地方から上京した新入生も、学生生活最後の4年生も、多くの大学生はこの1年間、思い描いたキャンパス生活を送れなかった。勉強やサークル活動、旅行に友だちづくり――。新型コロナウイルスのせいだ。 東京都内の私立大1年生の男性(19)が住むのは、学生寮の4畳半ほどの個室だ。勉強机とベッド、タンスだけの部屋で、1日4時間ほどノートパソコンと向き合ってオンラインの授業を受ける。「たくさんの人と出会えるのが大学だと思っていたのに……。本当に寂しい1年でした」 東海地方の出身。友人をたくさんつくり、切磋琢磨(せっさたくま)しながら将来の夢を見つけたいと、希望を抱きながら昨春上京した。 しかしそのころから、新型コロナウイルスの感染が広がった。楽しみにしていた入学式は中止に。以来、授業は原則オンラインだ。 経済学や国際関係論を学ぶが、周りに人がいないオンライン授業には、どうしても力が入らない。画面に顔を出さなくてもいい授業では、スマートフォンでスポーツの動画をみて時間をつぶすようになった。画面越しの期末試験では、手元に参考書を隠して臨んだこともある。「まじめだった高校時代に比べ、腐った」。そんな自己嫌悪に陥る。 対面授業は昨秋にあったグループ学習の1回だけ。この1年でキャンパスの門をくぐったのは、教科書の購入と健康診断を含め、3回程度だという。友人と学食で食事し、雑談する自分をイメージしていたが、一度もかなわなかった。 文部科学省によると、昨年10月時点で対面授業の比率が5割に届かなかった大学は、全国で187校にのぼる。オンライン授業は学生の学習意欲やメンタルケアに課題があると指摘され、小中高の多くは対面授業を軸にする。それでも、多くの学生を抱える大学は感染拡大を防ぐためとして、オンラインを中心にする学校が多い。 男性が通う大学では、新たな1年もオンライン授業が続く見通しだ。寮には部活動の同期が十数人おり、顔を合わせる機会が多いとはいえ、思い描いた姿とは程遠い。「普通の学生生活をおくれる、そんな日々が待ち遠しいです」と話す。 消化不良のまま、学生最後の年… 2種類の会員記事が月300本まで読めるお得なシンプルコースはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
毎週水を入れ替え、全滅したホタル 小6が気付いた理由
4年間にわたりホタルを飼育して、気付いたことや検証をまとめた北九州市立横代小学校(小倉南区)6年の岩丸佳司さん(11)の自由研究が今年度の「全国小学生『未来』をつくるコンクール」(ベネッセ教育総合研究所主催)の環境部門で最優秀の文部科学大臣賞を受賞した。岩丸さんが4年間で見つけたこととは――。 岩丸さんがホタルを育て始めたのは小学3年生の時、家族で「市ほたる館」(小倉北区)を訪ねたのがきっかけだ。幼い頃から虫を育てることが好きだった岩丸さん。ほたる館には、職員のアドバイスを受けながら、施設内でゲンジボタルの幼虫を育てる「マイボタル制度」があり、興味を持った。 さっそく、100匹の幼虫を施設内の水槽で飼い始めた。毎週末、水替えに訪れて世話に精を出した。「なぜ川が汚いとホタルは生きられないのか」など、飼育する中での疑問点や、羽化を前にして死んだ個体から命の大切さを感じたことなどをまとめ、夏休みの自由研究として提出した。 その後の秋ごろ、川に戻した一部を除き、残る幼虫も羽化せずにすべて死滅した。一方で他の人の水槽のホタルは生き残っていた。「どうして?」。施設にお願いして、長生きさせている人たちから直接話を聞いた。 すると、ほかの水槽は数週間に1度や月1回程度しか水を替えていなかった。「頻繁に水を替えたからいけないのでは」「水道水ではなく、生まれた川の水なら長生きするのでは」。仮説を立て、翌春には、計300匹を大きさや水質など環境の違う複数の水槽で育てて比較し、4年生の夏の自由研究としてまとめた。 そして昨年度。施設ではなく、自宅で幼虫を育てることにした。マイボタル制度では、ほたる館の職員が巻き貝の「カワニナ」をエサとして日々与えてくれるが、自宅では自身でエサも調達する必要がある。 カワニナの生態を調べ、自宅でカワニナも育て始めた。ホタルの幼虫の成長とカワニナの大きさを合わせる必要があり、大変だった。その経験から、イカやボウフラなどカワニナ以外のものは食べるかどうかまで研究を広げた。 4年間飼育を続けた中で、わかったことがある。水質やエサなど、ホタルが生きるためにはその生育環境のすべてを再現する必要があるということだ。カワニナが育たない川ではホタルも育たない。人工的に違うエサをあげても、小さく育ったり大きくなりすぎたりで、生態系のバランスを壊すだけだ。 「ホタルを絶やさないようにと増やすことを考えて飼育を始めたけど、生育環境を守ることが一番大事だと気づいた」と岩丸さん。 中学受験のための勉強もあったが、新型コロナによる休校期間を利用して、これまでの研究をまとめた。集大成としてコンクールに提出した。すると「身近なものを出発点に、自分ごととして課題意識を持ち、仮説をしっかりと立てて研究の形にまとめている」などと評価され、環境部門の応募721件の中でトップに選ばれた。 4年間続けられたのは「毎日えさをあげるのは大変だけど、でもかわいい」というホタルの魅力ゆえ。ホタル研究にはいったん区切りをつけるが、中学校では環境を守るための活動に取り組む予定という。(城真弓) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
全ての列車が通過する県境の秘境駅 111年で廃止に
全ての列車が通過する「秘境駅」として知られるJR奥羽線の赤岩駅(福島市)が13日のダイヤ改定で廃止された。かつては山間部の集落の玄関口だったが、周辺の過疎化によって111年の歴史に幕を閉じる。 赤岩駅を見に向かった。JR福島駅から西へ車で50分。対向車とすれ違えないほど狭い、山形県との県境の山道を進むと、小さな集落に着く。その先は車を降りて、林道を約20分歩く。川沿いに山形新幹線も走る線路が見え、脇にはJR東日本の変電設備がある。林道の先に赤岩駅があるが、立ち入り禁止のロープが張られ、ホームなどを見ることはできない。 JR東日本などによると、駅は1910年10月に開業。終戦直後に山林を開拓した大平(おおだいら)集落の近くにあり、住民らが収穫したコメや牧場で搾った牛乳を福島市の中心部まで列車で運んでいたという。近くの別の集落に住む油井定信さん(77)は「子どものころは大平集落には何百人も住み、電車で中学や勤め先に通っていた」と話す。 赤岩駅と連続する三つの駅は急勾配の難所にあり、山形新幹線の開業を控えた90年までは山肌を縫うように敷かれた線路を列車が前進と後進を繰り返して上っていく「スイッチバック」をしていた。特に4駅連続のスイッチバックは珍しく、鉄道ファンに人気だったという。 しかし、時代とともに大平集落… 2種類の会員記事が月300本まで読めるお得なシンプルコースはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
母と弟の遺体、突然掘り返された 怒った父の「遺言」
第2次世界大戦末期、米軍によって大阪中心部が焼き尽くされた第1次大阪大空襲から13日で76年。当時の大阪府警察局の報告書によると、3987人が死亡し678人が行方不明になった。だが、国は追跡調査をせず、どこでだれが亡くなったのか今も不明確だ。かけがえのない人の生と死に迫り、記録に残してきたのは遺族らの奮闘だった。(武田肇) 空襲1945 戦火の記憶 日本が焦土と化した空襲のビジュアル特集です。米軍の無差別爆撃が最も激しくなった1945年を中心に、戦中・戦後の写真群からよみがえる惨禍の記憶を伝えます。 炎の街、母・祖父とはぐれ 「今年も来ましたよ」 大阪府豊中市の近藤豊子さん(88)は13日、大阪市中央区の大阪国際平和センター(ピースおおさか)の中庭に立ち、大阪大空襲の犠牲者を悼むモニュメントの銘板に記された母芳江さんと祖父徳太郎さんの名前をそっとなで、涙を流した。「お骨もなければ、どこで死んだかもわからない。ここがお墓だと思っています」 グアムなどから飛来したB29爆撃機274機が焼夷(しょうい)弾を大阪に投下した3月13日深夜。国民学校6年だった近藤さんは西区北堀江の自宅で祖父母と両親、きょうだいの計9人で眠りについていた。翌日は卒業式の予定だった。 母に水でぬらした防空ずきんを… 2種類の会員記事が月300本まで読めるお得なシンプルコースはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
地元に親しまれていなかった #コロナを生きる言葉集
地元に親しまれていなかった(あぶらとり紙の「よーじや」代表) #コロナを生きる言葉集 國枝昂(こう)さん(31)が勤め先の監査法人を辞し、あぶらとり紙で知られる「よーじや」グループの5代目社長に就いたのは昨年4月。最初の「緊急事態宣言」下だった。家業を継ぐのは先のはずが、先代の父の病気もあり、「やるしかない」と、腹をくくった。 看板商品のあぶらとり紙が生まれたのは1920年代だ。初代が出入りしていた映画撮影所で、照明を浴びる役者がドーランを塗った肌の「あぶら浮き」に悩んでいた。目をつけたのは、びょうぶなどに使う金ぱくの裏打ち紙。化粧を落とさず余分な皮脂を吸い取れると、花街の女性らが愛用していたものだ。これを手のひらサイズにして売り出すと評判に。手鏡に女性が映り込むマークも浸透し、代表的な京都土産のひとつに育った。 だが観光客頼みの分、コロナ禍が直撃した。清水寺や嵐山、金閣寺、祇園。観光地中心の店舗展開も裏目に出た。 「遠方の人ほど、旅の思い出とともに買ってくれていた」と國枝さんは言う。 それでも2度目の宣言で自宅待機のなか、以前は交流がなかった、地元の各店舗のスタッフたちがオンラインで商品アイデアを出し合うように。昨年11月には地元の若者をターゲットに、テイクアウト限定のクレープ専門店を開くなど新たな挑戦も始めた。 「よーじやとはこんなもの、という常識を取っ払う」。京都でもようやく緊急事態宣言が解かれたなか、観光に依存しない道を探ろうと、もがいている。(佐藤秀男) ◇ 誰もが経験したことのない日々が続いています。様々な立場、場面の言葉を集めます。明日に向かうための「#コロナを生きる言葉集」。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
今から世界一も夢じゃない? 日本はバックギャモン強豪
熱を帯びる囲碁将棋界の裏で、ボードゲーム「バックギャモン」の日本勢が世界を席巻している。今年インターネット上で開かれた国別団体戦で日本は優勝。個人プレーヤーの世界ランキングも上位10人のうち3人が日本人だ。愛好家たちは「コロナ禍でオンライン対戦が増える中、在宅ワークしながら世界の頂点に立つことも夢じゃない」と入門者を歓迎する。 日本チームは1月に欧米など33カ国が競う「オンライン・チーム・チャンピオンシップ2020」で8年ぶり2度目の優勝を飾った。メンバーは池谷直紀さん、市川勝規さん、西川清一さん、名城健太郎さん、上田英明さんの、10~40代の5人。学生、会社員など職業は様々だ。9月から約2週間に1度のペースで、各自がパソコンで一対一のネット対戦に臨み、全55試合でデンマーク、モルドバ、ペルー、トルコ、ジョージア、チェコ、ギリシャ、ブルガリア、ドイツ、ノルウェーを破った。 拡大するバックギャモンボード。2012年の日本選手権。下平憲治さんと矢澤亜希子さんの決勝戦。協会立ち上げ時に「串処最上」から100台提供を受けたうちの1台。 バックギャモンはすごろくの一種。起源は古代メソポタミア文明やローマ帝国にさかのぼるとも言われる。2個のサイコロを振って15個のコマを動かし、相手より先に全てのコマをゴールさせた方が勝つ。チェス、トランプ、ドミノと並ぶ「世界4大ゲーム」で、現在のスタイルは1960~70年代のアメリカで形成された。日本では80年代前半、ボードゲームの発売でブームになった。 愛好家で組織する団体「日本バックギャモン協会」によれば、世界の競技人口は欧米を中心に約3億人なのに対して、日本は推定20万人。にもかかわらず、世界ランキングは、1位望月正行さん、2位景山充人さん、6位矢澤亜希子さんと、トップ10のうち3人を日本人が占める。3人とも、レッスンや試合の報酬などで生計を立てるプロのプレーヤーだ。この3人を含まない5人が今回、日本チームとして優勝したことで、世界にますます「層の厚さ」を見せつけることになった。同協会は3月から一般財団法人となり、プロリーグのスタートも予定している。 囲碁将棋界にも猛者は多く、2019年に国内タイトル「バックギャモン王位」を獲得したのは、将棋の森内俊之九段だ。 森内九段はバックギャモンの魅力を「計算の大切さと、未来の不確実性が併存しているところ」と語る。将棋の経験が生きるのは「論理性を軸に戦うところと、勝負の呼吸」。逆に、バックギャモンの考え方が将棋に生きるのは「タイミングについての考え方」だという。森内九段のユーチューブ「森内チャンネル」では、バックギャモンのルールが初心者にもわかりやすく解説されている。 40代、将棋アマ3段 転機は6年前 拡大するバックギャモン日本チーム主将の池谷直紀さん 主将の池谷直紀さん(47)は将棋アマチュア3段だが、「将棋では早い段階から自分の限界を感じていた」という。 だが6年前、転機が訪れた。息… 2種類の会員記事が月300本まで読めるお得なシンプルコースはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
卒論で研究した「売れ方」 早大生のタレント藤江萌さん
藤江萌さん(22)は今年地上波ドラマに初めて出演し、勢いに乗る俳優・タレントだ。早稲田大学商学部を今春卒業予定。卒論のテーマはタレントマネジメントで、「売れ方」について考えたという。 大学ではマーケティングのゼミに所属。卒論では、実際の俳優たちの例などをもとに、「女優の売れ方」を分析した。売れるため、最終的に至った結論は、①SNSなどでの自己プロデュース②バラエティーなど何でも挑戦③インプットとアウトプットの徹底――という。 出身は大阪。タレント発掘コン… 2種類の会員記事が月300本まで読めるお得なシンプルコースはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
いつか朝ドラのヒロインに AKB48・小栗有以さん
(AKB48グループ 世の中って…)小栗有以さん〈AKB48〉 3月27日から始まる舞台「マジムリ学園 蕾―RAI―」で主演を務めさせていただきます。2018年の「マジムリ学園」のドラマと舞台が終わったとき、絶対に第2弾をやりたいと思っていたので、また「マジムリ学園」をすると聞いたときはすごくうれしかったです。 普段は自分の映像を見るのは恥ずかしくて嫌なんですけど、コロナの自粛期間はなぜか自分の映像を見ることができました。「マジムリ学園」の舞台とドラマを見返して、「アクションをまたやりたい! 回し蹴りがしたい!」という気持ちがこみ上げてきました。 アクションに挑戦したのは前作が初めてでした。最初はやられるときの声の出し方が分からず、蹴りを入れるときも足が全然上がりませんでしたが、毎日お稽古を積み重ねていくうちに自分でも目に見えて上達していくのが分かり、アクションがすごく楽しくなりました。 インタビューの後半では、これからのAKB48を担うことの重みや、「より強いAKB48」になるための決意、描いている自身の未来について語ってくれました。 回し蹴りはおうち時間で思い出… 2種類の会員記事が月300本まで読めるお得なシンプルコースはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
2486人が「寛大な処分を」 介護の母死なせ猶予判決
介護していた母親(当時90)をたたいて死なせたとして傷害致死の罪に問われた鹿児島県知名町(沖永良部島)の農業富久窪英被告(71)の裁判員裁判の判決が12日、鹿児島地裁であった。岩田光生裁判長は「高齢で心臓に持病を抱え、身体的に厳しい中で、いらだちを抑えられず犯行に至った経緯は同情できる」とし、懲役3年執行猶予4年(求刑懲役5年)を言い渡した。 判決によると、富久被告は2017年12月ごろから、自力で歩けなくなった母親を1人で介護していた。昨年7月10日午前11時ごろ、ベッドのシーツに痰(たん)が吐かれていたことに立腹。下あご付近を右手で複数回たたく暴行を加え、翌11日午前、搬送先の病院で打撲による脳障害で死亡させた。 判決は、富久被告の暴行について「一定の危険性があった」とする一方、「たたく際には指先を用い、ことさら痛めつけようとはしなかった」と認定。高齢で母親の脳が萎縮し、脳障害が発生しやすく、「不運にも死亡という結果につながった」とした。 シーツに痰を吐かれて立腹したという動機には「短絡的な面がある」としつつ、「日常的に暴力をふるっていたわけではなく、突発的」と指摘。暴行の程度は「傷害致死の事案の中では比較的軽微だ」とした。 その上で、富久被告が罪を認めて反省し、母親を死なせたことを後悔していることや、島民ら2486人から寛大な処分を求める嘆願書が提出され、地域ぐるみの監督が期待できることを考慮。「社会内で更生する機会を与えることが相当」と猶予付き判決とした理由を説明した。 判決の最後で岩田裁判長は、裁判員や裁判官からのメッセージとして「お母さんの介護を続ける生活で、無理をしすぎた部分があったのではないでしょうか。施設に預ける機会を増やし、自分の負担を減らしていれば心にも余裕ができ、悲しい事件は起きなかったのではないでしょうか。これからは周囲の方々と積極的にかかわりを持ち、人生を過ごしてください」と被告に語りかけた。(三沢敦) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
山芋に似た球根を誤飲か、70代男性が重症 高知
高知県は12日、ユリ科の花「グロリオサ」の球根を食べたとみられる県外の70代男性が食中毒を発症したと発表した。男性は入院しており、重症という。 県によると、男性は4日、越知町の実家の畑で観賞用で育てていたグロリオサの球根を誤って食べたとみられる。4日夜に下痢や嘔吐(おうと)などを発症。翌日から自宅療養していたが、症状が悪化したため再検査し、7日に救急搬送された。 グロリオサの球根は、山芋と見た目が似ている。特に球根に有毒物質のコルヒチンを多く含むという。 県内でグロリオサが原因の食中毒が発生したのは2006年8月以来。この時は70代男性が死亡した。県は、野菜と観賞植物を一緒に栽培しないことなど、注意を促している。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル