川村貴大2021年8月9日 22時39分 NHKは、9日の長崎平和祈念式典を総合テレビで生中継した際、菅義偉首相のあいさつの文言をテロップで表示しなかった。田上富久・長崎市長による平和宣言の文言はテロップで表示した。 NHKは6日の広島平和記念式典の中継では首相あいさつをテロップで表示したが、途中、首相が原稿の一部を読み飛ばしたため、一時テロップが非表示になった。松井一実・広島市長の平和宣言もテロップで表示した。 NHK広報局は「長崎の式典では毎年、平和宣言にテロップを入れ、首相あいさつにはテロップを付けていない。広島の式典とは関係ない」と回答した。(川村貴大) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
JO de Tokyo 2021 : une médaille de l’amertume pour la puissante agence de publicité Dentsu
Le stade olympique de Tokyo, le 8 août 2021. YASUYOSHI CHIBA / AFP La cérémonie de clôture des Jeux olympiques (JO) de Tokyo, dimanche 8 août, a mis fin à quinze jours de compétitions et à leur cortège de joies et de déceptions. Dans la sphère non sportive, l’heure est aussi […]
隣接地区の姉は被爆者、私は「体験者」?線引きされた命
戦後、被爆者らは自ら、国の援護策拡大を求め、核廃絶を訴える運動を作り上げてきた。当事者による訴えの切実さは、国や国際社会を動かすテコになった。今、高齢化や団体の活動基盤の弱体化が進み、運動は岐路を迎えている。その果たしてきた役割を振り返り、今後の展望を探る。 長崎市の岩永千代子(85)が7月26日夕、自宅で電話を取った。広島で国が定める被爆地域の外で「黒い雨」を浴びた人を被爆者と認めた高裁判決への上告を、国が断念したという一報だった。「えぇ、歓喜。言葉がありません」と話しながら涙があふれた。 長崎への原爆投下時、岩永がいた旧深堀村の地点は爆心地から南南西へ10・5キロ。国が定める被爆地のすぐ外側だったため被爆者と認められず、「被爆体験者」と区別されてきた。広島の原告勝訴は自分のことのようにうれしかった。 どの範囲の、だれを被爆者と認めるのか。「被爆地域」の線引きを巡っては、広島と同じく長崎でも国との攻防の歴史があった。 国が被爆地域を最初に定めたのは1957年。同年施行の原爆医療法で、国は旧長崎市の全域と、隣接する村の一部を指定した。 だが、爆風による被害が出た旧長与・時津両村(爆心地の北5キロ余)などは、行政区域の線引きにより対象から外れた。当事者たちは「認定が狭すぎる」と声を上げた。被爆者団体を中心に、拡大を求めて運動を展開。国は74年と76年の法改正で被爆地域は拡大され、爆心地から南北に半径約12キロ、東西に同約7キロという現在の形になった。 ただ、原爆投下時の行政区域をもとに線引きしたいびつな形の「被爆地域図」により、爆心地からの距離が同じでも被爆者になる人、外れる人が出て、不公平感の元凶となってきた。 爆心地から半径12キロ以内… この記事は会員記事です。無料会員になると月5本までお読みいただけます。 残り:3087文字/全文:3826文字 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
父を殺した疑い、25歳息子を再逮捕 「疎外感あった」
2021年8月9日 14時59分 愛知県稲沢市の市営住宅で高橋輝男さん(71)と娘の礼(あや)さん(29)が殺害された事件で、県警は9日、息子で無職の智(さとし)容疑者(25)を輝男さんに対する殺人容疑で再逮捕し、発表した。容疑を認め、動機について「家族のなかで疎外感を持っていた」という趣旨の説明をしているという。 稲沢署によると、智容疑者は7月19日夜、輝男さんの背中を包丁で多数回突き刺すなどして殺害した疑いがある。輝男さんには、身を守るために腕などにできる「防御創(ぼうぎょそう)」とみられる傷もあったという。 智容疑者は、礼さんへの殺人未遂容疑で同20日に現行犯逮捕された。礼さんは搬送先の病院で亡くなった。署によると、智容疑者は4月から輝男さんらと同居。事件直前に輝男さんと口論していたという。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「野球できる平和」かみしめ 被爆3世の長崎商女子マネ
三沢敦2021年8月9日 20時02分 10日に開幕する全国高校野球選手権大会。被爆地・長崎代表の長崎商の部員らは9日、76年前に原爆が投下された午前11時2分、滞在先の大阪府堺市の室内練習場で黙禱(もくとう)した。この日の甲子園の開会式は延期になったものの、被爆3世のマネジャー簗瀬彩巴(いろは)さん(3年)は平和への願いを胸に、選手らと夢の舞台に立てる喜びをかみしめた。 爆心地に近かった当時の校舎は壊滅的な被害を受け、学校や動員先で生徒や教職員ら174人が犠牲になった。学校には慰霊碑があり、毎年8月9日に全校生徒が登校して慰霊祭が営まれ、平和について学ぶ。 簗瀬さんは夏になる度、亡き祖父、矢一さんから聞いた話を思い出す。「乗っていた電車がトンネルにさしかかった時、原子爆弾が落ちたんだ」「姉に手を引かれて必死で逃げたよ。トンネルを抜けると、いつもと違う世界だった」。矢一さんは当時、3歳。かすかな記憶をたぐり寄せ、繰り返し聞かせてくれ、こう言った。「本当に怖かった」 長崎商が同じ舞台に立った5年前、矢一さんは75歳で亡くなった。丈夫で元気なおじいちゃんだと思っていたが、白血病で闘病生活を送っていた。 夏の甲子園は過去3度中止になった、と聞いた。理由の一つが戦争、一つが新型コロナウイルス。コロナの影響で戦後初めて開催が見送られた昨年、泣きじゃくる先輩たちにかける言葉も見つからなかった。 いまなお続くコロナ禍で野球ができることへの感謝と、平和への感謝――。「野球ができるのは当たり前なんじゃない。きっと特別なことなんだ」。二つの感謝が重なる夏だ、と簗瀬さんは感じている。(三沢敦) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
YOUの五輪どうだった? 出国ラッシュの空港で聞いた
【動画】東京五輪閉幕から一夜明け、それぞれの国に向け出国する選手や関係者ら=加藤諒、関田航撮影 東京オリンピック(五輪)の閉会式に参加した外国選手らが9日、帰国の途についた。東京・羽田空港ではボランティアたちが手を振って選手を見送った。 大会組織委員会によると、この日に出国する大会関係者は約1万人。羽田空港では、チェックインする選手の列が朝からできた。「また東京に来てください」と大勢のボランティアが声をかけていた。 自転車競技で銀メダルを獲得したデンマーク代表アマリー・ディデリクセン選手(25)は「ボランティアの人たちがフレンドリーで素晴らしかった」と話した。滞在中は、静岡県内の宿舎と競技会場の往復だけだったが「このような状況では厳しい規則は必要だった。パンデミックが終わったら必ず日本に来たい」と話した。 4×400メートルリレー男子に出場したインドのノアニルマル・トム選手(26)は、選手村に滞在した。部屋も食事もスタッフにも不満はなく、「すべてが整っていて、よいパフォーマンスにつながった」と語った。北京五輪から4大会を経験し、東京では銅メダルを獲得したノルウェーのハンドボール女子のマリットマルム・フラフィョル選手(35)は「人々が礼儀ただしく、いつも笑顔なのが印象的だった」。感染の不安はなかったか尋ねると、「毎日検査をしていたから心配はなかった」と答えた。 一方、PCR検査態勢に不備があったと指摘したのは、エストニアの五輪委員会のメルレ・カルランさん(49)。検体の回収が遅れがちになっていたという。ただ「五輪のように大きなイベントですべてがうまくいくわけではない。感染対策は完璧ではないが、十分だった。大会が成功したのは、パンデミック下の奇跡だ」と評価した。 大会を取材したコロンビアの… この記事は会員記事です。無料会員になると月5本までお読みいただけます。 残り:361文字/全文:1074文字 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
前首相と全く同じ文言も…「見捨てられた」長崎の被爆者
会員記事 佐々木亮、真野啓太、小川裕介2021年8月9日 19時51分 「長崎原爆の日」の9日、菅義偉首相が就任以来初めて長崎市の平和祈念式典に臨んだ。「首相が代われば、政策も……」。地元の被爆者らは注視したが、前政権からの型通りの言葉に隔たりは埋まらなかった。 昨年、安倍晋三首相(当時)の広島と長崎の式典あいさつが酷似していて、「コピペ」などと批判を浴びた。今年の菅首相のあいさつも、広島と同じ文言が随所にみられた。さらに「(この地が)美しく復興を遂げたことに、私たちは改めて、乗り越えられない試練はないこと、そして、平和の尊さを強く感じる」などと、昨年の首相あいさつと全く同じ部分もあった。 ここ数年、首相あいさつは援護施策について「被爆者の方々に寄り添いながら」「推進してまいります」という言葉を繰り返してきた。だが9日に菅首相と面会し、要望書を手渡した長崎の被爆者5団体の代表は「寄り添われていると感じたことはない」「被爆者は見捨てられている」と口々に訴えた。 会見で首相「「訴訟が継続中」とだけ 要望書は、今年1月に発効し… この記事は会員記事です。無料会員になると月5本までお読みいただけます。 残り:522文字/全文:958文字 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
家族の被爆知らずショック 体験聞き、受け継ぐ大学生
長崎純心大2年の平山英恵(はなえ)さん(19)は、岡信子さんの体験を聞き取り、語り継ごうとしている。一方で、岡さんが受けた傷や原爆に対する世間の関心が低いのを目の当たりにし、継承の難しさも感じている。 岡さんが式典に参列していた9日午前11時2分、平山さんは、長崎県北部・平戸市にある海が見える図書館の駐車場で、同じく岡さんの体験を聞き取っている鍜治(かじ)美里さん(19)と一緒に黙禱(もくとう)を捧げた。サイレンは鳴っていたが、周りの人は何事もなかったかのように過ごしていた。 スマートフォンの画面には、平和への誓いを力強く述べる岡さんの姿があった。2人がまだ聞いたことのない体験が盛り込まれていて、「まだまだ聞き取りが足りないな」と感じた。 平山さんは中学生の時、戦争の歴史を演劇を通じて学んだ。長崎原爆や沖縄戦がテーマで、家族を亡くしたおばあさんの役を演じ、未来ある子どもの命が戦争で失われたと知った。 ただ、長崎市から北に75キロ離れた平戸市で高校まで過ごした平山さんが被爆者と接するのは、毎年8月9日の平和学習だけ。平和に関心はあったが、身近な被爆者を知らず、「原爆はどこか遠いものなんだろうな」と感じていたのも事実だった。 そんな自分や家族に目を向けるきっかけを与えてくれたのが岡さんだった。 大学入学後、平和活動をする同大の学生団体に入った。今年4月からは、同じ大学の鍜治さんとともに岡さんの聞き取りを始めた。6月上旬、母にそのことをLINEで伝えた。近況報告のつもりだったが、こう返事があった。 じいちゃんは、被爆地拡大で被爆者に認定された。お母さんは被爆2世 家族のことすら知らなかったことがショックだった。だが、車で30分ほどの場所にいる祖父(78)に、その後も詳しい話は聞けないでいる。「原爆を思い出すのもいやだった」と岡さんから聞いているだけに、ためらいを覚えるからだ。 「被爆者が経験を語るのは本当に重いこと。受け継ぐ私たちも思いに応えられるように勉強しなきゃ」 岡さんから聞き取った話は今夏中にも原稿にまとめる。来春までに長崎原爆資料館で証言することが目標だ。それまでには祖父の話を聞きたいと思っている。 平山さんのように、家族や第三者が被爆者の経験を聞き取って語り継ぐ「家族・交流証言者」は44人が公益財団法人・長崎平和推進協会の認定を受けている。市が2016年度から始めた事業で、被爆者が亡くなっても体験を引き継ぐ狙いがある。協会によると、7月20日現在、第三者が聞き取った被爆者16人のうち、すでに2人が亡くなった。(米田悠一郎) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
停電で一時全線運転見合わせ 東急大井町線
2021年8月9日 15時29分 東急電鉄大井町線は、9日午後1時40分ごろに発生した停電のため、大井町駅(東京都品川区)から溝の口駅(川崎市)までの全線で一時運転を見合わせていたが、午後4時に運転を再開した。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
愛知・豊川で突風、26棟被害 「看板がなぎ倒された」
村上潤治、本井宏人2021年8月9日 15時44分 9日午前6時半ごろ、愛知県豊川市で台風9号の影響による突風が発生した。県災害対策課によると、同市千歳通4丁目―本野町の南北約2・4キロの範囲で、屋根がはがれたり看板がなぎ倒されたりするなどして、建物26棟と車22台が被害を受けた。けが人はいないという。 愛知県警豊川署などによると、同日午前6時50分ごろから「信号が消えている」「家が損壊した」などの通報が相次いだ。現場近くでは一時1850世帯が停電したが、順次復旧している。 屋根が破損した中華料理店の男性店長(50)は「大きな音がして外に出ると、そこらじゅうの看板がなぎ倒されて、10台ほど車のガラスが割れていた。店を十数年やっているが、こんなことは初めて」と驚いていた。「姫街道」と呼ばれる県道の両脇にある店舗などの看板や屋根の破片が一時、県道にまで散乱した。 名古屋地方気象台によると、愛知県内は9日朝、東部の山間部を除き、強風注意報がでていた。豊川市と隣接する豊橋市の午前7時の最大瞬間風速は14・4メートル。同気象台は、豊川市の突風が竜巻だったかどうかの調査について検討中としている。(村上潤治、本井宏人) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル