【動画】円山公園のゴキブリはどこから来たのか=戸田拓、松尾一郎撮影 夏の夜にはゴキブリを観察できる円山公園=2021年11月15日、札幌市中央区、松尾一郎撮影 テレビやラジオなどでもたびたび取り上げられる「北海道にゴキブリはいない」説。結論から言えば、「いる」のだが、本州以南でのゴキブリとは事情がちょっと違うようだ。今年夏、記者が札幌市の名所で目撃したゴキブリのコロニー(生物集団)の実態を追った。 8月中旬の夜9時ごろ、札幌市中央区の円山公園を散策していた時のこと。ジョギング愛好家が走り抜ける小道のそばに目をやると、立ち木の根元付近でカサカサとうごめく小さな影が多数見えた。2本の長い触角、濃い茶色の体……。時には口に出すこともはばかられる「G」。ゴキブリそのものだった。 札幌市中央区にある円山公園。札幌駅や大通公園からもほど近い場所だ 札幌市中心部の木に数十匹 公園内にあるハルニレなどの古木の、ゴツゴツとした表皮や空洞になった幹の内側から出たり入ったり。樹液を大量に出している大きな樹木や周囲の地面でもガサゴソ。1本の木に数十匹。数の多さから繁殖をともなったコロニーにみえた。涼しくなった9月下旬まで容易に観察できた。 このゴキブリの集団は何か。まずは専門家に尋ねた。コオロギを仮死させる指技を持つ北海道大学電子科学研究所の西野浩史助教だ。 西野さんは、その答えを持っていた。「円山公園から採ってきたヤマトゴキブリです」。見せてくれたのは今年夏の夜、円山公園で捕獲し、えさを与えて飼育ケースで育てていたものだった。 「ヤマトは今や希少種ですよ… この記事は有料会員記事です。残り2323文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
ポストは満杯、いつもの電話もない…ヤクルト販売員は異変に気づいた
石垣明真2021年11月28日 10時30分 【千葉】自室で衰弱していた一人暮らしの70代女性の人命救助に貢献したとして、佐倉署は26日、ヤクルト販売員の野口梓さん(40)に感謝状を贈った。外からは見えない女性の異変を察知できたのは、野口さんが感じた違和感からだった。 野口さんが佐倉市内のエリアを担当するようになったのは約3年半前。今回救助された女性はその時からのお得意様だったといい、話し好きで、会うとよく昔話を聞かせてくれたという。 いつも通り、事前の連絡を受けて、野口さんが12日に女性宅を訪問したところ、インターホンを押しても反応がなかった。これまでもよくあったことで、気には留めていなかったという。しかし、休みを除く13日と16日に再訪問したものの、やはり応答がない。いつもだったらあるはずの「寝てたからごめんね」といった電話もかかってきていなかった。女性宅のポストには新聞やチラシがたまっていた。 そして17日、再び訪問した野口さんの目の前には、相変わらず満杯のポストと、反応のないインターホン。「これはおかしいな」と思った瞬間、ふと思い出した。「10月に来たとき、女性のろれつが回っていなかったような気がする」。野口さんが思い切って近所の交番に連絡したところ、駆けつけた警察官が寝室で衰弱していた女性を発見。女性は無事病院に運ばれたという。 野口さんは「警察を呼んじゃってもよかったのかなという気持ちもあったが、助けられて良かった」と笑顔で話した。(石垣明真) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
車の上に大量のハトのなぜ 実はゴッホも見分けるハトの眼力
日差しが暖かかった11月中旬の昼下がり。東京都中央区の都営地下鉄築地市場駅近くの路上を歩いていると、驚きの光景が目に飛び込んできた。車の屋根にハトが留まっている。それもざっと30羽以上。なぜなのか。専門家に聞いてみると、知らなかったハトの生態が見えてきた。 現場は人通りも、車通りもそこそこある道路。ハトが群がっていた車が停車していた路肩の真横には小さな公園があった。ハトは「クルッ、クルッ」と言うだけで、その場を離れようとしない。車をとめて休憩していた所有者も困り顔だった。「別にエサをまいているわけでもないのになぜ……」。車の屋根は日当たりがよく、暖かいからなのか――。皆目見当がつかなかった。 ハトの識別能力を示した先駆的な研究で知られ、「人々を笑わせ、考えさせる」イグ・ノーベル賞を1995年に受けた慶応大学の渡辺茂名誉教授によると、ハトが留まる場所を選ぶ理由は主に二つあるという。 ■ハトの狙いは… 一つは安全性だ。ハトには天… この記事は会員記事です。残り718文字無料会員になると月5本までお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
3年B組「坪井先生」の愉快な教室 顔引きつらせ、一度だけ怒った
教壇で声を張り上げていた先生は、やがて被爆者の象徴的存在になり、いつしか世界的なヒバクシャになった。その傍らで、卒業後も60年以上にわたって、「3年B組」の教え子たちとクラス会を続けていた。入退院を繰り返していた坪井直(すなお)さんが、担任として卒業させたクラスは三つだけ。坪井さんが「宝物」と表現したB組の44人は、坪井先生から生涯をかけて教えてもらったことがある。 「泣かんのよ。泣いても戻ってこん。先生はやりきったんだから」。10月27日、広島市南区の村上美鈴さん(77)は恩師の訃報(ふほう)を知り、何人かのクラスの友人に電話をかけた。電話口で声を詰まらせる級友を励ましながら、自分の声も震えていた。村上さんにとって坪井さんは、ずっと「先生」だったからだ。 ◇ 1957年4月、当時31歳の坪井さんは広島県熊野町の町立熊野中学校に転勤し、2年B組の担任になった。B組だった村上さんは始業式の日、坪井先生が教室に入ってくるなり周りが明るくなったことを覚えている。先生はいつも笑顔で、穏やかで、小さなことにこだわらなかった。髪の毛を左右にきっちりと分け、授業中も冗談を言って笑わせてくれる先生を、「嫌いな生徒はいなかった」と振り返る。 そんな先生につらい過去があるとは知らなかった。 放課後の帰りがけ、校内放送で「NHKのラジオをよく聞いておきましょう」と流れた。 96歳まで訴え続けた「核兵器のない世界」 その原動力は 戦後、数学の教員となった坪井直さん。戦後30年、教師らがまとめた体験集では、すでに風化への危機感があったといいます。核と人類取材センターの武田肇記者と広島総局の福富旅史記者に聞きました。 Apple PodcastやSpotifyなどで配信しています。音声プレーヤーの右上にある「i」の右上にあるボタン(購読)でリンクが表示されます。 その夜、勉強の手を止め、眠… この記事は有料会員記事です。残り1414文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
いじめゼロ、得意を伸ばす未来の学校 ニトリ会長と子どもたちが対談
学校で生きづらさを感じている子どもたちの未来を開くには、どうすればいいのか。家具・インテリア販売大手ニトリホールディングス会長で、発達障害を公表している似鳥昭雄さんと子どもたちの対談が今月14日、東京大学先端科学技術研究センターで開かれた。子どもたちが考えた未来の学校像とは――。 イベントは「LEARN with NITORI ~未来の子どもの学びを考える2つの座談会」。2014年から突出した能力のある子ども向けの異才発掘プロジェクト「ROCKET」を行ってきた東大先端研の中邑賢龍研究室が、幅広い子たちを対象に、今年6月、新たに始めたプログラム「LEARN」の一環で開催した。全国から小学生~18歳の約20人が参加した。 「学校がつまらなかった。苦手なことを普通にさせようとする所だから」 教室に端末持ち込み「ずるい」の声 受験にも壁 都内の小学6年、なおさんはそう訴えた。読み書きが苦手で、小3の時に学校にタブレット端末を持ち込みたいと申し出たが、認められなかった。校長が代わって小4で認められると、周囲の子から「一人だけずるい」と言われた。今は国のGIGAスクール構想で1人1台の端末が配備され、みんなが使い方を聞いてきて、学校も楽しくなった。 学力もあり中学受験を考えている。だが、障害者差別解消法で合理的配慮が義務づけられているにもかかわらず、デジタル教育が盛んな多くの私立中も、入試での端末使用は不可能と言われる。「みんなの得意な部分を伸ばし、僕が生徒のアイデアを商品化する学校をつくりたい」と訴えた。 朝日新聞社は12月4日、読み書き障害など、学びに凸凹のある子の進学と学びを語る、無料オンラインイベントを開催します。大学入試センターの担当者やデジタルツールに詳しい教諭、受験を経験した学生らが登壇します。詳しくはこちらから。https://que.digital.asahi.com/question/11006318 ■母から教わった「人の考えな… この記事は会員記事です。残り861文字無料会員になると月5本までお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
気管切開せずに退院したアリスちゃん、幼稚園での生活も楽しむ
小児看護専門看護師 萩原綾子さん 私が脊髄(せきずい)性筋萎縮症(SMA)のアリスちゃんと家族に会ったのは、2007年夏のことです。院内で議論を重ね、気管切開せずに退院することが決まり、退院前カンファレンス(会議)でごあいさつをしました。 3歳3カ月だった同年10月にアリスちゃんは退院しました。リスクの高い状態での退院だったので、訪問診療する在宅医や訪問看護師らとの意思統一もしっかり図っておかないといけません。そのために退院する前、関係者が集まった会議「退院前カンファレンス」を開くのが常です。 子どもの在宅療養は、高齢者のそれとは若干違います。在宅療養は、難しい言葉でいうと「地域包括ケアシステム」という仕組みのなかで運営されています。在宅医や訪問看護師、介護系サービスなどと連携しながら、地域の中で穏やかに亡くなっていくシステムです。高齢者の場合は、ケアマネジャーが全体を差配し、現在は子どもの場合は相談支援専門員や医療的ケアコーディネーターの育成を国が進めています。しかし07年当時の子どもの場合、ケアマネジャーがいませんでした。そのため、病院の地域医療連携室などがコーディネーターとして初動することがほとんどでした。 退院前カンファレンスには… この記事は会員記事です。残り962文字無料会員になると月5本までお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
残業代ゼロで働く教師 「画期的」判決が見過ごした給与制度の闇
公立学校教員の残業代をめぐる訴訟で、10月1日にさいたま地裁が出した判決について、専門家から賛否の声が出ている。原告の訴えは棄却されたが、裁判長が「教育現場の勤務環境の改善を切に望む」と付言したことなどから弁護団は「画期的な判決」と評価。一方、労災事件を扱う弁護士からは「悪影響が出る可能性すらある」と厳しい意見も出る。判決をどうみるか、3人の識者に聞いた。 弁護団代表の若生直樹弁護士 敗訴だが「確かな前進」 判決は、過去の判例と比べて前進したところがあり、その点を評価すべきです。訴訟内容自体は認められませんでしたが、今回も駄目だったと諦めるのではなく「確かに前進はしたんだ」ということを発信していかなければなりません。 判決では、長時間の時間外労働があり、労働基準法に違反している状態にあると校長が認識していた場合には、注意義務違反があるとみなして、国家賠償法にもとづく賠償責任が生じることが示されました。これが、我々が「画期的な判決」と評価する部分です。 今回は残念ながら、賠償責任までは認められませんでした。ただ、最大月15時間と短いながらも、「1日8時間、週40時間」という労基法が定める労働時間を超える残業があったことを認定しました。過去に公立教員が未払い賃金を求めた訴訟では、労基法上の時間外労働はないとされてきたので、明らかに前進したと言えます。 確かに、これまでも民間の労災訴訟などでは、長時間労働で体調を崩した場合、安全配慮義務違反があったとして、国賠法上の賠償責任が認められてきました。今回の判決では、安全配慮義務違反まではいかないまでも注意義務違反があれば、賠償責任が認められる可能性が示されたと考えています。 裁判所が教育現場の実情を重く受け止め、付言でかなり踏み込んだ問題提起をしたことも、積極的に評価すべきだと思います。 少なくとも、「教員を長時間働かせれば違法になりうる」ということを裁判所が認めました。長時間労働は、現場の教員がまさに直面している課題です。「この業務は労働時間になるか」ということをしっかりと現場レベルで分析して、教員も活発に議論ができるようになると思います。 一方、確かに課題も多かった判決かもしれません。どの程度長時間の時間外労働になれば違法性が認められるかが、よく分かっていないのは不十分な点です。そもそも厳密に労働時間が管理できないという部分が、こちらの主張とは異なります。 厳しい判断基準にもとづいて、残業が労基法上の時間外労働に該当するかどうかの判断をしていることも不当だと考えています。実際に業務をしていたということは訴訟の中でも争いがなかったので、そこは労働時間であったと判断すべきだと考えています。(聞き手・森下友貴) わこう・なおき 1988年生まれ。今回の公立小教員残業代訴訟の弁護団代表。労働問題の事件を主に扱う。埼玉弁護士会所属。 佐々木亮弁護士 「古い働き方」ありきに懸念 教員の労災認定訴訟や残業代請求訴訟にも悪影響が出る可能性があるので、とても評価できる判決ではありません。一番問題だと考えるのは、月給の4%分を支払う代わりに公立教員の残業を原則認めない教職員給与特措法(給特法)が想定しているような、「古い教師の働き方の議論」を前提に議論を進めていることです。 判決では、勤務時間外に行った業務について、校長の指揮命令の下にあったと見なせるかどうかを一つずつ判断しています。ただ、その判断の前提がおかしなものになっています。 例えば、自発的に業務に取り… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「カレー屋さん始めるのが夢」難民申請中のリヴィさん、30食に思い
織井優佳2021年11月27日 12時40分 「難民」を身近に感じ応援する機会にと、神奈川県鎌倉市御成町の「まちの社員食堂」に12月12日、1日限りの「なんみんカフェ」がオープンする。難民申請中で市内の施設に身を寄せているスリランカ人、リヴィさんが作る本場のカレーが登場し、カンボジアコーヒーなどの販売もある。 カトリック教会を母体とする海外ボランティア派遣団体「JLMM」と地元のIT企業カヤックが企画した。会場の食堂は、鎌倉に拠点を置く企業や団体が、鎌倉で働く人向けに運営しているが、この日だけは観光客も利用可能になる。 リヴィさんが鶏肉や野菜、カルダモンやガラムマサラなどのスパイスを使って香り高く仕上げたカレーは、事前予約制の30食限定。食べるには材料費の500円に加え、鎌倉のコミュニティー通貨「まちのコイン」の300クルッポが必要だ。リヴィさんは難民申請中で就労できないため、日本円ではなくクルッポを全額渡し、「社会に参加し、求められている実感」を味わってもらう。まちのコインを使ったことがない人も、専用アプリをスマートフォンに新規ダウンロードすれば500クルッポがもらえる。 リヴィさんは「みんなにおいしいと言ってもらえたらうれしい。ビザがもらえたら、カレー屋さんを始めるのが夢」と張り切っている。このほか、当日の会場ではJLMMの主な活動拠点になっていたカンボジアのコーヒーの試飲(200クルッポ)や販売(ドリップパック3袋500円)、カンボジア製黒こしょうの販売(50グラム1200円)などもある。午前11時半からと午後1時からの2部制で、営業中はリヴィさんも店内にいる。 参加予約などの問い合わせは、JLMM事務局にメール(jlmm@jade.dti.ne.jp)で。(織井優佳) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
真っ黒スープの「富山ブラック」 塩っ気控えめ袋麺でムスリム市場へ
富山のB級グルメ「富山ブラック」のアジア進出が進んでいる。濃厚なしょうゆ味で真っ黒いスープのご当地ラーメンを受け入れてもらおうと、国内外に店舗を持つ業者が袋入り麺を新たに商品化した。狙いを定めるのは、世界人口の約4分の1を占めるとされるあの市場だ。 「ノーポーク・ノーアルコール」で 新商品を出したのは、店舗「麺家いろは」を展開する会社「天高く」(富山県射水市)。 1992年に金沢市で創業した同社は、ご当地ラーメンブームを追い風に店舗を拡大。2011年に期間限定でシンガポールなどに店を出したのを皮切りに、海外への進出を本格化させた。 東南アジアでは麺文化が根付き、日本のラーメン店が進出した。「天高く」の栗原清・会長(67)は「日本のラーメンの特徴であるだしにこだわったスープのうまさや、メニューの豊富さが好まれる。受け入れやすい土壌がある」と話す。ただ、日本のラーメンは主に中華圏の人が対象。アルコール入りの調味料を使ったり、スープが豚骨だったりでイスラム教徒たちは食べることができなかった。 栗原さんは13年、インドネシアで開かれた日本食イベントへの出店を依頼された。イベントの運営者と話す中で、ムスリムに向けた「ノーポーク、ノーアルコール」のラーメンを出すことになった。「(イスラム教の戒律に沿った)ハラルの知識もない無謀な挑戦だった」と振り返る。 ムスリム市場に照準を合わせた「富山ブラック」。当初は伸び悩みましたが、転機は意外なところにありました。 だが出してみると、「日本の… この記事は会員記事です。残り1356文字無料会員になると月5本までお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
堀江さんがヨットお披露目、太平洋横断に挑む 「一番乗り心地よい」
浅倉拓也2021年11月27日 15時00分 83歳で太平洋横断に挑戦する堀江謙一さんのヨット「マーメイドⅢ号」の進水式=上田潤撮影 来年3月に83歳で単独無寄港太平洋横断に挑む海洋冒険家・堀江謙一さん=兵庫県芦屋市=のヨット「サントリーマーメイドⅢ号」が完成し、広島県尾道市のベラビスタマリーナで27日、進水式があった。堀江さんは「これまでで一番乗り心地が良く、安全性が高いと思う」と喜んだ。 堀江さんは1962年に兵庫県の西宮港から米サンフランシスコまでヨットで単独航海し、その記録をまとめた「太平洋ひとりぼっち」はベストセラーになった。それから60年の節目になる来年、サンフランシスコから西宮港まで約2カ月半かけて航海し、世界最高齢での単独無寄港太平洋横断をめざす。 新たなヨットは、ツネイシクラフト&ファシリティーズ(広島県尾道市)が建造。船体はアルミ合金製で19フィート(約5・8メートル)。60年前の「マーメイド号」と同じサイズだが、太陽光パネルによる電源があり、衛星電話やパソコンも使える。 この日の進水式では神事などの後、地元の園児らが音楽演奏で堀江さんを激励した。堀江さんは「こうして80代でも元気で航海できる。こんなうれしいことはない」と話した。(浅倉拓也) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル