福冨旅史2021年8月11日 15時18分 広島大学大学院人間社会科学研究科の伊藤隆太特任助教(国際政治学)が、自身のツイッターに「道徳的に劣っている中国人をまともに相手にする必要はない」などと差別的な投稿をしていたことが分かった。伊藤氏は10日、ツイッターに「偏見を増幅する可能性に対する配慮が足りませんでした。傷つけられた方々にお詫びいたします」と投稿し、謝罪した。 伊藤氏は7月30日、東京五輪での日本人選手の判定に対して中国のSNSで不満の声が上がっていることを伝える記事を引用し、「心の中で冷たく軽蔑して後はドライに無視すればよい。やられたからと言って報復するというのは(中略)、同じ低いレベルに落ちるということなのでやめよう」などと投稿した。すでに削除されている。 東京の大学生らでつくる団体「Moving Beyond Hate」は、伊藤氏がこれまでも人種や性に対する差別的な投稿を繰り返してきたと指摘。伊藤氏の解雇と再発防止を求めるオンライン署名を募り、11日時点で約2千筆に達したという。代表の東京大学3年、トミー長谷川さん(21)は「大学の講師としてあってはならない発言。厳しい処分をしてほしい」と話した。 広島大学は投稿を問題視し、8月10日に伊藤氏に口頭で注意した。広島大の永山博之法学部長は「人権侵害になりかねない発言は許されない。今後はこのようなことが起きないように本人を指導し、できる限りの措置を取るよう検討する」としている。(福冨旅史) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
大田中将の自死で「貧困のどん底」 海を渡った娘の願い
76年前の1945年6月、沖縄の地下に掘られた洞穴で、一人の軍人が自ら命を絶った。「沖縄県民斯(か)ク戦ヘリ」との電文を発した海軍司令官の大田実海軍中将。広島県呉市にいた家族には戦後の人生が遺(のこ)された。故人への思いを抱えながら、子や孫がそれぞれの道でめざした「平和」とは何だったのか。 ニュージーランドの首都ウェリントンの教会で今年5月26日、ある女性の葬儀が営まれた。日本出身のオーモンドソン大田昭子さん。90歳だった。 沖縄県民斯ク戦ヘリ 遺された戦後 大田中将一家 それぞれの道 若い頃を過ごした広島県呉市でニュージーランド人の男性と出会い、1953年に結婚。南半球に渡った。日本大使館で長年働き、日本文化や日本語を伝え、親善に尽くした。葬儀を取り仕切る牧師がその人生を紹介し、こう言った。 「ピース・メーカー(平和の作り手)だった」 葬儀で、思い出の写真が映し出された。その中に、昭子さんが現在の中学生にあたる女学生だった頃、両親と9人のきょうだいと写ったものがあった。セーラー服姿の昭子さんは後列の右側で少し首をかしげて収まっている。軍服を着て真ん中に座るのは、父大田実氏だ。 夫や3人の子どもと写真に写るオーモンドソン大田昭子さん=ピーター・サザ-ランドさん提供 葬儀の最後に、日本語の歌が響いた。「ふるさと」「赤とんぼ」。そして、もう1曲。 ♪古いアルバムめくり…… 沖縄ゆかりの「涙(なだ)そうそう」だった。 自死した大田実海軍中将の娘、昭子さんは戦後、ニュージーランド人の男性と出会い海を渡りました。太平洋戦争の記憶がまだ生々しい時代、現地の人から心ない言葉を浴びせられても「平和」への思いを持ち続けました。 昭子さんの三男ピーター・サ… この記事は有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 残り:1497文字/全文:2060文字 知る戦争 平和への思いを若い世代へ託そうと、発信を続ける人がいます。原爆や戦争をテーマにした記事を集めた特集ページです。[記事一覧へ] Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
昭和基地が我が家に、「非日常」が「日常」になる越冬
2020年2月1日は「越冬交代」、南極観測隊には最も大切な日だ。昭和基地を1年間、維持してきた前の隊から引き継ぐ。私たち61次隊が「主」となり、越冬が始まるのだ。中心部の19広場での交代式、60次と61次の越冬隊が向かい合って並び、隊長があいさつする。私の頭にはいろんな思いがよぎっていた。 簡素な夏宿から居住棟への引っ越し、やっと個室がもらえる! 広い食堂で食事し、いつでも入れる循環風呂や洗浄トイレもある。昭和基地が我が家だ。南極で暮らす「非日常」が「日常」になっていくのが楽しみだ。 一方で不安も。厳しい自然に、ではなく人間関係にだ。前次隊と夏隊が帰途に就けば、越冬隊30人だけの閉鎖社会、約10カ月間、他のだれとも会えない。皆とうまくやっていけるかな。多くの隊員は前年7月から国立極地研究所の隊員室に詰めて準備してきた。私は他の隊員と過ごした時間はまだ少ない。どこか孤立感をおぼえるのは、私だけが隊員ではなく同行者だからだ。 8月20日 南極記者サロン 動物たちはどうやって泳ぎ、獲物をとるか―。そのユニークな行動を、オンラインイベント「南極の動物たち、その驚くべき力!」で研究者が南極記者とご案内します。クイズもいろいろ、夏休みのお子さんとご一緒にお楽しみ下さい。20日(金)午後2時から、参加無料。お申し込みはサイト(https://ciy.digital.asahi.com/ciy/11005217別ウインドウで開きます)またはQRコードから。 夏隊には多いが、越冬隊の同… この記事は会員記事です。無料会員になると月5本までお読みいただけます。 残り:924文字/全文:1358文字 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
入らない大学に入学金、変だ 問われる受験の「常識」
入学しない大学に二十数万円もの入学金を払わなくて済むよう、各大学の納付期限を遅くしてほしい――。大学受験で生じる重い負担に疑問を抱き、現状を変えようと動き始めた学生がいる。社会の経済格差が広がり、高額の入学金を負担できる家庭ばかりではなくなっている。長年続く慣習は、変わらないのか。(桑原紀彦) 入学金24万円 ふだん仲の良い両親が 「私立に行かせることは考えていないから」 東日本の私立大に今春入学した女子学生(18)は、大学受験を前に親からそう告げられたという。父は公務員、母はパート。国立大に通う3歳上の兄が一人暮らしをしており、仕送りが必要なため家計に余裕はない。 地元の公立大が第1志望だったが、今年2月初旬に受けた私立女子大に、まず合格した。この大学の入学金納付期限は、第1志望校の合格発表前。入学の権利を確保しておくには入学金24万円を払う必要があった。 親は入学金を振り込んでくれ… この記事は有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 残り:3624文字/全文:4028文字 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
墓参りしてるのは誰? 絶縁した兄妹、年2回のいたずら
ケイコさんの父と叔母(父の妹)は、ほぼ絶縁状態にある。 お互いの存在を確認するのは年2回、両親の命日の墓参りを通じてだ。 父「あいつ、墓の掃除には来てるみたいや」 叔母「兄さん、ちゃんと墓参りだけはしてるんやね」 ケイコさんの祖父の命日は7月で、今年も墓前には立派な花が生けられ、線香があげられていた。 ◇ もともと親しい兄妹というわけではなかった。 それでも、お中元やお歳暮を贈り合い、冠婚葬祭に参加するぐらいの仲ではあった。 きっかけは、不動産の相続でもめたこと。 10年ほど前に絶縁し、お互いに「いなかった者」として暮らしている。 2人には、気づいていないことがある。 命日の墓参りで、兄が先に行っても、妹が先に行っても、必ず花は供えられている。 お互いに相手が供えたものだと思っているが、実はそうではない。 2人を思って供えていたのは… この記事は有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 残り:1010文字/全文:1398文字 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
死んだ敵兵が「宝の山」 手紙を読み込み投降促すビラ
【テーマ動画】砂上の国家 満州のスパイ戦 草原で強烈な臭いを放つ死体でさえも、彼らにとっては「宝の山」だった。 1939年、日本の傀儡(かいらい)国家の満州国とモンゴルの国境地帯で、日本とソ連の両軍がぶつかったノモンハン事件。日本の関東軍がつくった「戦場情報隊」は、最前線に出て、敵の情報を取ってくるのが任務だった。 死んだ敵兵の懐を探り、地図や書類を抜き取る。あるいは、敵の見張り役を拉致して尋問にかける。 「だからとにかく1人でも、死体でもいいし、俘虜(ふりょ=捕虜)でもいいし、とにかく敵の兵隊を捕まえなければ敵情がわからないんでね」 隊を率いた特務機関員の入村松一(にゅうむら・ひさかず)は戦後、アメリカ人歴史家、故アルビン・クックス博士のインタビューに答えている。隊員は、満州に暮らすロシア人やモンゴル人も含めた65人。「極秘」とされた組織をつまびらかに説明した。 部隊にはもう一つ、重大な任務があった。敵の将兵へのプロパガンダや情報工作だったという。その一環として、最前線で敵に、投降を促すビラをまいた。 入村らはふだんからソ連の文献を読み込み、どんな言葉がロシア人の心に響くかを研究していたと語る。敵兵が肌身離さず持っていた家族との手紙も、その分析の対象だった。 「死体から手紙、奥さんや家から来た手紙を全部読んだんです。それはロシア人を使って読みました」 日ソの捕虜を交換する際、仕組まれていた情報工作に元将校は気付きました。 ■雪のようなビラ… この記事は有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 残り:2058文字/全文:2639文字 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
菊池事件「再審開始を」 地裁に2万8千人分の署名提出
堀越理菜2021年8月11日 9時22分 ハンセン病患者とされた男性が殺人罪などに問われ、死刑が執行された「菊池事件」をめぐり、再審をめざす弁護士らは10日、再審開始を求める2万8292人分の署名を熊本地裁に提出した。 事件で男性は、隔離された「特別法廷」で裁かれた。元患者たちが起こした国家賠償請求訴訟では昨年2月、特別法廷は法の下の平等に反するなどとして違憲とする判決を熊本地裁が出し、確定した。弁護団は11月、各地のハンセン病療養所入所者や支援者ら全国約1200人を請求人とする再審請求書を熊本地裁に提出している。 署名は今年1月から募ったという。提出後の会見で国宗直子弁護士は「事件がただされなければ、隔離政策は間違いだった、手続きは憲法違反だったという判決を何のために今まで得てきたのか分からなくなる。これまでの判決を受け止めた形で(菊池事件の)裁判がやり直されなければならない。隔離政策を問う集大成になる」と話した。署名は今後も集め、次回は男性の命日にあたる9月14日に提出する予定。 事件について関心を高めてもらうため、再審をめざす弁護団は全12回の連続公開講座をユーチューブで開く。第1回は20日に開き、来年7月まで。弁護士や国立療養所菊池恵楓園入所者自治会の志村康会長らが語るほか、熊本や東京で集会もする予定。受講無料で、アーカイブ視聴もできる。 国宗弁護士は「当時、直接の差別をしたのは一般市民だった。よく知らなかったからというのもあったと思う。そういうことが繰り返されないよう立ち上がっていくことが大事だ」と呼びかけた。(堀越理菜) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
飲み込めぬ様子に看守が「鼻から牛乳」 最終報告書要旨
スリランカ人ウィシュマ・サンダマリさんの死亡について、出入国在留管理庁(入管庁)が10日に公表した最終報告書の要旨は以下のとおり。ウィシュマさんは「A氏」と表記されている。 【はじめに】 2021年3月6日、名古屋出入国在留管理局(名古屋局)に収容されていた30歳代女性、スリランカ国籍のA氏が死亡した。入管庁では調査チームを発足させ、4月9日に中間報告を公表した。その後、職員、医師、A氏の元交際相手など関係者計63人から延べ139回聴取した。 【事実経過】 ●収容に至る経緯 A氏は17年6月29日にスリランカから入国。在留資格は「留学」、期間は1年3カ月、所属機関は千葉県の日本語学校。12月ごろ、アルバイト先で知り合ったスリランカ人男性(B氏)と交際するようになった。 A氏は18年1月までは月1日程度しか学校を欠席しなかったが、5月以降は授業に出なくなり、同校は6月25日にA氏を除籍。4月以降、静岡県内でB氏と同居して自動車部品工場で働き、9月に難民認定申請。9月以降、県内の弁当工場で働いた。19年1月、在留期間更新不許可処分がされて在留資格を失い、不法残留となった。 A氏は20年8月19日、県… この記事は会員記事です。無料会員になると月5本までお読みいただけます。 残り:2715文字/全文:3227文字 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
中学サッカー部員が逮捕をアシスト 「DF経験生きた」
森下友貴2021年8月10日 10時30分 7月1日夕方、埼玉県川越市内の駄菓子屋に、市立城南中3年の柳川貴音(きお)さん、林皆人(みなと)さん、田中譲士(じょうじ)さんが集まっていた。3人はサッカー部員。この日は部活動がなく、お菓子を買った後に林さんの家で遊ぶ約束をしていた。 駄菓子屋から50メートルほど先の路地で、警察官に追われる黒っぽいTシャツ姿の男が目に入った。男は駆け足で、3人のいる方向に逃げてきた。「悪いことをした人かな」。林さんの体がとっさに動いた。冷静に手元に凶器がないことも確認すると安心できた。「捕まえてやる。逃げられたくない」 車1台がやっと通れるほどの道で両手を広げ、行く手を阻んだ。一直線に向かってきた男は、少しひるんだ様子で減速。「僕は何もしていない」と言葉を発したが、逃げられないように男の体を押して道の端に追いやり、逃げ場を塞いだ。 柳川さんはとっさのことで頭が混乱しながらもスマホで110番通報。すぐに3人の元に警察官が駆けつけた。川越署によると、男は外国人で、民家の敷地内に侵入したとして住居侵入容疑で現行犯逮捕された。 男はこの日、川越市内のスーパーで万引きした疑いがあるとして警察官に職務質問されている最中に逃走。民家の敷地内に隠れるなどした後、3人と遭遇した路地に逃げ込んだ。 3人には小川英規署長から感謝状が贈られた。林さんは「半身になって相手を追い込むサッカーでのディフェンスの経験が生きました」。柳川さんは「これからも防犯に協力したい」。田中さんも「感謝状をもらえて、ありがたいです」と話した。(森下友貴) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
かつて東洋一の水上公園 コロナ禍、さよならも言えず幕
小林祝子2021年8月10日 10時30分 多くの埼玉県民に親しまれた県営さいたま水上公園(上尾市日の出2丁目)のプールが今夏、半世紀にわたる歴史に幕を下ろす。最後は歓声を響かせたい。関係者は新型コロナウイルスの感染対策を徹底して営業するつもりだったが、そこに「第5波」到来。公園を管理する県公園緑地協会には惜しむ声が寄せられている。 さいたま水上公園は1971年7月、県誕生100年を記念し、県内初の水上公園として開業した。7ヘクタールの敷地に七つの屋外プールを備え、ひと夏で80万人以上が訪れたこともある人気施設だった。近年は形の違う三つのプールと高さ10メートルのウォータースライダーで営業。7月末~8月末にオープンし、ここ数年は期間中5万~6万人が訪れていた。 5年ほど前から配水管など施設の老朽化を理由に営業終了が検討され、7月、今年度限りでの閉園が正式に決まった。新型コロナの影響で昨夏営業ができなかっただけに、今年は入場制限など感染対策をした上で最後の営業をする予定だった。ところが、7月半ば以降、県内でも感染者数が急増。「しらこばと」(越谷市)など他の水上公園とともに急きょ2年連続での営業中止となった。 県公園緑地協会には、閉園と営業終了が明らかになって以降、「昨年も行けなかったので最後にぜひ遊びたかった」「寂しい」などの声が多数寄せられているという。担当者も「園内に過去の写真を飾るなど、最後の年を記念して営業するつもりでいたので大変残念」と肩を落とした。 県によると、プールは今後取り壊し、別のスポーツ施設に生まれ変わらせる予定という。 事前購入のチケットは31日まで、購入した店で払い戻しを受けることができる。問い合わせ先は県公園緑地協会(048・640・1593)。(小林祝子) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル