1995年1月17日に起きた阪神・淡路大震災。NHKのアナウンサーだった住田功一さん(62)は、神戸から最初のリポートをした。激震からわずか18分後のことだった。いまは大阪芸術大でアナウンサーをめざす学生の指導にあたる住田さんに、あの日のことを聞いた。 ――震災が発生した時はどこにいましたか。 「東京で『おはよう日本』のアナウンサーをしていましたが、大みそかの『ゆく年くる年』を担当したこともあり、遅めの正月休みをとって神戸市灘区の実家に帰省していました。前日に大阪で友人の結婚式があり、お酒も手伝ってぐっすり眠っていました」 「簡易ベッドのきしみで少し目が覚めたのですが、直後の激しい縦揺れに、ただただベッドの上で跳ねているしかありませんでした。職業柄、揺れの秒数を数えていたんです。40秒ぐらい経って揺れが収まると、今度は静寂と暗闇に包まれました。全身に鳥肌が立ち、恐怖に包まれました」 ――まずは何をしましたか。 「家族の無事を確認した後、かばんから携帯ラジオを取り出してテレビの音声に切り替えると、先輩アナウンサーが各地の震度を伝え始めていました。とにかくこの状況を発信しないといけないと思い、東京の放送局に連絡を入れようとしました。家の電話がつながらず、隣の家の人に貸してもらいました」 「たまたま一発でつながると、同僚が『え、神戸にいるの』と。『すぐにリポートしてくれ』と言われ、放送用のダイヤルにかけ直しました。今度は緊張で再び鳥肌が立ちました」 ――午前6時4分、発生から18分後に現地から一報を届けました。 「マニュアル通り、見た事実だけを淡々と伝えました。『約40秒揺れた』『およそ2分おきに余震がきている』『火の手は見えない、サイレンの音はしない』。振り返ると、すでに多くの命が失われている時間でしたが、消防も救急も手が回らず、サイレンの音は聞こえませんでした。結果的に被害の少ないリポートが最初に日本中に広まったことになった。いまでも責任を感じ、悔やむ一報になりました」 ――その後は3週間にわたって、取材に奔走されたそうですね。 「私がアナウンサーになりたいと思ったきっかけは、小学生の時に見た映画『ゴジラ』の中で、アナウンサーが命懸けで日本の危機を現場中継する姿でした。不謹慎かもしれませんが、阪神高速の道路が崩れた状況を見て、あの場面と重なりました。『今やらないで、いつ頑張るんだ』と。アドレナリン全開の自分と、変わり果てたふるさとを見て落ち込み、悲しむ自分。2人の自分と向き合いながら、救援物資や避難所などの情報を精いっぱい発信しました」 ――母校の神戸大でも39人が亡くなりました。 NHKで神戸から最初にリポートした住田さんが背負った思いとは。今も経験を伝える理由を聞きました。 「震災から1年が経ったころ… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
今年は豪雪 光に浮かび上がる合掌造り家屋 白川郷でライトアップ
山下周平2022年1月17日 7時30分 世界遺産の白川郷(岐阜県白川村)で16日、合掌造り集落のライトアップが始まった。昨年はコロナ禍の影響で中止になり、2年ぶりの開催となった。 近年は暖冬で雪が少ないこともあったが、今季は130センチを超える積雪がある。日が暮れると、雪に耐えるように立ち並ぶ合掌家屋32棟をライトが照らしだした。2月20日までの毎週日曜開催で、見物は完全予約制。詳しくは白川郷観光協会のウェブサイト(https://shirakawa-go.gr.jp/)。(山下周平) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
冬野菜の甘み、焼いて香る フライパン煮物の「豚こま大根」
豚こま大根=合田昌弘撮影 記事の後半で、作り方のポイントを動画でご覧いただけます 寒さに負けずがんばっているのは、畑の野菜も同じです。冬の菜っ葉や根菜は甘みがあってやわらかく、たっぷり食べれば養生に。代表格の大根とカブについて料理研究家・杉本節子さんに4回にわたり教わります。 まずは、ごはんのおかずになる煮物の「豚こま大根」を。フライパンで手軽にできて、ボリューム十分です。 大根の煮物というと長時間煮るおでんのイメージですが、今回は皮ごと薄めに切って、火にかけている時間も15分と短い。適度な歯ごたえとあふれる汁気が楽しめて、生では硬い先側の使い道にも向いています。 レシピのポイントは、大根を下ゆでする代わりに焼いて、香ばしさを加えることです。見た目にも食欲をそそり、豚肉に負けない存在感が出ます。 アレンジは、葉付き大根を買った時の「じゃこ炒め」で、しっとり薄味に仕上げました。材料を使い切るのは気分よく、カブの葉でも作り方は同じです。(編集委員・長沢美津子) 豚こま大根 材料(2人前) 料理監修:杉本節子さん(料理研究家) □ 大根 250g □ 豚こま肉 180g □ ショウガ 15g □ 小麦粉 大さじ1 □ サラダ油 大さじ2 □ ゴマ油 小さじ1 □ 酒 大さじ1 □ 水 50ml □ 砂糖 大さじ2 □ みりん 小さじ1 □ しょうゆ 大さじ1と1/2 【作り方】 ①大根は皮ごと厚さ7~8ミリの輪切りにしてから3~4枚ずつ重ねていちょう切りにする。ショウガを皮ごと薄切りにする。 細くなる先の部分は、3~4cmに切り落としたものを縦に薄切りにするといちょう切りと大きさがそろう=合田昌弘撮影 ②豚こま肉をバットなどに入れ… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
度重なる大災害、なぜ社会は学ばない? 「日本沈没」に描いた違和感
阪神・淡路大震災から17日で27年。都市部を襲った大地震は人々の価値観をも揺るがし、小説や映画など様々な創作に影響を与えた。当時はまだ娯楽のイメージが強かった漫画も、例外ではない。災害の恐ろしさ、被災者の心の傷、記憶の継承……。震災が投げかけた様々な課題を、時に生々しく、時に柔らかく描き出す。何を思ってペンを執ったのか。「日本沈没」の漫画版を描いた一色登希彦さんは、「過去の災害から学び直すことが大切だ」と話す。 いしき・ときひこ 東京都出身。競馬を題材にした「ダービージョッキー」や、オートバイ乗りを描いた「モーティヴ」など。27年前は神戸市勤労会館内の図書館で、各地から集まったボランティアと寝泊まりした。 漫画版「日本沈没」を描くなら…示した条件 1973年の小説「日本沈没」の漫画版を手がけました。日本が大災害に相次いで襲われ、最終的に沈没する――。物語の骨格は原作と同じですが、漫画で強く意識したのは95年の阪神大震災でした。 当時は東京で漫画家のアシスタントをしていました。テレビを見ているだけの自分が嫌で、発生から約2週間後、バイクで1週間、ボランティアに行きました。 神戸市では、全国から寄せられた援助物資が被災者にうまく届いていなかった。私が行った中央区役所には段ボールが山積み。メーカーから無償提供された数台の原付きバイクは使われずに眠っていました。 「小回りのきくバイクなら壊れた道を避けて届けられる」。仲間に呼びかけて物資のバイク輸送を始めました。でも当然、全員に平等には配れなかった。一部から「不公平だ」という声があり、輸送は一時ストップ。私は再開を見ることなく神戸を離れました。 それから10年近く経って… この記事は有料会員記事です。残り1312文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
家族と住んだ家で1人、事件の準備 61歳の孤独と困窮 放火1カ月
大阪市北区の雑居ビル4階のクリニックで25人が犠牲になった放火殺人事件は17日、発生から1カ月を迎えた。大阪府警が殺人と現住建造物等放火容疑で捜査している谷本盛雄容疑者(61)は事件後、事情聴取ができないまま死亡し、動機などの全容解明は困難になった。あの日、何が起きたのか。 クリニックから西へ約3・5キロ。大阪市西淀川区の淀川沿いに3階建て住宅が立つ。1987年春、結婚して2年の谷本容疑者が約1200万円のローンを組み、新築で購入した家だ。 府警などによると、谷本容疑者は板金工として働き、看護師の妻と息子2人とともに約20年間、この家で暮らした。 転居後の谷本容疑者が一人暮らしになったのは、2008年9月に離婚してからだ。09年9月ごろに元妻に復縁を申し込んだが断られた。10年には勤める工場に連絡なく姿を消した。 11年4月、元妻宅で長男を出刃包丁で殺そうとし、府警に殺人未遂容疑で逮捕された。包丁計3本や催涙スプレー、ハンマーなどを持ち込んでいた。 確定した大阪地裁判決は、「寂しさを募らせて孤独感などから自殺を考えるように」なり、「死ぬのが怖くてなかなか自殺に踏み切れなかったため、誰かを殺せば死ねるのではないか」と考えたと認定。懲役4年の実刑判決を受けた。 判決は社会復帰後について、「当面は孤独な生活をしなければならない可能性」を指摘しながら、「家族以外との関わりを持つことができれば、更生することは十分可能」とした。だが、出所後の社会とのつながりは浮かばない。 社会とのつながり見えず 大量殺傷事件に関心 更生保護施設を経て、17年2月に父親から相続した大阪市此花区の住宅に移り、3月に現場となったクリニックに通い始めた。「夜眠れない」などと相談していたという。昨年1月に口座残高がゼロになり、5月に電気やガスを止められて家を出ると6月、かつて暮らした西淀川区の住宅に戻ってきた。 その頃からスマートフォンのアプリに犯行計画とみられるメモを残し始める。「人がいるか確認」「ガソリンを買う」。大量殺傷事件に関する論文も保存していった。現場周辺の防犯カメラには、事件前夜に谷本容疑者とみられる男がコインロッカーにガソリン入りとみられるポリタンクを入れる姿が映っていた。 昨年12月17日午前9時47分。西淀川区の谷本容疑者の住宅で「煙が出ている」と119番通報があった。府警は、谷本容疑者が家に火を付け、直後に自転車で出たとみている。ガソリンを入れたとみられるポリタンクを積んでいた。 クリニックまで約1・5キロの商店街の防犯カメラに同9時50分ごろ、谷本容疑者らしき男が映っていた。黒のジャケットにベージュのパンツ姿。マスクを着け、自転車で走る。 府警によると、男はコインロッカーで隠していたポリタンクを取り出し、計二つに。ビル前で自転車を止め、タンクの紙袋を手に中へ入った。同10時15分、クリニックがある4階で、両手に二つの紙袋を持ってエレベーターから下りた。 「逃げさせない」周到な動き 院内のカメラに男 クリニックの出入り口はエレベーターと、階段につながる非常口の2カ所。男は紙袋をエレベーター前で傾け、ガソリンにライターで火をつけた。もう一つの紙袋を非常口付近に投げて避難路を塞いだ。 炎を逃れようと人々は窓のないクリニックの奥へ向かう。突き当たりの外壁には窓枠とはしごがあるが、室内からは開口部が確認できないという。男は出入り口に向かう男性に体当たりし、避難を阻んだ。 同10時18分に「火が出ている」と119番通報が入る。繁華街での火災に、通報は多数あった。救助隊が駆けつけると、出入り口に最も近い場所で谷本容疑者が倒れ、心肺停止で搬送された他の26人全員が、クリニック中央部の閉じられた扉の奥にいた。亡くなった25人と谷本容疑者の死因はいずれも一酸化炭素中毒だった。山田常圭(ときよし)・元東京大特任教授(火災安全工学)のシミュレーションでは、出火から数分で死に至る状況だったという。 事件の記事、コーキング剤、刃物 10年前の事件との関連は 事件後に府警は谷本容疑者宅を家宅捜索し、事件の計画性が浮かんだ。 西淀川区の住宅では、21年3月に起きた徳島市の雑居ビル放火事件の新聞記事や、36人が死亡した京都アニメーション放火殺人事件から2年に関する21年7月の記事を発見、押収した。両事件ともガソリンを使った放火だった。 「放火殺人」「消火栓をぬる」と書かれたメモや、隙間を埋めるコーキング剤も押収。クリニック内の消火栓の扉は開かぬよう工作されていた。防犯カメラ映像から、事件2週間前の最後の受診時に容疑者がコーキングしたと府警はみる。 クリニックの現場検証では、非常口近くで刃物が見つかった。西淀川区の住宅にあったナイフのさやと一致。府警は谷本容疑者が確実に計画を実行できるよう持ち込んだとみている。容疑者のポケットから催涙スプレー2本も見つかった。 半年にわたって計画されたとみられる事件に、複数の府警幹部は10年前の長男殺害未遂事件との関連を指摘する。谷本容疑者が、多くの人を巻き添えにして自らの命を絶とうとした可能性があるとみている。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
トラックが突っ込んだかと 阪神大震災15分後、ラジオは何を伝えた
阪神・淡路大震災が起きた直後から、神戸で被害状況を刻々と伝え続けたラジオ局があります。 AM神戸の愛称で親しまれ、地域の細やかな情報発信を担っているラジオ関西(神戸市中央区)です。 大地震があったあの日、当時は須磨区にあったラジオ関西は発災15分後に放送を再開しました。天井から水漏れする中、安否情報や生活情報を伝え続けました。被災地では当時もいまも、ラジオは貴重な情報源です。 1995年1月17日の朝は、どんな放送だったのでしょうか。 当時の音源が残っていると知り、普段はラジオをほとんど聴かないという高校生2人が同局を訪れました。 震災後に創設され、今春で20年になる兵庫県立舞子高校環境防災科(かんぼう)で学んだ若い世代は、震災について何を学び、何を思うのか。その姿を描きます。後半では、ラジオ関西のラジオパーソナリティー谷さんから震災当時の話を聴く様子を音声でお聞きいただけます。 神戸市垂水区にある兵庫県立舞子高校に通う、森亮太さんと信川悠太さん。2人は同校の環境防災科(かんぼう)の3年生です。 かんぼうは地域の防災活動の担い手を育てようと、02年4月に全国で初めて設置された防災専門学科です。阪神・淡路大震災の教訓を生かし、授業の3分の1が防災に関することを学んでいます。被災地での活動にも力を入れています。 同局で2人を迎えたのは、ラジオパーソナリティーの谷五郎さん(68)です。30年以上のベテランで、今も同局で冠番組を持っています。 司会者は火の元の確認を呼びかけ続けた 谷さんはあの朝、午前6時半… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
津波のエリアメール、20回届いた人も 神奈川知事が設定ミスを謝罪
斎藤茂洋2022年1月16日 17時28分 神奈川県は、16日に気象庁が発表した津波注意報をめぐり、携帯電話向けの緊急速報メール(エリアメール)が、未明から早朝にかけて最大で計20回配信されていたと発表した。本来は配信しないメールだった。配信システムの委託業者によるプログラム設定ミスが原因で、すでに改修したとしている。 県くらし安全防災局によると、16日午前0時15分に気象庁が津波注意報を出した直後に、初回のメールが県内の沿岸市町向けに自動配信された。その後も断続的にほぼ同内容のメールが送信され、東京湾に面する横浜、川崎、横須賀の3市では午前7時31分までに20回に及んだ。相模湾側の残る13市町でも計8回、メールが送信されたという。 県によると、津波警報が出た場合には気象庁からの情報でメールが送られる。県は警報が注意報に切り替わった際には、引き続き注意をするよう呼びかける目的で、自動的にメールを配信することにしていた。 ところが設定ミスのため、最初に注意報が出た時点でメールが配信されたうえ、その後も気象庁が各地に向けた情報を更新するたびに、システムが神奈川への情報が出たととらえてメールを配信していたという。 県には同日未明から午後にかけ、「うるさい」「眠れなかった」「こんなに多数を送らないように」「これだけ送られると、慣れちゃって大事な時に反応しなくなる」などといった苦情が多数寄せられたという。 神奈川県の黒岩祐治知事はツイッターで、委託先の設定ミスとしつつも県の責任だと説明。そのうえで「業者に責任を押し付ける気はありません。ですから、私が謝罪しています。私自身も寝不足です」と投稿している。(斎藤茂洋) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「津波だ、逃げろ」トンガの五輪選手に送られた動画、映っていたのは
河崎優子2022年1月16日 17時42分 【動画】トンガ現地で撮影された海底火山噴火の様子をとらえたとされる動画=ピタ・タウファトファ選手投稿 南太平洋のトンガ諸島で15日午後1時すぎ(日本時間)に起きた海底火山の噴火。噴火当時の様子を撮影した動画を、トンガ出身のオリンピアン、ピタ・タウファトファ選手が投稿した。 動画は、青空の広がる海辺の様子が映る。しばらくすると「バーン」という大きな音と衝撃があり、海辺にいた人たちの叫び声が聞こえる。「津波だ、逃げろ」と言いながら慌てて海岸を離れ、画面が激しく揺れて動画が途切れる。 タウファトファ選手は当時合宿のため豪州にいたため無事だった。マネジメントチームによると、動画はネットが使えなくなる前にトンガから送られてきたもので、トンガのハアパイ諸島で撮られたものとみられる。 タウファトファ選手は夏季、冬季の五輪に通算3回出場。昨夏の東京五輪でも旗手として出場し、上半身裸でオイルを塗って行進して注目された名物選手。 16日、「愛するトンガのために援助がしたい」とクラウドファンディング(https://gofund.me/e3916dc5)を立ち上げた。インフラや被害を受けた学校、病院など、優先的に助けが必要なところに募金を使うという。午後4時時点で400万円以上が集まっている。(河崎優子) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「忘れない」2000本の灯籠 阪神・淡路大震災きょう27年
6434人が亡くなった阪神・淡路大震災は17日、発生から27年を迎える。新型コロナウイルスの感染が再拡大するなか、神戸市中央区の公園「東遊園地」では16日、昨年に続き「密」を避けるため、半日早く灯籠(とうろう)の点灯が始まった。 地震発生時刻の12時間前にあたる午後5時46分。震災を忘れないという意味を込めて「忘」の文字に並べた約2千本(主催者発表)の灯籠に火がともされ、集まった市民や高校生ら数百人が黙禱(もくとう)した。 西宮市の角屋裕佳子さん(33)は4歳になる双子の娘を連れて初めて会場を訪れた。「子どもに震災のことや命の大切さを伝えたかった。身を守る術(すべ)などを教えていきたい」と話した。 今年は、会場となる東遊園地の再整備工事や新型コロナの影響で、灯籠の本数を昨年の半分程度にするなど規模を縮小した。 「市民による追悼行事を考える会」(事務局・神戸市)によると、兵庫県内で民間団体が予定する追悼行事は43件。前年から18件減った昨年と同水準にとどまる。感染拡大を防ぐため、引き続き開催を見合わせた団体が多いとみている。(鈴木春香) 死者6434人、行方不明者3人 阪神・淡路大震災は、1995年1月17日午前5時46分に発生。戦後初の大都市直下型地震だった。震源は兵庫県の淡路島北部で、マグニチュードは7・3。神戸市をはじめ県内の4市と淡路島で、観測史上初めて震度7を記録した。 人的被害は死者6434人、行方不明者3人、負傷者4万3792人。全半壊した住宅は約25万棟にのぼる。その後も国内で甚大な被害をもたらす災害が続発し、「大災害時代」の始まりとも言われた。 防災・復興対策が見直され、さまざまな仕組みがつくられていく契機となった災害でもあった。 発生から1年間で延べ約138万人のボランティアが活動。95年は「ボランティア元年」と言われた。ボランティア活動を後押しする特定非営利活動促進法(NPO法)のほか、耐震改修促進法ができ、国や自治体は住宅の耐震化を進めてきた。住宅再建に支援金を給付する被災者生活再建支援法もこの震災がきっかけで制定された。 17日は地震発生時刻の午前5時46分に、神戸市中央区の公園「東遊園地」をはじめ、各地で黙禱(もくとう)が行われる。(鈴木春香) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
元勤務先社長「なんでなんや」 丁寧な文字や図、放火容疑者の日報
大阪市北区の雑居ビル4階にあるクリニックで25人が犠牲になった放火殺人事件で、谷本盛雄容疑者(61)=死亡=は2010年まで大阪市内の板金工場で働いていた。工場には谷本容疑者の詳細な業務日報が残る。事件発生から1カ月。同社社長の男性(78)は丁寧な文字に仕事ぶりや人柄を思い出し、「なんでなんや」との思いが消えない。 谷本容疑者がアルバイトとして採用されたのは02年3月。腕前が認められ、数カ月で正社員になった。 社長は日々、作業員に日報の提出を求め、具体的な作業内容と進み具合を確かめていた。同社に残っていた谷本容疑者の日報は09~10年時のものだった。 A4判のノートの表紙に「谷本」の文字。開くと日付ごとに、行った現場や作業内容、工程が図や寸法も入れて丁寧に記してある。きちょうめんにも思える文字。社長は「谷本のはきれい。私が聞き直さなくてもいいように書いてくれた。なかなかこうはいかない」と言う。 「今日から2月だ がんばるぞ!!」。10年2月の月初めにこう記し、同僚を描いたイラストも添えた。7月の冒頭には「6月分の給料、1日分不足していました!」。翌月への上乗せを求めたようだ。 仕事ぶりは良かった。「『こ… この記事は有料会員記事です。残り685文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル