ラジオのパーソナリティーなどとして活躍するミュージシャンの土屋礼央さん(44)は「ぼくは食器洗いをやっていただけで、家事をやっていなかった」と言います。3月8日は国際女性デー。妻や息子、リスナーとのやりとりで気づいた「土屋礼央的ジェンダー」って何ですか? ◇ 1976年、東京都国分寺市生まれ。「RAG FAIR」のリードボーカルとしてデビュー後、多方面で活躍。TBSラジオ「赤江珠緒たまむすび」などでパーソナリティーを務める。 心から思っていることをしゃべる時はスムーズに言葉が出てくる。ファミレストークは絶対かまないんです。逆に心に思っていないことを話す時はかむことってありますよね。 ラジオなどで発信する者として、表現には気を配っています。心に思っていない言葉は出てこないから、話すテクニックよりも、自分がどう考えているかが大切だと思っています。 ラジオで「奥さん」という言葉を使って、「奥さんとは何事だ」というご意見を頂いたこともあります。「奥さん」の語源や意味を調べると、なるほど、と。じゃあ「うちの妻」はいいけれど「相手の妻」はどう呼べばいいのかな? とかラジオ仲間とけっこう話し合います。 インナーマッスルに埋め込まれた意識 ラジオの生放送を始めたころは… 2種類の会員記事が月300本まで読めるお得なシンプルコースはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
津波5日後、三陸鉄道は動き始めた 運んだのは生きる力
東日本大震災の津波はまちも、たくさんの人と人とのつながりも流しました。絶望が覆った岩手県の沿岸で、三陸鉄道の「震災復興支援列車」が動き始めたのは5日後、3月16日のことです。2年後のNHKドラマ「あまちゃん」の中で毎朝駆け抜けた白青赤の列車は、いま、旧JR区間も含めてつながった全長163キロの線路を毎日走ります。人口減の進む地域でこの10年、そしてこの先、三鉄は何を運びますか? 当時社長だった望月正彦さん(69)に尋ねました。 「地域の人たちの前に進もうとする気持ち、でしょうか。これからもこの地域で生きていく、そう思う人たちの笑顔、というとかっこいいですが」 ――震災と津波の直後は、笑顔どころではありませんでした。 「震災の翌12日には、本社のある宮古駅から隣の駅の手前まで、線路を歩きました。13日に津波警報が注意報に変わったので、まったく状況のわからなかった30キロほど北の七つ向こうの島越(しまのこし)駅まで車で見に行きました。私は運行の素人。でも、線路さえしっかりしている区間があれば、一部でも動かせると思った。線路の上に津波で流された家の屋根がのっていたところもあって、ひどい目にあった。けれどこれなら走れる、と判断しました」 拡大する三陸鉄道・田老駅近くの線路を覆った屋根。上に立つのは、望月正彦社長(当時)=2011年3月13日、岩手県宮古市、同社提供 ――津波をかぶり、がれきが覆って、海沿いの道路は通れませんでした。どのようにして、駅を見て回ったのですか。 「山道を迂回(うかい)しながらです。趣味の山菜や釣りでよく通っていた、裏の県道を行きました。駅をみて裏道に戻って、また駅に出てと。尺取り虫みたいに、一駅ずつ進んで。雪が降っていて狭くなっていた道で、けっこう車とすれ違ったことを覚えています」 拡大する東日本大震災から2日後の三陸鉄道島越駅付近=2011年3月13日、岩手県田野畑村、同社提供 ――島越駅では、線路が通っていた高架橋がすっぽりなくなり、足もとはがれきで埋め尽くされて、宮沢賢治の詩碑と階段の一部だけが残ったそうですね。 「山のほうから降りていったら、高架橋と家があって見えないはずの海が、見えたんです。ぞっ、としました。100軒以上あった家が、高台の1軒を残して、みんななくなっていました」 ――運行はさすがに難しい、と思いませんでしたか。 「ぼうぜんとしていたとき、消… 2種類の会員記事が月300本まで読めるお得なシンプルコースはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
総務省の谷脇審議官を更迭 NTT接待、規程違反の疑い
総務省幹部らがNTT側から接待されたと報じられた問題で、総務省は8日、谷脇康彦・総務審議官と巻口英司・国際戦略局長が、少なくとも2018~20年に4回にわたって計15万円超の接待を受けていたとする調査の中間報告を公表した。同省は、国家公務員倫理規程に違反する疑いがあるとして、谷脇氏を8日付で大臣官房付に事実上更迭する人事も公表した。 総務省によると、2人は18年9月~20年7月に計4回、NTTの澤田純社長や関連会社の幹部らと会食。1回あたりの飲食費は1人約1万7千円~6万円で、谷脇氏は3回参加して1回だけ5千円を自己負担、巻口氏は1回参加して1万円を自己負担していた。 国家公務員倫理規程は、許認可や補助金を受ける事業者などの利害関係者に費用を負担される接待を禁じている。一定額を払っても、応分の負担になっていなければ接待にあたる。割り勘でも、飲食費が1人あたり1万円を超える利害関係者との会食は事前届け出が必要だ。 同省によると、2人は届け出を出しておらず、聴取に対し「相手を利害関係者と認識していたが、応分の費用負担をしたと思っていた」という趣旨の説明をしているという。 巻口氏が参加した昨年6月の会食には、当時の総務審議官だった山田真貴子・前内閣広報官も参加していたが、同省は、すでに退職しているとして調査対象に含めなかった。武田良太総務相は8日午前に緊急の記者会見を開き、「幹部職員である総務審議官が、公務に対する信頼を著しく失墜させる行為を行ったことは誠に遺憾。改めて深くおわびを申し上げる」と陳謝した。(豊岡亮、井上亮) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
原発が動いていなくても 原電と関電、敦賀市に15億円
原発専業の日本原子力発電と関西電力が2018~21年度、原電敦賀原発がある福井県敦賀市に市道整備費として15億円を提供することが分かった。市関係者が取材に明らかにした。原電は13年度まで市の公文書に記載される寄付金を払ってきたが、今回は市の財務書類に提供元が載らない負担金の形式を取っている。 東京電力福島第一原発事故後の10年間、敦賀原発を含めた原電の全3原発は稼働しておらず、売電収入がない中での資金提供となる。原電に基本料金を払う東電など大手5電力の料金に影響する可能性がある。 市道は敦賀半島の東側を通る西浦1、2号線。市に隣接する美浜町には関電美浜原発もあり、福島原発事故後は動いていない。 敦賀市関係者によると、原電と関電は18、19年度に計1億9700万円を支払った。20年度分は計3億7千万円を出す予定。市は21年度当初予算案に両社からの9億4千万円を盛り込んだ。 負担割合は原電が58%、関電が42%。割合の算出根拠について市幹部は「事業者が決めており、不明」としている。 両社は18~21年度、道路法に基づく負担金として支払う。負担金は市の予算・決算書では、支出者名や負担割合は記載されない。 この市道建設で原電は09~13年度、計19億8千万円を市に寄付した。市は寄付金を市の公文書「寄付採納の件」に記載し、議会に配っていたが、経営悪化中の高額寄付が批判され、原電は記載しないよう13年に市に要求。12、13年度の寄付金は記されなかった。14年度は負担金で5億7千万円を出す一方、資金提供を止めると市に通告し、工事は3年間中断した。 市道建設で原電と関電の資金提供は、21年度までに計40億6千万円になる。完成まで両社が全額を負担する予定だ。市は22年度以降の金額を「年度ごとに両社に連絡する」としている。 原電、関電共に「金額について差し控える」 この市道は、敦賀半島の住民からアクセス向上のためとして以前から要望があった。原電が寄付を始めたのは、敦賀3、4号機増設の造成工事完了が福井県に認可された09年だ。 原電は発電した電気を東北、東京、北陸、中部、関西の5電力に売って収入を得てきたが、福島原発事故後に全原発が停止。現在は5社から受ける基本料金で主に経営している。基本料金は、電気利用者が5社に支払う電気料金から主に出されている。 原電の原発は敦賀1、2号機と東海第二(茨城県東海村)の3基。敦賀1号機は廃炉が決まり、2号機は11年5月に停止後、12年に原子炉建屋直下の断層が活断層の可能性を指摘され、約10年間再稼働していない。運転開始から40年を超える老朽原発・東海第二も再稼働のめどが立っていない。敦賀3、4号機は建設が止まっている。 取材に対し、原電敦賀事業本部は「地元の利便性向上のほか、地域の発展に資する貢献策の一環として協力した。金額については相手があり、差し控える」。関電広報室は「(道路整備に)積極的に対応していく。金額については事業戦略上の観点から回答は差し控える」としている。(室矢英樹、佐藤常敬) ◇ 日本原子力発電敦賀事業本部の話 敦賀半島で事業を営む当社として、地元の方々の利便性向上のほか、原子力災害発生時のアクセス道として負担した。寄付金から負担金にしたことは、敦賀市が事業の性格から判断したものと理解している。(事業費拠出の中断は)厳しい環境が続いたため、市と協議した。(負担割合は)他社のことを含む内容のため回答を差し控える。 ◇ 関西電力広報室の話 原子力災害時に発電所員や緊急車両の発電所へのアクセスを確保する必要があり、発電所の安全性向上対策の重要なインフラと位置づけており、積極的に対応していく。(事業費は)事業戦略上の観点から回答は差し控える。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
両陛下、東日本大震災10周年追悼式に 皇室8~14日
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何に怒れば…募る空しさ 帰りたかった浪江は、もうない
床に正座をする青い作業着姿の7人の男性。「本当に申し訳ありませんでした」。床に手をつき、深々と頭を下げた。 2011年5月4日、福島県二本松市の体育館。土下座をしたのは、原発事故を起こした東京電力の清水正孝社長(当時)らだった。約55キロ離れた浪江(なみえ)町から避難した住民約200人が、それを見ていた。 特集「海からみた被災地」 東日本大震災による津波は、陸地だけでなく海の中にも大きな被害をもたらした。大量のがれき、失われた漁場……。豊かな海はこの10年でどう変わったのか。水深35メートルまで潜ってみた。 《事故で東電福島第一原発から20キロ圏内など約8万人が避難を強いられた》 「いつ帰れるの」「賠償はいつになるのか」。怒りの声に、社長は「申し訳ありません」と繰り返した。 原田雄一さん(71)が手を挙げた。声が震えた。 「社長さんは、請戸(うけど)に行かれましたか。まず行って、亡くなった人に頭を下げるべきじゃないでしょうか」 沿岸の請戸地区は津波に襲われ… 2種類の会員記事が月300本まで読めるお得なシンプルコースはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
奈良美智が見た東京タワー それは戦車の鉄でできていた
東京のシンボルである東京タワー(高さ333メートル)。その一部が朝鮮戦争で使われた米軍の戦車の鉄で出来ている、と聞いたことがありますか? 地上150メートルのメインデッキ(大展望台)から上の部分、空にのびて細くなっていくあたりからの鋼材は、こうした戦車のスクラップでつくられた、と言われています。有識者の話を聞きながら、戦後復興の歴史をたどります。 記事の後半では、東京タワーをめぐる美術家の奈良美智さんとの一問一答をお読みいただけます。 記者が戦車と東京タワーのことを知ったのは5年前、世界的に活躍する美術家・奈良美智さんのインタビューを読んだときだった。反戦・反核をテーマにした自身の画集「NO WAR!」(2014年)についてのインタビューで、奈良さんはこんな風に語っていた。 「東京タワーって、鉄でできてるんですが、朝鮮戦争でスクラップになったアメリカ軍の戦車が使われてるんです」「東京オリンピックの直前に、そんなふうにして復興の象徴である東京タワーが建てられた。だから、戦後復興って何なんだろうって思います」(15年8月15日のハフィントンポスト日本版) 拡大する真下から見上げた東京タワー。国の登録有形文化財でもある=東京都港区、林敏行撮影 奈良さんは、日本とドイツは同じ敗戦国同士だが、歴史への向き合い方が違うと言っている。20代のころから12年間、ドイツで暮らした奈良さんは、その違いにショックを受けたそうだ。ドイツでは現在は歴史の積み重ねのなかでとらえられ、過去から現在、未来へと一貫して考える、そういう思考が日本とは比べ物にならないほどできている、と。 1950年に勃発、53年に休戦となった朝鮮戦争は、経済的、軍事的に戦後日本の転換点となったと言われる。経済復興、高度成長の起点となる「特需」をもたらしたものとして語られることは多いが、日本では戦争のリアリティーをもって語られることは少ない。 奈良さんはインタビューで「自分でも『あっ』とか思ったのが、日本の経済復興っていうのは他の国で戦争があったからだったんだなって。朝鮮戦争やベトナム戦争のおかげ」と語っている。そして「大戦後のアメリカの繁栄と二人三脚だった」ことに気づいたと言う。 そもそも朝鮮戦争で使われた戦車の鉄が東京タワーになった、というのは本当だろうか。 奈良さんにいま改めて、それをいつ知ったのかを聞いてみた。 「10代の頃? いつだったの… 2種類の会員記事が月300本まで読めるお得なシンプルコースはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
原発の町、復興に明暗 「公民連携」の女川、福島は模索
津波被害と原発事故を引き起こした東日本大震災から10年がたつ。津波で甚大な被害を受けた宮城県女川(おながわ)町は、人口が4割減るなか、新たなまちづくりを「公民連携」で進め、復興モデルとして注目されている。一方、同じ原発立地自治体だった福島県では、原発被災地でコミュニティー再生の模索が続く。 「還暦以上は口出ししない」 女川町のJR女川駅前から海岸へと続くおしゃれな道沿いに、カフェやクラフトビール店、せっけん工房などが並ぶ商業施設「シーパルピア女川」がある。震災後にかさ上げした町有地に2015年に開業した。隣の物産施設「ハマテラス」と共に復興のシンボルとして、女川観光に欠かせない施設になっている。 拡大するJR女川駅前にあるシーパルピア女川とハマテラス。奥には女川湾が広がる=宮城県女川町 二つの施設は、商工会や町が出資する株式会社「女川みらい創造」が国の補助金で整備し、テナント募集や運営を担う。計36店舗のほぼ半数は被災店舗の再建だが、地元NPOの支援などで住民や出身者、移住者らの新規出店を促し、町外からの出店も受け入れて多彩な店がそろった。 町では震災前から過疎化が進み、商店街はシャッター通りになっていた。同社の阿部喜英(よしひで)社長(52)は「復旧するだけでは寂れてしまう。新しい店に入ってもらい、『復幸(ふっこう)』を目指した」と力を込める。 女川町は震災で最大14・8メートルの津波に襲われ、住宅の66・3%が全壊し、当時の人口の8・3%の827人が死亡・行方不明になった。中心部は壊滅し、阿部さんの営む新聞販売所と自宅も流された。「現実と受け止められず、言葉も出なかった」と振り返る。 拡大する「シーパルピア女川」に立つ運営会社の阿部喜英社長。防潮堤機能のある構造物は海沿いの国道の下に埋まっている=宮城県女川町 不明者の捜索やがれきの片づけが続く中、震災翌月には商工会長の呼びかけで「女川町復興連絡協議会」を設立。これが契機となり、行政と民間が力を合わせて公共サービスを担う「公民連携」による復興が動き始めた。 「これからの町づくりは若者に… 2種類の会員記事が月300本まで読めるお得なシンプルコースはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
5歳児餓死 「支配」解いた県警、北九州・久留米の経験
福岡県篠栗(ささぐり)町のマンションで昨年4月、5歳の碇(いかり)翔士郎ちゃんが餓死した事件で、母親が知人の女から受けていたとされる「マインドコントロール」を福岡県警の捜査員らが解いていった様子が、捜査関係者への取材で明らかになった。 捜査関係者によると、保護責任者遺棄致死容疑で逮捕された赤堀恵美子容疑者(48)は2018年5月ごろ、翔士郎ちゃんの母親の碇利恵容疑者(39)=同容疑で逮捕=に「(両容疑者が)ママ友に提訴された」と作り話で不安にさせた後、「ボス」と呼ぶ別の保護者が解決してくれたとして示談金名目で現金を要求したという。県警はこの一件が赤堀容疑者による「支配」の始まりとみる。 さらに赤堀容疑者は「ママ友がLINEであなたの悪口を言っている」とうそをついたり、示談金を捻出させるために一家の食事を制限するよう指示するなかで「ボスが監視カメラで見張っている」と脅したりしたという。碇容疑者は次第に周囲から孤立し、赤堀容疑者が唯一の相談相手になり、徐々にマインドコントロール状態に陥っていったという。 記事後半では、福岡県内でおきた過去の事件との共通点などに関して、識者に話を聞いています。 碇容疑者が指示通りに食事を制… 2種類の会員記事が月300本まで読めるお得なシンプルコースはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
ハンスト終了、遺骨ふくむ土砂「基地の賛否以前の問題」
沖縄戦の遺骨収集を続けてきた具志堅隆松(たかまつ)さん(67)が6日、那覇市での6日間にわたるハンガーストライキを終えた。いまなお遺骨が見つかっている沖縄本島南部から、米軍基地建設のための土砂採掘が計画されていることへの抗議だった。 戦争体験者をはじめ連日多くの人が励ましに訪れ、1万数千人規模の署名も集まっているという。 土砂採掘は、大規模な埋め立てを伴う米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古移設をめぐって政府が計画。本島南部は76年前の地上戦の激戦地だった。 「自分の兄も(南部の)糸満で… 2種類の会員記事が月300本まで読めるお得なシンプルコースはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル