会員記事 文・榧場勇太、写真・日吉健吾2021年6月27日 7時00分 坊主頭をタマゴと勘違いしているのか? 長い首でスキンシップをとるダチョウ君。初夏の北海道で待ってるよ。 緑の大地を踏みしめて、人の背丈をはるかに超える無数のダチョウたちが近づいてきた。長い首をニョキッと伸ばしてこちらの様子を見つめる。ここはアフリカのサバンナか。いやいや、背後の羊蹄山を見て我にかえる。 北海道ニセコ町。国際的なスノーリゾート地として知られる豪雪地帯だが、夏には雪どけ水が一面を肥(ひ)沃(よく)な地に変える。「第2有島だちょう牧場」の40ヘクタールの敷地に、53羽のダチョウが肉牛と一緒に暮らす。大きいものは身長2メートル、体重150キロを超える。 拡大する初夏の日差しの中、牧場でエサをついばむダチョウ。奥は羊蹄山=北海道ニセコ町、日吉健吾撮影 4月下旬から11月ごろまで放牧されているダチョウたち。訪れた人はエサ(100円)を購入して触れ合える。 牧場を営む氏家健太さん(33)の祖父が30年ほど前にダチョウ飼育を始めた。牧場名はかつて小説家の有島武郎が所有していたことに由来する。牛に比べ4分の1のエサで同じ量の肉がとれるため、当時は「未来の食肉」として注目された。しかし、肉はほとんど売れずに事業は赤字続きだった。 記事後半では、地元で人気のグルメスポット紹介や会員登録すると応募できるプレゼントもあります。 一方で、珍しさと羊蹄山を望… この記事は会員記事です。無料会員になると月5本までお読みいただけます。 残り:807文字/全文:1298文字 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
増田寛也氏も想定外の感染爆発 5年前から備えていたら
東京一極集中について、「消滅可能性都市」の指摘など問題提起を長年続けてきた元総務相の増田寛也さん(69)。「密」により感染が広がるコロナ禍において、人口過密に苦しむ都市の姿をどう見ているのか。コロナ禍以後の人口動態を分析しつつ、今後の東京について進むべき道を語りました。 ますだ・ひろや 旧建設省を経て、1995年から岩手県知事を3期務め、2007~08年に第1次安倍内閣などで総務相。14年、座長を務める民間研究組織「日本創成会議」が発表した「消滅可能性都市」は、政府が「地方創生」を打ち出す契機になった。現在、日本郵政社長。 ◇ ――増田さんが座長を務めた日本創成会議が行った2014年の消滅可能性都市の指摘と提言は大きな反響を呼びました。政府や各地の自治体などが危機感を抱いて地方対策に乗り出すきっかけになりましたが、東京への人口流入のトレンドそのものは続きました。しかしこのコロナ禍において転出超過が続いています。この現象をどう見ていますか。 消滅可能性都市 2040年までに全国の計896自治体で、20~39歳の女性が半減する、と有識者による民間研究機関「日本創成会議」が独自に試算し、14年に発表した。このままでは人口減少が止まらず、行政機能の維持が困難になると警鐘を鳴らした。 国立社会保障・人口問題研究所が前年にまとめた推計では、地方から大都市への人口流出は20年までに落ち着くとしていたが、同会議は大都市で医療・介護分野の求人が増えるため、年間6万~8万人規模の流出が続くと仮定した。 私も、毎月の住民票移動データを注意深くみてみましたが、コロナというのはこれまでの人口の動きを大きく変える、それだけの破壊的な力をもっているなというのを改めてみたところです。 今年2月まで8カ月連続で都から転出超過が続きました。東日本大震災のあと、東京電力福島第一原発事故の放射能の影響で転入が一時期ずいぶん少なくなったことはあったのですが、それでも転入超過は続いていた。今回はコロナ、「密」がおそれられたということだったと思います。コロナ禍は、東京の持つある種の脆弱(ぜいじゃく)性を明らかにした。 3月、4月は、就職や大学への進学で多くの方が東京に入ってくるので、転入超過にはなりましたが、その数は前年までに比べてはるかに少ない数です。5月はまた転出超過にふれるとみています。 東京の脆弱性や危険性については、日本創成会議や、その後の都知事選挙のときも指摘していました。ただ、あのころは災害、特に首都直下地震を想定して、これだけ東京に人が集まるというのは危険だということを申し上げたので、感染症までは思い浮かばなかった。今後、東京のあり方を考えていくうえで、私たちは感染症における密のリスクを十分に意識しておかなければいけない。 今回の転出超過は、テレワークの普及が大きい。地方に住んでも、転職せずに仕事ができる。これがわかったことは大きい。コロナで働き方の変革を余儀なくされたことで、働く人たちがテレワークという「武器」を得た。密をかえる大きなきっかけになると言えるのではないか。 ただ、これにも限界がある。このことは後にふれます。 ――2016年の都知事選のとき、それまで「一極集中」を批判し是正策をとってきたことが、都政を担う立場としては矛盾するとも批判されました。都議選が告示されましたが、それでもやはり、ど真ん中の東京だからこそ争点とすべき問題でしょうか。 5年前の当時は、日本経済の基調はバブル期と比べてだいぶ変わってきたとはいえ、まだまだ成長神話が信じられていた。リーマン・ショックのあと、早くまた成長軌道に戻りたい。そのためにも、東京はその中心であるべきだし、日本全体では人口減少に入ったけども、東京はずっと増えてきて集中度合いを強めていたわけです。それがひいては日本の発展につながっていく、みたいな話がまだまだ強く生き残っていた時代でした。 でもそれは古くて危険な考え方です。 いまどき人口を集めることで… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「小樽が好きだから」運河清掃10年 誰でも参加OK
北海道小樽市のシンボル・小樽運河で、週1回の清掃ボランティアを続けている団体の活動が6月19日で10年になった。節目の日に清掃にまぜてもらうと、ゆる~いつながりと「小樽が好きだから」というシンプルな理由が長続きの秘密だと分かった。 曇り空の肌寒い朝だった。19日午前6時20分ごろ。運河の途中にある温度計は16度を示していた。土曜の早朝で、しかもコロナ禍。運河の遊歩道に人影はなかった。 来てくれれば、もう参加者 運河の南端、妙見川が運河に流れ込む待ち合わせ場所では6~7人の男性が談笑していた。「おはようございます。来てくれましたね」。カナル・クリーン・チーム(CCT)の代表中沢義範さん(61)がにこやかに迎えてくれた。 「きょうの参加者はこれぐら… この記事は会員記事です。無料会員になると月5本までお読みいただけます。 残り:1722文字/全文:2053文字 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「ドラゴン桜」 生徒役の人生を変えた女優との出会い
経営破綻(はたん)寸前の私立高校に通う、勉強が苦手な生徒たちが東大合格をめざすテレビドラマ「ドラゴン桜」。生徒の「藤井遼」を演じた俳優の鈴鹿央士さんは、岡山で過ごした自らの高校生活を「いたって普通」で、テレビや映画ははるか遠い世界だったと振り返ります。そんな人生が、ある人との出会いで一変したそうです。 ◇ 出演したドラゴン桜では、東大をめざす成績学年トップの生徒役でしたが、自分は飛び抜けて勉強ができた方ではないです。いたって普通の高校生でした。 勉強よりは、スポーツ好き。2歳上の兄の影響で、同じ県立高校に進み、同じバドミントン部に入りました。インターハイ出場まで、あと一歩のところまで行きましたよ。 自転車通学で、部活後は友達とコンビニで唐揚げを買い食いして、誰と誰が付き合っているとか、他の部の雰囲気はどうかとか、たわいもない話で盛り上がっていました。 学校はスマホの持ち込みが禁止で、イヤホンのコードを制服の下に背中から通して、授業中ばれずに音楽を聴く方法を広めたりもしました。 あこがれの職業や、固く決めた目標があったわけではないです。高校1年の3月、英国に約2週間短期留学して、現地の子と一緒に勉強し、土日はホームステイ先の家族と過ごした経験から、大学に進んで留学したいと漠然とは考えていました。それが、ある人との出会いで一変しました。 高校2年の11月、学校で映… この記事は有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 残り:730文字/全文:1332文字 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
鼻かもうとして操作誤る?秋田知事運転の車が単独事故
2021年6月27日 22時18分 秋田県の佐竹敬久知事(73)が27日、私用で私有車を運転し、自動車専用道の日本海沿岸東北道で単独事故を起こした。同日夜、県が明らかにした。県によると、運転中に鼻をかもうとして運転操作を誤ったという。知事にけがはなく、28日朝に自ら状況を説明するとしている。 県警高速隊などによると、27日午後2時半ごろ、秋田県由利本荘市内の日本海沿岸東北道の大内ジャンクション―松ケ崎亀田インターチェンジ間で、乗用車が中央分離帯に衝突する事故があった。 この乗用車を佐竹知事が運転していたという。現場は片側1車線で、パンクしたタイヤや部品が道路に散乱し、中央分離帯のワイヤロープの支柱が曲がったため、緊急工事のため約1時間にわたり同区間の下り線が通行止めとなった。 高速隊は、単独の物損事故として調べている。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
がんと闘う元主将が二塁打 マスターズ甲子園愛知県大会
元高校球児が甲子園で戦う「マスターズ甲子園」の第4回愛知県大会が26日、始まった。12月に阪神甲子園球場である舞台をめざし、14校のOBチームが参加。がんと闘う選手も活躍し、現役の高校球児らにエールを送った。 26日は刈谷球場で1試合があり、刈谷OBが14―3で半田OBに勝った。 半田OBの黒柳寛喜選手(25)は4番捕手で出場。2打席目に左翼線へ二塁打を放ち、「当たりも良く、気持ちよかった。久々に野球をしているって感じました」と話した。 2019年3月にステージ4… この記事は会員記事です。無料会員になると月5本までお読みいただけます。 残り:385文字/全文:623文字 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
難民申請中のミャンマー代表選手、小学生とサッカー交流
サッカーのミャンマー代表選手として来日後、母国のクーデターに抗議の意思を示して難民申請をしているピエリアンアウンさん(27)が27日、大阪府内で少年サッカーチームの子どもらと交流した。 支援者の在日ミャンマー人で、大阪市で飲食店を営むアウンミャッウィンさん(47)が、チームのコーチと親しかった縁で実現した。ピエリアンアウンさんは自身のミャンマー代表のユニホームを着て参加し、子どもらとパス練習やミニゲームをした。本職のゴールキーパーを務め、子どもたちのシュートを横っ跳びではじいて歓声を浴びる場面もあった。小学5年の内田幸紀(こうき)さん(11)は「強くて、でかくてボールを取られない。日本でもサッカーをしてほしい」と話した。 ピエリアンアウンさんは練習後、着ていたユニホームにサインをしてプレゼント。報道陣には「日本に来て一番楽しい時間だった」と笑顔を見せた。一方で「ミャンマー代表としてもう1回プレーしたい。でも、クーデターで全クラブがプレーできなくなった。ミャンマーのサッカーが立ち上がるのには時間がかかる」と複雑な思いも打ち明けた。 ピエリアンアウンさんは5月28日、ワールドカップ(W杯)アジア2次予選の日本戦で、国歌斉唱の際、クーデターを起こした国軍への抵抗を示す「3本指」を掲げた。「帰国すると迫害を受ける」と訴え、関西空港で帰国便への搭乗を拒み、日本政府に保護を要請。今月22日、大阪出入国在留管理局で難民認定を申請した。(宮崎亮) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
福岡・朝倉で「防災塾」 九州北部豪雨の被災地から発信
渡辺純子2021年6月27日 20時30分 42人の死者・行方不明者が出た九州北部豪雨から間もなく4年となるのを前に、被災地の福岡県朝倉市で27日、住民たちが「防災塾」を開いた。被災の痛みを知るからこそ次の災害に備えようと、土囊(どのう)作りや防災ゲームを体験した。 参加したのは同市杷木久喜宮(はきくぐみや)の約30人。小学校跡地に今春できた地域防災拠点施設を生かし、防災意識を高めようと、住民と支援団体が協議体「災防(サイボウ)グ」をつくって企画した。 まず「クロスロード」というカードゲームで避難について学んだ。「避難所に3千人いるが食料は2千人分しかない」「80歳の母がいるが深夜に避難指示が出た」。そんな時どうするか、それぞれが考え、意見を話しあった。 土囊作り体験では、袋を裏返す、土を入れすぎない、結び目を下に向けて積む、などのコツを学習。学生ボランティアも参加し、2人1組で作って積みあげた。コロナ対策として1人で作る方法も学んだ。 4年前、自宅に泥が入り1カ月避難したという内山育子さん(72)は「7月が近づくと戦々恐々だけど、心構えができた。土囊作りは1回やっておくと、いざという時に役に立つ」と話した。 塾はオンラインでも配信した。あと4回開く。災防グ代表の望月文(ぶん)さん(42)は「災害から4年経ち、後処理が一段落して、やっとここまで来た。災害前にこういうことをやっておくことが大事だと、被災地から発信したい」と話した。(渡辺純子) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
流され行方不明の男児、遺体で発見 大阪・高槻の淀川
2021年6月27日 15時30分 大阪府高槻市の淀川で26日、小学生2人が流された事故で、行方がわからなくなっていた3年生の男児(8)が27日朝、現場近くで見つかり、死亡が確認された。 高槻署や市消防本部によると、26日午後、同市唐崎付近の河原で遊んでいた小学生3人のうち2人が流され、うち1人は釣り人に救助されたが、もう1人が行方不明になっていた。27日午前7時15分ごろ、消防隊員が近くの水中に沈んでいる男児を見つけたという。署が経緯を調べている。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
通信制高校から海外名門に飛び級合格 変わり者扱いでも
広域通信制のつくば開成高校から、世界ランキング上位の米国カリフォルニア工科大学大学院に飛び級合格し、今秋から入学する金子生弥さん(18)。中学2年のある朝起きたら、急に数学を学びたくなり、英語も独学で身につけ、数学研究の世界へ飛び込んだ。 中学2年の夏、朝起きたら突然、数学を学びたくなり、茨城県つくば市の自宅近くの本屋に出かけた。小説「数学ガール」シリーズを全巻読んだが簡単すぎて、古典的な数論の入門書を読破した。 人とかかわるのはあまり得意ではない。数学の授業ですぐに答えを言うと、教師からも変わり者扱いされた。英語は聞くのも嫌で、英検の受験経験もない。ただ、英文の数学専門書を読むうちに自信がついた。聞く・話すは、ユーチューブ上の数学者の講演で学んだ。「4歳からバイオリンを習っていたので、耳はいいんです」 日本人数学者が書いた本に複… この記事は会員記事です。無料会員になると月5本までお読みいただけます。 残り:293文字/全文:667文字 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル