郊外の農産物直売所の前に集まった子どもたち。目を輝かせて見守る視線の先には、舞台に立つ今日の主役、ピンクのヘルメットをかぶったヒーローがいた。 ヒーローの名は、「ガンバ李(リー)α(アルファ)」。ショーは、悪の組織に洗脳された仲間の忍者「ガイ」を救い出す、山場のシーンを迎えていた。 洗脳により声が聞こえなくなったガイに、ヒーローは無言で両手を握り、続けて親指を立てて手のひらでたたいてみせる。手話の動きだ。 「必ず」「助ける」「私を」「信じろ」。手話を理解したガイが無事に正義の心を取り戻すと、客席から拍手がわき起こった。 演じたのは、福岡県粕屋町に住むスーツアクターの吉田和宏さん(51)と妻・理恵さん(37)。 一風変わったヒーローショーは、なぜ生まれたのか。 客席の子どもたちの中で、誰… この記事は有料会員記事です。残り1252文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
大津波警報でも「たいしたことねえ」 翌年の震災、運命は分かれた
《日曜曇り……石巻地区は異常なし》 宮城県石巻市門脇3丁目で暮らしていた林信吾さん(87)は、2010年2月28日の日記にそう記した。南米チリ沿岸地震で出された大津波警報を知り、近くの日和山に避難した。ただこの日、石巻鮎川で観測された津波は約80センチだった。 「うちにも水は来なかった。だから津波はたいしたことねえって思った。恥ずかしい話だ」。そう振り返る。次の年、東日本大震災2日前の地震で津波注意報が出た時も、日記に「被害はあまり出ないようだ」とある。 妻に促され避難、車ごと津波に 油断は上塗りされた。 3月11日、大きな揺れが襲ったときは、台所で大学芋をつくっていた。揺れが収まった後も落ちた食器の片付けをしていた。危機感はなかった。 12年前の2月28日、南米チリ沿岸地震の影響で、東北の太平洋沿岸部に大津波警報が出ました。でも、やってきた津波は予想より小さいものでした。「やっぱりたいしたことない」と思った人と、それでも「次」への備えを見直した人。1年後、運命は分かれました。 妻の尚子さん(81)に何度… この記事は有料会員記事です。残り1336文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
出会いはキエフ、日本で結婚 ウクライナ出身の神職「祈るしか」
ウクライナはどうなってしまうのか――。ロシアによる攻撃が首都キエフにまで及び、民間人の死者も伝わる。群馬県と接する埼玉県上里町に住むウクライナ出身の梅林テチャナさん(39)は祖国が直面する現実を、受け入れられずにいる。 梅林さんはウクライナ西部、ルーマニア国境近くのラヒフ出身。キエフ大学で日本語を学んでいた時、留学中だった夫の正樹さん(49)に出会い、2010年に日本で結婚した。今は正樹さんが禰宜(ねぎ)を務める同町の菅原神社で、権禰宜(ごんねぎ)として正樹さんを支える。 梅林さんの母や姉ら家族はウ… この記事は有料会員記事です。残り459文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
MLB’s Opening Day in jeopardy as labor negotiations falter again
After another unproductive day of labor negotiations, time is running out to preserve a 162-game season this year in Major League Baseball. MLB and the Major League Baseball Players Association met twice in Jupiter, Florida, on Saturday, two days ahead of Monday’s owner-imposed deadline to come to a labor agreement […]
残る2人も救助、全員けがなし スキー場コース外で遭難 福井・勝山
川辺真改2022年2月27日 9時33分 福井県勝山市のスキー場「スキージャム勝山」の利用客でスノーボードをしていた男女4人が26日にコースの外に出て遭難した事故で、福井県警は27日朝、残る男性2人を県警のヘリコプターで救助し、全員の救助を完了した。男性2人は同市内の病院に搬送されたが、いずれもけがはないという。 勝山署によると、27日午前6時15分ごろから県警や消防が約25人態勢で救助活動を再開し、遭難した場所付近にいた男性2人を発見。午前7時ごろまでに2人を救助した。 4人は大阪府内に住む30~40代の男女で、スノーボードをしていたとみられる。26日午後4時ごろ、スキー場から勝山署に通報があり、県警が捜索を開始。石川県の防災ヘリコプターが4人を発見し、同午後5時35分ごろに大阪府内の30代の女性2人を救助。2人にけがはなかった。その後、日没のため残る2人の救助活動を中断していた。 同スキー場では1月にも利用客4人がコースの外に出て遭難し、救助された。(川辺真改) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
アサリ産地偽装問題 熊本県北部の漁協、干潟貸して「レンタル料」
外国産アサリの「熊本県産」偽装問題で、有明海に漁業権を持つ県内漁協の幹部が取材に応じ、輸入アサリを一時保管する蓄養業者に、干潟を有料で貸していたことを明かした。国や県、漁業関係者も、蓄養しても熊本県産と名乗れないことを認識しながら、偽装の温床となる仕組みが慣習として続いてきた。 熊本県北部の有明海沿岸。日没前は夕日が干潟を照らし、写真を撮りに訪れる人も少なくない。だが足元を見渡すと、大量の二枚貝の死骸が折り重なり、割れた茶わんが顔をのぞかせる。 この周辺で共同漁業権をもつ漁協幹部が取材に応じた。水が引くと目の前に広がる広大な干潟について、漁協がアサリの「蓄養場」として業者に貸してきたことを明らかにした。幹部は、有明海沿岸の干潟で長年続いてきた「慣習」を語った。 中国などと取引がある問屋から、地元の蓄養業者が輸入アサリを受け取ると、干潟に広くまき一定期間、蓄養する。漁協はこうした蓄養業者と契約し、干潟を一定期間貸す代わりに漁場の「レンタル料」を受け取っていたという。 この幹部は、干潟の貸し借りが始まったきっかけは詳しく知らないが、「20年ほど前から始まったはず」と打ち明けた。 有明海に輸入アサリを一定期間まく蓄養は通常、出荷調整や貝の選別などのために行われる。だが、単に蓄養しただけでは輸入アサリを「熊本県産」に書き換えることはできない。 食品表示基準では、輸入した子牛や稚魚を、国外での生育期間より長く国内で育てれば、国産と称することができるという考え方(いわゆる「長いところルール」)がある。 輸入アサリを「熊本県産」と表示するには、このルールに従うしかない。しかし、漁協幹部は「アサリに当てはまるとは思えない」と話した。 その理由について「アサリは、稚貝になる前のプランクトンみたいな小さい赤ちゃんが、商業ベースにのるまで成長するのにだいたい1年半かかる」と説明。仮に、ルールが適用されるほど長く蓄養しようとすると「業者には相当な労力がかかる」とし、現実的には考えにくいと話した。 農林水産省も、有明海でのアサリの蓄養は「仮置きとみており、ルールは成り立ちにくい」(担当者)と説明する。 農林水産省の調査で、熊本県での漁獲量よりはるかに多い「熊本県産」アサリが流通していたことが分かっている。本来、外国産と表記すべきアサリを「熊本県産」へとごまかす手段の一つとして、蓄養が使われていた疑いは強まっている。 取材に応じた漁協幹部は「ど… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
投稿された部落の写真、さらされた住所 水平社宣言100年たつのに
「うちの近くに来る恐れもあるんやな」 香川県内の被差別部落に住む川田和代さん(54)は気味が悪くなった。 昨春、瀬戸内海のある島の部落の写真がSNSに次々とアップされた時のことだ。 2日間にわたって計35枚ほど。歴史の研究や散歩を思わせるハッシュタグが添えられ、生活環境整備や生活支援、教育支援などを進めた国の同和対策事業で建てられた住宅などを撮影し、駐車している車のナンバーが読めるものもあった。 不安には理由があった。 「人の世に熱あれ、人間に光あれ」と結ばれる水平社宣言から100年。日本初の人権宣言と言われ、社会のあらゆる人権問題の克服に向けた原点となってきました。誰にも潜みうる差別の心を溶かす「熱」と、すべての人を等しく照らす「光」を手にできるのか。人間の尊厳を重んじる宣言の精神を改めて見つめます。 夫の博士さんは、部落解放同盟の県連執行委員長だった。2016年1月に病気で亡くなった約2カ月後、夫の役職と氏名、現住所がインターネットに出ていると県連から知らされた。解放同盟関係者としてネットに個人情報をさらされた役員らに、削除を求める裁判の原告になるか、意向を問う連絡だった。 同年4月、解放同盟と同盟員らが川崎市の出版社と経営者らを相手取り、部落地名リストの出版差し止めと個人情報の削除などを求めて東京地裁に提訴した。 「隠す必要もないけれど、第三者が勝手にネットにさらすのはおかしい」。迷わず原告団に加わった。 その年の7月の第1回口頭弁論から、コロナ禍の前まで計7回、東京地裁で開かれた公判の傍聴に足を運んだ。 覚悟はしていたが、その間に自分の名前もネットに出された。 新幹線で片道5時間半かけて行っても、15分で閉廷することも。 それでも、なぜそんなことをするのか、知りたかった。 被告側は、歴史研究の資料だとして「差し止めは学問の自由を侵害する」などと主張してきた。部落の地名は、同和対策などに関連して行政や解放同盟が何度も公開してきた、とも訴えた。自身らの行為が原因で「人は死んでいないし、魂も壊れていない」とツイッターに書いたこともある。 川田さんは陳述書にこうつづった。 「本人が部落のことを理解し、自分の出身を重要な他者に伝えていこうとすることと、一方的に暴かれることは全く意味が異なります」 裁判で闘うことを決意した川田さん。差別を後世に残さないため、運動を続けています。記事の後半では、差別的な書き込みを監視する県職員が、苦しい胸の内を明かします。 昨年9月の東京地裁の判決は… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
武装闘争、逃走…そしてあさま山荘へ 攻防219時間、テレビ中継
2022年2月27日 7時00分 過激派グループ「連合赤軍」による「あさま山荘事件」は50年前の1972年2月19日に起き、28日までの10日間に及んだ。 2月19日午後3時半ごろ、連合赤軍メンバー5人が長野県軽井沢町の保養施設「あさま山荘」に侵入し、管理人の妻(当時31)を人質に立てこもった。警察は1500人以上の態勢で建物を包囲。グループは警察部隊にライフル銃や猟銃、拳銃を乱射し、手製爆弾も使った。 警察は28日午前10時から強行作戦を開始。クレーン車につった鉄球で壁を破壊し、放水などを繰り返す中、機動隊員が建物に突入した。激しい攻防の末、発生から219時間となる同日午後6時20分ごろ、3階で人質を救出、5人を逮捕した。 28日の攻防中、警視庁第2機動隊隊長の内田尚孝警視=警視長に特進(当時47)=と同庁特科車両隊中隊長の高見繁光警部=警視正に特進(当時42)=が銃弾を受け、殉職した。22日には現場を訪れた民間人の男性も撃たれ、後に死亡。警察官ら27人がけがをした。グループは28日だけで100発以上、10日間では200発以上を発砲したという。 事件の模様は全国にテレビ中継され、多くの国民が茶の間で見守った。 グループの5人は、首謀者とされる坂口弘死刑囚(75)と坂東国男容疑者(75)=国際手配中=、吉野雅邦受刑者(73)に加え、当時19歳だった加藤倫教さん(69)=懲役13年、出所=と16歳だった弟。 ◇ 銃や爆弾を使った武装闘争の末に警察に追われ、群馬県から逃走する途中に起こしたのがあさま山荘事件だった。 事件後の取り調べで、あさま山荘事件前の71年8月から72年2月にかけ、仲間の大量リンチ殺人があったことが判明。群馬県の山中の山小屋のアジト「山岳ベース」で12人、千葉県で2人の遺体が見つかった。「革命への熱意が足りない」などと責め、「総括」と称し、暴行やアイスピックで刺すなどして死亡させ、土中に埋めていた。 また、グループのメンバーは連合赤軍結成前の71年2月に栃木県真岡市の銃砲店を襲撃し、散弾銃10丁や2千発以上の実弾などを奪うなどしていた。 坂口死刑囚はこれらの事件で死刑が確定。再審請求も棄却された。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
あさま山荘事件、まだ終わっていない 超法規的措置で釈放→逃亡中も
過激派グループ「連合赤軍」による「あさま山荘事件」は、その後発覚した仲間の大量リンチ殺人事件などと合わせて「連合赤軍事件」と呼ばれる。一連の事件は当時の社会に衝撃を与え、学生らによる社会運動に対する国民の支持を一気に失うことにつながった、と指摘されている。 連合赤軍はあさま山荘事件により消滅したが、その後、別の過激派グループ「日本赤軍」が1970年代以降、海外でテロ事件を次々と起こした。日本赤軍のメンバーは今も逃亡しており、警察が捜査を続けている。 過激派グループは60年代からの学生運動が過激化するなかで生まれていった。 当時、学生らは長期化するベトナム戦争や日米安保条約改定、大学の学費値上げなどに反対し、社会の変革をめざして運動を展開、警察部隊とも衝突を繰り返していた。 連合赤軍と日本赤軍、その後 連合赤軍が結成されたのは7… この記事は有料会員記事です。残り882文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
あさま山荘事件、50年後の証言 あのとき極寒の現場で見た光景は
クレーン車の鉄球で山荘の玄関が破壊され、建物内に向けて放水された=1972年2月28日、長野県軽井沢町、朝日新聞社ヘリから 過激派グループ「連合赤軍」のメンバー5人が長野県軽井沢町の保養施設で、人質を取って10日間にわたって立てこもった「あさま山荘事件」から、今月で半世紀となった。現場や周辺にいた人は何を見たのか。元警察官、元過激派メンバー、地元住民の証言でたどった。(敬称・呼称略) 1972年2月、連合赤軍のメンバー十数人は、警察の目を逃れるため群馬県の山中を転々としていた。この間、逃亡するメンバーも相次いでいた。 大がかりな捜索の末、群馬県警は17日、同県松井田町(現・安中市)の妙義山中で、最高幹部だった森恒夫(当時27)と永田洋子(同)を殺人未遂などの疑いで逮捕した。 県境を越えたあさま山荘で立てこもり事件が起きる2日前のことだ。残るメンバーは9人となった。 事件のあったあさま山荘と、連合赤軍メンバーが群馬県から長野県に移動する際に近くを通った和美峠。当時、上信越道や北陸新幹線は開通していなかった レンズの先に、不可解な足跡 【証言①:元長野県警機動隊・箱山好猷(当時36)】 72年2月18日、長野県警機動隊の分隊長だった箱山好猷(よしのり)(86)は、群馬・長野県境の和美峠にいた。 警察は森、永田以外のメンバーも山中を逃げていると判断。付近の道路で検問や捜索に当たった。和美峠もその一つだった。 箱山は上司に「不審者を見つけたら緊急走行の赤ランプをつけて追いかけろ」と指示を受けた。双眼鏡を使い、雪山の斜面を監視していた。 レンズの先に、人が歩いたような跡があることに気づいた。 事件の際に撮られた写真を前に、当時の体験を語る箱山好猷さん=2022年2月6日午前11時37分、長野県上田市、鶴信吾撮影 「おかしいな。昨日は足跡はなかったような気がする」。しかし足跡は1人分しか見えず、一つひとつの形も崩れている。 「連合赤軍のメンバーが歩いたなら、もっとたくさんの跡があるはずだ。これはきっと古い足跡だろう」。そう思った。 この足跡は確かにメンバー9人のものだった。それが判明したのは逮捕後のことだ。 なぜ1人分しかなかったのか。 実はメンバーは、先頭を歩く1人の足跡を踏んで歩いていた。そのため、箱山には1人分に見えていた。この時9人が銃を携帯していたことも後で分かった。「出会っていれば撃ち合いになっていた」と、箱山は振り返る。 この日、箱山が見た足跡の9人は和美峠近くの雪山を越えて軽井沢町に入り、別荘地に近い山中にいた。雪を集めてかまくらをつくり夜を過ごしていた。そのうち一人が取材に応じた。 追われた連合赤軍メンバーは、銃撃戦の末にあさま山荘に侵入します。地元の女性たちは炊き出しで警察官を支援。警視庁からは立てこもり犯を割り出すための警察官が派遣されます。そして、立てこもりから10日目。事態は大きく動きます。 撃ち殺されるか、捕まるか 【証言②:元連合赤軍メンバー・加藤倫教(当時19)】 19日午前5時、9人のうち男女4人は軽井沢の街へ食料の買い出しに出かけた。 ところが、山中で長い間風呂にも入っていなかった4人は悪臭を放っていた。4人はすぐに人々の注目をひいた。 軽井沢駅売店の女性が不審に… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル