ロシアの侵攻を受けるウクライナへの支援の一環として、国連の物資を周辺国に届けるための自衛隊機が1日、日本を出発した。各国がウクライナに武器供与を続ける中、国としての支援に力を入れていることをアピールしようとの狙いがある。 1日午前、航空自衛隊入間基地(埼玉県)。手を振る隊員らに見送られ、C2輸送機が飛び立った。 今回の支援は国連難民高等弁務官事務所の要請に基づくもので、政府は国連平和維持活動(PKO)協力法が定める「人道的な国際救援活動」として自衛隊機派遣を決めた。C2はアラブ首長国連邦・ドバイで国連の備蓄倉庫から毛布などを積み込み、多くの避難者が暮らすポーランドやルーマニアに週1回のペースで6月末まで運ぶ。 輸送には民間機を使う選択肢もあったが、政府は今回、自衛隊機を派遣した理由について、新型コロナウイルスの感染拡大による影響を挙げる。海外旅行の自粛で民間機の便数が減る一方で、巣ごもり消費で貨物の輸送量が増え、民間機が確保しづらいという。 ただ、防衛省関係者は「一番の理由は、日本が最大限の支援をしていることを国際社会にアピールすることだ」と話す。 政府は3月以降、ウクライナ… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
増え続ける「絶滅危惧種」 追いつかない「国内希少野生動植物種」
数字は語る 自然豊かなはずの地球で絶滅する生き物は毎年、4万種とされる。 原因は開発に伴う環境破壊や温暖化などだ。そんな危機的な生態系をどう守るかを話し合う国連の会議(COP15)が今夏、中国・昆明で開かれる。 南北に長く起伏に富む地形の日本もひとごとではない。確認されただけで9万種以上が生息する一方、絶滅の恐れがある生き物も2020年時点で3772種に上る。その数は年を追うごとに増加しており、19年から40種増えた。 これらを絶滅の危険度合いで分類した環境省のレッドリストのうち、渡り鳥のシマクイナは、ランク中位の「近い将来に野生での絶滅の危険性が高い」(絶滅危惧ⅠB類)に入る。体長20センチ弱で、頭部などに白黒のしま模様があることが名前の由来だ。 だが、極東だけに分布する以… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
タブーに触れたから? 事なかれ優先、表現の自由「頭になかった」
3月9日午後、札幌大学教授の岩本和久(54)は学長室に呼ばれた。学長の大森義行(64)と副学長の林研三(71)が待っていた。 岩本の専門は、ロシア文学。2日後、岩本が企画したパネル展「疫病とロシア文学」が、札幌市中心部の書店で始まる予定だった。 学長は岩本に告げた。 「予測不能なことが起こるかもしれない。世情の関係上、ここは一時延期していただけないか」 2月24日に始まったロシアによるウクライナ侵攻の後、東京のロシア食品専門店で看板が壊される嫌がらせがあった。企画展で何かあれば大学の責任になる――。それが、学長と副学長の共通認識だった。 企画展は19世紀のロシアの作家がコレラなどの感染症をどう描いてきたかがテーマ。日露戦争で反戦を訴えたトルストイのパネルも用意し、「ロシアも含め反戦を唱える人たちと連帯したい」との願いを込めた。 トラブルが起きてしまうのでは。批判を浴びてしまうのでは。そんな「事なかれ」という気持ちが強まるあまり、表現行為が萎縮することがあります。北海道と福井で起きた二つの事例の背景を探りました。 岩本は食い下がった… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「縦スクロールマンガ」隆盛 横読み・白黒の日本マンガにどう影響?
縦スクロールマンガの原稿の校閲作業をする編集者=東京都品川区のソラジマ スマートフォンで縦にスクロールして読む「縦スクロールマンガ」が人気だ。紙のページをめくって読む前提で発展してきた日本のマンガ市場は変わるのか。 マンガアプリ「ピッコマ」は昨年、日本国内のマンガアプリの年間売り上げ1位を前年に続いて獲得し、累計ダウンロード数は3千万を超えた。そのピッコマの代名詞とも言えるのが、縦スクロール、フルカラーのマンガ「SMARTOON(スマトゥーン)」だ。 「ピッコマが扱う電子マンガやノベルなど約9万作品のうち、スマトゥーンは1200作品ほどですが、売り上げの半分ほどはスマトゥーン。絵が大きくて文字が少なく、サクサク読めるところが非常にウケている」。ピッコマを運営する「カカオピッコマ」の熊澤森郎・常務執行役員はそう分析する。 縦スクロールマンガは、2000年代初めに韓国で「ウェブトゥーン」として本格的に広がりはじめた、文字どおりウェブ上で読むマンガだ。 雑誌連載を前提に発展してきた日本のマンガはモノクロが基本で、右から左へと横に読むスタイルが主流だ。それに対し、ウェブで読む縦スクロールマンガはフルカラーで、画面上のマンガを指で下から上に流していくように読む。 日本の横読みマンガは近年、コロナ禍の巣ごもり需要も追い風に、国内の電子市場で急速に売り上げを伸ばしてきた。ただし、描き込みが緻密(ちみつ)で小さいコマや文字も出てくるため、スマホの画面上では拡大が必要になるなど、読みづらさがつきまとう。対して縦スクロールマンガは、スマホの縦長の画面に最適化することで人気を広げている。 韓国発のウェブトゥーン作品「梨泰院クラス」がネットフリックスでドラマ化されて日本でもブームになるなど、韓国を中心に数々のヒット作品が生まれている。中国や北米など、その人気は世界に広がる。 ピッコマでは、19年ごろから縦スクロールマンガの売り上げが急成長した。扱う作品の多くは韓国発で、なかでもファンタジーアクション作品の「俺だけレベルアップな件」は累計の閲覧回数が5億回を超えるヒットとなった。 ピッコマで配信中の「俺だけレベルアップな件」(C)DUBU(REDICE STUDIO),Chugong,h-goon 2018/D&C WEBTOON Biz 16年にサービスを開始したピッコマが、日本国内のマンガアプリの売り上げ首位に上り詰めた主な要因の一つに、縦スクロールマンガの「手軽さ」がある。 記事の後半では、日本発の縦スクロールマンガ作品を世界へ発信しようとするLINEマンガやKADOKAWAなどの挑戦を紹介します。さらに、マンガ研究者が「巨大かつ閉鎖的」な日本のマンガ市場が生き残るために必要なことを提言します。 ピッコマは普段あまりマンガ… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
天皇陛下の地方訪問、再開の判断難しく 令和流の象徴像、続く模索
天皇陛下が即位してから1日で3年を迎えた。即位後1年を待たずに新型コロナが流行して活動が制限され、オンラインを通じた活動が今も続く。各地に足を運び、国民に寄り添う機会が見通せないなか、「象徴の務め」をどう実践し、発信するのか。模索が続いている。(多田晃子) 大型のモニターが置かれた皇居・御所。陛下は皇后さまと並び、モニター越しの高校生に「動画を作る上で苦労されたのはどんなことですか」と問いかけた。 熊本市で4月23日に開幕した「第4回アジア・太平洋水サミット」に天皇、皇后両陛下はオンラインで出席。水問題の研究がライフワークの陛下は記念講演を行った。高校生らとの懇談時間は予定の倍近くに及び、熊本地震からの復旧状況を説明した大西一史市長には「今一番大きな課題はどういうことでしょうか」などと質問した。 代替わりで陛下は2019年5月1日に即位。だがコロナ禍で行事や式典の中止・延期が相次いだことから、オンラインによる活動が20年8月に導入された。コロナに対応する病院の視察で医師らと交流したほか、記録的豪雨に見舞われた熊本県の被災者らを見舞い、東日本大震災の被災3県の被災者らと交流した。 陛下はオンラインの活用について、今年2月の誕生日に先立つ会見で、複数の場所にいる人々と同時に会い、通常では訪問が難しい離島や中山間地域などの人々とも比較的容易に交流できる利点や可能性を挙げ、「有効な手段」と言及。状況に応じた形で引き続き活用したい意向を示した。 「存在感希薄になりかねない」 陛下は、全国各地を巡り、国… この記事は有料会員記事です。残り1390文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 【5/10まで】記事読み放題コースが今なら2カ月間無料!詳しくはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
コロナやウクライナ情勢で雇用不安定に「人への投資を」 メーデー
朝日新聞デジタルに掲載の記事・写真の無断転載を禁じます。すべての内容は日本の著作権法並びに国際条約により保護されています。Copyright © The Asahi Shimbun Company. All rights reserved. No reproduction or republication without written permission. Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
見たこともなかったサンゴが続々 志摩沿岸で起きている「異変」とは
何度も仕事で潜った海の中がいつもと違う。これまで見たことがなかったサンゴが続々と。三重県志摩市の沿岸。一帯では、海藻が姿を消す「磯焼け」が起きている。海でいったい何が……。 サンゴを撮影したのは、志摩市阿児町でダイビングショップを経営している清水憲夫さん(69)。ダイビング歴は40年以上。体験教室を開く一方、市からの委託で、設置した人工魚礁にどれぐらい魚がいるかなどを調べる海底調査も手がけている。 昨年11月、志摩市志摩町和… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「国は水俣病を断ちきろうとしている」水俣病解決へ危機感と決意新た
まだ終わっていない――。水俣病は公式確認から66年を迎えたが、行政が水俣病と認める審査はなおハードルが高く、全国で続く裁判では、被害者にとって厳しい判決が相次ぐ。追悼の祈りが捧げられた熊本県水俣市では1日、これからも語り継いでいくことへの決意の言葉が聞かれた。 鹿児島と熊本の県境近く。不知火海を望む山腹の石組みの墓の前に、今年も約70人の参列者が集った。 「乙女塚」と呼ばれるこの場所では、水俣市などが主催する慰霊式が定期的に開かれるようになった1992年より前の81年から、水俣病の裁判を闘う被害者らが独自に慰霊祭を営んできた。 亡くなった胎児性患者の少女を含む、すべての水俣病犠牲者を悼む場に、下田良雄さん(74)の姿もあった。保健所への届け出により公式確認された4人の1人、田中実子さん(68)の義兄。慰霊祭冒頭のあいさつで「66年は長いようで、あっという間でした」と振り返った。 自身も認定患者だが、行政に… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「鎌倉殿の13人」登場の木曽義仲はどこまで逃げた? 落人伝説探る
平安末期、絶世を極めていた平家を都から追放した猛将・木曽(源)義仲(よしなか、1154~84)。NHK大河ドラマにも登場した義仲や側近らにまつわる伝説に焦点をあてた企画展が、群馬県中之条町で開かれている。挙兵の際に使ったと伝わる矢筒など義仲に仕えた一族の子孫宅に伝わる貴重な史料が展示されている。 義仲は清和源氏の嫡流(ちゃくりゅう)・源為義(ためよし)の次子義賢(よしかた)の次男。義賢が討ち死にし、孤児となるが、信濃の豪族がかくまったといわれる。 一方、企画展を主催した中之条町歴史と民俗の博物館「ミュゼ」の山口通喜館長は語る。「義仲には幼少期、信濃から落ち延び、深い山々に囲まれた旧六合(くに)村入山の世立地区(現在の中之条町)の首領に預けられたという言い伝えがある」 義仲は1180年、以仁王(もちひとおう)により平氏討伐の令旨(りょうじ)が発せられたため挙兵。83年には平維盛(これもり)の大軍を倶利伽羅(くりから)峠(現在の富山、石川県境)で破るなどして平氏を京から追い払い「旭(朝日)将軍」と呼ばれた。 だが、都における義仲軍の粗野な行動が後白河法皇らの反感を買い、源頼朝が派遣した源範頼・義経軍に京を追われた。翌84年、琵琶湖畔を敗走していたところ流れ矢にあたり戦死。享年31と伝えられている。 今回の企画展は「木曽義仲落人伝説~旭将軍義仲と鎌倉殿頼朝が残したもの~」と題し、義仲にまつわる伝承を取り上げた。山口館長は「伝承をつなぎ合わせることで、おぼろげながらも『史実』が見えてくるのではないか」と語る。 家臣の娘が義仲の子を身ごも… この記事は有料会員記事です。残り319文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 【5/10まで】記事読み放題コースが今なら2カ月間無料!詳しくはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「親じゃないくせに」にグサッ 笑い、泣き、けんかしてつむぐ絆
福岡県の高柳直美さん(54)と俊治さん(53)は、特別養子縁組した2人の子を育てる。 息子(14)は中学3年、娘(12)は中学1年。思春期まっただなかの息子と「バトル」の日々だ。 けんかするたび息子は「おれの親じゃないくせに」と言う。 「おれを産んだお母さんだったらスマホを買ってくれるはず」 「もっと若いお母さんがよかった」 初めて「親じゃないくせに」と言われたとき、直美さんは「グサッときた」。 私はだめな親なのかな。 やっぱり妊娠の「十月十日」がなかったからな。 でも先輩の養親に相談したら、「順調、順調! どんなことを言ってもこの人たちは自分を嫌いにならないって安心してるから、そう言えるんだよ」と言われ、救われた。 いまは堂々と「でも、あなたのお母さんは私やけんね」と言い返す。 「先輩養親さんの生の声があるから、ここまでやってこられた。心が折れても、話を聴いてもらうことで、立て直すことができた」と直美さん。 俊治さんも「おかげで孤立しないで済んだ」と話す。 特別養子縁組で育ち、「みそぎ」の名前で活動する男性(26)とは1年ほど前に知りあった。当事者団体「Origin」の養親サロンにもよく参加する。 「弱音は吐けない」と思っていた 夫婦そろって子どもが好き。不妊治療を5年ほどがんばったが、精神的にも経済的にもきつくなり、区切りをつけた。 そのころ住んでいた福岡市の市政だよりがきっかけで、特別養子縁組を知った。 研修や面接を夫婦そろって受けて、2007年秋、特別養子縁組を前提に里親登録をした。 2カ月後、生後半年の男の子を託したいと児童相談所から声がかかった。夫婦そろって乳児院へ行った。 児相の職員が「あの子ですよ」と示した先に、小さな赤ちゃんがいた。こわごわ近づいた。抱っこを促され、直美さんはガチガチに緊張した腕で抱きあげた。「すごく小さいのに、すごく重たい」と感じた。 それから毎日、直美さんは乳児院に通った。 保育士に教わりながらミルクをあげ、おむつを替え、泣けば抱っこした。一緒にいればいるほどかわいく、いとおしくなった。 年末年始は自宅で一緒に過ごすことを打診され、「大丈夫です。任せてください」と答えた。 年が明けて3月には、本格的に3人暮らしが始まった。 最初の半年は里親として育てる試験養育期間だ。問題があれば縁組話はなくなる。 暮らし始めてまもなく、息子が突発性発疹で熱を出した。医院に連れていったが、熱が下がらない。ミルクも果汁も飲んでくれない。 俊治さんが「乳児院に連れていこう」と言った。 だが、直美さんはためらった。「任せてください」と言ったのに、弱音を吐いたら、だめな親だと思われてしまう。「親として失格。もう子どもは返して」と言われてしまう。そう思ったからだ。 一睡もせずに看病して、朝方、俊治さんの車で乳児院へ向かった。 引き離されることを覚悟した直美さんに、職員が「お母さん、精いっぱいがんばってくれましたね」と笑顔で言った。 ほっとした瞬間、どっと涙があふれた。抱え込まずにSOSを出すことの大切さを、かみしめた。 「いつ言う?」告知のタイミングに苦悩 息子が1歳の時に縁組は成立した。 3歳になるころ「きょうだいがいるといいね」と夫婦で話し、まもなく生後3カ月の女の子と縁があった。 家族4人の生活が始まってまもなく、次の課題がもちあがった。 生みの親がいることを伝える「真実告知」だ。 「3歳までに告知しましょう」と言われていた。 子どもがいとおしいからこそ、直美さんは「私が産んだ」と錯覚しそうになっていた。 二人とも赤ちゃんのころから一緒にいる。縁組後半年もしたら児相の家庭訪問もない。 「言わなくても、どうにかなるんじゃないか」。そんな思いにとらわれた。 だが、俊治さんが「真実は分かるんだよ」と言った。 戸籍や住民票に記録は残る。いきなり乳児がきたことを近所の人も知っている。一生懸命育てても最後に「うそをついた」と言われたら、どうなるか――。 「真実は隠し通せない。伝えても崩れない親子関係をつくっていくしかない」 最初の告知は息子が4歳になる直前。リラックスした時がいいだろうと選んだのは、温浴施設の家族風呂だった。 なかなか言い出せず、「いつ言う、いつ言う?」と夫婦で目配せしているうちに、息子がのぼせてしまった。 あわてて直美さんが「○○に… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル