現場へ! ひきこもりと支援⑤ 精神科医の斎藤環(たまき)さん(60)は1998年に「社会的ひきこもり」を著し、ベストセラーになった。いまも当事者らの話を聞き、支援に関わるなかで、自治体からの「親亡き後の安否確認が取れそうにない」という相談が相次いでいる。 「いま何か手を打たないと10、20年後はひきこもりの孤独死が大量発生するのは目に見えている」。こう警告する。 「私が死んだ後、息子はどうなってしまうんでしょうか」。ファイナンシャルプランナーの畠中雅子さん(58)は30年ほど前の90年代初め、公的機関の委託で無料相談をしていた時を思い出す。50代の女性が声を絞り出し、尋ねてきた。末期がんの告知を受けているという。 女性には、当時の畠中さんと同じ年齢の息子がいた。中学校で不登校になり、その後は母親以外とほとんど口をきかず、まったく外出しないという。母親は東京都内におり、息子は静岡県でアパートを借りて一人で住んでいた。 母親は週2回、新幹線で静岡へ行き、ドアの外にある冷凍庫に食料を詰めて帰る日々が続いた。そんなとき、がんが見つかり、相談に来たという。 当時、畠中さんも的確な助言ができなかった。「なんで誰とも話せないんだろうと不思議でした。いまならひきこもりということになるんでしょうが、当時は言葉すら知らなかった」 その後、同じような相談がぽつりぽつり来るようになった。初めて相談を受けた時はその女性の家だけの問題だと思っていたが、「これは違う」と感じ始めた。畠中さんが「ひきこもりのライフプラン」の相談を始めたのはこのころだ。 収入面では子が働けない状況が続くという前提で、子が生きていくために親がどのくらい資産を残せるか――。 初めは反発が強かった。ひきこもりの家族会で、親の老後設計を話すと「親が死んだときの話をするなんて縁起でもない」と相手にされず、「そのうち、ちゃんと働くんだから」と怒鳴られた。「15年前までは、死ぬって言われても現実感がない親御さんも多かった」 手応えがないまま15年ほど… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
足りぬ教員の代わりに社会人を 「特別免許状の活用」、文科省が通知
今年度も学級担任などに配置する教員が足りない状態が生じているとして、末松信介文部科学相は22日の記者会見で、教員免許を持たない社会人も教壇に立てる「特別免許状」を活用して対応するよう、都道府県教育委員会などに通知したと明らかにした。 文科省は昨年度、教員不足の調査を初めて実施し、公立の小中学校では始業日時点で2086人が不足していたことが判明。今年度の状況を文科省が各地の教委に聞いたところ「昨年度同様、厳しい状況にある」(末松文科相)という。 博士号取得者など専門的な知… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
核のごみ議事録訴訟 寿都町が全て公開へ 非開示取り消し判決受け
原発から出る高レベル放射性廃棄物(核のごみ)の最終処分場選定に向けた文献調査をめぐり、北海道寿都町議会が町民2人に対し、全員協議会(全協)の議事録などを非開示とした決定を函館地裁が取り消した判決を受け、町側が原告2人が求めた全ての文書を27日に公開すると通知したことが分かった。原告側は「中身を見ないと分からないが、判決を受け止めてくれた」と評価している。 原告側によると、22日までに、文献調査に反対する町民団体「子どもたちに核のゴミのない寿都を! 町民の会」に所属する原告の神貢一さん(68)と槌谷和幸さん(73)宛てに、町議会の小西正尚議長名による「公文書開示決定通知書」が届いた。通知書はいずれも20日付。 訴状によると、神さんは20… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
ボイメンが広報大使を辞退 元メンバー不祥事で?愛知県警が受理
愛知県警は22日、広報大使を委嘱していた名古屋発の男性アイドルグループ「BOYS AND MEN(ボイメン)」から大使を辞退したいと申し出があり、受理したと明らかにした。メンバーの小林豊さん(33)が過去の万引きを認め、所属事務所が契約を解除したことが原因とみられる。19日付。 ボイメンは2015年度から広報大使を務め、今年度も1日に県警本部で就任式があったばかり。交通安全や特殊詐欺の被害防止などを動画で訴えてきた。弟分の「BMK」は引き続き広報大使を務めるという。 ボイメンの所属事務所も21… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
啄木語り続けた研究者、講座に区切り 白血病発症も「研究に専念」
歌人石川啄木(1886~1912)の研究者で釧路啄木会の会長を務める北海道釧路市の北畠立朴(りゅうぼく)さん(81)が、長年続けてきた「啄木講座」に今春で区切りをつけた。昨年末に白血病を発症したが、「啄木研究は私の天命。やり残したことはまだまだある」。今後は、治療を続けながら研究に専念する。 「病気になったけれど今日、明日死ぬわけじゃない。あと10年ぐらい啄木研究を続け、後世の役に立つ資料を残していきたい」 4月13日に釧路市中央図書館で開かれた「人生最後の啄木講座」。北畠さんは50人の聴衆を前に、約1時間半にわたって自らの啄木研究を振り返った。啄木没後110年、命日にあたる日だった。 北畠さんは北海道足寄町出身。高校3年の時に啄木の歌集を文庫本で買い、その歌に夢中になった。「中学生で父を病気で亡くした私の家は生活が苦しかった。苦労しながら歌を作り続けた啄木に共感した」 その後、町役場勤めを経て… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
事実上の刑罰、取り返しつかない結果に 元裁判官が語る「人質司法」
機械メーカー「大川原化工機」の社長らが不正輸出に関わったとして長期間勾留された末、起訴が取り消された事件。この連載では捜査に翻弄(ほんろう)される会社と、社員や弁護士らが実験を通じて無実を証明していった一部始終を追いました。 勾留後に亡くなった1人を含め、会社側は起訴取り消しになっても大きな不利益を被りました。一連の捜査を専門家はどうみるのか。元裁判官で法政大法科大学院教授の水野智幸さんに話を聴きました。 みずの・ともゆき 法政大法科大学院教授(刑事法)、弁護士。1962年生まれ。88年に裁判官になり、静岡や大阪、東京、千葉の各地裁の判事などを経て、2012年から現職。フジテレビ系ドラマ「イチケイのカラス」では、裁判所監修を担当した。 ――今回の捜査には、どのような問題があったのでしょうか。 「人質司法」の悪い側面が典型的に出た事案だと思います。この言葉は、身柄を拘束することで自白を引き出そうとする捜査手法を批判的に表したもの。捜査当局はそんな手法は存在しないと否定しますが、実際にはあると思います。 警察、検察が事件を有罪にするにあたって一番メリットがあるやり方だからです。容疑者は身柄を拘束されたことでつらくなり、自白する。あるいは自白しなくても、証拠隠滅や逃亡の危険がなくなるので、捜査当局にとってはメリットしかないわけです。 鈍感な捜査当局は想像できない 一方で、被告にとってマイナ… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
Kazuya Fujita and Taishi Ota lead BayStars past Tigers
Kazuya Fujita broke a fifth-inning tie with a pinch-hit RBI single, and Taishi Ota drove in an insurance run as the DeNA BayStars won a 7-5 Central League game on Thursday, handing the Hanshin Tigers their fourth straight loss. The game was called on account of rain with two on […]
Kazuya Fujita Taishi Ota lead BayStars past Tigers
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Gosuke Katoh makes first MLB start in Blue Jays win
Utility infielder Gosuke Katoh started his first major-league game Thursday, drawing a walk and scoring a run in the Toronto Blue Jays’ 3-2 win over the Boston Red Sox. Batting eighth and playing second base, the 27-year-old Katoh, born in California to Japanese parents, began a big-league game for the […]
枝元なほみさんが料理の道に進んだ原点 大根とひき肉のカレー
大根とひき肉のカレー=島村温子撮影 記事の後半でレシピをご覧いただけます。 料理研究家の枝元なほみさんは大学卒業後、友人が開いた東京・中野の無国籍レストランでアルバイトし、料理を始めました。「それまでもひとり暮らしで自分で作って食べていましたが、いい加減なものでした」。お客さんにおいしいものを提供するには? 店にある色々なスパイスを使い試作を繰り返しました。 当時、枝元さんは役者を志し劇団に所属していました。劇団の劇場は周囲に飲食店が何もない倉庫街のような場所。見に来たお客さんや劇団員のために食事を振る舞うことになり、レストランで働いていた枝元さんがご飯作りの担当に。 作ったのは、大鍋いっぱいのカレーです。「ほとんど毎日のように、40人から50人分を1人で作っていました」。タマネギをじっくりと炒めて、スパイスを合わせ煮込む。劇団の仲間も手伝ってはくれたけれど「当時は人生の半分くらいタマネギを炒めている気分でした」。 劇団にはお金もなく、具も工… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル