ペーパー離婚しました 自分の名前で生きたい 和也さん(36)と美樹さん(31)は今月、離婚した。 といっても、書類の上での話だ。 地元の東京都葛飾区役所に離婚届を出した。6日後に再び、婚姻届を出す。 今度は、妻の氏になる「妻氏婚」を選ぶことにした。 そこまでには、長い道のりがあった。 2人が結婚したのは5年前。 結婚することを周囲に伝えると、決まってこんな反応が返ってきた。 美樹さんには、「新しい名前、何になるの?」。 和也さんには、「奥さんの名前、何?」。 和也さんは当初、美樹さんが自分の名字になったことがうれしかった。 婚姻届。「夫の氏」「妻の氏」のどちらにチェックを入れるかで、夫婦の姓は決まる 婚姻届で名字を選ぶ欄で「夫の氏」にチェックをつける前、妻と話した記憶はあるが、内心では「普通は夫の名字だし、わざわざ話す必要もないんだろう」と思っていた。 新たな戸籍は、自分が筆頭者になり、自分の名字で統一されている。それを眺める気分は、悪くなかった。 母は「この家にお嫁に来てくれるのよね」とうれしそうに話していた。 一方の美樹さんは、落ち込んでいた。 「名字を変えたくなかった」… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
茨城など関東4県で震度4の地震 震源は茨城県南部、津波の心配なし
2021年12月12日 13時06分 12日午後0時半ごろ、茨城県南部を震源とする地震があった。気象庁によると、茨城、栃木、群馬、埼玉の4県で震度4を観測した。震源の深さは約50キロ、地震の規模を示すマグニチュードは5・0と推定される。この地震による津波のおそれはないという。 気象庁によると、震度4を観測したのは、茨城県の笠間市、結城市、栃木県の足利市、栃木市、佐野市、鹿沼市、群馬県の桐生市、太田市、館林市、埼玉県の加須市、久喜市、春日部市など。 この地震の影響で12日午後1時現在、JRや私鉄で運転見合わせや遅延が相次いでいる。JR東日本のホームページによると、宇都宮線の東京―宇都宮間の上下線で運転を見合わせている。横須賀線など複数の路線でも遅れが出ている。私鉄では、東武の日光線やスカイツリーラインなどで遅れが出ている。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
夫が心底嫌い、でも離婚は嫌だ 脱「仮面夫婦」へ姜尚中さんの答え
40代女性です。数年前に、子供の進学問題をきっかけに夫婦間、父子間に深い溝ができてしまい、今に至ります。 ただの同居人のような関係で、会話は最小限。家族で買い物に行ったり、テレビをみたり、雑談をしたりすることもありません。夫はコロナ以来、在宅ワーク中心となり、仕事部屋を確保して、休日も食事の時間以外は自室で過ごしています。 夫はいわゆる「勝ち組」です。自分の服にアイロンをかけたり、私の出勤日は自分で昼食を調達したり、世間的には手のかからない夫とも言えます。一方で、常に優位な立場にいようとするところがあります。例えば「電気がつけっぱなしになっていたよ」と言うと、「何が悪い。消し忘れたものは仕方ない。もう消したのならいいだろう」という具合です。 夫からみれば、私にはダメなところがたくさんあるでしょう。でも「俺と同じだけ稼いでみろ」という見下す態度は許せません。子供たちも生活が父親の力で成り立っていることは理解していますが、「ああはなりたくない」と口をそろえます。 下の子が成人するまで約10年。打算的ですが、別居や離婚は考えていません。ただ心底夫を嫌いだと思ってしまう自分を許せなくなることがあります。この先、自分の感情とどう折り合いをつけていけば良いか、アドバイスいただければ幸いです。 回答者 政治学者・姜尚中さん 「女子どもは俺が食わしてや… この記事は有料会員記事です。残り990文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
10代から続いた母の介護…「あのときの自分を許せない」娘の償い
母が倒れたのは、約30年前。女性(46)が中学生のときだった。 夜8時過ぎ、部活を終えて帰宅すると、母はろれつがまわらなくなっていた。それでも夕食の支度をしてくれたが、まもなくイスから滑り落ち、口から泡をふいて倒れた。 2歳年上で高校生だった姉がちょうどそのとき塾から帰宅した。姉が救急車を呼んだ。母は病院に運ばれた。 脳出血だった。「すぐに大人を呼びなさい」。医師から強い口調で言われた。だが、女性が小学生のときから父はほぼ別居状態で家に戻らなくなっていて、連絡先も居場所もわからなかった。 母は命をとりとめたが、右半身のマヒが残った。それから1年ほど病院を転々としながら治療とリハビリが続いた。退院してからも、料理や洗濯などの家事は難しくなり、入浴も1人ではできなくなった。 当時の母は50代になったばかり。倒れる前は、事務職と飲食店のパートを昼と夜でかけ持ちし、母子3人の家計を支えた。 料理上手だった。毎朝起きると、姉妹のために大きなお弁当が食卓の上に準備されていた。 そんな母が、牛乳パックをあけることもできなくなった。買い物や調理などの家事一切に加え、母の着替えの手伝いも姉妹の日課になった。 「ごめんね」繰り返す母 「ごめんね」。母は口癖のようにそう言った。母のつらさはわかっていた。だが頼れる母が突然いなくなってしまったことを、現実として受け止められなかった。 「こっちだっておなかすいてるんだよっ」。疲れて帰宅した時など、母からあれこれ頼まれると、思わず大きな声を出し、いらだちをぶつけてしまうこともあった。母は泣き、女性も泣いた。重苦しい家の空気が嫌で、玄関先で立ち止まり、家に足をふみいれることができなかった日もあった。 ◇ 姉は大学を卒業した後、教師として働くために家を出た。女性は母と同居しながら大学に通い、卒業後は旅行会社で働くようになった。 女性には、海外で日本語教師の仕事をしたいという夢があった。 20代半ばを過ぎたときだった。自分が母と同居すると姉が言ってくれた。姉妹でバリアフリーマンションを買った。母の介護・見守りを姉に託し、女性は日本語教師のインターンのため英国に渡った。 だが、想像もしない悲運に見舞われた。 ある日、母が泣きながら国際… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
アリスちゃんの最善は? 法律や倫理の専門家からアドバイス
小児看護専門看護師・萩原綾子さん 脊髄性筋萎縮症(SMA)のアリスちゃん。急変して挿管され、神奈川県立こども医療センターに運ばれました。意識はほとんどない状態でした。主治医の小坂仁医師によると、「脳死に近い状態」でしたが、容体はやや落ち着き、HCU(高度治療室)で過ごしていました。 2009年7月、アリスちゃんの5歳のお誕生日は病棟の個室で家族一緒に過ごされました。急変してから6カ月が経っていましたが、お母さんの純枝さんは毎日、お父さんのジョンさんも週に2、3回は面会に来て、アリスちゃんに絵本を読んだり、手をお湯につけてマッサージしてあげたりしていました。 こども医療センターには、長期間入院している方について病院幹部も交えて現状を共有する「長期入院検討会議」があります。会議の場ではご家族の意向を確認しながら、法律や倫理の専門家の意見を改めてもらう場を設定することについて相談しました。私はこども医療センターに、アリスちゃんのご家族の意見を丁寧に受け止める風土があることを感じました。長期間にわたって口から挿管されて人工呼吸器で管理することは、病院としては大きなリスクになります。しかし両親は、気管切開をすることには反対でした。そして同年11月夕方に大学の法律の専門家、倫理の専門家のお二人に来ていただき、病院長や副看護局長、看護師長、関係医師や看護師、緩和ケアチームの医師など17人、アリスちゃんのご家族を交えて、会議室で医療倫理検討会が開かれました。 私は会議の司会を務めました… この記事は会員記事です。残り973文字無料会員になると月5本までお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
日米開戦、重大局面を支配した「空気」 盧溝橋事件から真珠湾攻撃へ
会員記事 編集委員・永井靖二2021年12月12日 10時00分 日本から東へ約6千キロの海に浮かぶ、米・ハワイのオアフ島。80年前の1941年12月8日未明(日本時間)、日本軍が真珠湾を攻撃し、3年8カ月余り続く太平洋戦争が始まった。中国との戦争がすでに泥沼化する中、圧倒的な国力差があった米との開戦に、なぜ至ったのか。旧軍人らが残した言葉から、ひもとく。 「空気からすれば」 中国侵略の起点となった31年に始まる満州事変、翌年の傀儡(かいらい)国家「満州国」建国を経て、北平(現・北京)の南西約15キロの盧溝橋で、全面戦争のきっかけとなる出来事が起きた。 37年7月7日午後10時40分ごろ、演習中の日本軍に何者かが発砲。これを機に近くの中国軍と小規模な戦闘に突入する。当初は、現地も東京の参謀本部も方針は「不拡大」。中国通として知られる大使館付武官室の今井武夫少佐が単身で和平工作にあたった。 今井は現地の中国軍幹部と接触し、調印と同時に双方が盧溝橋から撤兵する協定案を同7月11日に合意させる。だが、報告に戻った今井を待ち受けていたのは、邦人保護を名目に援軍を送るという、参謀本部の方針転換だった。 「今更現地交渉の必要もないし、また既に協定が出来たなら、これを破棄せよ」。参謀本部の意向を受けた現地軍参謀の要求を、今井は拒否した。だが、静観していた周囲の幕僚らが強硬論に転じ、交渉継続を訴える今井を「手ぬるい」と批判し始める。 こうした経緯について、今井は戦後に出版した回想録「支那事変の回想」(64年)で、「無暴(謀)な強硬論を軽率に放言する」と厳しく指摘しながら、こうも言及した。 「当時の空気からすれば、奇… この記事は会員記事です。残り1778文字無料会員になると月5本までお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
1年の世相を表す「今年の漢字」は? 13日発表へ 最多は「金」
1年の世相を漢字1文字で表す「今年の漢字」が13日午後2時過ぎ、京都市東山区の清水寺の舞台で発表される。新型コロナウイルスの感染が拡大した昨年の漢字は「密」だったが、果たして今年は――。 立派な袈裟(けさ)を身にまとった森清範貫主(81)が、大きな和紙に太い筆で一気に書く様子は、師走の風物詩となっている。ただ、あの字は清水寺のお坊さんたちが会議を開いて決めているわけではない。森貫主も当日まで、どの字を書くか知らないという。 決めているのは、日本漢字能力検定協会(京都市東山区)。日本全国からはがきやインターネットで募った漢字の中から、最も多いものを選んでいる。目的は漢字に関心を持ってもらうこと。1995年に始まり、今年で27年目だ。 これまで最も多く選ばれたのは「金」の3回。シドニー五輪のあった2000年、ロンドン五輪の12年、そしてリオデジャネイロ五輪の16年とくれば、東京五輪が開催された今年も可能性はあるかもしれない。ただ、日本選手の金メダル獲得という明るい話題だけでなく、政治資金が関わる「政治とカネ」の問題が繰り返されてきたことも背景にあるという。 次いで多いのが「災」の2回。西日本豪雨や北海道胆振東部地震など、大規模な災害が相次いだ18年と、新潟県中越地震が起きた04年に選ばれた。過酷な自然現象が漢字となった年はほかにもある。全国で猛暑を記録した10年は「暑」、阪神・淡路大震災に見舞われた95年は「震」だった。(原田達矢) この10年の「今年の漢字」と、選定理由となった主な出来事 2020年「密」=新型コロナウイルスが世界的に流行。日々の活動が制約される一方、大切な人との関係が密接になった 19年「令」=新元号が「令和」に。法令改正による消費増税があった 18年「災」=各地で大規模な自然災害が多発し、多くの人が被災。防災や減災意識が高まった 17年「北」=北朝鮮のミサイル発射や九州北部豪雨などにより、平和や安全の尊さを実感した 16年「金」=リオ五輪で多くの日本選手が金メダル。「政治とカネ」に絡んだ問題が相次いだ 15年「安」=安全保障関連法案に国民が注目。テロや異常気象、建築偽装などで不安が広がった 14年「税」=消費税率が17年ぶりに8%に引き上げ。税に関わる話題が政財界で多く取り沙汰された 13年「輪」=東京五輪の開催決定や富士山の世界遺産登録で日本中が輪になって歓喜に沸いた 12年「金」=京都大の山中伸弥教授のノーベル賞など多くの金字塔。各地で金環日食を観測した 11年「絆」=東日本大震災などで絆を再確認。サッカー女子「なでしこジャパン」のチームワークも注目された Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
飲酒運転の臨床工学技士を懲戒免職 救急対応の待機当番中に居酒屋
奥正光2021年12月12日 7時32分 熊本県水俣市の市立総合医療センターは10日、酒気帯び運転をしたなどとして、診療技術部の臨床工学技士の男性(46)を懲戒免職処分とし、発表した。 総務課によると、男性は9月22日午後5時半ごろ入った同市内の居酒屋で酒を飲み、店を出た後にバイクを運転。午後9時半ごろ、速度違反で警察官に止められて呼気検査を受け、基準の6倍超のアルコール分が検出された。道交法違反の罪で略式起訴され、水俣簡裁から11月30日付で罰金40万9千円の略式命令を受けた。当日は救急患者対応のための待機当番だったという。(奥正光) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
1人サウナ・書店・喫茶… 銭湯経営の若者、続々と挑戦
利用者の減少で年々姿を消している町の銭湯。コロナ禍での外出自粛が苦境に拍車をかける中、リニューアルが相次ぐ東京都内の銭湯では、新たな利用者を開拓する動きもある。ピンチをチャンスに変えようと工夫を重ねるのは、経営を引き継いだ「銭湯愛」の深い若者たちだ。 天井まで伸びる巨大本棚が目を引くロビーで、放課後の女子小学生たちがおしゃべりしながらマンガを読んでいる。番台では高齢の男性が新聞を片手に湯上がりのビールを注文する――。東京浴場(東京都品川区)の夕方の一コマだ。 昨年7月、廃業した銭湯などを再生するニコニコ温泉が運営を引き継ぎ、リニューアルオープンした。店長の相良政之さん(23)は「全世代に愛される銭湯をめざしている」と話す。 「日本一お風呂好きな子どもだった」と相良さんは振り返る。福島県の実家にいた頃は浴室が自分の部屋代わり。好きな入浴剤を入れ、マンガや本を読みながら一日中湯船で過ごすこともあったほどだ。 銭湯に出会ったのは高校卒業後、18歳でシステムエンジニアとして東京都内の企業に就職してからだ。寮の共同浴場で会社の先輩に会うのが気まずくて、銭湯に通うように。様々な銭湯を巡るうちに副業で銭湯ライターの仕事を始めた。取材で訪れた銭湯で、多くの経営者が「子どもや孫には継がせられない」と口にするのが気になった。「だったらお風呂好きの自分が銭湯をやりたい」という思いが膨らむなか、ニコニコ温泉が経営を引き継いだ都内の別の銭湯でアルバイトを始めたことが縁で同社に転職。東京浴場のリニューアルを任された。 新型コロナウイルスの感染拡… この記事は会員記事です。残り1932文字無料会員になると月5本までお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
ミシュラン名店も絶賛のパプリカ 「奥様の趣味」と言われても挑んだ
ミシュラン星つきレストランから「ご指名」を受けるパプリカがある。手がけるのは、農業にあこがれてきた女性。パプリカがメジャーでない頃から挑戦と失敗を重ね、9割が輸入物とされる中で、1人で生産している。「答えはないかもしれないけど、おいしいパプリカを追求し続けたい」 生で食べても、煮詰めてソースにしても 「このパプリカでないと、ここまで完成されたひと皿は作れません」 「ミシュランガイド東京2022」で2年連続で一つ星に輝いたイノベーティブイタリアンレストラン「FARO(ファロ)」(東京・銀座)は取材にそう答える。 FAROの「玉ねぎのロースト 2種のパプリカソース」。ローストした玉ねぎにピーナツバターを挟み込み、中條農園の黄色と赤色のパプリカのソースと豆乳とバジルのソースをあしらった=FARO提供 ローストしたタマネギにピーナツバターを挟み込んだ一品には、黄色と赤色のパプリカソースが彩りを添える。卵や乳製品も含めて動物性食品をいっさい口にしないビーガン向けのコースでは、パプリカが主役にもなる。「パプリカそのものの味が強く、糖度も高い。そのまま生で食べても、煮詰めてソースにしてもおいしい」 アパレル店長から専業主婦に 銀座から150キロ以上離れた赤城山を望む群馬県沼田市の中條農園。パプリカは、ここで作られている。ビニールハウスに入ると、つやのある赤や黄色のパプリカが緑の葉の間で輝いていた。いい香りも漂う。 農園を営む中條綾子さん(5… この記事は会員記事です。残り1047文字無料会員になると月5本までお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル