【動画】きじまりゅうたさんが豆腐をおいしく食べるレシピを紹介。今回はひき肉のかわりに豆腐をそぼろ状にしてつくる「豆腐のキーマカレー」をきじまさんが考案しました。 豆腐をテーマに3品を紹介している「きじまりゅうたのおうちごはん!!」。シリーズ最終回は「豆腐のキーマカレー」です。肉や魚を具として使わなくても、うまみを十分に感じることができます。ある食材を隠し味に入れるのがポイントです。 考案したきじまさんは「ちょっと今回、ストイックに豆腐と向き合ってみたいなと思いました」と語ります。その言葉通り、豆腐がキーマカレーのひき肉の役割を果たしています。 木綿豆腐をフォークを使って潰し、電子レンジにかけて温めて、さらにペーパータオルに包んでしぼることで、面倒な水切りも楽にできます。水分が抜けた豆腐が、まるでそぼろのような食感になります。 カレー粉とケチャップ、ウスターソースで味付けしますが、その後、隠し味としてバターとかつお節を加えます。バターが淡泊な豆腐にコクを与え、かつお節がうまみを補います。きじまさんも「和食に限らず、なんか物足りないってなった時に、かつお節を使うのはいいですよ」と話します。 記者も実際、自宅で夕飯のためにつくってみました。作業工程自体が簡単で、豆腐の水切りも楽にできました。味ももちろん大満足。口に含んだ瞬間、複雑な味が広がり、かすかに感じるかつお節の風味が良いアクセントとなっていました。 最後にピーマンを加えるのですが、食感を残すためにも、あまり煮込みすぎないようにするのがオススメです。記者は少し火を通しすぎてしまい、ピーマンがくたっとしてしまいました。 詳しい作り方は動画をご覧下さい。そのほかのポイントもきじまさんが丁寧に解説しています。(岩沢志気) 材料(2人分) 木綿豆腐:1丁(400g) ニンニク:2片 タマネギ:1/2個 ごはん:2膳分 ピーマン:1個 サラダ油:大さじ1/2 カレー粉:小さじ2 【A】 ケチャップ:大さじ2 ウスターソース:大さじ2 【B】 かつお節:3~5g バター:10g 作り方※詳しくは動画で ①耐熱皿に厚手のペーパータオルを2枚重ねて敷き、豆腐をのせ、フォークなどで潰す。ペーパーを2枚載せレンジに2分かける ②ニンニクを潰して芯を除いてあらみじん切りに、タマネギを5mm角程度のみじん切りにする。ピーマンは5mm幅の薄切りにする ③フライパンにニンニクとサラダ油をいれて中火にかける。香りが立ってきたらタマネギをいれてしんなりするまで炒める ④豆腐の粗熱が取れたら上から水気を押し絞り、しぼり汁は取っておく ⑤豆腐をフライパンに入れ木べらでほぐしながら、パラパラになるまで2~3分炒める ⑥カレー粉を加えてなじませる ⑦Aの調味料と豆腐のしぼり汁を加えて炒める ⑧Bを加える ⑨ピーマンを加えてさっと煮る。なじんだら、ご飯にのせる きじま・りゅうた 祖母で料理研究家の村上昭子、母で料理研究家の杵島直美から多彩な家庭料理を学ぶ。子育て世代に響くアイデアメニューが雑誌や料理サイトで人気。「きょうの料理」「キユーピー3分クッキング」にも出演中。1981年生まれ。「NHK きじまりゅうたの小腹すいてませんか? パパッとレシピ」(宝島社)「きょうも明日も炒めもの」(学研プラス)など著書多数。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「不眠のハエ」 研究から見えてきたのは
「不眠のショウジョウバエ」の研究を続けてきた名古屋市立大薬学部教授の粂和彦さん。ハエの遺伝子の研究が、私たちの睡眠や体内時計の解明につながっているという。研究のかたわら、睡眠に悩む患者とも向き合ってきた。 研究室を訪ね、実験室の扉を開けると目の細かいカーテンが目の前に現れた。「遺伝子を変えた、自然界には存在しないハエを扱っていますから、外に出さないためです」と粂さん。とはいえ、飛んでいるハエはいない。常時1万匹以上を保管しているが、すべて試験管の中で生きたまま管理している。 ハエの脳波は調べられないので、一定の時間、動かない状態を「睡眠中」とみなす。1匹ずつ細長いガラス管に入れ、動いたら赤外線で感知する装置を使って行動を記録し、1分単位のデータを収集、解析する。 粂さんは約20年前、ハエの行動観察の過程で偶然、休まずずっと動き回っている個体を見つけた。「fumin(不眠)」と名付けたそのハエは、交配させると、子、孫も同じ異常行動をとることが分かった。 調べたところ、脳の神経伝達物質ドーパミンのブレーキ役の遺伝子が欠けていることが判明。このたった一つの変異のため、覚醒作用が強く眠らなくなっていることが分かった。覚醒を制御するハエのドーパミン回路は記憶の回路とは独立していることも明らかになった。一方、交尾行動やオス同士の戦いに関わるドーパミンの回路は覚醒と関わり合っていた。 ドーパミンは人間の脳でもいくつもの重要な働きをすることが知られている。覚醒のほかにも、学習や記憶、「快い」「うれしい」という感情、意欲、運動の調節……。 「見た目はもちろん、脳の仕組みがこんなに違うハエが、人間と同じ物質で覚醒の制御をしている。しかも、人の『心』と関わる物質ですから、これは面白いと思いました」 こうした研究は、人間を含む哺乳類の睡眠の研究ともつながる。 近年、盛んなのは「眠気」の… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「他人と比べる人生はみじめ」 くさか里樹さんの人生訓
【動画】「ヘルプマン」作者くさか里樹さんインタビュー=羽賀和紀撮影 介護問題や高齢化社会をテーマにした漫画「ヘルプマン」シリーズ(週刊朝日で連載中)が人気だ。作者のくさか里樹(りき)さん(63)は第40回日本漫画家協会賞大賞も受賞した。高齢ドライバー問題や認知症介護など、取り扱う題材の幅広さには専門家からの評価も高い。高知県香美市の作業場で制作の裏側などを聞いた。 ――連載開始から18年ですが、今も評判です 介護の現場には人間ドラマが詰まっているから読まれるんでしょうね。主人公の葛藤を自分事と感じてくれる読者も多いからか毎回反響も大きいです。 漫画は知識や情報を発信するものではなく、人間ドラマを描くものだと思っています。介護の現場は人間関係が濃く、主人公の葛藤も絶えないので、ネタが尽きないです。 ――「ヘルプマン」を描くときに意識していることは何ですか まずは仕組みを理解すること。社会福祉の分野は行政の制度が常に変わるので、知識をアップデートしないといけない。毎回、大量の資料を印字して読み込んだり、全国の専門家からアドバイスをもらったりしながら描いています。 ――ペンネーム「くさか里樹」の由来は 出身地の高知県日高村の旧村… この記事は有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 残り:906文字/全文:1399文字 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
転勤族の父、「創」の名に思い込め ライター松本創さん
著名人が父のことを語る連載「おやじのせなか」。今回はデジタル版限定のロングバージョンです。 父親は典型的な会社人間で転勤族でした。早朝に出勤し、子どもが寝てから帰る。いつもムスッと険しい顔で近寄りがたかったけれど、大阪の吹田市で過ごした小学校低学年の頃は、たまの休みにキャッチボールしたり、ストで運休になった電車の線路を一緒に何駅分も歩いたりした記憶があります。 豊中市に住んでいた小5の時、仙台へ引っ越すことに。空港で会社の人たちに「松本君バンザーイ」と見送られ、胴上げされていた。昭和の企業戦士って感じですよね。父親は当時40歳。大阪で生まれ育った人間なので、東北に行くというのはそれだけ遠く、ある種の覚悟があったかもしれません。そこから全国を転々とする転勤生活が始まったんです。 僕にすれば、どこへ行っても2年ほどで、ようやくなじんだ頃に転校させられる。ずいぶん泣いて抵抗しましたね。豊中の小学校は1年数カ月だけ、仙台では中学がすごく楽しく充実していたのに1年生の2学期途中で青森へ。そのまま青森の高校に行きたいと思っていたら、「また転勤があるかもしれないから」と函館の私立に進み、寮生活をすることになった。当時の会社って、家族や子どもの都合なんか一切お構いなしだったんでしょうね。 僕は高校で成績が急降下して、寮生活も窮屈でなじめず、バンドに熱中したり、忌野清志郎さんの影響でヘッセの小説を読みふけったり、現実逃避気味でしたね。一度、飲酒が見つかって停学になったことがあるんです。母親が青函連絡船で迎えに来て、青森の自宅で1週間の謹慎。これは父親にどつかれるなと覚悟して玄関を入ったら、えらい素っ頓狂な声で「おかえりー」と迎えられて、拍子抜けしたのを覚えています。 父親とは中学の時に殴り合いのけんかもしたし、高校に入ってからもピリピリした関係で、距離を測りかねていたんじゃないですかね。「停学ごときで動揺せず、威厳を示さないと」「でも、頭ごなしに怒ったらあかん」と悩んだ末に出てきた言葉が、素っ頓狂な「おかえりー」だったんじゃないかと。隣にいた母親は噴き出しそうになったそうです。 就職活動でいったん内定を得た飲料メーカーを断り、新聞社を受けると言うと、すごく反対されました。父親は生活のため、大学で紹介された大手電機メーカーに即決した。ばくちや株をやり、家にお金を入れない自分の父親が「反面教師」だったらしく、安定した会社の内定を断る僕を理解できなかった。「仕事は好き嫌いで選ぶもんじゃない」と何度も諭されました。だから、神戸新聞を辞めた時は事後報告です。退社後に初めて寄稿した雑誌を見せると驚いていましたが、もう辞めてしまった後だから、どうしようもない。 松本さんが「誰が『橋下徹』をつくったか」で日本ジャーナリスト会議賞に決まったと知った日は、お父さんの誕生日でした。報告すると、お父さんからメールが届きます。 僕は転校を繰り返したせいか… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
尖閣沖、中国公船4隻が領海侵入
2021年6月27日 8時00分 26日午前2時半ごろから、沖縄・尖閣諸島の魚釣(うおつり)島と南小島の沖合で、中国海警局所属の公船「海警」4隻が相次いで領海に侵入した。海上保安庁によると、日本漁船4隻に近づこうとする動きを見せたが、いずれも午前11時40分ごろまでに領海から出たという。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
お騒がせ巨大イカ、愛称決まる 町職員「分かりやすい」
小島弘之2021年6月27日 9時43分 新型コロナウイルス対応のための国の交付金を充てて制作された石川県能登町にある巨大イカのモニュメント。海外メディアにも取り上げられるなどその建設の是非は世界的に話題を呼んだが、そんなお騒がせ巨大イカに、このほど愛称がつけられた。その名は「イカキング」。名付け親の思いとは……。 同町によると、名付けたのは金沢市の塚田静香さん。町の愛称募集に応募し、909件の案の中から選ばれたという。同じ愛称での応募が他にも6件あったが、塚田さんの「見た目の大きさがイカの王様のようで、さまざまな調理法があることから料理の王様のようでもある」との理由を、地元住民らで組織する愛称選考委員会が高く評価した。なお、次点は「いかまる」と「つくも大王」だった。 巨大イカは、町がコロナ終息後の誘客につなげるために3月末に整備。建設費の9割にあたる2500万円をコロナ対応のための「地方創生臨時交付金」を充当したことで、「無駄遣い」などと批判を浴び、英BBCやNYタイムズなどでも取り上げられた。ただ、完成後、現場は多くの観光客でにぎわっている。 20日には愛称が書かれた看板がモニュメントの近くに設置された。「シンプルで分かりやすい愛称だ」。町の担当者は満足げにそう語った。(小島弘之) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
在日コリアンの歴史の証、宿舎を解体・移築 宇治ウトロ
在日コリアンが多く住む京都府宇治市のウトロ地区で26日、戦時中の飛行場建設に動員された朝鮮人労働者らが暮らしていた宿舎跡の解体が始まった。当時のまま残る最後の宿舎で、ウトロ地区の歴史は一つの節目を迎える。住民らが来年4月に開館予定の交流施設「ウトロ平和祈念館」の隣に建物の一部を移築する。 ウトロ地区は近鉄京都線伊勢田駅の西にある約2・1ヘクタール。元の地名「宇土口(うどぐち)」が由来とされる。終戦時には朝鮮人労働者ら1300人が暮らし、戦後には在日コリアンのコミュニティーになった。 だが、土地が転売され、住民らは裁判で地権者から明け渡しを求められた。2000年に敗訴が確定した後、11年までに韓国政府系財団の出資や民間寄付で土地の一部を買い取り、土地所有の問題が決着。国と京都府、宇治市が住環境整備を進め、17年末に公的住宅1期棟(40戸)が完成。23年の2期棟(12戸)の完成で、整備がほぼ終わる。 最後の宿舎は1943年ごろ… この記事は会員記事です。無料会員になると月5本までお読みいただけます。 残り:521文字/全文:942文字 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
Naoto Nishiguchi rescues Eagles in win over Hawks
Rookie right-hander Naoto Nishiguchi pitched 4⅓ innings in emergency relief to earn his first pro win as the Tohoku Rakuten Golden Eagles beat the Fukuoka SoftBank Hawks 3-2 in the Pacific League on Saturday. The win at Sendai’s Rakuten Seimei Park pulled the Eagles into a tie for first place […]
11年ぶりの海開き 地域一丸、乗り越えた消失の危機
宮城県気仙沼市南部の大谷海岸海水浴場で20日、県内のトップを切って海開きがあった。2011年の津波を経て、11年ぶりの復活だ。砂浜を埋める形で防潮堤が計画されていたが、長い交渉の結果、住民の思いが通って残すことになった。「あの日」とは打って変わった穏やかな浜辺で、保全に力を尽くした関係者は静かに手を合わせた。 「3・11の被害があまりに大きく、海開きまでに長い年月がかかった」。本吉観光協会長の芳賀勝寿さん(73)は、こうあいさつした。観光関係者や市、警察官ら約30人が海に向けて玉串を捧げ、合掌した。 当時「防潮堤を勉強する会」の発起人を務め、住民同士の意見調整や行政との交渉に当たった市議の三浦友幸さん(40)も参列した。三浦さんは津波で自宅と母を失った。 「『砂浜を守る』という1点で地域が一丸となれたことが大きい。犠牲者も待っていたであろう今日という日を、私たちの誇りとして子どもたちに伝えていきたい」と語った。 震災前、同海水浴場は白砂青松で知られる県内有数のスポットで、JR気仙沼線の駅もそばにあり、市によると震災前年の10年度は約6万5千人が訪れていた。しかし、津波でがれきに埋もれ、海岸沿いの住宅地も壊滅した。 国などは砂浜に高さ9・8メ… この記事は会員記事です。無料会員になると月5本までお読みいただけます。 残り:290文字/全文:824文字 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
老いた時には子も老いている 「老後は安心」は古い?
シニア生活文化研究所所長・小谷みどりさん これからの日本では「ひとり死」時代がやってきます。 ベッドに横たわる臨終の患者を家族が取り囲んで「ありがとう!」「おとーさーん!」と叫ぶ光景は、ドラマの中に描かれても現実の世界では難しくなります。お葬式に親族一同が顔をそろえて、盛大に故人を送るのも同様です。 理由のひとつは、死亡年齢の高齢化です。2019年に亡くなった人のうち、80歳以上の男性は54%を占める一方、00年は33.4%。つまり20年前には、男性の3分の2が70代までで亡くなっていました。女性の場合、19年に亡くなった80歳以上は75.8%、90歳以上で40%を超えます。 親が90歳になるころには… この記事は有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 残り:1167文字/全文:1498文字 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル