会員記事 鈴木剛志、平岡春人、芳垣文子、神村正史、能田英二 岡田昇2021年8月9日 10時00分 東京五輪の男子マラソンが8日、札幌市中心部で行われ、「無観客」開催のサッカー1次リーグから始まった札幌での五輪が閉幕した。新型コロナ感染再拡大で公道では観戦自粛が呼びかけられたが、北海道の内外の人たちが観戦に訪れ、様々な所で「密」ができた。人々は、コロナ禍に強行された五輪に何を思うのか。そして、2030年札幌冬季五輪招致をどう考えるのか――。 男子マラソンのコースの沿道で生の五輪を目撃した人たちに聞いた。 自宅近くの沿道でレースを見ていた女性(79)は、陽光を浴びて輝く選手の背中を見て感動したという。「ここを目指して頑張ってきた選手のことを考えると、やはりやってよかった」。冬季五輪招致も歓迎する。「そのころにはコロナは収まっているでしょうし、全世界の祭典のような催しは、やはりあったほうがいい」 市内の女性(71)は「一生に一度の機会だから」と娘(46)と相談して沿道まで応援に来た。札幌での冬季五輪の実現を望むが、「新型コロナや財政など課題はある。市民が納得する形で開いてほしい」と注文をつけた。 江別市の会社員男性(23)は、テレビ観戦で選手の姿に心を打たれ、沿道まで応援に来た。東京五輪は「やってよかった」と評価する。「特に競技の後のコメントが素敵で感動しまくりでした」。冬季五輪招致は「歓迎。感動は何度あってもいい」。 「私も自粛しなかったのに何だけど、コロナがまた拡大するんじゃないか心配」と話すのは札幌市の元公務員の男性(63)。冬季五輪招致には「道民の生活や福祉に影響が出るなら反対せざるを得ない」と否定的だ。市内の会社員男性(62)は選手らの力走に感激したものの、「観戦のために人が集まる五輪はやるべきではなかった」と複雑な心境を語る。 市内で居酒屋を営む男性(6… この記事は会員記事です。無料会員になると月5本までお読みいただけます。 残り:890文字/全文:1641文字 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
【写真まとめ】8月9日、長崎の祈り 原爆投下76年
長崎は8月9日、米軍による原爆投下から76年を迎えました。朝から各地で、犠牲者を悼む人たちの姿がありました。長崎を最後の被爆地に――。核兵器のない世界の実現を求める長崎の一日を写真でお伝えします。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
汗ばむ陽気、路上で座るお年寄り 高校生は一緒に交番へ
6月中旬。この日、神戸市内は最高気温29度を超え、汗ばむ陽気だった。 兵庫県立長田高校3年の浜田麻衣さんは、学校を出てすぐのところで一人のお年寄りと目が合った。 80代くらいの女性が、路上に足を投げ出して座っている。表情はニコニコ。浜田さんは「大丈夫ですか」。自然と声をかけた。 「立てないの」と女性。両手を差し出し、立ち上がるのを助けてあげた。 そのまま手をつないで、ゆっくり歩き始めた2人。 どこから来たんだろう。 そう思って、横でずっと雑談を続ける女性から状況を聞き出そうとした。大きな声で聞こえるように。 女性は、朝から歩いていたという。「お父さんが待っているの。早く帰らないと」。目指している地名を教えてくれたが、浜田さんにはそれがどこだか分からなかった。 通りすがりの人たちに声をかけ、聞いてみた。すると何人目かの人が言った。「同じ地名が別の区にある」 同じ神戸市内とはいえ、歩いて行ける距離ではない。でも女性は、お金がなく電車に乗れないという。 「交番へ行った方がいい」と別の人が助言してくれた。「ありがとう。交番行くわ」と一人で向かおうとする女性を制止して、一緒に行くことにした。 約300メートル先の長田交番に着いた時には、最初に目が合ってから30分ほどたっていた。 交番で、警察官が女性の手提げかばんから、病院で患者が腕に巻くようなバンドを見つけた。 問い合わせてみると、交番から約1キロあまりの病院にいまも入院中だと分かった。近く、手術も控えていたらしい。 その後、迎えに来た看護師の付き添いで、女性は病院に戻ることができた。 浜田さんは、人命救助などをした人に県から贈呈される「のじぎく賞」を受賞した。「無事で何よりです」。そう言って、照れ笑いを見せた。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
台風9号、広島県呉市付近に上陸 土砂災害や高潮に警戒
2021年8月9日 7時36分 台風9号は9日午前5時過ぎ、広島県呉市付近に上陸した。今後、温帯低気圧に変わり日本海を北東に進み、10日には東北地方を通過するとみられる。気象庁は西日本を中心に土砂災害や高潮への警戒を呼びかけている。 気象庁によると、予想される雨量は10日午前6時までの24時間で、東海で300ミリ、関東甲信と近畿で180ミリ、北陸と中国で150ミリ。さらに、11日午前6時までの24時間では、北陸で100~200ミリ、北海道と東北で100~150ミリの雨が予想されている。 10日にかけては強風も吹くとみられ、9日には北陸と近畿で25メートル、中国と四国で23メートルの最大風速を予想している。 台風9号は8日午後8時過ぎに鹿児島県枕崎市付近に上陸し、9日午前3時には呉市の南を1時間におよそ50キロの速さで進んでいた。中心の気圧は985ヘクトパスカル、最大風速は23メートル、最大瞬間風速は35メートル。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「生きる希望に」「振り回された」 東京五輪、何が残りましたか
東京オリンピック(五輪)が8日、幕を閉じた。多くのドラマで見るものを魅了した競技場の中。不要不急の外出自粛を求められたバブルの外。見るもの、参加するものの立場に応じて、異なる記憶を刻んだ。選手やその家族、ボランティア、五輪を初めてみた小学生たちは何を感じたのか。声を聞いた。 「選手の勇気が、コロナ禍を生きる希望になって」 国立競技場で案内係のボランティアをした藤本華奈さん(25) 選手の悲喜こもごもを目の当たりにしました。コロナ対策で話しかけられず「Great Race」と掲げた。ボランティアも五輪を作っていく存在だと感じました。都内で研修医をしていて、8日は朝8時半まで夜勤でした。感染拡大は肌身でわかります。選手の勇気が、今後も続くコロナ禍を生きる希望になってほしい。 研修医として、国立国際医療研究センターで勤務する藤本華奈さん=2021年4月23日、東京都新宿区、斉藤佑介撮影 ※撮影時マスクを外しています 100人の朝食用意し、宿泊は5人「振り回された」 東京・日本橋の「住庄(すみしょう)ほてる」社長の角田隆さん(53) 閉会式の放送をむなしい思いで見ました。大会組織委との契約で、当初は海外メディアを泊める予定でしたが、直前には誰が何泊するのか分からなくなってしまった。約100人分の部屋や朝食を用意して、結局、宿泊したのはのべ5人だけ。大会に関われて誇らしかったのに、今は振り回されたという思いばかりです。 住庄ほてるの角田隆社長=2021年8月7日午後6時、東京都中央区、遠藤隆史撮影 スーダン選手「前橋の人たちは第二の家族」 前橋市での長期合宿を経た陸上南スーダン代表のアブラハム選手(22) 開閉会式で母国の国旗が掲げられているのを見られて、大きな喜びを感じている。3日の1500メートル走では、前橋の人にとても勇気づけられ、自己ベストを更新できた。彼らは私にとって第二の家族だ。これからも交流を続けたい。もしも南スーダンに来てくれたら、私ができる最高のおもてなしをしたい。 男子1500メートル予選を走った南スーダンのグエム・アブラハム選手=2021年8月3日、国立競技場、池田良撮影 コロナ陽性で棄権した選手「五輪は私の夢だったから…」 新型コロナ陽性となり棄権したテコンドー女子チリ代表のフェルナンダ・アギーレ選手(24) 五輪は私の夢だったから、隔離中のホテルで「全てがうそであって」と涙が止まらなかった。隔離後、1日だけ選手村の美容室に行けたのが五輪の思い出です。7月末に帰国し、家族や友人と過ごすうち、もう一度競技に向き合う気持ちがわいてきた。支えてくれた人たちのためにも努力を続けたい。 フェルナンダ・アギーレ選手 小学3年生「自分もダンスを頑張ろうと思った」 最終日の聖火を見に来た千葉県市川市の小学3年生、安江莉花(りんか)さん(9) 五輪を見たのは今回が初めてで、とても楽しかったです。バスケットボールをよく見ました。女子日本代表の町田瑠唯選手がうまかった。5歳のころからチアリーディングをしていて、今日も練習しました。五輪で選手が活躍しているのを見て、自分も笑顔でかっこ良いダンスができるよう頑張ろうと思いました。 千葉県市川市の小学3年生、安江莉花さん=2021年8月8日午後3時47分、東京都江東区、藤野隆晃撮影 最年長のマラソン選手「五輪は人生のすべて。また走る」 最年長で男子マラソンを走った米国のアブディ・アブディラマン選手(44) 途中で腹がけいれんして厳しいレースだった。でも41位で走り終えて幸せ。私もあなたもいずれ、歴史に刻まれた「コロナ禍の五輪」を思い出すだろう。開催してくれたこと、札幌で歓迎してくれた皆さんに心から感謝したい。五輪は私の人生のすべてであり、私は今も走ることが好き。少し休んだら、また走るよ。 男子マラソンの41キロ付近を走る米国のアブディ・アブディラマン選手=2021年8月8日、札幌市内、内田光撮影 ブルガリア選手たちは「孫」 コロナ後、会いに行く ホストタウンとしてブルガリア新体操チームを支えた山形県村山市の小室けい子さん(71) 東京への応援ツアーがなくなり、20万円台の4Kテレビを買って応援しました。良い演技を見て涙、チームが金メダルになって涙。4年前の合宿中から、選手がトイレで泣き、大人になっていくのを見てきた。私の「孫」です。勇気と元気をいっぱいもらった。コロナ後、会いに行くのが次の目標です。 ブルガリア新体操チームを応援する「ゴールデンガールズファンクラブ」代表の小室けい子さん=2021年8月8日、山形県村山市 海外記者「選手のありのままの姿伝えられた」 ワシントン・ポスト記者のレス・カーペンターさん(53) 五輪取材はこれで5回目。「コロナ五輪」には、延期や感染拡大で苦労した選手たちの物語が詰まっていました。いつものきらびやかな五輪と違い、選手のありのままの姿を伝えられたと思います。ただ、暑さと湿気は最悪でした。自転車BMXの競技会場は、日よけがなくてきつかった。もし観客がいたらと考えると、ぞっとします。 東京・国技館でボクシングの取材をするワシントン・ポストのレス・カーペンターさん=東京・国技館 銀メダリストの母「よく頑張った。おうどん食べさせてあげたい」 自転車トラック女子オムニアムで銀メダルを獲得した梶原悠未選手の母、有里さん(49) 「銀メダルで、金を取れなくてごめんね」って、涙を浮かべて娘に言われました。本当に悔しそうだった。でも落車してもまた自転車にまたがる姿、かっこよかった。苦しい練習に耐えてきたのを横でずっと見てきて、よく頑張ったと思います。おうどんを食べさせて、ゆっくり休ませてあげたい。 「悠未(選手)より悔しがっちゃいけない」と笑顔を見せる母、梶原有里さん=2021年8月8日、静岡県伊豆市 バスケ女子の主将「大会がなければ、この結果はなかった」 バスケットボール女子で初の銀メダルを獲得した高田真希主将(31) 金メダルを目標にしていたので少し悔しいけれど、誇らしいです。点差が離れても自分たちのバスケットは徹底できた。体が小さくても、海外の選手に勝てるんだと証明できたことはうれしいです。大会が開かれなければ、この結果もなかった。たくさんの方々の協力で開催されたことに感謝しています。 銀メダルを手にするバスケットボール女子日本代表の高田真希主将=2021年8月8日、さいたまスーパーアリーナ、杉本康弘撮影 パリ組織委CEO「東京は世界の『首都』になった」 2024年に開かれるパリ五輪組織委員会のエチエンヌ・トボワ最高経営責任者(CEO) 厳しい状況で五輪を実現させ、日本の能力を示した。この2週間ほどで、東京は世界の「首都」になった。選手村で見た、世界の選手たちの幸せな表情が忘れられない。省庁など複数の組織が統合して輸送や警備に取り組む姿や、馬を休ませる空調がきいた部屋など、暑さ対策も参考になった。 パリ五輪組織委のエチエンヌ・トボワ事務総長 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
天皇・皇后両陛下、全国戦没者追悼式に出席 9~15日
2021年8月9日 7時00分 天皇、皇后両陛下や皇族方の予定を毎週更新します。皇室の方々は様々な行事や式典、宮中祭祀(さいし)などで多忙な日々を送っています。紙面では掲載しきれない公務も紹介します。 宮内庁は8月9~15日の予定を発表した。天皇、皇后両陛下は終戦の日の15日、全国戦没者追悼式に出席する(表記は宮内庁発表に準じます。予定は変更されることがあります)。 天皇、皇后両陛下、愛子さま 8/15(日) 両陛下 日本武道館(全国戦没者追悼式) 皇嗣家(秋篠宮ご一家) 8/13(金) 秋篠宮ご夫妻 宮邸(全国高校総合体育大会総合開会式をオンライン視聴) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
長崎出身の被爆3世、核廃絶へ「ジタバタし続ける」
長崎出身の「被爆3世」で、東京で平和運動をしてきた林田光弘さん(29)は今年、「原点回帰」の夏を迎えた。7月から長崎大学核兵器廃絶研究センター(RECNA)の特任研究員となり、平和教育の教材開発に携わる。9日の「長崎原爆の日」へ、気持ちを新たにしている。 8日午後、林田さんは爆心地公園にいた。休日を利用し、広島から来た大学生ら5人に長崎原爆資料館の展示を解説。続いて旧知の被爆者の田中安次郎さん(79)に被爆遺構を案内してもらった。「平和な世界が続くかはみなさん方にかかっている」。田中さんの言葉に林田さんはうなずいた。 長崎市で生まれ、小学生の時から学校で被爆体験を聞いて育った。高校3年の2010年、田中さんらと一緒に渡米し、語り部の紙芝居を同世代の米国人に見せた。「被爆3世」を名乗るとき、思い浮かべるのは祖父だけではない。「戦争を止められなかった」と悔やみ、市民の力で世界を変えようと動いた被爆者たちだ。 明治学院大学大学院に在学中… この記事は会員記事です。無料会員になると月5本までお読みいただけます。 残り:452文字/全文:877文字 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
コロナ下、多様性と調和訴えた五輪 近くて遠い17日間の祭典おわる
東京オリンピック(五輪)が8日、幕を閉じた。17日間の祭典は、二つの世界を生み出した。多くのドラマで見るものを魅了した競技場の中。不要不急の外出自粛を求められたバブルの外。見るもの、参加するものの立場に応じて、異なる記憶を刻んだ。未来に何が語り継がれるのだろうか。 昼過ぎまで降り続いていた雨があがった。 午後8時。国立競技場を花火が照らし、東京五輪の閉会式が始まった。200を超える国と地域の旗手がスタジアム中央のステージを囲んだのを合図に、四方から選手たちが入場してくる。 赤いジャージーは日本選手団だ。この日試合を終えたばかりの女子バスケチームは、肩を組んで喜びをあらわした。金メダルを獲得した野球の田中将大(32)に米国選手が近寄って声をかける。外国選手の中には、メダルを首にさげた人や「ARIGATO」と掲げた人もいた。リラックスした表情が緑の芝生を埋めていく。 大会では若い力がはじけた。新競技の一つ、スケートボードでは、転倒した岡本碧優(15)のもとに米、豪、ブラジルの選手らが駆け寄り、岡本を担ぎ上げた。金メダルの西矢椛(13)らは試合中にアニメソングの話で盛り上がり、「普段の大会とそんなに変わらなかった」と自然体を貫いた。 多様性と調和も大会のキーワードだった。複数の女子サッカー代表は試合前、片ひざをついて人種差別に抗議した。男子飛び込み英国代表で、男性のパートナーと3歳の息子と暮らすトーマス・デーリー(27)は会見で「私はゲイです。自分のストーリーを伝えることで、人々の意識を変えられる」と言った。 閉会式では、1964年の東京大会で演奏された古関裕而の「オリンピックマーチ」が再び流れた。前回の閉会式で、各国選手が肩を組んでトラックになだれこむ様子をNHKの土門正夫アナウンサーは「国境を越え、宗教を超えました。このような美しい姿を見たことがありません」と伝えた。 それから57年。閉会式はもう一度、一体感や融合がテーマになった。 スタジアムが暗転すると、一堂に会した選手たちが空に向けたスマートフォンの画面が光る。一人ひとりから舞い上がった無数の光の粒がスタジアムを包むと、五輪のシンボルマークへ形を変えていく。そんな映像が大型スクリーンに映し出された。 福島のソフトボールで競技が始まって以来、1万1千人の選手たちが33競技339種目でメダルを競った。大会運営に直接かかわるボランティアの登録は5万1672人にのぼり、全国から集められた2200台のバスが競技会場や選手村などを結び、日本のメダルは史上最多の58個になった。そして、開会式には1日あたり4225人だった国内の新規コロナ感染者数はこの日、1万4472人となった。 それらが、復興五輪を掲げて招致をもぎとり、「コロナに打ち勝った証し」として開催にこぎつけた17日間の「決算」となる。 大会組織委の橋本聖子会長はあいさつで「みなさんは困難を乗り越えた本物のオリンピアンです。どうかこの景色を忘れないで下さい」と呼びかけた。 この日、エッフェル塔の足もとに集まったパリ市民は、煙幕で赤白青のトリコロールカラーを描く飛行機に小旗を振って祝福した。夏の五輪は3年後、パリへ引き継がれる。 聖火が消えた。東京で開かれながら、テレビやスマホの画面越しに見つめた、近くて遠い祭典が終わった。(山本亮介、斉藤佑介) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
台風9号、九州や四国で大雨の可能性 土砂災害など注意
2021年8月8日 20時05分 【動画】台風の予測と実況・風の強さ 台風9号は8日午後8時過ぎに鹿児島県に上陸した。9日にかけて西日本を北東へ進むとみられる。日本海で温帯低気圧に変わるものの、その後も発達を続ける見込みで、気象庁は九州や四国などで大雨が続く可能性があるとして、土砂災害や高潮などへの警戒を呼びかけている。 気象庁によると、9日午後6時までの24時間の予想雨量は、四国で300ミリ、東海、近畿、九州北部で250ミリ、中国と九州南部で200ミリ。9日にかけては強風も吹くとみられ、北陸で25メートル、近畿で23メートルの最大風速を予想している。 台風9号は8日午後3時時点で同県薩摩川内市の南西にあり、1時間におよそ30キロの速さで進んでいた。中心の気圧は990ヘクトパスカルで、中心の最大風速は20メートル、最大瞬間風速は30メートル。 また、台風10号は8日、太平洋を北東から東へ進み、本州から次第に遠ざかった。千葉県内では大雨が降り、いすみ市など9市町に避難指示が出たほか、土砂崩れにより勝浦市と睦沢町で住宅2棟が全半壊した。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
元SEALDsメンバー、核廃絶へ「ジタバタし続ける」
長崎出身の「被爆3世」で、東京で平和運動をしてきた林田光弘さん(29)は今年、「原点回帰」の夏を迎えた。7月から長崎大学核兵器廃絶研究センター(RECNA)の特任研究員となり、平和教育の教材開発に携わる。9日の「長崎原爆の日」へ、気持ちを新たにしている。 8日午後、林田さんは爆心地公園にいた。休日を利用し、広島から来た大学生ら5人に長崎原爆資料館の展示を解説。続いて旧知の被爆者の田中安次郎さん(79)に被爆遺構を案内してもらった。「平和な世界が続くかはみなさん方にかかっている」。田中さんの言葉に林田さんはうなずいた。 長崎市で生まれ、小学生の時から学校で被爆体験を聞いて育った。高校3年の2010年、田中さんらと一緒に渡米し、語り部の紙芝居を同世代の米国人に見せた。「被爆3世」を名乗るとき、思い浮かべるのは祖父だけではない。「戦争を止められなかった」と悔やみ、市民の力で世界を変えようと動いた被爆者たちだ。 明治学院大学大学院に在学中… この記事は会員記事です。無料会員になると月5本までお読みいただけます。 残り:452文字/全文:877文字 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル