2021年8月8日 11時16分 東京都世田谷区を走行中の小田急線の電車で6日、複数の乗客が切りつけられた事件で、殺人未遂容疑で逮捕された自称派遣会社員の対馬悠介容疑者(36)=川崎市多摩区=が「以前から電車の大量殺人を思い描いていた」と供述していることが、捜査関係者への取材でわかった。ただ、「灯油が用意できず、サラダ油で火を付けようとした」とも話しており、警視庁が計画性の有無を調べている。 警視庁は8日朝、対馬容疑者を送検した。また、乗客が襲われた電車の現場検証と、対馬容疑者の自宅の家宅捜索を始めた。 対馬容疑者の逮捕容疑は、6日午後8時半ごろ、成城学園前―祖師ケ谷大蔵間を走行していた快速急行で、20代の女子大学生の胸や背中を包丁(刃渡り約20センチ)で刺して殺害しようとしたというもの。捜査1課によると、大学生は重傷だが命に別条はないという。容疑を認めており、「人を殺せなくて悔しい」「逃げ惑う姿を見て満足」などと供述しているという。 対馬容疑者は三つの車両で乗客を襲い、床にサラダ油をまいて火を付けようとしたとみられ、20~50代の男女9人もけがをした。 捜査関係者によると、対馬容疑者は「大学のサークルや出会い系サイトで知り合った女性に馬鹿にされてきた。華やかな女性や一緒にいる男性の首を日本刀で切りたいと思うようになった。電車での大量殺人も前から考えていた」などと供述。事件当日に都内の商業施設で万引きをして女性店員に110番通報されたことに不満を持ったとし、「殺そうと思った。店が閉まり、電車に切り替えた」と説明しているという。 今回の事件の凶器とされる包丁については、「数年前に自殺するために買ったが、痛そうなのでやめた」、サラダ油は「灯油が用意できずに、代わりに使った」といった趣旨の説明をしているという。警視庁が裏付けを進めている。 【動画】車内で乗客が刺され騒然とする小田急線祖師谷大蔵駅=角詠之、鶴信吾撮影 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
岐阜・多治見で気温40.6度を記録 今年の国内最高に
2021年8月8日 14時52分 気象庁によると、8日午後1時34分、岐阜県多治見市で気温40・6度を記録した。国内で今年、40度を超えたのは初めてという。 8日は西日本を中心に猛暑となっており、午後1時現在、全国の85地点で35度以上になっていることから、気象庁は熱中症への警戒を呼びかけている。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
全身タイツの警察官、あの「ピクトグラム」をノリノリで
山崎輝史2021年8月8日 11時30分 東京五輪の開会式で話題になった「ピクトグラム」のパフォーマンス。愛知県警にも、あの全身青タイツのいでたちの人物がいる。演じるのは全50種類の絵文字ではなくて……。 今月、県警本部広報課のツイッターで発信しているのは、常滑署生活安全課。中川元宏課長が開会式を見て、「面白い。すぐやろう」と防犯広報として発案した。 量販店でタイツなどをそろえ、頭部はクッション、小物はスプレーで青く塗るなどすべて手作りだ。 まねしてよいかどうか、念のため大会組織委員会に問い合わせ、了承を得たという。 ピクトグラムを演じたのは30代の男性課員。最初は少し恥ずかしがっていたが、撮影が進むうちにノリノリになったという。 「侵入盗編」では、両手に家と鍵の模型を持った。「無施錠の自宅は狙われます!! 自宅には必ず施錠を」などと呼びかける。被害がやまない「特殊詐欺」と「自動車盗難」への警戒を呼びかけるピクトグラムもそれぞれ投稿した。 「物凄(すご)くシュール」「手作り感は満載だが、面白いし、言いたいことはよくわかる」「是非、動画投稿してください」などと反応も上々だ。 中川課長は「多くの人に注目してもらって大変ありがたい」と話している。県警広報課のツイッターは(https://twitter.com/AP_KOUHOU)。(山崎輝史) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「人生最後の門出」 被爆者代表、語られなかった76年
8月9日、長崎に原爆が投下されて76年になる。長崎市で開かれる平和祈念式典で、同市の岡信子さん(92)=旧姓・百田=が過去最高齢の被爆者代表として「平和への誓い」を読み上げる。被爆時の凄惨(せいさん)な光景や被爆者に向けられた偏見を、ずっと胸の内にしまってきた。「残された者の務め」と、少しずつ語り出したのはここ数年のことだ。 被爆当時、16歳の看護学生だった。看護を学んでいた大阪で空襲が激化し、故郷の長崎に戻って2~3日ほど後、自宅内で立ち上がった時だった。光ったり音がしたりした記憶はない。突然吹き飛ばされ、気がつくと倒壊した家の床下にいた。自宅は爆心地から1・8キロ。母と弟に助け上げられたが、爆風で割れたガラスが左腕や左足に突き刺さっていた。手当てもできないまま、翌々日、市内の新興善国民学校に設けられた臨時救護所に動員された。 岡さんにとって初めての医療現場。着いた時には、重傷者が教室から廊下まであふれていた。薬はなく、やけどした背中全体にわいたウジを手で取った。後ろから男性に腕を引っ張られて「ウジ、ウジ」と言われたが、肉に食い込んだウジは取ろうとしても取れなかった。 遺体は戸板に乗せ、同僚と2人で運び出した。戸板には遺体からはがれた皮膚や肉がこびりついていた。 救護の合間、工場に行ったまま行方不明の父を捜しに街へ出た。 満員の車内から浴びせられた「原爆者は降りろ」「化け物」。しゅうとめからもなじられ、隠してきた経験。どうして語るに至ったか、記事の後半と動画でたどります。 「救護所の中も街も地獄でし… この記事は会員記事です。無料会員になると月5本までお読みいただけます。 残り:687文字/全文:1277文字 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
9日に長崎平和式典 92歳被爆者代表「残された務め」
【動画】「長崎原爆の日」被爆者代表・岡信子さん 語られることがなかった76年=米田悠一郎、榎本瑞希撮影 被爆から76年となる「長崎原爆の日」の8月9日、長崎市で平和祈念式典が開かれる。7万人を超える犠牲者に花や水を供えて追悼し、長崎市長の「平和宣言」に続き、被爆者代表として岡信子さん(92)が「平和への誓い」を読み上げる。岡さんはこれまでで最高齢の被爆者代表だ。 被爆時に16歳の看護学生だった岡さんは、腕や足にガラスが突き刺さるけがをしながら、重傷者であふれかえった臨時救護所で働いた。傷にわいたウジを手でとり、遺体を戸板に乗せて運び出した。工場にいた父は行方不明になり、救護の合間に焼け野原を捜し回った。 終戦後は被爆者への偏見にさらされ、「原爆は思い出したくもない。話してもわかってもらえるはずがない」と思った。15年ほど前に亡くなった夫、今は離れて暮らす2人の子どもにも話さなかった。 当時のことを語るようになったのは、被爆から70年以上経ったここ数年のことだ。「残された者の務め」「人生最後の門出」と話し、式典に臨む。(米田悠一郎) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
五輪のわっか、五色と答えたらIOC委員は金色と言った
東京五輪が、きょうで終わる。 今年5月の本コラムで、「開くには、さまざまな『公平性』が破綻(はたん)しすぎている」と書いた。予選会の中止や参加国間のワクチン格差などで、コロナ禍での公平な開催は無理だと考えたからだ。 それでも、五輪は開かれた。 期間中、ずっと複雑な思いだった。世界最大のスポーツイベントとコロナの急激な感染拡大が、同時に進んでいる。この状況をどう受け止めればいいのか。 菅義偉首相は「五輪はテレビ観戦で」と繰り返した。大会前には、国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長の「リスクはゼロ」発言もあった。 極めつきは、IOCのアダム… この記事は有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 残り:1339文字/全文:1636文字 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
山崎育三郎と野球の縁 米留学で「イチロー」と呼ばれて
昨年のNHK連続テレビ小説「エール」で、大会歌「栄冠は君に輝く」を歌う姿が印象的だった、俳優で歌手の山崎育三郎さんに、夏の甲子園にかける高校球児への思いなどを聞いた。 6年生で全国大会出場 ――子どもの頃の野球経験について教えてください 小学1年の時に兄に連れられて地元の野球チームに入りました。僕はもともと甘ったれで、おとなしい性格だったんですけれども、野球に行くとみんなで声を出すとか、グラウンドには一礼してから入るとか、お兄ちゃんたちに対して敬語を使うとか、監督にしっかりあいさつをするとか。そういう礼儀みたいなものをすごく学んだ気がします。 ――野球の面白いところは 4年生の時に1~4年生チームのキャプテンになったんですね。「声出していこうぜ」と言ったり、チームメートを応援する歌をみんなで練習したり。「チームで団結してやるんだ」とチームをまとめ出してから、野球に対する自分の意識が高まって、野球が面白いなと感じました。 6年生になったら、旧西武球場であった全国大会で活躍できる選手になりたいなという思いがあって。2歳下の弟と2歳上の兄の3人でチームの練習日以外も毎日公園に行って、キャッチボールやノック、バッティング練習をして、本当に野球漬けでしたね。 6年生の時に東京都港区の大会で優勝。全国大会に出場して、ピッチャーとキャッチャーをやってベスト8まで行きました。 だから、子どもの頃は甲子園出場が夢でしたし、プロ野球選手も夢でした。 ――ミュージカル俳優への転機は 野球と同時に週1回、近所の歌のレッスンに通っていました。6年生の時に音楽教室の方から、作曲家の小椋佳さんが企画された、子どもを主演にしたミュージカルの全国オーディションを受けてみないかと誘われました。3千人の子役が集まる全国オーディションで、ただ歌が好きな野球少年の僕が主演に選ばれました。 野球チームの監督からは「両立できる世界じゃないから、どっちかに決断しろ」と言われて。その時に野球への思いがすごい強いまま、ミュージカルの世界に入っていきました。 「イク、試合に出たいか」 ――その後、野球は 記事後半の動画では、山崎さんのその後の野球との関わりや夏の甲子園にかける高校球児への思いなどを語ってもらいました。 中学3年間はミュージカルの… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
市民がつくる長崎平和宣言 9日に世界に何を呼びかける
8月9日の「長崎原爆の日」に、長崎市の平和公園で平和祈念式典が開かれる。歴代の長崎市長が被爆地の代表として読み上げてきたのが、市民とともに作られる「長崎平和宣言」だ。 「長崎を最後の被爆地に」という思いを込め、日本政府や核保有国を厳しく批判したこともある。今年は核兵器禁止条約が発効した。参加しようとしない日本政府や核保有国にどう呼びかけるのか注目される。 「新型コロナウイルス感染症が自分の周囲で広がり始めるまで、私たちがその怖さに気づかなかったように、もし核兵器が使われてしまうまで、人類がその脅威に気づかなかったとしたら、取り返しのつかないことになってしまいます」 昨年の平和祈念式典では、田上富久市長が感染が拡大する新型コロナウイルスを引きながら、核兵器の恐ろしさを訴えた。核の脅威は縁遠いものではなく、すべての人が当事者だという思いが込められていた。 平和宣言は、市長や被爆者、学者らが起草委員会をつくり、例年5~7月に議論して練り上げていく。今年のメンバーには20代の大学生や地元企業の社長も加わった。もう一つの被爆地の広島市では、2010年まで市長が学者らの意見を個人的に聞いて宣言をつくってきたのに対し、「長崎方式」と呼ばれている。 宣言には、その年の被爆地の願いや問題意識が詰まっている。07年には、当時の久間章生防衛相が原爆投下を「しょうがない」と発言したことに「誤った認識」が広がっていると批判した。東京電力福島第1原発事故が起きた11年には「原子力にかわる再生可能エネルギーの開発を」と訴えた。 今年1月、核兵器の開発や保有などを全面的に禁じる核兵器禁止条約が発効した。長崎や広島の被爆者の悲願といえる条約だが、日本政府は参加していない。条約を批准しなくても「オブザーバー」として議論に加わることもできるが、政府は消極的な姿勢だ。 今年の宣言は、世界で唯一の戦争被爆国として核兵器禁止条約に加わるよう政府に求める。そして、この条約を世界のルールに育てようと呼びかける予定だ。 今年の平和祈念式典は、新型コロナ対策のため昨年に続いて規模が縮小されるが、ネット(https://www.youtube.com/channel/UC07CRa3uXbLvjHAZIgoahlQ)で中継を見ることができる。(米田悠一郎) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
長崎の被爆者団体、コロナで資金難 会長自ら資金集め
長崎の被爆者運動を引っ張ってきた草分けの団体、長崎原爆被災者協議会(被災協、長崎市)が、コロナ禍で資金難に直面している。活動費用をまかなってきた土産物店が閉鎖してしまったためだ。被爆者運動はこれまで当事者が担ってきたが、被爆から76年が経って高齢化と組織の弱体化が進み、岐路に立たされている。 真夏日の7月中旬、被災協の田中重光会長(80)は黒のズボンとシャツ姿で長崎市内を歩いて回っていた。被災協の窮状を知って寄付してくれた団体にお礼を伝えるためだ。 被災協は、米国の水爆実験を機に全国で原水爆禁止運動が広がった1956年、原爆投下への国家補償を実現させようと、長崎の被爆者らで結成された。原爆で障害を負った被爆者の雇用の場として、翌57年に土産物店「被爆者の店」を開店。手作りの人形などを販売し、その収益で活動する仕組みを整えた。ピーク時の年間売り上げは1億円を超え、2万人以上の会員が運動に参加した。 運動の柱の一つは、被爆者の援護だ。57年に「原爆医療法」が成立し、被爆者健康手帳があれば健康診断と医療給付を受けられるようになった。その手帳交付の条件が厳しいとして、国会への請願や全国行脚を重ね、対象者の拡大という成果を得た。 もう一つの柱が、核兵器廃絶… この記事は会員記事です。無料会員になると月5本までお読みいただけます。 残り:893文字/全文:1429文字 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
脱出「ずっと我慢してた」 帰省ラッシュ初日の東京駅
小川崇2021年8月7日 16時26分 新型コロナウイルスの感染が全国的に拡大する中、本格的な帰省シーズンを迎えた7日、JR東京駅は大きなスーツケースを持った家族らでにぎわった。 列車予約、コロナ前から7割減 でも昨年比1・5倍に JR東日本によると、お盆期間(6~17日)の東北、山形新幹線や在来線の特急などの指定席予約状況は、5日現在で59万席。コロナの影響がなかった2019年のお盆期間と比べると73%減少。ただ、昨年比では、54%増加している。7日は、東京発の下りの予約数が最も多いという。またJR東海によると、東海道新幹線は7月19日時点で29万席と、昨年比96%でほぼ横ばいだ。 この日は3連休初日だが、東京都の小池百合子知事は都県境を越える移動を極力控えるよう呼びかけている。友人に1年ぶりに会うため大阪に行くという女性会社員(59)は、「本当は行っちゃいけないとわかっているのですが、ずっと我慢してきたので……」。大阪で仲間とご飯を食べて、コロナのストレスを発散したいという。 目立つ帰省客「親が心配してる」「感染はさせない」 目立ったのは帰省客だ。今春から都内で働く男性会社員(18)は、福井の実家へ。「親が心配して電話してくるので、一度顔を見せたかった」。青森に帰省し、美術館などで過ごすという女性会社員(24)は「東京を出ることに多少安心感もあるが、自分が感染させないことが大事」と話す。 アルバイトの女性(26)は印刷関係の営業を3年ほど経験したが、「コロナで会社の経営が悪化して先が不安になった」と春にやめた。大阪のホテルで過ごし、1カ月ほどは戻らないという。(小川崇) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル