2022年3月10日 15時17分 関西電力高浜原発3、4号機(福井県高浜町)の火山灰対策が不十分だとして、福井、愛知など5府県の男女9人が国を相手取り、関電へ2基の運転停止命令を出すよう求めた訴訟の判決が10日、名古屋地裁であった。日置朋弘裁判長は原告の請求を退けた。 東京電力福島第一原発事故を教訓に導入された「バックフィット制度」をめぐる初の司法判断だった。この制度は既存の原発について、自然災害の影響などの新たな知見が得られた場合、電力会社に対策を義務づけるもの。新たな知見によるバックフィットの運用はこれまでに13件ある。 国の原子力規制委員会は2019年6月、いずれも関西電力の高浜、美浜、大飯の3原発計7基を対象にバックフィット命令を出した。今回の裁判は、このうち高浜3、4号機の停止を求めて起こされ、約180キロ西にある鳥取県の大山の噴火の可能性をどう見るかや、停止を命じないことが違法かどうかなどが争点だった。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
放射能汚染のふるさと「悔しくて、悲しくて」 母の墓前に再生を誓う
東京電力福島第一原発から約30キロの福島県浪江町の津島地区。2月28日、山あいの墓地に、墓参りをする親子の姿があった。周辺は放射線量が高く、今も立ち入りが制限されている「帰還困難区域」だ。 津島地区の町並み。人はおらず、無人の家は朽ちて痛々しい姿だ=2022年3月1日、福島県浪江町津島、前田基行撮影 親子は、群馬県渋川市の今野義雄さん(75)と、次女のあゆみさん(42)。3年前に93歳で亡くなった母・ノブ子さんの命日を3日後にひかえていた。 朽ちる無人の家、進む解体 墓参りを終えると、2人は雪でぬかるんだ坂を下りて、空き地の前で立ち止まった。ノブ子さんが原発事故まで暮らしていた家があった場所だ。築40年の2階建ての家だったが、除染を進める国による解体を受け入れ、一昨年に取り壊し、いまは更地になっている。 「10年も人が住まないと、家はボロボロ。本当に悔しくて、悲しくて」と今野さん。あゆみさんも夏休みによく遊びに来た家だ。「おばあちゃんが家のわきの畑でつくったウリがおいしかった」と懐かしんだ。 原発事故前は約1500人が暮らす地区だったが、「見てください。家がどんどん解体され、空き地だらけになりました。津島の風景が消えていきます」 解体前の今野義雄さんの実家。居間には孫たちの写真がびっしりと飾られていた=2016年撮影、福島県浪江町津島、今野さん提供 今野さんは高校まで浪江町で育った。群馬で暮らし始めたのは1975年、30歳の時だ。国立病院や療養所の職員でつくる労働組合の地区役員になったのがきっかけだった。以来、40年以上にわたって吾妻郡などで地域医療に心血を注いできたが、人生の最後はふるさと・津島のために尽くそう――。そう思っていた矢先に原発事故が起きた。 2011年3月11日、東日… この記事は有料会員記事です。残り1737文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
加藤登紀子さんウクライナ侵攻語る 「百万本のバラ」に込める願い
旧ソ連の歌謡曲「百万本のバラ」を日本語訳して歌い継いできた歌手の加藤登紀子さん(78)は、ロシアとウクライナの両国に縁がある。民間人も巻き込まれている今回の侵攻に、何を思うのか――。 加藤さんは1943年、旧満州(中国東北部)のハルビン生まれ。現地でロシア語を学んだ父親の幸四郎さん(故人)が終戦後、東京でシベリアを流れる川の名前からとったロシア料理店「スンガリー」、72年に京都でウクライナの首都の名前を冠した「キエフ」を開いた。東京大在学中の65年に歌手デビューした加藤さんも、ロシアやウクライナから招いたコックら旧ソ連の人々と交流を深めてきた。 百万本のバラの花を あなたにあなたにあなたにあげる―― 86年から歌い続ける「百万本のバラ」は、もともとラトビアの作曲家がつくった曲にロシアの反体制詩人が詩をつけた歌謡曲。加藤さんは自ら日本語に訳し、代表曲の一つとなっている。 旧ソ連の国々と縁が深い加藤登紀子さん。後半のインタビューでは、「百万本のバラ」の誕生秘話や軍事侵攻への複雑な心境を語りました 「あらゆる国家の問題を武力で解決してはいけない。あくまで冷静に。戦争に加担しようという動きが出てこないようにしなくてはいけない」 軍事侵攻から1週間となった3日、東京・神保町の岩波ホール。旧ソ連に支配されたジョージアの作家と旧ソ連の元役人の「過去との和解」をテーマにした、ジョージア人監督による映画「金の糸」(配給ムヴィオラ)のゲストトークに招かれた加藤さんはこう訴えた。「一番危険だと思うのは、日本が軍備増強すべきだという声が出てきたこと」とも。その後、取材に応じた。 冷静に、人として向き合う方法を ――今回の侵攻で感じたことは 戦争のすべての被害者に、生き抜いて下さいというメッセージを送りたい。一方、私たちは、戦争をあおらず、熱くならず、できるだけクールに対応しなければいけないと思います。 日本がどうすべきだとかロシアやウクライナがどうあってほしいとか、具体的なことは私には言えません。ただ気になるのは報道が非常に鮮烈なことです。テレビで、『第2次世界大戦後の最も劇的な戦争』『第3次世界大戦のスタート』だと言う人もいました。それはおかしいです。もっと言語に絶する戦争が、ベトナムや中東でありました。 ――「核共有の議論を」と、国内の一部政治家が言及しました 一番怖いのは、これを機に日… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
福岡・夫婦殺害、未解決のまま21年 なぜ両親が?娘の消えぬ思い
福岡市東区で2001年2月に高齢夫婦が殺害された事件は、未解決のまま21年がたった。この間、遺族は遺品などを通じ夫婦の家族への思いに触れてきた。「なぜ、両親が殺されなくてはならなかったのか」。そんな思いが消えることはない。 東署によると、01年2月26日、福岡市東区若宮5丁目の住宅で金丸金次郎さん(当時80)と妻の愛子さん(同73)が遺体で見つかった。金次郎さんはのどに切り傷があり、愛子さんは首と両足に電気コードが巻かれていた。死因は金次郎さんが窒息死、愛子さんは頸髄(けいずい)損傷。2人は17日夜に殺害された可能性が高く、現場の状況などから、県警は強盗殺人事件として捜査している。 千葉県に住む次女の藤堂早苗さん(66)は事件当日、署からの電話で金次郎さんが亡くなったことを知らされた。愛子さんのことを聞いても答えてくれなかったので、いたずら電話かとも思ったが、テレビのニュースが実家の映像とともに、事件のことを報じていた。頭が真っ白になった。 家族は両親と藤堂さん、弟の4人家族。父親は温和な性格で、怒られた記憶はない。社交的な母親は手先も器用で、セーターを手作りしてくれた。最後に会ったのは事件の数年前。旅行の途中、千葉の自宅に立ち寄ってくれた。2人の孫である藤堂さんの娘と2時間ほどを一緒に過ごし、金次郎さんが写真を撮って喜ぶ姿が記憶に残っている。 実家で見つかった60年前の手紙 事件の2、3年後、実家で荷… この記事は有料会員記事です。残り461文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
MLB cancels more games after negotiations stall
New York – Major League Baseball canceled more games on Wednesday after a fresh round of marathon labor talks with players ended in a another deadlock. MLB commissioner Rob Manfred said the 2022 season would not start until April 14 at the earliest after the latest negotiations failed to yield […]
旭化成グループ工場の爆発事故、家宅捜索の方針 業務上過失傷害容疑
旭化成グループの産業火薬製造会社「カヤク・ジャパン」(本社・東京)の東海工場(宮崎県延岡市)で起きた爆発事故で、県警は10日に工場の関係先を業務上過失傷害容疑で家宅捜索する方針を固めた。爆発の原因を調べるため、現場検証に加えて家宅捜索で資料を押収し分析する必要があると判断した。 事故は1日午後1時50分ごろ、工場内の爆薬の原料を加工、貯蔵する「第一洗浄工室」で発生。社員の黒木大地さん(24)=同県門川町=が行方不明になったほか、工場内外で4人が軽傷を負った。 同社によると、建物ではダイナマイトの原料で液体のニトログリセリン約2千キロと、同じく液体の爆薬の原料「ジエチレングリコールジナイトレート」約1100キロを一時的に貯蔵。推定でダイナマイト約3万本分にあたる。いずれの原料も小さな衝撃で爆発しやすい特徴を持つ。 黒木さんは事故当時、同僚2人と爆薬の原料を計量して運搬する作業中で、同僚2人が建物外に運び出した後に建物で爆発が起きた。直前の状況から、黒木さんは建物内にいた可能性があるという。 県警は4日から消防と合同で現場検証を始め、黒木さんの捜索も継続。捜索関係者によると、現場周辺からは衣服の切れ端などが見つかっている。県警はDNA型鑑定で身元の特定を進める方針。 事故をめぐっては、延岡労働… この記事は有料会員記事です。残り272文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
トドの大群上陸の宗谷海峡の島 稚内にもウクライナ侵攻の暗い影
奈良山雅俊2022年3月10日 9時00分 北海道内でも穏やかな日が増え、稚内市からは、雪に覆われたサハリンの山脈がよく見える。凜(りん)とした光景に癒やされるが、ロシアのウクライナ侵攻が宗谷海峡にも暗い影を落としている。 宗谷岬からサハリンまでは約40キロ。約1キロ沖の弁天島にはトドの大群が上陸し、繁殖地のサハリンへ戻る前の骨休めをしている。望遠レンズで撮影すると、トドの間近まで真っ白なサハリンの島影が迫り、「国境の街」ならではの光景を体感できる。 稚内市はサハリンの3市と友好都市を締結し交流を続けてきたが、市議会は8日、ウクライナ侵攻を厳しく非難する決議案を全会一致で可決。近く予定されている稚内港からのチャーター船による貨物輸出も中止の可能性が出ている。(奈良山雅俊) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「支えられた私、今度は支える」 震災遺児ら癒やすレインボーハウス
岩手、宮城、福島の3県で1800人(厚生労働省調べ)が遺児や孤児になった東日本大震災。遺児らの心のケアのため、あしなが育英会(東京)が仙台市と宮城県石巻市、岩手県陸前高田市に設けた活動拠点「レインボーハウス」は震災から11年になるいまも、遺児やその家族を支え続けている。 震災で支えられ、今度は支える側に 陸前高田市出身の大学2年、新田佑さん(20)は昨秋、交通事故や病気で親を失った子どもたちが集まる東京都日野市の「あしながレインボーハウス」にいた。訪れた幼い兄妹とトランプや卓球で遊びながら、少しずつ会話を増やしていく。「無理に距離を詰めず、少しずつ打ち解けるように」。2人の表情は次第に和らいでいった――。 新田さんは震災時、小学3年生だった。陸前高田市内の学校にいて難を逃れたが、母牧恵さん(当時36)と妹の琳(りん)さん(当時6)、麗(れい)さん(当時4)は津波で亡くなった。震災直後、家族3人を突然失ったことを頭では理解していたが、受け止められなかった。父(58)も悲しみに押しつぶされ、息子を気遣う余裕を失っていた。 そんな新田さんを救ったのが、あしながの活動だった。震災の3カ月後、岩手県内の温泉地に行った。まわりはみんな親を亡くした子どもたち。それを職員らも知っている。気兼ねなく遊べて屈託なく笑えた。 陸前高田市にハウスができると通うようになり、「父と2人だけだった世界が外に広がった」。 職員や友達と家族を亡くした痛みを語り合ううちに、「忘れよう、逃げよう」という姿勢が変わった。「悩みが共有でき、苦しいのは自分だけじゃないと前向きになれた」と言う。 中学生になると年下の遺児が増えて「今度は支える側に」と思うようになる。大学生になった遺児がハウスの運営を手伝いに来ている姿を見て、「将来は自分でつくれる」と勇気づけられもした。 高校卒業を機に上京。いまは大学で学びながら、日野市のあしながの寮で暮らし、活動を手伝っている。コロナ禍で遺児の集いができない代わりに、励ましのビデオメッセージを作成する。卒業後は遺児を支える仕事がしたいと思っている。「喪失体験を語る難しさを経験したからこそ、彼らに寄り添うことができる」 心のケア、親にとっても レインボーハウスは、親の居… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「マックの思い出」は栄養素だよ 拒食を経て栄養士に、私は伝えたい
高校1年の時、鈴木真美さんはダイエットにはまった。 太っていたわけではなく、むしろ「痩せてるね」と言われる方だったのに。 高校に入り、スタイルの良い子を見かけて「自分も頑張ろう」と思ったのがきっかけだった。 試したのは、何を食べて何キロカロリー摂取したかを記録するレコーディングダイエット。 日に日に体重が落ちていくのが楽しかったし、キツさも感じなかった。 3カ月で10キロほど落ちて体重は35キロに。 生理は止まっていたが、不調を感じなかったこともあって、気にとめていなかった。 2年ほどが経ったころ、ふと生理が止まっている期間が長すぎることに気づいて、怖くなった。 このままだと赤ちゃんを産めない体になるかもしれない、と。 体重が減ったことの喜びよりも、将来への不安の方が大きくなった瞬間だった。 怒られるのが怖くて、なかなか親には言えなかった。 何週間も悩んだ末に打ち明けると、「すぐ病院に行こう」と言ってくれた。 その時は、叱られなかったことにホッとした。 晩年になって、父がポツリと… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
パラ中国勢メダル快進撃、秘密は「虎の穴」? 関係者が見た謎の施設
近年のパラリンピックで圧倒的な成績を誇るのが中国勢だ。昨夏の東京大会では国別1位の計207個のメダルを獲得。冬のパラでは前回まで金メダル一つだったが、北京パラでは8日までに国別で最多の27個のメダルを量産している。その強さを支えるのが、中国にあるパラ選手専用の強化施設。謎に包まれた実態に目撃者の証言で迫った。 「こんなに恵まれた施設があるのか。日本の練習環境とはまるで違う」 2011年8月。現在は日本パラ・パワーリフティング連盟理事長を務める石田直章(なおたか)さん(65)は、中国・北京の「中国障害者体育運動管理センター」を訪れた。 本来は施設内は非公開だったが、パワーリフティングを通じて知り合った中国の関係者の特別な計らいで、視察が実現した。 練習施設に釣り堀、カラオケ… 東京ドーム五つ分にあたる2… この記事は有料会員記事です。残り1523文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル