卒業後、72年に徳間書店に入社し、『週刊アサヒ芸能』編集部などを経て78年、雑誌『アニメージュ』創刊作業時に高畑勲、宮崎駿両監督と出会う。 84年、映画『風の谷のナウシカ』で実質的なプロデュースの仕事を開始し、85年にスタジオジブリの設立に参加。89年から専従。以降、ほぼすべての劇場作品をプロデュースする。現在、スタジオジブリ代表取締役プロデューサー。 著書『ジブリの仲間たち』『天才の思考 高畑勲と宮崎駿』『ALL ABOUT TOSHIO SUZUKI』など多数。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
難解な漫画ナウシカ、ネタバレ読みが正解? 7巻の変化
宮崎駿監督が12年以上もの歳月をかけて取り組んだ漫画『風の谷のナウシカ』は、極上のエンターテインメントであると同時に、「人間、文明、自然」の関係を極限まで追究した作品だ。私自身、連載が始まった高校2年の時から56歳の今日に至るまで、数え切れないほど読み返し、「宮崎監督の最高傑作」との思いは揺るがない。 コロナ禍の現在にこそ、より多くの人々に手に取って欲しいと考え、今回の連載「コロナ下で読み解く『風の谷のナウシカ』」では、スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサー、民俗学者の赤坂憲雄さん、生物学者の福岡伸一さん、社会学者の大澤真幸さん、映像研究家の叶精二さん、漫画家の竹宮惠子さんに、『ナウシカ』の魅力を語ってもらった。 ただ、漫画版は映画版に比べて物語が複雑で、とっつきにくい面もある。「読み始めたが途中で挫折した」という経験のある方も少なくないだろう。そこで、漫画『ナウシカ』の豊饒(ほうじょう)な世界を存分に楽しんでいただくため、作品の背景やあらすじ、入りやすい読み方を簡単に紹介したい。参考にしていただければ幸いだ。 映画と異なる救世主像 宮崎監督の苦悩 漫画『風の谷のナウシカ』は1982年から94年まで足かけ13年、月刊誌「アニメージュ」に連載された。単行本全7巻の発行部数は1700万部を超える。84年に公開されたアニメーション映画の「原作」とされることが多い漫画版だが、映画とある程度の共通性があるのは単行本第2巻の半ばまで。宮崎駿監督(80)は映画版の完成後も映画「天空の城ラピュタ」「となりのトトロ」「魔女の宅急便」「紅の豚」制作の合間を縫って、漫画版の続きを懸命に描き続けた。 映画ではナウシカたちが暮らす「風の谷」に、トルメキア王国の王女・クシャナ率いる一部隊が侵攻するという「地域紛争」を描いたが、漫画ではトルメキアと、映画には登場しなかった「土鬼(ドルク)」という帝国が、血みどろの大戦争を繰り広げる。「風の谷」はトルメキアと同盟関係にあり、ナウシカもクシャナと共に戦争に赴かざるを得なくなる。「ナウシカとクシャナの対決」だった映画とはまったく異なる構図だ。 ナウシカは敵味方を問わず、少しでも多くの命を助けようとするが、「風の谷を救った救世主」だった映画とは異なり、大局にはほとんど影響を与えられない。クシャナも、父ヴ王や3人の兄たちから命を狙われ、部下の大半を失ってしまう。 そんな中、失われたはずの旧文明の技術で土鬼が作った生物兵器「粘菌」が暴走し、世界は滅びへの歩みを速めていく――。 連載中には東西冷戦の終結、バブル経済の破綻(はたん)など世界と日本の方向を変える出来事が続いた。宮崎さんに特に衝撃を与えたのは、ユーゴスラビアの内戦だったという。長年の争いの末、平和を築き上げたはずだったのに、国際情勢が変化するや、再び民族間での戦闘や虐殺が起きてしまった。 『ナウシカ』の作中でも「人間の愚かしさはとめる術(すべ)がない」「滅びは必然」などの言葉が繰り返される。ナウシカも「私たちは呪われた種族」と認める一方で、こうも叫ぶ。「私たちの風の神様は生きろといってる」「私生きるの好きよ」「光も空も人も蟲(むし)もわたし大好きだもの」。宮崎さんの苦悩と葛藤が伝わってくるかのようだ。 「ネタバレ」で理解深まることも 物語は、単行本第6巻の終盤あたりから、大きく動き始める。ナウシカは、土鬼軍が空輸していた巨神兵を攻撃して目覚めさせてしまうが、よみがえった巨神兵はこともあろうに、ナウシカのことを「ママ」と呼んで慕い始める。 土鬼の首都シュワには、滅び去った旧文明の「生命を操る技術」が今も保存され、粘菌などの生物兵器を生み出す源となった「シュワの墓所」があった。ナウシカは巨神兵を「オーマ」と名付け、シュワの墓所を破壊するためにオーマの力を使おうとする。ナウシカの危険な賭けは成功するのか。シュワの墓所には、いったい何が待ち受けているのか――。 スタジオジブリの鈴木さんは「連載中はずっとナウシカの見たこと聞いたことを中心に話が進んでいくので、全体像がなかなか分からなかった。それが最終巻の第7巻あたりから劇的に視点が変わって、ナウシカを俯瞰(ふかん)的、客観的に描くようになった。その変化が僕にとってはむちゃくちゃ面白かった」「庵野(秀明監督)が映画化したがったのも7巻」と話す。 やや乱暴な読み方だが、「漫画のナウシカを最初から読もうとしたが、途中で挫折してしまった」という方は、思い切って途中を飛ばし、まずは第7巻から読んでみてはいかがだろうか。 拡大する漫画『風の谷のナウシカ』第7巻書影 ナウシカとオーマ、そしてシュワの墓所の主が紡ぎ出す圧倒的なクライマックスに触れることで、物語全体への関心が高まり、第1巻からじっくりと読み直したくなることは、請け合いだ。 『ナウシカ』レベルの傑作になると、「ネタバレ」によって物語の楽しさが損なわれることはない。むしろ、物語の全体像や結末をある程度頭に入れてから作品に臨んだ方が、一つ一つの場面やセリフに込められた意味がより深く理解できるようになるはずだ。 「巣ごもり」の時間を活用してぜひ、漫画『風の谷のナウシカ』を味わい尽くしていただきたい。(太田啓之) 【連載】コロナ下で読み解く 風の谷のナウシカ(全8回) 宮崎駿監督の傑作漫画「風の谷のナウシカ」は、マスクをしないと生きられない世界が舞台です。コロナ禍のいま、ナウシカから生きる知恵を引き出せないかと、6人の論者にインタビューしました。スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサー、民俗学者の赤坂憲雄さん、生物学者の福岡伸一さん、社会学者の大澤真幸さん、映像研究家の叶精二さん、漫画家の竹宮惠子さんの6人が、それぞれの「ナウシカ論」を語り尽くします。 ■『風の谷のナウシカ』の世界を理解するためのキーワード集■ ■腐海(ふかい)と王蟲(オ… 2種類の会員記事が月300本まで読めるお得なシンプルコースはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
元慰安婦へ「誠実な謝罪を」 日韓研究者らが政府に訴え
日韓関係や戦後補償問題に取り組む研究者や弁護士ら8人が「慰安婦問題の解決に向けて」と題する論文を24日発表し、元慰安婦らへの「心に届く誠実な謝罪」が必要だと日本政府に訴えた。和田春樹・東京大名誉教授や田中宏・一橋大名誉教授らが国会内で記者会見した。 ソウル中央地裁が1月、韓国人元慰安婦らへの賠償を日本政府に命じた判決については「人権優先の国際法の最近の考え方を反映した判決」と評価しつつ、「判決でただちに歴史の問題が解決できるとは考えません」と留保をつけた。 慰安婦問題をめぐる2015年の日韓政府合意で示された安倍晋三首相(当時)の「おわびと反省の気持ち」を文書にして菅義偉首相が署名し、日本政府を代表して駐韓日本大使が元慰安婦に届けるよう提案。慰安婦問題を記憶し続ける証しとしての研究所設立のため、日韓両国政府が協議することを求めた。(編集委員・北野隆一) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
大阪の時短要請4月21日まで延長へ 府全域で調整
大阪府の吉村洋文知事は25日、大阪市内の飲食店に求めている午後9時までの営業時間の短縮要請を4月21日まで延ばす方針を示した。対象地域は4月1日から府内全域に広げることで調整している。今月26日の対策本部会議で決める。 新型コロナウイルスの新規感染者は再び増え始めている。24日は2月5日以来の200人超となる262人だった。吉村知事は記者団に「(感染者が)上がり基調での200人。大阪市内の措置を緩和できる状況じゃない」と話し、時短要請を3週間延長する考えを示した。府内全域に要請を広げる可能性については「十分ある」と述べた。 1日あたり4万円を支給する協力金についても、国の財政負担が継続されるとして、続ける考えを示した。 大阪市の松井一郎市長も「府域全体で抑えるというのが吉村知事の考えじゃないか。(府全域の要請に)賛同する」と話した。(久保田侑暉) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
笑福亭鶴瓶さんが聖火ランナー辞退 スケジュールの都合
兵庫県は25日、東京五輪・パラリンピックの聖火リレーのランナーに決まっていた笑福亭鶴瓶さん(69)がランナーを辞退したと発表した。「スケジュールの都合が合わないため」としている。 鶴瓶さんは兵庫県西宮市在住で、5月24日に同市内を走る聖火ランナーを務める予定だった。鶴瓶さんのマネジャーは取材に対し、「本人は残念で、申し訳ないなという気持ちをもっています」と話した。 県は、鶴瓶さんに代わる聖火ランナーとして、元プロボクサーの石崎義人さん(39)=兵庫県明石市=を選んだと発表した。石崎さんは取材に「聖火ランナーとしてスポーツの良さを伝えたい」と語った。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
1964年の聖火ランナー、竹筒と砂で練習「晴れ舞台」
1964年の東京五輪で使われた聖火リレーのトーチや走者のユニホームが、愛知県豊田市役所の2階ロビーで展示されている。57年前に聖火ランナーを務めた建築設計事務所経営、小林良一さん(76)=豊田市神池町=が所有し続けていた。今回の東京五輪の聖火リレーは1年延期され、25日に始まる。小林さんは「しっかり走ってほしい」と、エールを送る。 今回は豊田市内でも4月6日に聖火リレーがあり、豊田スタジアムの西イベント広場で到着式典がある。市が聖火リレーに合わせ、小林さんからトーチなどを借りた。豊田市での聖火リレーが終わった後もしばらく展示を続ける。 小林さんは旧・一色町(現・西尾市)出身で、中学・高校では陸上部員だった。専門は1500メートルや駅伝。当時の幡豆郡の代表として、64年10月3日、岡崎市内の国道1号の1・1キロを、トーチを持って走った。 1カ月ほど前から、トーチに見立てた竹筒に1・5キロの砂を入れて持ち、毎夜、自宅周辺を走った。スタート前、聖火の煙で前が見えなかったことや、右手で持ったトーチが重かったことぐらいしか本番のことは覚えていなかった。後から写真を見ると、沿道の屋根や塀に上って見ている人が多く、「すごい盛り上がりだったんだ」と気づいたという。 今回の豊田市内の聖火リレーは、沿道にある知り合いの事務所で見学することを考えている。小林さんは「私にとっては晴れ舞台だった。今回の走者も、真剣に走ってほしい」と話している。(小山裕一) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル