東京五輪に後押しされ、東京都心はこの10年あまり再開発ラッシュが進んだ。大きく変容した街の一つが渋谷だ。再開発とコロナ禍を経て、街はどう変わったのか。社会学者の南後由和・明治大学准教授と歩きながら考えた。 都内に4回目の緊急事態宣言が出る前の6月下旬の夕方、渋谷駅前のスクランブル交差点はマスク姿の人々が行き交った。昨年4月の1回目の宣言時に消えた人波は戻ったものの、コロナ以前におなじみだった、交差点の中心で写真を撮る訪日客の姿は見当たらない。「広告募集中の空き看板も目立つ」と南後さん。 スクランブル交差点前に1999年に開業した「QFRONT」。大きな液晶ディスプレーからは大音量で広告が流れる=2021年6月29日、東京都渋谷区、大野択生撮影 道玄坂や宮益坂に囲まれた、すり鉢状の地形の底に位置する交差点が、大勢の人が行き交う場として注目されるようになったのは、2000年代に入ってからだ。この頃に開業したQFRONT(キューフロント)(1999年、開業年、以下同)や渋谷マークシティ(00年)といったビルから、交差点を横断する人波を一望できる「スタジアムのような空間」ができたことが大きい、と南後さんは分析する。 2000年に開業した「渋谷マークシティ」とJR渋谷駅をつなぐ連絡通路。ガラス張りの壁からはスクランブル交差点を見渡すことができる=2021年6月29日、東京都渋谷区、大野択生撮影 渋谷では70年代以降、駅からやや離れた「坂の上」に位置する渋谷パルコ(73年)などが人々を駅前から誘引し、若者文化・消費文化が根付いた。90年代に入ると、人の流れは渋谷109やセンター街、スクランブル交差点がある「坂の下」へ戻った。 05年、駅周辺が国の「都市再生緊急整備地域」に指定されると、大型再開発プロジェクトが始まった。旧東急文化会館の跡地に建つ地上34階建ての渋谷ヒカリエ(12年)や、駅と直結する同47階建ての渋谷スクランブルスクエア(19年)など、高層複合施設が相次ぎ開業した。 地上47階建ての渋谷スクランブルスクエア(中央)=2021年6月29日、東京都渋谷区、大野択生撮影 「再開発の背景の一つにはアジアの都市間競争がある」と南後さんは指摘する。 バブル崩壊後、中国を筆頭に… この記事は有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 残り:1809文字/全文:2545文字 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「原爆と同じ痛み共有」枯れ葉剤被害者ドクさんの決意は
被爆地広島・長崎には、政治や文化、スポーツなどの第一線で活躍する人々も数多く訪れました。核兵器廃絶を訴え続ける「原点」とも言える地で、何を考え、どんな言葉を残したのか。広島の平和記念資料館と長崎の長崎原爆資料館の「芳名録」に記されたメッセージを手がかりにたどりたいと思います。 《戦後に残された過去の史跡に真に心を動かされ、驚かされました。広島市民の皆様が、未来の平和を目指すため、過去の苦痛を乗り越えますように》(2016年10月20日、広島平和記念資料館の芳名録から) その男性は、真っすぐに延びた参道を、松葉杖をつきながらゆっくりと歩いた。広島市中区の平和記念公園。2016年10月20日、ベトナム在住で枯れ葉剤の被害者グエン・ドクさんが広島到着後に真っ先に向かった先が原爆死没者慰霊碑だった。手を合わせ花を手向けた。 45回目の来日で、初めて広島を訪れた。初来日は1986年。兄ベトさんが危篤状態になり、日本に緊急搬送された。その後も治療や講演などで日本を訪れ、東日本大震災後には被災した障害者と交流した。広島を訪れる前には、地元の報道機関などに「原爆投下の惨禍を経験しながら、奇跡的な努力で美しく変身した都市を見たい」とコメントを発表した。初来日から30年が経っていた。 原爆死没者慰霊碑に献花し、手を合わせるグエン・ドクさん(左)と歌手のハイチュウさん=2016年10月20日、広島市中区の平和記念公園 献花の後、志賀賢治館長(当時)の案内で平和記念資料館を見学した。約30分間、被爆直後の市内のパノラマ模型や犠牲者の遺品、焼け野原となった市街地の写真などを一つひとつ見てまわった。そして、報道陣にこう語った。 《原爆と枯れ葉剤の被害はどちらも戦争によるもので、同じ痛みを共有している。世界では今も戦争が繰り広げられている。争いをやめ、化学兵器や核兵器は廃絶しなければならない》 広島平和記念資料館を見学するグエン・ドクさん=赤木達男さん提供 芳名録にはこう記した。 《戦後に残された過去の史跡に真に心を動かされ、驚かされました。広島市民の皆様が、未来の平和を目指すため、過去の苦痛を乗り越えますように》 広島滞在中、東広島市で広島ベトナム平和友好協会が主催した基調講演会に登壇した際には、集まった約300人を前に、自身の生い立ちや現在も続く枯れ葉剤被害の実態について語った。そして強調した。 2007年には長崎にも訪れていたドクさん。念願だった被爆地訪問で、広島・長崎はドクさんの目にはどのように映ったのでしょうか。記事後半では、二重被爆者の男性との交流の様子を紹介します。「戦争の悲惨さを語り継ぐ使命」を共有した2人の思いとは。 《原爆と枯れ葉剤の被害は… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
五輪警備の機動隊員 兵庫県警の感染者17人に
2021年8月1日 16時14分 警視庁は1日、東京五輪・パラリンピックの警備を担う「特別派遣部隊」として兵庫県警から派遣された機動隊員3人の新型コロナウイルス感染が判明した、と発表した。同県警の部隊ではこれまでに14人の感染が明らかになっていたが、3人は所属や宿舎、勤務場所が異なるという。同庁は3人の所属部隊の二百数十人を警備から外した。 感染が判明した3人は同じ部隊の20~40代男性で、7月上旬に上京し、競技施設の警備をしていた。濃厚接触した選手や市民はいないという。宿舎は東京都江東区の8人部屋の警察施設で、3人は同部屋だった。同じ部隊の二百数十人も同じ宿舎に滞在し、シャワー室やトイレ、洗面所が共用だった。全員が現場に出られないが、代わりの部隊がいるため警備に支障はないとしている。警視庁はこの二百数十人に対し、定期的に抗原検査をする方針。 兵庫県警の派遣部隊では、これまでに東京都府中市の警察施設(個室)に寄宿する別の部隊で14人の感染が確認され、最大で同じ部隊の約100人が現場から離れていた。新たに3人の感染が判明した部隊との接触は確認されていないという。 全国から派遣された特別派遣部隊の感染者は兵庫県警の17人を含めて19人になった。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
メダルなしでも大坂なおみが残した、東京五輪のレガシー
会員記事 朝日新聞デジタル編集長・伊藤大地2021年8月1日 12時00分 メディア空間考 伊藤大地(朝日新聞デジタル編集長) 大坂なおみ選手が、五輪の聖火台に火をともした。政府や組織委をめぐるゴタゴタが、これでチャラになったわけではない。しかし、画期的な一瞬であったことは、間違いない。それは、トップ選手だからでも、女性だからでも、多様なバックグラウンドを持つからでもない。メンタルの不調を訴え、一時、競技から離れたアスリートが代表したことに、意義があった、と私は思う。 大坂選手は5月、全仏オープンを棄権。自らのツイッターでメンタルの不調と、会見の対応が心理的負担となっていることを訴え、コートから離れていた。東京五輪はその復帰戦だった。 プロスポーツにおいて、メディア対応は選手の仕事のうち。その点は大坂選手を含め、多くの選手が認めている。しかし大坂選手が提起した問題の論点はそこではない。トップアスリートであっても、アスリートとして以前に、人間として尊重してほしい、ということだった。 私たちはアスリートを讃(たた)えていたつもりだったが、それが苦しみの原因となっていたとしたら。オリンピアンともなれば、生まれつきの才能に恵まれ、壮絶なトレーニングに耐え、強靱(きょうじん)なメンタルを備えた、宇宙人のように扱われることも多い。観戦する多くの人々も、企業も、すべてを競技のために犠牲にする姿を、前提のように共有し、「アスリート物語」として消費する。五輪やサッカーW杯のように、4年に1度、国の代表として戦う国際舞台ならなおのこと。私たちメディアはアスリートの冠辞に「超人」やら「ストイック」やら、そんな言葉をどれだけ使ってきたことか。 「大坂選手が上げた声は、世界を変えている」 確信した出来事があった。 米国体操女子のスター、シモ… この記事は会員記事です。無料会員になると月5本までお読みいただけます。 残り:767文字/全文:1507文字 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
被爆した「一夫」は私だ 手帳求める100歳のカズオ氏
76年前の広島で原爆投下の瞬間を見た100歳の男性が7月、東京都に被爆者健康手帳の取得を申請した。広島市の戦災誌にも本人の被爆証言があるが、名前の誤記などを理由に一度は申請が却下されていた。がんを患う中、新たな証拠に基づいた今回の再申請は受理され、都は手帳交付に向けた調査を始めた。 男性は東京都調布市の岩下運雄(かずお)さん。東京帝大在学時に学徒出陣し、陸軍船舶司令部(暁部隊)の見習士官になった。原爆が投下された1945年8月6日は、爆心地から約4キロ南の宇品港で、輸送潜航艇の出航準備をしていた。突然頭上がピカッと光り、熱くなった。 《太陽のような火の玉を見た。瞬間その火の玉の下に火の玉と地上を結んだように火柱が立った》 《出航し、直ちに潜航。呉寄りの沖で浮上して見たら広島上空茸雲(きのこぐも)》 その証言は、広島市が71年に発行した「広島原爆戦災誌」に「岩下一夫氏談」として収録された。このとき、名前が誤記された経緯は判明していない。 潜航艇は原爆の4日後に広島… この記事は会員記事です。無料会員になると月5本までお読みいただけます。 残り:993文字/全文:1436文字 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
物書きなれず、実家に戻った子 会話できず途方に暮れる
60代女性です。30代後半の息子のことで相談します。 高校で不登校となり、大検を受けて東京の大学に入りました。大学は文学系のサークルにも入り楽しくやっていたようですが、物書きになるとの希望を持って就活はほとんどせず、アルバイトなどで10年以上過ごしました。書く仕事はものにはならず、生活も厳しくなったのか、実家に戻ってきました。 今は臨時採用の公務員の仕事を得て毎晩遅く帰ってきます。いつ仕事がなくなるかは分からず、本人も続けたい仕事ではないと言っています。深夜はネットゲームなど趣味に時間を費やし、最近は家族との会話もほとんどありません。食事の時間も入浴の時間もずらし、休日はどこかに出かけていき、遅く帰ってきます。部屋で炭酸飲料を飲みながらジャンクフードを食べているようで、どんどん太っています。不健康な暮らしをわざとしているようにも思えます。 私たち夫婦は元教員で、子どもの暮らしに寄り添っていたとは言えません。そのため、親に弱音を吐くことはあまりありませんでした。今も弱みを見せたくないようで、生活全般に干渉されることを嫌います。 私は朝起こすこと、食事を作ること、当たり障りのない会話くらいしかできません。もともと知識が豊富でよくしゃべる息子だったのですが……。今の状態に途方に暮れています。 回答者 政治学者・姜尚中さん 「上を見ればキリがない。下を見れば後がない」。進退窮まった大人たちが天を仰ぐように嘆いていた時によく耳にした言葉です。 あなたのお子さん、と言って… この記事は有料会員記事です。有料会員になると続きをお読みいただけます。 残り:915文字/全文:1576文字 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
未成年者の大麻事件、大阪で急増 過去最悪のペースに
茶井祐輝2021年8月1日 9時46分 大阪府警は、今年上半期の大麻取締法違反容疑で府警が逮捕、書類送検した未成年者が75人だったと明らかにした。1990年以降で最多だった昨年同期の約1・4倍に上る。府警はオンラインで薬物乱用防止教室を開くなど対策をしている。 少年課によると、大麻取締法違反容疑で逮捕、書類送検された未成年者は2014年以降、増加傾向で昨年は114人。今年上半期には全年代の34%を占めた。 府警は新型コロナの感染拡大を受けて、主にオンラインで薬物についての教室を開催している。7月26日には、大阪市中央区の追手門学院大手前中・高校で計29クラス(約1千人)に少年課員がオンラインで大麻の健康被害などについて語った。 同課の浦広一郎警部は「大麻の危険性を改めて知ってもらいたかった」と話した。(茶井祐輝) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
川辺川ダム巡り市民ら抗議 町長に「自分の考えない?」
村上伸一2021年8月1日 9時55分 昨年7月の記録的豪雨で被災した熊本県の球磨川水系流域の12市町村長でつくる「川辺川ダム建設促進協議会」が、川辺川への流水型ダムの早期完成を求める要望書を国や県に提出したことに対し、建設に反対する流域の市民団体が30日、協議会長の森本完一・錦町長に抗議書を手渡した。 団体は「子守唄の里・五木を育む清流川辺川を守る県民の会」(中島康代表)と「美しい球磨川を守る市民の会」(出水晃代表)。 抗議書は、流水型ダムの早期完成の要望自体が、流域住民の意思に基づかない12市町村長の個人的な見解だと指摘。協議会が要望書の中で「流水型ダムが従来のダムに比べて環境への負荷は軽減される」と断言していることを、「専門家でもないのになぜこのようなことを言えるのか」などと強く批判している。 抗議書を受け取った森本町長は「(協議)会員に伝えておく」と答えたが、約10人の市民らが「自分の考えはないのか」などと反発し、10分ほど言い合いとなった。(村上伸一) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
秋田竿燈も青森ねぶたも中止 夏祭りの土産物の活路は
石平道典2021年8月1日 10時00分 新型コロナウイルスの影響で、夏の風物詩の行事が相次いで中止されている。そんな中、東北各地の夏祭りで売られるはずだった工芸品や土産物を通信販売する特設サイトが、8月2日から1カ月限定でオープンする。自宅にいながら東北の夏を感じてほしいという思いが込められている。 コロナ禍で、東北三大祭りとして知られる「秋田竿燈(かんとう)まつり」と「青森ねぶた祭」は、昨年に続いて中止に。「仙台七夕まつり」は8月6~8日に実施予定だが、宮城県外からの来場自粛を呼びかけている。 「東北の工芸品や土産物は、イベントや観光によって客の手に渡るものがほとんど。夏祭りの中止で行き渡らなくなった品々を届けたい」。特設サイトを運営する、青森県八戸市の文具・事務機器販売会社「金入(かねいり)」の企画担当、岩井巽(たつみ)さん(28)は話す。 同社は東北6県の伝統工芸品や地場食品の販売も手がけており、コロナで販路を失うなどした各県の品々を集めた通販サイト「#tohokuru/トホクル」(https://tohokuru.jp/)を昨年4月に立ち上げた。サイト名は「あなたのおうちに東北が来る」という意味を込めた。作り手が出品希望を出し、全国の客から予約を受けて商品を発送する仕組みで、延べ1500人以上が利用したという。 今回、トホクル内に特設サイト「東北の祭り、東北の夏。2021」(https://j.mp/3h2Ak4G)をオープン。上ボシ武内製飴所(青森市)の玉ようかん、東北工芸製作所(仙台市)の風鈴、京屋染物店(岩手県一関市)の染め物など、100種類以上の商品を掲載する。9月1日まで開設し、商品は9月中旬ごろに発送する予定だ。 岩井さんは「いまは東北に来られなくても、自宅で東北の夏を感じてもらえるよう全国に品々を届け、作り手の皆さんの励みにもなれば」と話している。(石平道典) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
五輪「おもてなし」中止 津田塾大生の起死回生はIT
コロナ禍で、東京五輪は国内で予定されていた多くの事前合宿が中止となり、海外選手たちとの交流が制限された。海外からの観戦客の受け入れも断念しており、様々な「おもてなしイベント」が中止に追い込まれた。 津田塾大学の総合政策学部がある千駄ケ谷キャンパス(東京都渋谷区)は、国立競技場や東京体育館から「最も近い大学キャンパス」を売りに、学生約190人が交流イベント「梅五輪プロジェクト」https://umegorin.com/を企画してきた。当初は訪日観光客らを招いて、日本文化を発信するイベントを五輪期間中に3日間ほど開催する予定だった。 だが、コロナ禍で一変した… この記事は会員記事です。無料会員になると月5本までお読みいただけます。 残り:584文字/全文:868文字 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル