会員記事 中島健、中沢絢乃2021年6月24日 21時00分 昨年7月の豪雨で甚大な被害に見舞われた天ケ瀬温泉街(大分県日田市)で、氾濫(はんらん)した玖珠(くす)川の濁流にのまれ、一部流失した朱色のつり橋(約50メートル)が約1年ぶりに架け替えられ、24日、お披露目された。被災から間もなく1年。川べりの旅館や店舗のほとんどは今も再開できないままだが、地元の人は「温泉街の復興の第一歩になって欲しい」と願う。 つり橋は1950年代、筑後川の支流・玖珠川の右岸に立つ「天ケ瀬観光ホテル成天閣(せいてんかく)」が、フロント前から対岸へ架けた。以来、河川敷の共同露天風呂とともに温泉街のシンボル的存在となってきた。だが、昨年7月7日の豪雨で氾濫した濁流と流木に巻き込まれ、橋桁の一部や踏み板が流失。ワイヤだけでかろうじてつながる無残な姿となっていた。 「自力での架け替えは難しい」。成天閣の古賀信寿(のぶひさ)社長(44)はそう考えていた。だが、つり橋を懐かしむ声が常連客らから寄せられた。再建方法を模索し、豪雨で被災した事業者の施設復旧を支援する「なりわい再建補助金」を申請。全額が認められ、2月、架け替えに着手していた。 この日、古賀社長と妻でおか… この記事は会員記事です。無料会員になると月5本までお読みいただけます。 残り:639文字/全文:1136文字 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
博多にスライム現れる? 二○加煎餅とドラクエがコラボ
2021年6月24日 21時41分 お面をかたどった博多銘菓「二○加煎餅(にわかせんぺい)」の東雲堂が、人気ゲームシリーズ「ドラゴンクエスト」のキャラクター「スライム」のせんべいを発売した。 同シリーズのスマホゲームに二○加煎餅のお面を付けたスライムが登場することからコラボが実現。せんべいの形を変えたのは115年の歴史で初という。 「コロナ禍のなか、くすっと笑って」と同社の高木雄三代表(46)。販売は9月30日までで「『スライムが あらわれた!』と写真を送り合ってほしい」。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
中日新聞社、個人情報14万件流出か 不正アクセス受け
2021年6月24日 22時03分 中日新聞社(本社・名古屋市)は24日、同社が保有する個人情報約14万3千件が流出した可能性があると発表した。業務を委託契約している企業が不正アクセスを受けたという。 同社によると、流出した恐れがあるのは、2009年以降に東京新聞や中日新聞などが行った懸賞などのキャンペーンに応募した人の氏名や住所、電話番号など。23日午後11時ごろ、キャンペーン用のウェッブ上ページの運営を委託している「ランドマークス」(東京都港区)から「サーバーに外部から不正アクセスがあり、保管されていた個人情報が削除された」との報告があった。中日新聞社は削除されただけではなく、データが外部に流出した可能性もあるとみている。 問い合わせは「中日新聞お客さまセンター」(0120・45・4010、受付は平日午前10~午後6時)などへ。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
Takashi Tachibana, précurseur du journalisme d’investigation au Japon, est mort
Takashi Tachibana, lors de l’interview accordée à l’« Asahi Shimbun », le 26 septembre 2007 à Tokyo, au Japon. THE ASAHI SHIMBUN VIA GETTY IMAGES Le journaliste Takashi Tachibana, pionnier au Japon du journalisme d’investigation, est mort, le 30 avril des suites de troubles cardio-vasculaires. Il était âgé de 80 ans. Comme il le souhaitait, […]
「アタック25」終了へ 放送開始から46年の歴史に幕
2021年6月24日 17時56分 「アタックチャンス」のかけ声で知られるクイズ番組「パネルクイズ アタック25」(ABCテレビ、テレビ朝日系列)が、今秋で終了することが分かった。数少ない視聴者参加型のクイズ番組だったが、46年の歴史に幕を下ろす。 番組は1975年に放送が始まった。初代司会は故・児玉清さん。「アタックチャンス」のかけ声と同時に、握り拳を決めるポーズが長年親しまれた。パネルの取り方で勝敗を動かす劇的展開も人気だった。 司会は浦川泰幸アナウンサーをへて、いまは俳優の谷原章介さんが務めている。日曜の昼の“顔”として定着していたが、最近はテレビ離れも進み、業界全体として若年層の視聴者の獲得へシフト。番組制作に新たな戦略が求められる中、後継に席を譲る形になったとみられる。 ABCテレビは「個別の番組編成については答えられない」と話している。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
表現の不自由展、東京は延期に 会場提供の辞退相次ぐ
国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」で中止された「表現の不自由展・その後」の出展作品を公開する展覧会が、25日から東京都内で開かれる予定だったが、会場提供の辞退が相次ぎ、延期になった。主催団体の実行委員会が24日に記者会見して発表した。 新宿区のギャラリーでの開催を3日に告知したところ、直後から大声で中止を求める街宣行動が周辺で相次ぎ、会場が提供を辞退。都内で確保した別の会場からも18日に「近隣に迷惑がかかるので貸せない」と断りの連絡があった。開幕日までの会場決定が困難となり、延期を余儀なくされた。実行委メンバーに危害を加えるような内容のメールも十数通届いたといい、刑事告訴などの法的対応を検討している。 2019年8月に名古屋市で開幕した表現の不自由展では、慰安婦を表現した「平和の少女像」や、昭和天皇を含む肖像群が燃える映像作品「遠近を抱えて」などに抗議が殺到。脅迫めいた内容のファクスもあり、3日間で展示を中止。閉幕直前に再開し、さらに1週間展示した。 今回、実行委は「公共の空間… この記事は会員記事です。無料会員になると月5本までお読みいただけます。 残り:133文字/全文:586文字 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
旭川医大「無断録音された」 北海道新聞社に抗議文送付
井上潜、斎藤徹、本田大次郎2021年6月24日 18時22分 旭川医科大学(北海道旭川市)の校舎内に許可なく入ったとして、北海道新聞社の記者(22)が建造物侵入容疑で大学関係者に現行犯逮捕された事件で、旭川医大は24日、記者が会議内容を無断で録音していたとして、同社に抗議文を送ったことを明らかにした。 記者は22日午後に大学関係者に逮捕され、道警旭川東署に引き渡された。署によると、記者は取材のため、関係者以外立ち入り禁止の看護学科棟4階に立ち入っていたという。学内ではこの日、不祥事が相次いだ吉田晃敏学長の解任を議論する学長選考会議が開かれていた。 朝日新聞の取材に対する旭川医大の回答によると、職員が選考会議の会議室から廊下へ出ようとしたところ、扉の隙間から会議内容を録音していた記者に出会った。職員が身分や目的を尋ねたが明確な返答がなく、逃げ去ろうとしたため、学外者が無許可で建物内に侵入したと判断し、警察へ連絡したとしている。 旭川医大は北海道新聞社に抗議文を送り、校舎内に立ち入った理由などを確認している、としている。 また、旭川東署は24日午後に記者を釈放し、発表した。今後は在宅で捜査を続けるとしている。 北海道新聞社法務広報グループは「現時点で事実関係が不明で、旭川医大の見解や記者の釈放についてはコメントできない。逮捕の経緯などを記者に確認し、読者には紙面で説明する」としている。(井上潜、斎藤徹、本田大次郎) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
MLB Commissioner Rob Manfred says new rules taking game in ‘right direction’
New York – Major League Baseball’s crisis of the moment will be worth the short-term distraction, Commissioner Rob Manfred said on Wednesday, if the league’s effort restores balance to the product on the field. The league’s enhanced enforcement of foreign-substance usage by pitchers has made mandatory umpire checks a strange […]
原爆ドーム前に響いた三線 慰霊の日、広島から祈り捧げ
会員記事 岡田将平、比嘉展玖2021年6月24日 14時30分 太平洋戦争末期の沖縄戦の戦没者を悼む「沖縄慰霊の日」の23日、広島でも祈りが捧げられた。多くの住民を巻き込んだ地上戦と原爆という惨禍。沖縄とつながり、平和のあり方を考える人たちもいる。(岡田将平、比嘉展玖) ◇ 広島市の原爆ドームの対岸にある親水テラス。この日、沖縄出身者らの集いがあり、沖縄県中城村(なかぐすくそん)出身で広島沖縄県人会顧問の中村盛博さん(71)=同市安佐北区=が三線(さんしん)を響かせ、沖縄戦の犠牲者を悼んだ。 中村さんは沖縄民謡のほか、父・盛鴻(せいこう)さんが自らの体験を元に作詞した「戦場(いくさば)の口説(くどぅち)」を披露した。詞は「何時(いつ)も忘れぬ 酉(とり)年の 四月朔日(ついたち) アメリカの 北谷・砂浜に 上陸し」で始まる。 1945年4月1日、米軍が沖縄本島中部に上陸すると、中部で暮らしていた父は、弾丸が降り注ぐなか、一家6人で逃げた。食べるものがなく苦しみ、墓のなかに隠れながら、南部を目指した。6月20日、南部の海岸で米軍に捕らえられ、生きながらえた。最後は「又(また)と戦(いくさ)の 無いらぬ如(ごとく) 世界平和ど 願い侍(はべ)ら」(二度と戦争のないように 世界平和を願います)で終わる。 中村さんは米軍の占領下の時代に生まれ、復帰前の1968年、大学進学を機に広島に移った。県人会で三線の講師をしながら、この口説を歌い続けてきたという。「新型コロナで広島と沖縄を結ぶ機会が制限されているが、今日は沖縄戦の歴史を知り、同じく大きな戦禍を経験した広島と沖縄がお互いに理解を深められる日になってほしい」 ◇ 「もっと早く終われば」父亡くした女性、生徒に語る 広島市南区の比治山陸軍墓地… この記事は会員記事です。無料会員になると月5本までお読みいただけます。 残り:1017文字/全文:1755文字 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
生かせなかった12年前の大津波警告 原発訴訟で再注目
福島第一原発事故を起こした東京電力や国の責任をめぐり、平安時代に東北地方を襲った大津波が改めて注目されている。東電旧経営陣の経営責任が争われている株主代表訴訟では今年、12年前の国の会合で想定を求める発言をしていた研究者が証言。当時、相談に来た東電の担当者に「対策を取るべきだと言った」と明かした。警告は、なぜ生かされなかったのか。 「津波対策を考えたほうがいい」東電に助言 「今から調査しても無駄ですよ、対策を考えたほうがいいですよと伝えた」。5月27日、東京地裁に証人として呼ばれた岡村行信・産業技術総合研究所名誉リサーチャーはこう証言した。東電の旧経営陣5人を被告に22兆円の賠償を求めた株主代表訴訟。岡村氏が法廷に立つのは原告側の尋問があった2月以来で、この日は被告側の代理人による尋問があった。 「必ずしも対応をとるべきだと考えていなかったのでは」と問う被告側に対し、岡村氏は「そんなことはない」と否定。「考慮すべきものだと私は考えていた」と語った。 焦点になっているのは、869年に起きた貞観(じょうがん)地震による津波を想定に入れなかった東電の対応だ。被害は平安時代の歴史書「日本三代実録」にも記され、2011年の東日本大震災は、その再来とも言われた。岡村氏は震災前から、過去の津波で運ばれた砂などの津波堆積(たいせき)物の研究に地質学の専門家として携わってきた。 原発事故の発生直後から注目を集めたのが、今から12年前、09年6月24日の岡村氏の発言だ。 「非常にでかいものが来ている。全く触れられていないのは納得できない」。福島第一原発の地震想定の見直しをチェックする経済産業省原子力安全・保安院の公開会合で、東電の想定に疑問を投げかけていた。 当時は、産総研や東北大によって各地の地層に残る津波堆積物の調査が進んできていた。従来知られていた宮城県の仙台平野や石巻平野、さらには福島県沿岸にも貞観津波の痕跡が広がっていることがわかり、これをもとに震源(波源)の位置や規模を推定した研究論文も出ていた。原発の地震や津波の想定では、最新の知見を反映するルールになっている。それなのになぜ考慮しないのか、との指摘だった。 予定外の発言に慌てた東電 岡村氏はこのときの東電の反応について、「なかなか認めない雰囲気だった。今までの対応と違うと感じた」と法廷で振り返った。実際、この指摘は東電にとって予定外だったことが、旧経営陣の刑事裁判に提出された証拠で明らかになっている。当日、旧経営陣を含む社内の関係者に担当者が送ったメールには、こんな記述が残っていた。 「了解となる予定でしたが、やや波乱があり、もう1回審議となりました」「津波、地震の関係者にはネゴしていたが、地質の岡村さんからコメントが出た、という状況」 ネゴとはネゴシエーション、いわば事前の根回しだ。この日は保安院が審議結果をまとめる最終段階で、幅広い専門家に意見を求める会合だった。東電は、一部の専門家には貞観津波をすぐには想定に入れない方針を説明していたが、岡村氏は漏れていた。 その後、東電の担当者は岡村氏を訪問。福島県内の津波堆積物を独自に調査してから貞観津波の扱いを検討する方針を説明した。岡村氏が「調査は今さらやるものではない」と、対策に進むよう求めたのはこのときだったという。 すでに産総研などが200カ所以上を調べ、宮城沖から福島沖に及ぶ巨大な震源域を推定していた。これは確かなデータをもとにした「最低限のモデル」。もうかなりのことがわかっていて、東電の調査でデータが増えても小さくはならないとの考えからだった。津波堆積物の調査が先行した北海道では、太平洋岸を大津波が襲う「500年間隔地震」が国の防災想定に反映されていた。 観測網のない古い時代の地震や津波の再現は、古文書、地層や地形に残された証拠を手がかりにするしかない。いくら調査を重ねても不確実さはつきまとうが、津波堆積物を調べれば、地震の震源や規模、起きた時代や繰り返す間隔をつかむことができる。貞観津波があったこと自体ははっきりしているのに、完全を求めて調査にこだわり続ければ、いつまでも対策を取れなくなってしまう。 「ある程度の証拠があり、脅威になる自然現象は考慮しましょうという共通の考え方があった」。岡村氏は、原発の活断層の審査に携わってきた経験も踏まえてこう語った。当時の研究を踏まえれば「津波は大きくなるので、それなりの余裕をみた想定」をすることになったはずだったとの見方も示した。 「今までと違う」反応には、理由があった。実は、東電はこの前年の08年後半から、ひそかに貞観津波の影響を計算していた。 「最大影響の場合10メート… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル