語る東京五輪⑤ コロナ禍の中で開かれた東京五輪は、感染対策で無観客となり、国内外からの大規模な集客を前提としたイベントのあり方に一石を投じた。今回の経験を3年半余り後に控える大阪・関西万博にどう生かしていくべきなのか。日本総合研究所マクロ経済研究センターの石川智久所長(46)に語ってもらった。 ――今回の五輪は何を残したと考えますか。 「イベントの力を再認識できました。反対派も多かったですが、開会式の視聴率は6割近く。開会式では約1800台のドローンが地球儀などを描き、いまも新技術で感動を生み出せることを証明しました。競技を通じて日本の若者の頑張りも示せました。『終わったコンテンツ』だと言う人もいますが、決してそうではありません。今でも普遍的なメッセージを残せるというのが正直な感想です」 「トータルでは開催してよかったと思いますが、SDGs(持続可能な開発目標)の取り組みがきちんと実現できなかったのは課題です。女性蔑視発言などが明らかになり、多様性や調和(ダイバーシティー&インクルージョン)に本気でないのではと感じました。差別のない世の中をつくりたいのかどうかが見えませんでした。多くの弁当も廃棄されました。反省しないといけません」 ――コロナ時代のイベント開催にどんな影響をもたらしましたか。 「イベントの適正サイズを考えるきっかけになりました。イベントは放っておくとどんどん大型化しますが、大きければよいのかという問題があります。例えばコロナ後にパンデミックが再び起きた時、海外の客に来てほしくても、国内中心にパッと切り替え、海外はオンラインで楽しんでもらう。不測に備える『コンティンジェンシープラン(危機対応計画)』が大事です。バーチャルで味わうことで、リアルでも見に行きたいと思ってもらえる仕掛けも必要です」 東京五輪の後に日本で控える大型イベントが、2025年の大阪・関西万博です。SDGsや経済効果を掲げるなか、五輪の教訓を踏まえてどう臨むべきなのか。石川さんの考え方を聞きました。 ――今回の経験を万博にどう生かすべきですか。 「万博はSDGsの祭典とし… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「父殺すところ見られたので」母殺害 容疑で次男再逮捕
板倉大地、杉山あかり2021年8月15日 13時32分 福岡市西区の住宅の冷蔵庫から夫婦の遺体が見つかった事件で、福岡県警は15日、母親を殺害したとして次男の松本淳二容疑者(59)=死体遺棄、殺人容疑で逮捕=を殺人容疑で再逮捕し、発表した。容疑を認めているという。 県警によると、淳二容疑者は6月20日夜ごろ、自宅で母の満喜枝さん(当時87)の首を電気コードで絞め、業務用冷蔵庫に入れて21日早朝までに窒息死させた疑いがある。 淳二容疑者は20日、父親の博和さん(当時88)にトイレの介助を頼まれたことに腹を立て、博和さんの寝室で電気ポットのコードで首を絞めて殺害。次いで、その場面を目撃した満喜枝さんの首もコードで絞めたという。淳二容疑者は「父親の殺害を見られたので殺した。1人で残すのがかわいそうだった」と話しているという。 淳二容疑者は両親と3人暮らしだった。満喜枝さんは車いすを使い、博和さんが6月中旬に自転車で転倒したため、以降数日間は淳二容疑者が食事などの世話をしていた。大学を中退して以来、博和さんとは確執があったといい、「介護を頼まれるたびに見ていたアニメを中断するのが面倒だった。大学を中退した際に叱責(しっせき)され、いつかやってやろうと思っていた」と話しているという。(板倉大地、杉山あかり) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
民家に土砂 8人救出、男児ら3人心肺停止 長野・岡谷
2021年8月15日 13時34分(2021年8月15日 13時34分更新) 15日午前5時過ぎ、長野県岡谷市川岸東3丁目の住宅の裏側にある斜面が崩れて土砂が屋内に流入し、在宅していた8人のうち5人が巻き込まれた。岡谷市によると、5人は駆けつけた消防に救出されたが、3人が心肺停止の状態だという。西日本を中心に大雨が降り、長野県でも記録的な大雨となっていた。気象庁は引き続き厳重な警戒を呼びかけている。 同市によると、心肺停止になっているのは当時住宅の2階にいた40代女性と10代男性、10歳未満の男児。他の40代男性と10代男性の2人は軽傷で、ほか3人にけがはなかったという。 現場はJR川岸駅前で、商店と民家が道沿いに並ぶ。近くを中央道が通っており、一帯は土砂災害警戒区域(イエローゾーン)に指定されている。 15日午前10時40分までの72時間雨量の最大値をみると、全国計42地点で観測史上最多を更新しているが、このうち9地点を長野県が占めた。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
飛驒川沿い、岐阜で国道41号の歩道崩落
東谷晃平2021年8月15日 13時43分 前線の停滞により降り続いた雨の影響で、岐阜県下呂市萩原町の国道41号で歩道が崩落した。崩落した現場は飛驒川沿い。中部地方整備局は14日午後5時半ごろから現場付近を通行止めにしている。復旧のめどは立っていない。 国道41号は昨年7月の豪雨でも小坂町付近で約500メートルにわたって崩落しており、先月28日に復旧工事を終えて全線開通したばかりだった。(東谷晃平) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
大田司令官が願った沖縄への「御高配」 子孫に映るいま
76年前の1945年6月、沖縄の地下に掘られた洞穴で、一人の軍人が自ら命を絶ちました。海軍司令官の大田実さん。残された子や孫は、故人への思いを抱えながらそれぞれの道で「平和」を目指しました。今回は、元海上自衛官の四男や高校教諭をめざすひ孫らが登場します。大田さんが願った沖縄県民への「ご高配」は果たされたのでしょうか。 那覇の街並みや東シナ海が見渡せる沖縄県豊見城(とみぐすく)市の小高い丘で6月13日、旧海軍の慰霊祭が営まれた。だが今年は、コロナ禍のため遺族の姿はなかった。 大田豊さん=2021年7月5日、横浜市西区、岡田将平撮影 76年前のこの日、地下にある司令部壕(ごう)で司令官の大田実氏は自決した。四男の大田豊さん(76)は2年前まで毎年参列してきた。父だけではなく、沖縄戦で亡くなった20万人以上の人たちに向けて手を合わせるためだ。 自決の2カ月前に生まれ、父のことは知らない。戦後、海上自衛官の道を進んだ。自宅には旧海軍関係者が訪れ、母と思い出話をすることもあった。先に自衛官となった兄の落合畯(たおさ)さんもいて、自衛隊は身近だった。 1998年、豊さんが最後の任地として赴いたのは、沖縄県うるま市の沖縄基地隊だった。 沖縄県民斯ク戦ヘリ 遺された戦後 大田中将一家 それぞれの道 初めて沖縄で暮らしてみて、米軍基地に囲まれる現地の負担を肌で感じた。「いい場所は全部基地になっているな」。フェンスで囲まれた米軍基地の中は広々としていた。基地のすぐそばに住宅地が広がる場所もあった。相次ぐ米軍がらみの事件や事故を「怖い」と感じた。ここで暮らす人々の不安を思った。 ご高配と基地問題 大田が願った未来になっているか 司令部壕に実氏の遺族20人以上が集まったのは77年5月のことだった。三十三回忌の節目。遺骨が慰霊塔に納められ、実氏の電文を刻んだ碑が除幕された。 《沖縄県民斯(か)ク戦ヘリ… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
コロナ禍、一人だけの追悼式参列 不戦の思い貫く
76回目の終戦の日の15日、東京・日本武道館で開かれた政府主催の戦没者追悼式。新型コロナウイルスの影響で、式典の規模は昨年よりさらに縮小されたが、参列した戦没者遺族は、平和への強い思いを胸に不戦の誓いを新たにした。 参加ためらう気持ちも 追悼式に参列した遺族で最年長の長屋昭次さん(94)は、北海道からただ一人の参加となった。新型コロナの感染リスクを考えれば、参列をためらう気持ちもあったが、「生きている人にできることは慰霊しかない」と、会場から遠く離れた網走市から今年も参列した。コロナ禍以前は例年、北海道から数十人が式典に参列していたという。「さびしい限り。たくさんの人が参列を希望しているので、コロナが済んだら参列させていただきたい」 8歳年上の兄、保さんが亡くなったのは終戦後の45年12月、中国の入院先でのことだ。享年26、肺結核だった。弟思いの兄は生前、「復員したらいい学校に入れてやる」と言ってくれた。だが、武器や食糧を輸送する輜重(しちょう)兵として戦地に赴き、帰らなかった。 長屋さん自身も陸軍の少年飛行兵として従軍した。1945年8月15日の終戦は、朝鮮半島で迎えたという。同じ少年飛行兵には、特攻隊員としてまだ10代で戦死した人たちもいた。「特攻で亡くなった人たちを思えば、私たちに何ができるか」。参列を続けるのは、若くして戦地で命を落とした仲間への慰霊の思いもある。 戦後世代は総人口の8割を超えた。長屋さんはいまの政治家も含め、「どうか戦争だけは絶対に避ける考え方を持っていただきたい」と語りかける。(久永隆一) 帰らなかった杜氏の父 自分たちの「仲間」をつくりたくない――。式典で追悼の辞を述べた兵庫県丹波市の柿原啓志(ひろし)さん(85)は、そんな思いで式に臨んだ。 農家だった父・輝治(てるじ)さんは1944年4月に召集された。同年10月、中国・湖南省長沙市の野戦病院で、35歳の若さで亡くなった。記録には赤痢とあった。 召集がかかったとき、啓志さんは8歳で、父親に関する記憶はほとんどない。父が酒造りをする杜氏(とうじ)として働きに出かけ、家に帰ってきた時にバス停まで迎えにいくと、子どもたちを喜ばせようとお土産に獅子頭などをくれたことは覚えている。 友達が遊ぶのを横目に、父を失った自分は農作業をしなければならず、「なぜ自分だけが」と思うこともあった。20年ほど前、遺族会のグループで中国・湖南省を訪れた。うっそうと広がる森や野原を見て「父はこんなところに来たのか」と涙があふれた。弟は28歳で亡くなったが、母はなんとか元気で暮らしていること伝えた。一緒に訪れた人たちも泣いているのを見て、自分たち「遺族」をつくってはいけないと思った。 現在、兵庫県遺族会の会長を務めているが、「何の遺族会ですか」と尋ねられることもあるという。「高齢化は仕方ないにしても、戦争や戦没者への意識が薄くなっていってはいけない。次の代につないでいくことも訴えたい」。風化への危機感を募らせている。(石川友恵) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
【写真まとめ】九州北部 大雨の傷痕
2021年8月15日 16時00分 記録的な大雨に見舞われた九州北部。河川の氾濫(はんらん)や土砂崩れなどの被害を各地でもたらしました。長崎や佐賀、福岡の被災地の15日の様子を写真でお伝えします。16日以降は再び降雨が予想されており、気象庁は引き続き厳重な警戒を呼びかけています。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
遺影で知る父に「1日でも帰ってきて」愛知で戦没者追悼
山本知佳2021年8月15日 16時00分 終戦の日の15日、名古屋市東区の愛知県女性総合センター(ウィルあいち)で、県戦没者追悼式があった。新型コロナウイルスの影響で、参列者は約200人と、例年の4分の1ほどだった。 遺族代表として追悼の言葉を述べた安城市の渥美南枝(なみえ)さん(80)は、2歳になる前に父親の光男さんを亡くした。陸軍兵士として太平洋ガダルカナル島で戦死したという。生まれた時にはすでに父親は出征。存在を感じられたのは、遺影と、父親が名付けた「南枝」という名前だけだった。 渥美さんは追悼の言葉で、「父はまだ見ぬ子をどう思い描いてくれたのでしょう」と語り、「1日でもいいです。帰って来てください」と訴えた。今後自分たちができることとして「深い感謝の気持ちを持ち続け、厳しい戦禍を後々の世にも伝えていくことだと思います」と述べた。 尾張旭市の遺族代表として参列した伊藤三春さん(80)は、父親が沖縄戦で亡くなったという。「国のために、いや応なしにかり出されたんだと思う」と声を震わせて話した。これまで、沖縄の慰霊祭にも参加してきた。子どもや孫にも、父親が戦死したことは、繰り返し伝えてきた。「今後も平和を守るために、伝えていきたい」。コロナが落ち着けば、孫と沖縄へ慰霊の旅にも行きたいという。 県によると、参列者の平均年齢は77・6歳。参列者の約2割が、戦後生まれだったという。(山本知佳) 砂上の国家 満州のスパイ戦 – プレミアムA 1932年、中国・東北部に建国された「満州国」。 その満州国 をめぐり、日本とソ連はスパイ戦を繰り広げました。 1960年代初めに収録された、旧日本陸軍の元将校らの証言録音を改めて分析。 その攻防に迫りました。 【ドキュメンタリー】砂上の国家 満州のスパイ戦 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「極東のパリ」日ソのスパイ戦 元陸軍将校らの証言から
【動画】満州のスパイ戦 謀略の傀儡国家 「極東のパリ」。中国東北部の街ハルビンは、そう呼ばれていた。日本が謀略で打ち立てた「満州国」の時代、目抜き通りに洋館が並ぶこの街は、日本の関東軍が指揮するハルビン特務機関とソ連当局とのスパイ戦の最前線だった。米国に残された証言録音から、激しいせめぎ合いの一端が浮かび上がった。 「我々は、非常にいいスパイを入れていた」。1938年ごろ、ハルビン特務機関は、現地のソ連総領事館に内通者をつくることに成功したという。証言録音で、陸軍参謀本部の元ロシア班長がそう語っていた。 録音は米国人歴史家、故アルビン・クックス博士が60年代初め、ソ連とのスパイ戦に携わった日本軍の元将校ら36人にインタビューした時のものだ。米国・南カリフォルニア大学の東アジア図書館に、その証言録音が残っている。朝日新聞は図書館の協力を得て、計178時間に及ぶ証言を、当時の資料と照らしあわせて分析した。 現場をあてにしない組織 元ロシア班長によれば、その内通者は、総領事館とモスクワの政権中枢との通信内容をこと細かに送ってきた。その通信内容は「ハルビン機関特別諜報(ちょうほう)」、略して「ハ特諜(とくちょう)」と名付けられた。ただ、情報のあまりの生々しさを元班長は気味悪く感じたという。偽情報が混ざっているとみて、情報部局の外には絶対に出さず、内容も参考程度にとどめるよう指示した。 だが、39年、満州国の西部国境で日ソ両軍がぶつかるノモンハン事件が起きると、幹部の勝手な判断で、これが関東軍の作戦課に流れてしまった。 実は「ハ特諜」は、二重スパイが発する「インスピレーション情報」と呼ばれるものだった。肝心な局面で相手がぱっと信じてしまうような、事実と正反対の情報が混ぜられていた。 前線への物資輸送が難しい、と書かれていた「ハ特諜」を作戦課は信じた。敵は攻めてこないと楽観し、ソ連の総攻撃で壊滅的な打撃を受けた。 組織内の連携がうまく行かなかったのは、この時に限らない。公衆無線電報などの傍受で得た情報も、重大な局面で軽んじられた。「一番大きな問題は、関東軍参謀部の作戦課が、(現場の)情報をあてにせず、自分で判断をして作戦を指導したこと」と、元ロシア班長は指摘する。 地元を味方にできず そして、組織の問題に、さらに地の利のなさも加わった。 ハルビンは、もとは革命前の帝政ロシアがいち早く進出し、中東(東清)鉄道の拠点として開発した街だった。だが、関東軍がこの地に傀儡(かいらい)国家の満州国をつくると、ソ連は1935年、鉄道を満州国に売却せざるを得なくなった。 重要インフラを握り、この地の勢力争いは日本側が優位に立ったはずだった。関東軍の特務機関員として鉄道従業員の雇用にあたった入村(にゅうむら)松一(ひさかず)が振り返っている。 ハルビンを去るソ連の鉄道従業員らに、入村は「完全なあなたの敗北ですね」と声をかけた。嫌みな言い方に、意外な答えが返ってくる。「ノーノー。いずれただでいただきます」 親ソ連か、反ソ連かは別として、満州国のロシア系住民は約7万人にのぼる。買収後の中東鉄道も約1500人のロシア系従業員を雇った。「その中に約200人くらいのスパイがいました」「列車の箱一つ一つにチョークで、この車両の中には何が入ってるという印が。ソ連のスパイが付けるんですよ」 兵隊、車、食糧……。いくら見張っても、こちらには意味の分からない印が付けられ、広大な沿線のどこかで読み取られた。「ソ連は日本軍がどれだけ来ているか、何を運んで来ているかということは、ほとんど知っていた」 漢、モンゴル、朝鮮など多様な民族が暮らす満州国は、建国スローガンに「五族協和」を掲げた。だが、統治される住民の多くは関東軍に反発を感じていた。日本は組織的欠陥を抱えたうえ、そこに以前から暮らす人々の多くも味方にできないまま、重要局面でソ連に後れをとり続けた。(編集委員・永井靖二) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
九州北部、浸水・土砂崩れ相次ぐ 16日から再び大雨か
藤原慎一、米田悠一郎、板倉大地2021年8月15日 18時46分 停滞する前線による記録的な大雨で、九州北部は各地で浸水や土砂崩れの被害が相次いでいる。15日は前線が南下し、福岡、佐賀、長崎の3県に出ていた大雨特別警報が大雨警報に切り替わった。だが16~17日に再び大雨が予想され、気象庁は「これまでの大雨で土砂災害の危険度が非常に高まっている」として厳重な警戒を呼びかけている。 九州・山口各県のまとめによると、15日午後4時現在、全半壊は12棟、床上浸水は761棟に上る。ただ、1級河川・六角川が氾濫(はんらん)した佐賀県武雄市は浸水が広範囲に及び、集計ができていないという。国土交通省国土地理院の推定では、武雄市の浸水面積は約4平方キロに及ぶ。 大雨に関連する死者や行方不明者も出ている。 長崎県雲仙市では13日未明の土砂崩れに巻き込まれ、森文代さん(59)が死亡。夫の保啓(やすひろ)さん(67)と娘の優子さん(32)の行方が分かっていない。また同県西海市では14日夜、用水路周辺で、北村ヤエさん(73)と、民生委員の田崎文子さん(70)が倒れているのが見つかり、死亡が確認された。 佐賀県小城市でも14日夜、大雨で増水した川の排水作業をしていた作業員の石井和夫さん(75)が機械に体を挟まれ、搬送先の病院で死亡が確認された。熊本県では錦町の古川幸(みゆき)さん(76)の行方が分からなくなっており、県警などは増水した球磨川に転落した可能性があるとみて捜索している。 気象庁によると、11日の降り始めから15日午後3時までの総雨量は、佐賀県嬉野市で1024ミリに達した。同市の旅館「和多屋別荘」は14日、窓ガラスが割れて近くを流れる塩田川の水が大浴場に流れこむ被害を受けた。 旅館は18、19日に、将棋の藤井聡太二冠(19)と豊島将之二冠(31)が対局する王位戦七番勝負の第4局が予定されている。ただ、旅館内の会場に被害はなく、担当者も「今のところ予定通り開催されると聞いています」と話した。 停滞していた前線の南下に伴い、15日の九州北部の雨は小康状態となった。だが今後、前線が再び北上して停滞する見込みで、16日朝から17日にかけて非常に激しい雨が降るおそれがある。 気象庁によると、16日午後6時までに予想される24時間降水量はいずれも多いところで福岡、佐賀、長崎、熊本、鹿児島の各県で180ミリ、大分県で150ミリ、宮崎県で120ミリ。気象庁は「少しの雨でも土砂災害が発生するおそれがある」として、安全確保に努めるよう求めている。(藤原慎一、米田悠一郎、板倉大地) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル