1971年に朝日新聞で44回にわたって掲載された連載「男と女」では、さまざまな分野で男女間の格差がどう生じているかを探った。最後に取り上げたテーマは「二つの性の歴史」。フランス文学者の多田道太郎さんや評論家の樋口恵子さんら、男女5人の識者が討論した様子を3回にわけて掲載した。 「原始時代に対等な人格だった男と女の関係は、鉄器時代を境にその差がひろがり、中世を経て近代の産業社会のなかで決定的な従属関係となったのではないかということが話合われた」。推測や願望が交じり、知識人の雑談という色合いが濃いものだった。 研究対象にも、研究者にもなれず 日本でジェンダーの観点からの歴史研究が本格的になったのは90年代からだ、と千葉県佐倉市の国立歴史民俗博物館(歴博)の横山百合子教授(65)は指摘する。「それまでは女性が歴史を研究することも、女性を研究対象にすることも評価されなかった。歴史学自体が長く『女性は政治で重要な役割を果たしていなかった』という偏見に影響されてきた」 昨年10月から歴博が開いた企… 2種類の会員記事が月300本まで読めるお得なシンプルコースはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
紀州徳川家の殿様料理 400年経て元証券マンらが再現
紀州徳川家の殿様献上料理が400年の歳月を経て再現された。お造りや酢の物、お吸い物など驚くほど現代の和食と共通点が多く、当時の食文化の豊かさが感じられる。3月から和歌山市の料亭のメニューに加わった料理の再現には、郷里で店や地域を守る3人の半生が込められていた。 拡大する紀伊徳川家の菩提(ぼだい)寺である長保寺を訪れ、初代藩主が400年前に食べただろう料理をおそなえする西廣真治さん 和歌山から南に七つ目の、小さな駅から30分ほど歩くと、創建1千年を超える長保寺がある。国宝の本堂や多宝塔、大門がある寺域の裏山には1万坪もの墓地が広がる。うっそうとした木々に囲まれたそこは、紀伊徳川家の歴代藩主と奥方の霊がまつられている。初代藩主頼宣は山に囲まれた要害堅固のこの地を菩提(ぼだい)寺に定めた。いざというときの陣地にするつもりだったらしい。 和歌山市の料亭「ちひろ」の西廣真治社長(50)は3月5日、大きな岡持ちを持った料理長を連れて寺を参拝した。瑞樹正哲(たまきせいてつ)住職(66)が出迎えた。「ふだんはめったに通さないのですが」。住職が案内したのは藩祖の位牌(いはい)をまつる「御霊殿」だった。 西廣さんはこの日、頼宣が伊勢に鷹(たか)狩りに行った際に食べた献上料理を再現して持参した。料理長が岡持ちから取り出し、霊前にお供えする。タイやマグロの刺し身、ヒラメにキクラゲの膾(なます)、蒸したマダイ、焼いたホタテなど10皿。それにお吸い物とタコのご飯がつく。400年前の献立だが、洗練された盛りつけといい、上品な味つけといい、現代の高級和食と寸分違わない。 拡大する刺し身や貝の焼きもの、タイを蒸したものなど今の日本の和食と驚くほど似ている。これにご飯とお吸い物がつく。400年前に藩主に供された料理の全体の5分の1程度にすぎないというが、55歳の記者はこれでも満腹になる だが「いえ、いえ」と料理長は言う。「どれもこれも、ふだん店で出す料理の2倍の手数がかかります」。魚も野菜も塩も土地の品を使い、しょうゆが普及する以前に広く使われていたという「いり酒」(梅干しを日本酒で煮だしたもの)も調味料として使った。西廣さんがあえてそんな手間がかかる料理を出すことにしたのは、コロナ禍で沈む観光地や飲食街に「少しでも話題を」と思ったからだった。そして店で本格的に売り出す前に藩祖の仏前に献納したのだった。 いまは、こうして和歌山の活性化に情熱を傾ける西廣さんだが、店を継いだ当初は「和歌山を逃げ出したくてたまらなかった」と言う。 ■「どうせ、坊ちゃんに料理… 2種類の会員記事が月300本まで読めるお得なシンプルコースはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「大川小遺族」とくくらないで 26歳、報道への違和感
永沼悠斗さん(26)は、自らの母校で、東日本大震災で84人の児童・教員が犠牲・行方不明になった石巻市の大川小や生まれ育った地域について、語り部活動をしている。何度も取材を受ける中で、疑問に感じてきた。メディアはどうしていつも「大川小の」「遺族の」永沼くんと、とりあげるのだろうか――。 野球部主将なのに、野球のことは聞かれなかった 違和感は高校生の時にさかのぼる。野球部の主将としてインタビューされた。チームや試合のことを話したかったのに、野球のことはほぼ聞かれなかった。大川小の卒業生であること、同校に通う弟を津波で亡くしたことを聞かれ、そればかりを書かれた。 野球の時、大川小や弟のことは頭にない。チームをどうよくし、どう勝つかだけを考えているのに。「何かを成し遂げる背景には、家族を亡くした経験があるという方が描きやすいんでしょう」 2016年、大川小の校舎の保存を巡る公聴会で発言したのをきっかけに、継続的に取材を受けるようになった。震災の伝承活動に携わる中でも、多くの記者に会った。 被災地の記事は「V字回復」の… 2種類の会員記事が月300本まで読めるお得なシンプルコースはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
売上激減「だからこそ」生まれたカヌレ 婚礼会社の活路
新型コロナウイルスで打撃を受けた名古屋のブライダル会社がピンチを打開しようと焼き菓子・カヌレの路上販売を始めたところ人気を呼び、実店舗を構え、販売網を全国に広げている。社長は「1年前には想像もしていなかった展開」と社員の奮闘をたたえる。 名古屋屈指のにぎわいを見せる大須商店街の一角。テイクアウト専門の「カヌレとアイス」には、平日でも看板商品の「至福のカヌレ」(1個380円)を求める人たちが次々に吸い込まれていく。3個購入した愛知県碧南市の主婦(40)は「カリッともちもち。今までで一番おいしい」。6個を手にした名古屋市の女性(65)は「はやっていると聞き、食べてみたくて」と笑顔を見せた。 この店は、結婚式場などを展開する「ブライド・トゥー・ビー」(名古屋市、社員約60人)が昨年12月に開店した。伊藤誠英社長(45)によると、「コロナがなければ誕生することはなかった店」だという。 続く自宅待機「何かしたい!」 新型コロナの感染が拡大する前、同社の売り上げは「過去最高を更新する勢い」で推移していた。しかし、1度目の緊急事態宣言が出た昨年4~5月は式の延期やキャンセルが続出。売り上げは99%減った。多くの社員の仕事がなくなり、一時は自宅待機も余儀なくされた。 「何かやらなけ… 2種類の会員記事が月300本まで読めるお得なシンプルコースはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
在日コリアンのジャグラーが考えた「境界」の飛び越え方
海外でも高い評価を得ているジャグリングパフォーマーのちゃんへん.さん(35)は、全国の学校などを回り、年間200超の公演を続けています。公演の後には、在日コリアン3世として過ごした子ども時代や、芸で道を切りひらき世界82カ国・地域を回った経験を語ります。今回のインタビューで、彼が度々口にしたのは「境界」というキーワードでした。(宮崎亮) ちゃんへん. 1985年、京都府宇治市生まれ。本名は金昌幸(キム・チャンヘン)。2002年、「大道芸ワールドカップ」に最年少の17歳で出場し人気投票1位。主に海外で公演。09年から現在の芸名に変え、日本を拠点に。10年、豪州「第50回ムーンバフェスティバル」で最優秀パフォーマー賞。昨年、自伝「ぼくは挑戦人」を出版。 拡大するディアボロを披露する。「ジャグリングによって自分の限界値を知ることができる。技術を積み重ねるだけでなく、自分自身を掘り下げているような感覚です」=大阪市北区、金居達朗撮影 ――京都で在日3世として生まれ、公立小学校に進みます。 父方の祖父は戦時中、14歳で釜山から日本に渡り、済州島出身の祖母と結婚しました。幼い頃は外国人という意識もなく、家では日本語とウリマル(韓国・朝鮮語)を交ぜて話した。でも入学式で先生らに「アンニョンハシムニカ!」と言うと「え?」って。そして受付で母が「岡本昌幸」と言った時、初めてもう一つの名があると知りました。 いじめなんかせえへん ――小3から壮絶ないじめを受けたそうですね。 給食で出たピビンバについて語ったことがきっかけです。最初は無視され、その後は教科書に「ちょうせん人死ね!」と書かれたり。小4では上級生に毎日殴られた。ある時、校舎4階から石を詰めたバケツを体の近くに落とされました。教師の知るところとなり、全員が校長室に呼ばれました。 祇園でクラブを営む母が到着し、校長に説明を受けるとこう言いました。「ところでさ、いじめって何でやったらあかんの?」。戸惑う校長に母はこう続けました。「いじめがなくならへんのは、この学校でいじめよりおもろいもんがないからや」 そして母は帰り際、「素敵な夢持ってる子はな、いじめなんかせえへんのや!」と言いました。上級生への言葉でしたが、すごく僕の心に刺さりました。 母は、直接彼らを責めなかった。そして帰り道、僕に「あの子らを恨んじゃだめ」。ひどい言葉を投げかけられてもそのまま受け取らず、裏にある意味を考えろと言いました。 実際、いじめっ子の一人は親から虐待されていて、中学卒業後に自殺しました。いま思えば僕に「朝鮮人め」と言っていたその言葉は「俺、家で苦しいんだ」という気持ちの表れだったのかもしれません。 拡大する生後間もないちゃんへん.さんと母の昌枝さん=1985年、京都府宇治市 ――ジャグリングとの出会いは。 中学2年の時、たまたま専門店で世界王者の映像を見たんです。それまで得意だったヨーヨーの大会は、決められたルールの中で高得点を競うものでしたが、それよりもっと自由で魅力的に見えた。自分の好きな技で人を楽しませたいなと思って。母が買ってくれたディアボロを、毎日8~10時間練習しました。その頃まだ下を向きがちな性格だったんですけど、できない技に挑んで一つずつクリアするうち、小さい頃の明るさを取り戻しました。 コロコロのおっちゃん ――ジャグリングの前にまずヨーヨーに出会ったんですね。 小6から、当時ブームだった「ハイパーヨーヨー」に熱中し、地元の大会で優勝したりしていました。きっかけは「月刊コロコロコミック」の懸賞でヨーヨーを当てたことです。 「コロコロ」と言うと思い出す人がいます。団地の公園でいじめられていた小4の時、「やめてください」と言って助けてくれた気の弱そうなおっちゃん。昼間いつもそこで小学生と遊んでいて、近所の人や教師は不審者扱いしていた。 でも僕はそこから毎日一緒に過ごしました。いつもコロコロを読ませてくれて、ミニ四駆で遊ぶ。ヨーヨーにはまり公園から遠ざかった時も「好きなことを見つけてよかった。まさくんならミニ四駆もうまいからきっと上手になる」と。 その後おっちゃんは自殺しました。近所のうわさで、母親の介護に疲れていたようだと知りました。昼間なのに団地のそばから離れなかった理由が初めてわかりました。 ――学校の先生は「おっちゃん」とは違った。 僕がテストで良い点を取ったら「カンニングしてへんやろな」とか。その一言でやる気を無くした。ジャグリングについても「遊んでないで勉強しろ」。中3の担任だけが「ジャグリングすごいな。勉強の方もがんばりや」と言ってくれた。子どもに必要なのはたくさんの体験と、ほめられる経験だと思うんです。 国籍と夢と ――中3の時に米国のパフォーマンスコンテストで優勝します。 米国の大会に出たいと母に相談すると、椅子に座らされて聞かれました。「私たち、何人?」。僕が「朝鮮人」と答えると「北朝鮮の人間なのか、韓国の人間なのか、どっちや」。僕は「うーん、どっちでもないかな」。こう言うと母は目に涙を浮かべて「あんたよくわかってんな」。 そのまま祖父母宅に連れて行か… 2種類の会員記事が月300本まで読めるお得なシンプルコースはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
原発と隣り合う集落 高台移転でさらに近く
10年がたった復興への歩み。東日本大震災の被災地を写真で伝えます。 拡大する山林を切り開いて高台に造られた塚浜の移転地(中央)。後方は東北電力女川原発=2021年2月27日午後、宮城県女川町、朝日新聞社ヘリから、福留庸友撮影 東北電力女川原発が立地する宮城県女川町。塚浜の集落は、わずかな山林を隔てて原発と隣り合い、海に面する。55世帯169人が住んでいたが、震災で津波に襲われた。 拡大する山林を切り開いて高台に造られた塚浜の移転地(中央)。後方は東北電力女川原発=2021年2月27日午後、宮城県女川町、朝日新聞社ヘリから、福留庸友撮影 高台に移り、集落の住民は約4分の1に減った。「残ったのは漁師で後継者がいる人。いない人は買い物も病院も近い便利な町場へ引っ越した。車がないとここの暮らしはできない」と区長の木村尚さん(67)は話す。 新たな宅地は山林を切り開いて造られたため、原発まではより近くなった。木村さんは「怖くはない。気にしてたら、ここにはいられないでしょ」。(福留庸友) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
知床「天に続く道」 太陽まで行けそうな年2回の絶景
世界自然遺産・知床のある北海道斜里町に「天に続く道」と呼ばれる道路がある。東から西へ約28キロもほぼ一直線に延び、起点から眺めると、空へ駆け上がっていく道のよう。春分と秋分のころには、その先に夕日が沈む。まるで「太陽に続く道」だ。 この道は、知床半島の付け根にある海別(うなべつ)岳(標高1419メートル)の裾野が起点。オホーツク海に近い平坦(へいたん)な大地を、国道334号や同244号などを経て小清水町に至る。航空会社の機内誌への掲載や、SNSへの投稿などで広く知られるようになった。 春分や秋分の日の太陽は真東から昇り、真西に沈む。「天に続く道」は地図で見ると、定規で引いたような直線。ぴったり東西に延びていたのなら、春分と秋分の日に、その延長線上に夕日が沈むことになるが、スマートフォンのアプリで起点から終点の方角を測ると、真西(270度)からわずかに3~4度ほど南に傾いている。 このため、道路の延長線上に夕… 2種類の会員記事が月300本まで読めるお得なシンプルコースはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
コロナ禍で晴れの日 立命館大 近大で卒業式
大阪府内の大学が卒業式シーズンを迎えている。立命館大学大阪いばらきキャンパス(茨木市)では20日、3学部と5研究科の卒業生計約1600人が午前と午後の2回に分かれ、式典に出席。昨年は見送った対面式で門出を祝った。 新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、構内のあちこちに職員が立ち、「『みつ』をさ・け・よ・う」「キーーーープ ディスタンス!」などと書かれたボードを掲げた。壁一面が花で埋め尽くされた「フラワーウォール」の前では、少人数でマスクを着けたまま記念撮影をする卒業生の姿があった。 4月から東京の会社で働く経営学部4年の久保優羽さん(22)は「コロナ禍で就職活動を頑張り、目標を達成できた。つらいばかりじゃなかった」と話した。 この日は近畿大(東大阪市)でも式典があり、オンラインでライブ配信された。当日まで秘密だったゲストには、楽天の三木谷浩史社長が登場。「開拓心を持って、世界に羽ばたいてほしい」と事前収録の動画でメッセージを寄せた。 府内では19日に関西大(吹田市)が対面で式典を実施。大阪大(同)、府立大(堺市中区)、大阪市立大(大阪市住吉区)も24日に行う。いずれの大学も出席者を卒業生に限るなど、感染防止策をとっている。(花房吾早子) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
桜名所・上野公園「せめて写真で花見気分」 宣言解除前
新型コロナウイルス対応で4都県に出ている緊急事態宣言の解除を目前に控えた週末の20日、桜の名所として知られる東京都立上野恩賜(おんし)公園(台東区)では、園内の通りを歩きながら写真を撮る人の姿が見られた。 公園管理所によると、今年は感染防止のため、催しや縁日のほか、夜桜のライトアップは行わないという。また、ブルーシートを敷けないよう桜の木の周辺をネットで囲み、園内の大通りも片側一方通行に規制している。 家族4人で訪れていた東京都の中村隆史さん(47)は「例年に比べて観光客も少ない気がする。花見ができない分、せめて写真で気分だけでも味わおうかと思います」と話した。 園内にはソメイヨシノを中心に約800本の桜が植えられているが、多くは3~4分咲きで、25日ごろが見頃だという。(増山祐史) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
ヤングケアラーの存在を知って 若者の経験、語り合った
家族の介護や家事を担い、そのことを周囲にも話しづらい若いケアラーの存在に気づき、声を聞いてほしい――。朝日新聞は13日にオンライン記者サロン「ヤングケアラーが語るリアル」を開催しました。10代から母を介護しながら、若いケアラーが語り合うコミュニティーを運営する宮﨑成悟さん(31)と、大学生から母を介護した畑山敦子記者(36)が、190人の参加者からの質問にも答えながら若いケアラーの実情や悩みを語り合いました。 有料会員の方は、記事の最後で当日の動画をご覧いただけます イベントは、記者サロンの参加者から寄せられた声や、宮﨑さんが運営するオンラインコミュニティー「Yancle community(ヤンクル コミュニティー)」で聞いてきた話を紹介しながら、若いケアラーの孤立や、やりたいことをあきらめざるをえない場合もある現実、働く上での課題などを話し合った。 宮﨑さんは大学時代、周囲に母を介護していることを隠し、「アルバイトで忙しい」と説明していた。「なかなか言いづらかった。言ったところで理解されないし、気を使われて誘われなくなるのもさみしいし。孤独だった」 宮﨑成悟さん 16歳から難病の母を介護するようになり、大学進学の一時断念や介護離職を経験。若いケアラーが悩みを語り合うオンラインコミュニティーを昨年から運営し、若いケアラーの就職・転職支援の経験もある。 畑山記者も大学3年の時に母が若年認知症と診断され、当時高校2年の弟と介護してきたが、学生時代も就職後の数年間も、介護していることを周囲に言わず、不安を話せる相手もいなかった。 畑山敦子記者 文化くらし報道部。若年認知症の母を弟と協力して8年介護。 宮﨑さんは「介護の問題を周囲に相談したところで、自分の時間を得られるわけでもない。何も解決しないと思ってしまう」と、相談するメリットを感じづらい現状を語った。 ヤングケアラーと気づき「うれしかった」 進学だけでなく、親が働けなくなって子どもがアルバイトで家計を支えたり、介護との両立に悩んで精神的に不安定になったりする人もいる。 宮﨑さんは「家族のケアは高齢者介護のイメージが強いと思うが、それだけではなく、脳血管疾患の後遺症、精神疾患、事故の後遺症、難病もある。いつ誰がなってもおかしくないと感じている」と指摘した。 家族の介護を担う子ども自身が、自分をケアラーだと気づいていない場合も多い。宮﨑さんは20代になって自身がヤングケアラーだったと初めて気づいた時、「うれしかった」という。 「これまで介護のために就職などに影響が出てマイナスだと思っていたことが、同じように介護している仲間がいることで、これでいいんだ、と初めて自分を肯定できました」 また「中高生や大学生で介護している人は、自分がヤングケアラーだと思わず、『手伝っている』という感覚だと思う。ヤングケアラーという名前がつくことで、大変な状況の時にアラート(警報)を出しやすくなる」とも語った。 この宮﨑さんの言葉には、参加… 2種類の会員記事が月300本まで読めるお得なシンプルコースはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル