大阪市北区の雑居ビルで起きた放火殺人事件で、事件の約30分前、放火に関与した疑いが持たれているクリニック患者の男(61)の自宅とみられる大阪市西淀川区の住宅でも火災があった。大阪府警は18日、雑居ビルに加え、この住宅についても現場検証を始め、大阪市消防局と合同で出火時の状況を調べている。 西淀川区の住宅は、放火殺人事件の現場となった堂島北ビルから西に約3・5キロ離れている。不動産登記簿によると、1987年に建てられ、3階建てで延べ約60平方メートル。所有者は男の名義になっていた。 大阪市消防局によると、火災は17日午前9時45分ごろ、「煙が出ている」という近所の人の119番通報で覚知。駆けつけた消防隊が外から呼びかけたが応答がなく、窓ガラスを割って室内に入った。焼けたのは2階の一部で、ぼや程度だった。室内にはだれもいなかった。 近所の女性は消防隊の突入時に、室内に布団が敷かれ、カセットボンベが置いてあるのを見たという。 地元の町内会長は「この住宅には春ごろまで別の家族が住んでおり、空き家だと思っていた」と話す。 近所の女性によると、長らく空き家で郵便受けにチラシがたまっていたが、1~2カ月前から男が出入りしている様子だったという。自転車で出かける姿を何度か見かけ、火災当日の午前8時半ごろにも、玄関前にいる男を見たという。 近くの80代女性は5日ほど前、この住宅のガレージから自転車に乗った男が出て来るのを見た。女性が「おたく、引っ越してきはりました?」と聞くと、男は「はい」と答え、自転車で走り去ったという。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
大阪府警、ビル放火殺人事件の容疑者名を発表 現場に容疑者の免許証
大阪市北区の雑居ビル内のクリニックで24人が死亡した放火殺人事件で、大阪府警は19日未明、火を付けて殺害した疑いの男について、住所、職業不詳の谷本盛雄容疑者(61)と発表した。谷本容疑者の運転免許証が現場のビル内で事件後に見つかっていたことが、捜査関係者への取材で判明。生活していた住宅からはクリニックの診察書類が見つかっていた。 府警は18日、17人の司法解剖を終えた。うち5人の死因が同日までに判明し、全員が急性一酸化炭素(CO)中毒だったと発表した。 火災は17日午前10時20分ごろ、大阪市北区曽根崎新地1丁目の「堂島北ビル」で発生。心療内科の医院「西梅田こころとからだのクリニック」がある4階の一部約25平方メートルが焼け、27人が心肺停止状態で搬送された。 捜査1課によると、119番通報の直前、クリニックに紙袋を持った男が訪れていた。男が入り口近くで紙袋を蹴り倒すと液体が流出し、暖房器具の近くで火が燃え上がったという。 捜査関係者によると、事件後にクリニック入り口付近から油分が検出され、天井近くまで燃え上がった痕があった。当時受付近くにいた女性2人は「男が紙袋を床に置いた後、突然高い火が出た」と府警に証言したという。府警は、流出した液体は揮発性が高く、爆発的に燃えるガソリンだった可能性が高いとみて成分を鑑定する。 ビルから3・5キロ離れた谷本容疑者が生活していた住宅では、ビル火災の30分ほど前に放火とみられる火災が起きていた。焼損はわずかで、捜査関係者によると、谷本容疑者が事件が起きたクリニックで診察を受けていたことを示す資料が見つかった。谷本容疑者の名前があり、免許証の表記と一致した。府警は、谷本容疑者がクリニックの患者で、通院先に放火した疑いが強いとみている。 谷本容疑者は事件後、重いやけどを負うなどして救急搬送された。18日午後現在、危険な状態という。事件では他に、意識不明の重体で病院に搬送された女性2人が治療中という。 逮捕状の請求前に容疑者名を公表した理由について、捜査1課の冨山浩次課長は、「被害者・ご遺族が被疑者の早期特定を望んでいる。重大事案と鑑みて公表した」と説明した。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
紙袋二つを蹴飛ばした後に出火 谷本容疑者、現場へは自転車で移動か
大阪市北区の雑居ビル内のクリニックで24人が死亡した放火殺人事件で、男が二つの紙袋をクリニック内に持ち込み、直後に出火する様子が防犯カメラに映っていたことが分かった。大阪府警はこの男が放火して殺害したとして、現住建造物等放火と殺人の疑いで捜査している。 府警は19日未明、男を住所、職業不詳の谷本盛雄容疑者(61)と発表した。重度の一酸化炭素(CO)中毒などで重篤という。 府警の発表によると、院内に設置されている複数の防犯カメラのデータを18日に確認。谷本容疑者とみられる男が出火直前、両手に紙袋を持ってエレベーターで来院し、受け付けをした後に紙袋を床に置いて蹴飛ばし、しゃがみ込んだ際に出火した様子が映っていた。谷本容疑者が避難する様子はなかったという。 府警は紙袋に可燃性の燃料が入っていたとみている。事件現場からは油分が検出され、ガソリンの可能性があるとみて分析している。 谷本容疑者は現場から搬送されたが、催涙スプレーのようなもの2本をポケットの中に入れていたことも確認された。府警は、谷本容疑者が計画的に多くの人たちに危害を加える目的でクリニックを訪れたとみている。 ビルの中にはクリニックの診察券や運転免許証が入った財布が残されていた。府警はこれらの資料や身体的特徴から、谷本容疑者と特定した。 ビル火災の約30分前、大阪市西淀川区の住宅で起きた放火とみられる火災の現場からも油分が検出された。この住宅には谷本容疑者が滞在していた可能性があり、府警は住宅を家宅捜索して調べている。住宅と火災が起きたビルの距離は約3・5キロある。 この火災の後、クリニックの方向に向かって自転車で移動する谷本容疑者とみられる男の姿も防犯カメラで確認された。自転車のかごには紙袋が積まれていたという。この男が事件のあったビルのそばに自転車を止め、紙袋を持ってビルに入っていく姿も周辺の防犯カメラに映っていたという。府警は18日、この自転車を押収した。 府警は谷本容疑者が事件前に書いたとみられるメモを押収しており、内容を分析している。 捜査1課によると、谷本容疑者は17日午前10時20分ごろ、大阪市北区曽根崎新地1丁目の「堂島北ビル」の4階にある心療内科の医院「西梅田こころとからだのクリニック」で、何らかの方法で火をつけて、数十人を殺害した疑いがある。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「無理しなくていい」と患者支えた 火災で不明の院長、信頼厚く
大阪市北区で起きた放火殺人事件で、火元とされる心療内科の医院「西梅田こころとからだのクリニック」が入る雑居ビル4階の窓は、一部が焼け落ち、黒く焦げた痕が広がっていた。事件当時に院内にいたとみられる院長の西沢弘太郎さん(49)とは、1日経った18日も連絡が取れていない。 「多くの働く人にとって、この場所は希望だったはず」 18日午前11時。現場となった雑居ビル前の路上で、3年前からうつ病などの治療を西沢さんから受けていたという大阪市の自営業の男性(39)が、手を合わせた。 最後に会ったのは、事件4日前。「新型コロナの影響で、仕事の収入が厳しい」と不安を打ち明けた。 白衣姿の西沢さんは、さえぎ… この記事は有料会員記事です。残り1025文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
オミクロン株感染、沖縄で新たに2人 米軍クラスターは計158人に
沖縄県は18日、県内で新たに男女2人が新型コロナウイルスの変異株オミクロン株に感染したと発表した。米海兵隊キャンプ・ハンセン(金武町など)に勤める米国籍で軍属の50代女性と、その夫で日本国籍の60代男性。また米軍からはキャンプ・ハンセンで新たに59人の新型コロナへの感染が確認されたと県に報告があった。同基地内でのクラスター(感染者集団)は計158人となった。 17日に感染が判明した同基地従業員の50代男性も含め、県内のオミクロン株確認はこれで計3人。一方、クラスターについては、米軍基地内にゲノム解析の機器がなく、オミクロン株によるものかは不明。県が日本側での解析を申し入れているが、米軍側は個人情報保護を理由に断っているため、疫学的な関係は明らかになっていない。 県によると、夫婦は基地の外に住んでいる。ワクチンを2回接種しており、50代男性との接触は確認されていない。感染経路は調査中で、濃厚接触の疑いがある人が基地内外で約60人いるという。 一方、50代男性の濃厚接触者のうち、新たに1人の感染が判明した。県はゲノム解析を行ってオミクロン株かなどを調べる。 また県によると、基地内では米国などから着任した軍人らについて、ワクチンを2回接種していれば待機期間などを設けず、行動を制限しない運用になっていたことがわかったという。日米地位協定では、米軍関係者は検疫について国内法の適用外となっている。今回の158人についても、隔離されるまでは基地内を自由に行動していた可能性があるため、県は対策の強化を米側に要請する方針。 キャンプ・ハンセンでは昨年7月にも、米本国などからの入国者によるクラスターが発生した。県はその際、着任する米軍関係者について検査が陰性でも2週間の隔離を行うことを米軍に確認していたが、その後の運用について米軍から説明はなかったという。(国吉美香) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
現場に61歳患者の免許証、出火させた男か 大阪のビル放火殺人
大阪市北区の雑居ビルで24人が死亡した放火殺人事件で、現場のビル内で事件後、同市西淀川区の男(61)の運転免許証が見つかったことが、捜査関係者への取材でわかった。男が生活している住宅からはクリニックの診察書類が見つかった。大阪府警は、現場で出火させたのを目撃されたのは、この男とみている。 府警は18日、17人の司法解剖を終えた。うち5人の死因が同日までに判明し、全員が急性一酸化炭素(CO)中毒だったと発表した。 火災は17日午前10時20分ごろ、大阪市北区曽根崎新地1丁目の「堂島北ビル」で発生。心療内科の医院「西梅田こころとからだのクリニック」がある4階の一部約25平方メートルが焼け、27人が心肺停止状態で搬送された。 捜査1課によると、119番通報の直前、クリニックに紙袋を持った男が訪れていた。男が入り口近くで紙袋を蹴り倒すと液体が流出し、暖房器具の近くで火が燃え上がったという。 捜査関係者によると、事件後にクリニック入り口付近から油分が検出され、天井近くまで燃え上がった痕があった。当時受付近くにいた女性2人は「男が紙袋を床に置いた後、突然高い火が出た」と府警に証言したという。府警は、流出した液体は揮発性が高く、爆発的に燃えるガソリンだった可能性が高いとみて成分を鑑定する。 ビルから3・5キロ離れた男の自宅とみられる大阪市西淀川区の住宅では、ビル火災の30分ほど前に放火とみられる火災が起きていた。焼損はわずかで、捜査関係者によると、男が事件が起きたクリニックで診察を受けていたことを示す資料が見つかった。この61歳男の名前があり、免許証の表記と一致した。府警は、男はクリニックの患者で、通院先に放火した疑いが強いとみている。 男は事件後、重いやけどを負うなどして救急搬送された。18日午後現在、危険な状態という。事件では男の他に、意識不明の重体で病院に搬送された女性2人が治療中という。 クリニックに入るには、エレベーターとそのそばの階段がある。府警によると、被害者の多くは階段から離れた奥の診察室や廊下に倒れていた。出入り口近くで火が出たため階段に向かえず、他の通路がなくて避難できなかったと府警はみている。 大阪市北区の雑居ビル内のクリニックで発生した放火殺人事件で、大阪府警は18日、死亡した24人のうち17人の司法解剖を完了したと発表した。死因が18日までに判明したのはそのうち5人で、全員が急性一酸化炭素中毒だった。 捜査1課によると、18日までに死亡が確認されたのは男性14人、女性10人。 また、同課は死亡したうち6人の身元を発表した。いずれも大阪府内在住で、20代~40代の男女という。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
直径1メートルのトンネルに47時間、一時は肩まで水 作業員救出
寺沢知海2021年12月18日 20時00分 大阪府守口市の水道管埋設工事で、掘削中のトンネルに土砂などが流れ込んで取り残されていた男性作業員(25)が18日、救出された。直径わずか1メートル余りの空間に約47時間にわたって閉じ込められたが、意識ははっきりしているという。 トンネルは、浄水場の地下約30メートルからシールドマシンで掘っていた。横穴を掘り進めながらトンネルの壁をつくれる装置だ。 府警や守口市門真市消防組合などによると、16日午前9時半ごろ、起点の浄水場下から約960メートル進んだところで水がトンネル内に流入した。 先端部分で作業をしていた男性は、背後にあるトロッコが土砂で動かなくなり退路を塞がれた。トンネルの直径は約1・1メートル。立ち上がることもできない。一時は肩のあたりまで泥水につかり、何とか呼吸できる状態だったとみられる。 ただ、トンネルは上向きに傾斜をつけて掘り進められていたため、男性がいた先端部は水がたまりにくかった。半日後の16日夜には排水作業が終わり、救助隊員が呼びかけると、トンネルの奥から男性が応じる声が聞こえたという。 救助隊員らは手作業でトロッコの周りにあった土砂をかき出し、まる一日以上たった17日午後1時ごろ、男性の所まで通じるわずかな空間を確保。そこから飲み物やゼリー状の補給食、さらに防寒用のシートを、棒を使って届けた。 救助隊員の呼びかけに対し、男性は座った状態で「寒さはもう大丈夫」などと答えたという。 男性の健康状態を確認できた後は、周囲の土砂がさらに流出しないよう薬品を使って固めるなど、救助活動は慎重に進められた。18日午前8時20分、隙間を広げて男性を救い出した。 男性は病院へ搬送され、経過観察のため入院したが、自分で歩ける状態だという。(寺沢知海) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「袋小路で逃げようない」出入り口に炎、クリニック奥に犠牲者が集中
大阪・北新地の8階建て雑居ビル放火殺人事件で、病院に運ばれた28人のうち、27人は4階のクリニックで心肺停止状態で見つかった。捜査関係者によると、1カ所しかない出入り口に近い受付近くで男が放火し、診察室などがある奥のスペースに多くの人たちが倒れていた。煙と炎が広がる出入り口に逃げるのは難しかったとみられる。 クリニックのスタッフだった女性によると、患者や従業員らは出入り口にあるエレベーターか屋内階段を利用。どちらも1カ所のみで、外階段はなかった。 階段には重い扉も設置されていた。扉はふだん半開きになっているが、力を込めて開けないと通れなかったという。女性は「私の力ではかなりしんどく、簡単には開かなかった」と振り返る。エレベーターは4人ほどしか乗れない小さい造りだった。 大きな窓は待合室にあった。レバーを倒して外側に押し出すと、隙間から頭と腕がかろうじて出せる程度。通常は閉められていたという。受付付近にも一つ小窓があるが、いつも閉められていたという。 幅1メートルほどの廊下の一番奥に診察室があり、院長がここで患者を診ていた。週1回は看護師も勤務していた。手前には、職場復帰をめざす講習をする「リワークルーム」があり、毎週金曜日、臨床心理士による講習を開催。10~15人ほどの患者が参加していた。最も多く患者が訪れるのはたいてい金曜日。出入り口に近い待合室には、多いときで約20人が集まっていた。 リワークルームの手前にはカウンセリングルームがあり、臨床心理士がカウンセリングにあたっていた。リワークとカウンセリングの部屋には扉がなく、患者はカーテンを開けて出入りしていた。 診察室、リワークやカウンセリングの部屋に窓はなかったという。捜査関係者は急速に煙が充満した可能性があるとみている。 登記簿によると、クリニックは約90平方メートル。うち約25平方メートルが焼けた。女性は「院内は狭いし、出入り口付近で煙や炎が上がったら逃げようがなく、袋小路の状態。患者さんやスタッフのことがとても心配です」と話した。 逃げ道は階段1カ所 「第2の避難経路を」 火災の2週間前、診療に訪れ… この記事は会員記事です。残り322文字無料会員になると月5本までお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
1万本のキャンドル灯し光の万華鏡 「うみなかキャンドルナイト」
吉本美奈子2021年12月18日 21時34分 開園40周年を迎えた海の中道海浜公園(福岡市東区)で18日、恒例の「うみなかキャンドルナイト」が始まった。今年で15回目を迎えるイベントで、約1万本のキャンドルを使い、縦横約100メートルに地上絵が浮かび上がった。 今年のテーマは「光の万華鏡~希望あふれる新たな世界へ~」で、デザインは宗像市の中学生が応募した「カメの背中にのって」が選ばれた。 キャンドルナイトは19、24、25日の午後5時半から9時まで行われる。入場は8時半までで、荒天中止。(吉本美奈子) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「拉致を国民に考えてもらう原動力だった」家族会・飯塚さん悼む声
北朝鮮による拉致被害者家族連絡会(家族会)前代表の飯塚繁雄さんが亡くなったことを受け、後任として11日に代表になった横田拓也さん(53)が18日朝、取材に応じ、「本当に残念であり無念。飯塚さんの存在こそが、国民のみなさんに拉致問題を自分事として聞いてもらう原動力だった。飯塚さんの遺志を受け継ぎ、私も活動していきたい」と話した。 北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの弟である拓也さんは、いつもすぐそばで飯塚さんの姿を見てきた。「前代表は(拉致被害者で妹の)田口八重子さんに会いたいという気持ちが真ん中にあったとは思うが、被害者全員を取り戻すという責任感が強かった」と悼んだ。 飯塚さんは体調を崩しながらも被害者救出を最前線で訴えてきた。昨年は拓也さんの父で初代代表だった横田滋さんや、有本恵子さんの母である嘉代子さんが亡くなっている。「私の母(早紀江さん)を含め、待っている親世代にはもう時間がない」 横田めぐみさんの母早紀江さん(85)も18日、報道各社の取材に応じた。 飯塚さんの死去を知り、耕一郎さんに電話をかけて「ほんとうによくやってくれた。がんばった人がいなくなってしまったが、見守っているからね」と声をかけたという。 飯塚さんについて「主人(滋さん)から家族会代表を引き継いでもらい、2、3年で解決するかと思ったのに、14年も務めてくれた。優しく穏やかな方で、(田口八重子さんの失踪後に)耕一郎さんを引き取り、穏やかで正直な青年に育てた。立派な方だと尊敬しています」と語った。 支援団体「救う会」の西岡力会長は「愛する妹である田口八重子さんに会わせることができなかったこと、申し訳なく思います。14年間、家族会代表として誠実に激務をこなして下さったこと、心から感謝します。本当にまじめな人柄でした。飯塚繁雄代表がいたからこそ、拉致被害者救出の国民運動は多くの方々に支持されてここまでやってくることができました」とコメントした。 福井県小浜市の拉致被害者、地村保志さん(66)、富貴恵さん(66)夫妻は18日、同市役所を通じて「心からお悔やみ申し上げます。家族会の代表として、拉致被害者の救出のために大変なご尽力をされましたが、田口八重子さんとの再会がかなわず、本当に残念でなりません」とコメントを発表した。 八重子さんは、拉致直後の78年9月から79年11月まで平壌市の「モランボン」という場所で富貴恵さんと一緒に生活。84年秋に再会し、86年春ごろまでともに過ごしたという。 2002年10月に地村さん夫妻が帰国後、飯塚さんは夫妻を訪ねて、八重子さんの情報を集めていた。 高齢化する被害者家族の問題もあり、夫妻は「改めて、一刻の猶予もないと感じております。拉致問題が早期に解決し、田口八重子さんとご家族が再会できますことを心より願ってやみません」とコメントした。(小田健司) 神戸市出身で北朝鮮に拉致された有本恵子さんの父明弘さん(93)は18日、同市内で開かれた「拉致問題を考える国民のつどい」の終了後に取材に応じ、「(飯塚さんの)体のことは心配していたが、私の方が早く逝くと思っていた。仲間が減ったのは寂しい」と語った。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル