コロナ禍の緊急事態宣言下、かつてない「慰霊の日」を迎えた沖縄。23日の県主催の追悼式は大きく縮小され、遺族らの手による慰霊祭も相次ぎ中止。「ひめゆり平和祈念資料館」(沖縄県糸満市)など民間の継承活動も存続が危ぶまれる。だからこそ、変わらぬ祈りを守りたい。そんな姿を追った。 糸満市摩文仁(まぶに)の県平和祈念公園。沖縄戦で亡くなった20万人余の戦没者らの名が刻まれた「平和の礎(いしじ)」にはこの日も雨の中、花を手に、訪れる人たちがいた。 南城市の玉城トミ子さん(83)は初めて礎に来た。体調が優れず、これまでかなわなかった。一つ上、9歳だった姉の名が刻まれている。「来ることができなくて、ごめんねー」。名前に手をあて、泣き崩れた。 那覇市の宮城和子さん(79)は4世代で訪れた。今年小学校に入学したひ孫(6)に、沖縄戦で犠牲になった母と兄のことを伝えたくて、礎を見せにきた。母と兄の名前をじっと見つめた宮城さん。「家族は立派に成長していますよ」 米軍上陸の地 1人で慰霊碑に手を合わせ 毎年「平和の礎」で家族と「再会」し、追悼式に参列してきた遺族の中には、自宅や地域で手を合わせる人たちも少なくなかった。 平和祈念公園から約40キロ北、読谷村では正午、村遺族会会長の新垣生雄さん(80)が集落の小さな慰霊碑で1人、手を合わせた。 毎年、地元の遺族たち数十人で県主催の追悼式に出席していたが、県の要請で地域の人たちに自粛を呼びかけざるをえなかった。自身も礎に祖母や父、叔父の名がある。「3人に会えないのは寂しいね」 村は米軍が沖縄本島に最初に上陸した地。上陸直前の1945年春、一家が本島北部に避難するなか、祖母はわずかな食糧を孫に食べさせ続けて餓死したと聞いている。祖母を思うと涙が出る。「戦争で誰も死んではいけない。本当は、追悼式なんて、なければないほうがいい」 同じ正午。本島中部の西原町… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
二つの姓で生じる混乱 「旧姓併記」は解決策なのか
どちらかが姓を変えないと、法律婚にならない日本。最近は、別姓での結婚を望む人々のために、運転免許証などへの旧姓併記、職場での通称使用が広がってきたが、納税、年金受給など、戸籍名の使用しか認めない分野はまだ多い。対症療法でなく、選択的夫婦別姓による抜本的な解決を望む声が強まっている。 ある30代の男性は昨年、離婚届を提出した。妻との関係が悪くなったわけではなく、今も一緒に生活している。理由は、パスポートをめぐるトラブルを避けたかったからだ。 パスポートの旧姓併記は、以前は特例の扱いで、必要性を証明する書類の提出などが必要だった。それが今年4月、戸籍謄本などで旧姓を確認できれば済むようになり、手続き面も簡単になった。 男性は結婚して妻の姓になったが、仕事では旧姓を使ってきた。そのため、必要な書類をそろえ、旧姓を併記したパスポートを申請した。パスポートには、結婚後の戸籍名の隣に、カッコ書きで旧姓が記された。 拡大するパスポートの旧姓併記のイメージ。戸籍上の姓の隣に、()内に旧姓が記される(外務省のホームページから) だが、ふと心配になった。海外に出張の際も、仕事では旧姓で通している。一方、ビザや航空券を取得したり、国際会議への出席を登録したりするときはパスポートと同じ戸籍名になる。二つの姓を用いることで、混乱が起きないだろうか。 外務省によると、パスポート… この記事は有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 残り:1413文字/全文:1948文字 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
強豪校球児からボクサーへ 大己と健太、それぞれの挑戦
高校野球の強豪校でレギュラーだった元球児が、プロボクシングで6月27日にデビュー戦を迎える。愛工大名電の二塁手だった木附大己選手(23)。4番打者を担ったこともある「パンチ力」を、今度はリングの上で見せる。 「試合が近くなってきて、夏を迎える気持ちがよみがえってくる。またこうして戦いに備える気持ちを味わえるのがうれしいです」 球児が夏の大会に向けて練習を積むように、自身も初戦に向けて調整をする木附選手は声を弾ませた。 ボクシングを始めたのは昨年3月で、10月にプロテストに合格した。今月末のデビュー戦は名古屋国際会議場であり、高校時代の同期や先輩たちも駆けつけてくれる予定だ。 野球は小学2年で軟式を始め、中学で硬式のチームに所属。高校では1年生の秋からベンチ入りした。「4番だったのは、たぶん1試合だけですよ」と笑うが、2年生だった2014年秋の東海大会1回戦でその4番に座り、3安打した。 3年生で挑んだ2015年夏は、愛知大会で準優勝だった。決勝で中京大中京に3―4で逆転負けを喫し、甲子園まであと一歩のところで涙をのんだ。この試合の最後の打者が、木附選手だった。九回2死一塁で二飛。一塁に向かう途中でひざまずいて、泣き崩れた。 「あのときの姿は恥ずかしいんですけど、知人が撮ってくれた写真を持っているんですよ。一塁コーチが『並ぶぞ』って声をかけて、引っ張ってくれた。それでやっと整列することができたのが印象に残っています」 高校卒業後に就職し、20歳で結婚。現在は2児の父親でもある。 新たな挑戦に、当時2人目の… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
方言と英語交え平和願う 沖縄・玉城知事の宣言全文
沖縄県の玉城デニー知事が23日、戦後76年の「慰霊の日」を迎えて沖縄全戦没者追悼式で読み上げた平和宣言は以下の通り。 ◇ 太平洋戦争最後の熾烈(しれつ)な地上戦が行われてから、76年目の6月23日を迎えました。 荒れ狂う戦火は、20万人余りの尊い命を奪い去り、多くの人々を傷つけ、かけがえのない文化遺産や美しい自然を破壊しました。 私たちは、想像を絶する悲惨な沖縄戦の記憶を風化させることなく、亡くなられた方々の悲しみや苦しみに思いを寄せ、無念の声を代弁する戦争体験者の証言を後世に語り継ぎ、平和がいかに尊いものかという人類普遍の教訓を胸に刻み、恒久平和の実現を強く求めながら、復興と発展の道を懸命に歩んでまいりました。 しかしながら、今もなおここ摩文仁(まぶに)を始め県土の各地には、犠牲になられた方々の御遺骨や多くの不発弾が埋もれており、戦争の傷は未(いま)だ癒えることがありません。 県民の思いに寄り添い、国の責任において一日も早い御遺骨の収集、不発弾の処理を行っていただきたいと思います。 また、国土面積の約0・6%の沖縄県に米軍専用施設面積の約70・3%が集中し続けていることにより、騒音、環境問題、米軍関係の事件・事故が後を絶たない状況にあります。 SACO合意から25年が経過し、この間、アジア太平洋地域の安全保障環境が大きく変化し、米軍は部隊の分散化を進めていると承知しております。 このような中、沖縄県が来年本土復帰50年という大きな節目を迎えるに当たり、日米両政府は、県を含めた積極的な協議の場を作っていただき、辺野古新基地建設が唯一の解決策という考えにとらわれることなく、「新たな在沖米軍の整理・縮小のためのロードマップ」の作成と、目に見える形で沖縄の過重な基地負担の解消を図っていただくことを要望します。 ここ沖縄は、世界自然遺産登録に向けた取組を進める「奇跡の森やんばる」と呼ばれる希少な動植物が多く生息・生育する地域や、個性豊かな自然あふれる離島地域など、多様性に富む自然環境を有しています。 未来を担う子どもたち、若者たちに、自然豊かな沖縄、独自の文化が息づく沖縄、平和で真に豊かな世界に誇れる沖縄を託すことが私たちの責務であります。 一方、世界に目を向けると、依然として地域紛争は絶えることがなく、貧困、飢餓、差別、人権侵害などの多くの問題が存在しています。 「愛の反対は憎しみではなく無関心です」という言葉があります。世界中の人々が連帯し、多様性や価値観の違いを認め合い、対立や分断ではなく、協力して共に歩み、乗り越えていくことが、今求められています。 まさに現在、新型コロナウイルス感染症の脅威にさらされている中においては、人々の命と生活を支えるため世界が協力していかなければなりません。 グローバル化した現代において、平和な社会を創造するためには、近隣諸国との相互理解が欠かせません。私たちは、時間や場所を越え平和への思い、安らかな暮らしへの思いを紡ぎ共に分かち合うことが可能です。困難な状況の今こそ英知を結集し、誰一人取り残すことのない社会の実現に向けて共に歩んでいくことが重要ではないでしょうか。 かつて沖縄の人々は、長い歴史の中で、祖先への敬い、自然への畏敬(いけい)の念、他者の痛みに寄り添うチムグクルを育むとともに、近隣諸国との交易を通じて友好関係を結び、独自の文化と平和な社会を築いてきました。 私たちは、世界の国々をつなぐ架け橋として活躍した先人の「万国津梁(ばんこくしんりょう)」の精神を受け継ぎ、沖縄の歴史と風土の中で培われた平和を何よりも大切にする「沖縄のこころ・チムグクル」を世界に発信していかなければなりません。 そして、戦争を体験した全ての方々の思いに応え、二度と悲劇を繰り返さないため、戦争体験や教訓を次の世代に正しく伝えていくことは、私たちの大切な使命です。 県民の思いを込め世界の恒久平和の創造に貢献することを目指す沖縄平和賞、平和につながる身近な社会貢献活動に光を当てたちゅらうちなー草の根平和貢献賞などにより、平和のバトンは、様々な活動をとおして人々の手から手へ託されながら未来につながっていきます。 また、沖縄と同様、悲惨な戦争体験などを持つアジア諸国の若者と沖縄の若者が共に学ぶことで、国籍や文化の違いを超えてつながり、培った平和への思いを共有し、遠く離れていても、「平和への架け橋」となるネットワークを築いております。 私たちは、沖縄から世界へ平和の輪がつながっていくことを目指し、核兵器の廃絶、戦争の放棄、恒久平和の確立のため不断の努力を続けてまいります。 くぬ地球(みふし)ぬ上(うぃー)から 有る丈(あるうっさ)ぬ戦争(いくさ)、無(ねー)らんなすくとぅ。 一人一人(ちゅいなーちゅいなー)が 弥勒世(みるくゆー)(平和)願(にが)いる心気(しんち)(心持ち)繋(ちな)じ行(い)ちゅるくとぅ。 食料分配(かみむんゆらー)てぃ、希望(にげーかない)とぅ信頼(たゆいがなさ)育(すだ)てぃてぃ、笑顔(われーがう)んかい囲(かく)まってぃ 一生(いちぐ)とぅじみ(遂げる)らりーるくとぅ。 うぬ為(たみ)に必死(ぬちかじ)り努力(はま)てぃ 私達(わったー)から未来(さちじゃち)ぬ子供達(わらびんちゃー)んかい繋(ちな)じ行(い)ちゃびらな。 Let us free this planet from all battles and wars By connecting the hearts of all those who wish for peace Let us always live together with smiles By sharing food, fostering hope and trust among nations It is time to show our “Bankoku Shinryo” spirit to the international communities and to pass the baton of “Chimugukuru” to our children, and future generations! 本日、慰霊の日に当たり、犠牲になられた全てのみ霊(たま)に心から哀悼の誠を捧げるとともに、沖縄戦の実相と教訓を次世代に伝え続け、人類社会の平和と安寧を願い、国際平和の実現に貢献できる「安全・安心で幸福が実感できる島」を目指し、全身全霊で取り組んでいく決意をここに宣言します。 令和3年6月23日 沖縄県知事玉城デニー ※方言及び英語の訳 地球上からあらゆる戦をなくすこと。 一人ひとりが平和を願う心をつないでいくこと。 食料を分かち合い、希望と信頼を育み、笑顔に囲まれて一生を遂げられること。 そのための努力を私たちから未来の子どもたちへつなごう。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
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玉城知事「戦争体験、後世に語り継ぐ」 沖縄・慰霊の日
国吉美香2021年6月23日 14時46分 沖縄は23日、新型コロナウイルスによる緊急事態宣言下で戦後76年の「慰霊の日」を迎えた。県平和祈念公園(糸満市摩文仁)での沖縄全戦没者追悼式は規模を大幅に縮小。雨が降る中、約30人が参列した。玉城デニー知事は平和宣言で、戦争体験者の証言を後世に語り継ぐと誓った。 太平洋戦争末期の沖縄戦では日米で約20万人が亡くなった。そのうち軍人・軍属を含め沖縄出身者は12万人以上が犠牲となったとされる。敵味方や国籍を問わずに戦没者の名を刻む「平和の礎(いしじ)」には今年新たに41人が追加刻銘され、計24万1632人となった。 沖縄の地中からはいまも戦没者の遺骨が発見され、不発弾も次々と見つかっている。玉城知事は平和宣言で「戦争の傷はいまだ癒えることがありません」と語り、国に対し遺骨の収集と不発弾処理を一日も早く進めるよう求めた。 また、国内の米軍専用施設の7割が沖縄に集中し、基地被害が後を絶たない状況に言及。来年の本土復帰50年という節目にあわせて、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の移設計画について日米両政府に向け「辺野古新基地建設が唯一の解決策という考えにとらわれることなく、目に見える形で過重な基地負担の解消を図っていただきたい」と訴えた。県を含めた協議の場を改めて要望した。 追悼式には2004年以降、毎年首相が出席してきたが、コロナ禍のため昨年に続き今年も招待を見送った。首相就任後、初の慰霊の日となった菅義偉首相はビデオメッセージで「沖縄が負った癒えることのない深い傷を、今を生きる私たちは、深く心に刻み、決して忘れてはなりません」とあいさつした。 沖縄への基地負担の集中については「この現状は、何としても変えていかなければなりません。『できることはすべて行う』との方針の下、沖縄の基地負担の軽減に向け、一つ一つ、確実に結果を出していく」と述べ、返還実績を強調した。一方、県民の多くが反対するなかで進めている名護市辺野古の基地建設についての言及は無かった。 県内の小中高校生らから選ばれる「平和の詩」は今年、宮古島市立西辺中学2年の上原美春さん(13)が朗読した。(国吉美香) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「原子の灯」の街 今度は全国初の老朽原発稼働の舞台に
拡大する対岸の海水浴場から望む関西電力美浜原発。一番左が再稼働の準備が進む3号機=2021年6月9日午前11時7分、福井県美浜町、佐藤常敬撮影 運転開始から40年を超える老朽原発の関西電力美浜3号機が23日、再稼働の工程に入った。立地する福井県美浜町は、大手電力の原発発祥の地だ。東京電力福島第一原発事故から10年。半世紀にわたり原発と共存してきた町の人々は、全国初となる老朽原発再稼働を複雑な思いで受け止めている。(佐藤常敬) 美浜原発を対岸に臨む美浜町竹波地区。沢田忠義さん(61)はすし屋を営む。 拡大する美浜原発近くの集落ですし店を営む沢田忠義さん=2021年4月14日午後4時0分、福井県美浜町、佐藤常敬撮影 「ほんま正直のことを言えば怖い。でも、原発があったから集落はかろうじて姿を保っている」 「共存だけど、もう共栄にはならない」 記事後半では、半世紀にわたり原発と伴走してきた町の歴史とともに地元で暮らす人たちの覚悟と廃炉後も見据えた動きを紹介します。 1万人に満たない小さな町… この記事は会員記事です。無料会員になると月5本までお読みいただけます。 残り:1607文字/全文:1847文字 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
携帯電話代理店大手、下請けに不当減額 公取委が勧告
田中恭太2021年6月23日 15時00分 公正取引委員会は23日、再委託先への支払代金を不当に減額したとして、携帯電話代理店最大手の「ティーガイア」(本社・東京)に対し下請法違反(減額)で勧告を出したと発表した。携帯電話の取引を巡る勧告は公表を始めた2004年以降で初めてという。 同社は大手キャリアから代理店業務を請け負い、一部を下請けに再委託している。公取委によると、同社の東海支社は、下請け先の業務実績の評価に応じて、「戻入(れいにゅう)金」として下請け代金を後日差し引く制度を運用。「auショップ」を運営する再委託先8社に対し、19年4月までの1年間で計約5661万円を減額していた。 ティー社は今年3月までに全額返金したという。下請法は、納期遅れなど、下請け業者の責めに帰すべき理由がないのに、発注時に定めた下請け代金額を減らすことを禁じている。あらかじめ合意があっても違反となる。 同社は住友商事系で、東証一部上場。業界最大手とされ、販売拠点は全国約2千店に上る。同社社長は、一般社団法人「全国携帯電話販売代理店協会」(東京)の代表理事も務めている。(田中恭太) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
上原美春さんがつむいだ平和の詩「みるく世の謳」全文
沖縄県内の小中高生ら計1500作品から選ばれた、宮古島市立西辺中学校2年の上原美春さん(13)の「平和の詩」は次の通り。 みるく世(ゆ)の謳(うた) 12歳。 初めて命の芽吹きを見た。 生まれたばかりの姪(めい)は 小さな胸を上下させ 手足を一生懸命に動かし 瞳に湖を閉じ込めて 「おなかすいたよ」 「オムツを替えて」と 力一杯、声の限りに訴える 大きな泣き声をそっと抱き寄せられる今日は、 平和だと思う。 赤ちゃんの泣き声を 愛(いと)おしく思える今日は 穏やかであると思う。 その可愛らしい重みを胸に抱き、 6月の蒼天(そうてん)を仰いだ時 一面の青を分断するセスナにのって 私の思いは 76年の時を超えていく この空はきっと覚えている 母の子守唄が空襲警報に消された出来事を 灯(とも)されたばかりの命が消されていく瞬間を 吹き抜けるこの風は覚えている うちなーぐちを取り上げられた沖縄を 自らに混じった鉄の匂いを 踏みしめるこの土は覚えている まだ幼さの残る手に、銃を握らされた少年がいた事を おかえりを聞くことなく散った父の最後の叫びを 私は知っている 礎(いしじ)を撫(な)でる皺(しわ)の手が 何度も拭ってきた涙 あなたは知っている あれは現実だったこと 煌(きら)びやかなサンゴ礁の底に 深く沈められつつある 悲しみが存在することを 凜(りん)と立つガジュマルが言う 忘れるな、本当にあったのだ 暗くしめった壕(ごう)の中が 憎しみで満たされた日が 本当にあったのだ 漆黒の空 屍(しかばね)を避けて逃げた日が 本当にあったのだ 血色の海 いくつもの生きるべき命の 大きな鼓動が 岩を打つ波にかき消され […]
33年の封印解いて手記刊行 元在日韓国人政治犯
韓国が独裁政権下にあった1970~80年代、母国に留学していた在日韓国人たちが情報機関の拷問によって「北朝鮮のスパイ」にでっち上げられ、投獄される人権侵害が起きた。その象徴的存在とされ、死刑判決を受けた大阪市生野区の李哲(イチョル)さん(72)が今月、手記を刊行した。自由の身になって33年。封印を解いたのは民主主義が壊れる危機感を抱いているからという。26日に出版の集いが開かれる。 「独裁権力の暴力に深く傷ついた在日同胞の被害者と家族に、大統領として国家を代表して心から謝罪する」。2019年6月、大阪市で開かれた主要20カ国・地域首脳会議(G20サミット)の前日、李さんは妻閔香淑(ミンヒャンスク)さん(71)とともに文在寅(ムンジェイン)大統領が出席する懇談会に招かれた。韓国大統領が在日の元政治囚をめぐる人権侵害で謝罪するのは初めてだった。 韓国で「在日同胞スパイ捏造(ねつぞう)事件」と呼ばれる一連の冤罪(えんざい)事件は、朴正熙(パクチョンヒ)、全斗煥(チョンドゥファン)元大統領らによる軍事独裁政権時代、北朝鮮への恐怖心をあおり、強い権力の必要性を知らしめる狙いでなされたとされる。 李さんは13年間の獄中生活を経て、1988年に仮釈放。いつか2人の子どもたちに読んでほしいと、仕事の行き帰りの電車でひそかに書きためた手記は大学ノート7冊分になっていた。「恥ずかしい内容で公開するつもりはなかったが、民主主義が後戻りしないように多くの人に読んでもらうことに意味があるかもしれないと思うようになった」と語る。 熊本県生まれの在日韓国人2世。中央大を経てソウルの高麗大大学院生だった75年12月、下宿先から目隠しをされて韓国の中央情報部(KCIA)本部に連行された。地下調査室で39日間拷問され、虚偽の自白を強要された。韓国メディアは当局の発表通りに、在日留学生らが北朝鮮の指令で活動した「学園浸透スパイ団事件」だとセンセーショナルに報道した。 「ある日突然連行された無防備な人は拷問の専門家であるかれらにはいとも簡単に料理できる獲物。もし力道山が連行されたとしても結果は同じだろう」。手記には過酷な取り調べの一部が詳細に記されている。服を全部脱がされ、木の棒でめった打ちにされる。性器にたばこの火を近づけられる。夜、何度も同じ質問を繰り返し、眠らせない。人格が粉々に破壊され、「自分が悪い」という思考に仕向けられていった。「記憶がよみがえるのが苦しく、全部は書けなかった」という。 ◇ 77年3月、国家保安法違反などの罪で韓国大法院(最高裁)の死刑判決が確定。婚約者だった閔さんも連行され、3年6カ月の実刑判決を受けた。 「愛する婚約者まで監獄に入れてしまったという自責感のために、私のような者はいっそ死んだほうがましだとさえ思っていた」(手記より) 生きる意欲を回復したのは… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル