朝日新聞写真館 戦後、米軍に統治された沖縄の27年間は「アメリカ世(ゆー)」と呼ばれる。通貨はドル、車も米国式の右側通行で、本土との往来にもパスポートが必要だった。 50年前の5月15日午前0時、全島にサイレンと汽笛が鳴り響く中、沖縄は日本政府が統治する「ヤマト世」に復帰した。 政治、経済、生活様式を大き… この記事は有料会員記事です。残り231文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
【写真】サトウキビと米軍基地と 半世紀前、沖縄の子どものまなざし
朝日新聞写真館 子どもたちの声が響いた大型連休。 沖縄では1971年、米軍基地にあった毒ガス兵器の移送の合間に、子どもたちが路地を駆け回っていた。 夜な夜な米兵でにぎわう嘉手納基地周辺の歓楽街は、地元の子どもにとっては生活圏だった。 ある普天間高校の生徒による… この記事は有料会員記事です。残り252文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「待ちに待った祖国へ」復帰の喜び、雑誌につづった那覇の中学生は今
本紙の声欄には、沖縄に関する投稿も多く寄せられている。那覇市の呉我(ごが)愛子さん(64)は2020年10月、「半世紀にわたって交流を続ける県外のペンフレンドがいる」と投稿した。文通のきっかけは「沖縄の復帰が決定した喜びを子ども向け雑誌に投稿したこと」だという。 1970年の雑誌のコピー 復帰とは? 記者が自宅を訪ねると、大切に保管していた雑誌のコピーを見せてくれた。1970年6月、沖縄の返還が決まった約半年後だ。投稿にはこうある。「わたしたちの住んでいる沖縄が、1972年には返かんされることになりました。祖国へ帰るのです。待ちに待った祖国へ。どうぞみんな喜んでください」 これに対し、雑誌の編集部は「沖縄が日本に帰る、これは日本国じゅうみんなの願いでしたね」とのコメントを付けた。 沖縄 復帰50年に考える 朝日新聞の「声」欄に投稿いただいた人たちに、沖縄とのかかわりや思いについて聞きました。後半では、本土出身で、沖縄に向き合い続ける人も登場します。 当時中学1年生だった呉我さ… この記事は有料会員記事です。残り1472文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
【写真まとめ】50年前の5月15日 黒板に「きちはそのまま残る」
1972年5月15日。降り続く雨の中、沖縄は、本土復帰の日を迎えました。 「街は静かで、人通りも少なかった。当初あった復帰歓迎の熱気は失われていた。米軍基地が残ることや経済への不安が大きくなっていた」。当時、取材をしていたカメラマンの言葉です。 ベトナム戦争が激化する中、米軍基地からは、この日も、いつもと同じように米軍機が飛び立ちました。クラス別の討論会で、「復帰」について小学生が黒板に書いた「きちはそのまま残る」という不安は、いま、現実となってしまっています。 50年前の「復帰の日」。その前夜から、写真で振り返ります。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
独居の50代女性、自宅でコロナ療養中に死亡 山口
山口県は14日、新型コロナウイルスに感染し、自宅療養していた県内の50代の女性が死亡したと発表した。同県で自宅療養者の死亡が確認されたのは初めて。女性は基礎疾患があったという。 県健康福祉部によると、女性は10日、せきや全身の倦怠(けんたい)感などの症状を訴えて医療機関を受診し、陽性と判明。呼吸苦がなく、せきの症状も治まりつつあったことから、保健所は軽症で入院の必要はないと判断して、自宅療養を決定した。電話で説明し、女性も自宅療養を希望したという。 11日以降、経過観察のために保健所などが女性に電話をしたがつながらず、13日夕に保健所の職員が女性宅を訪問。応答がないため県警に通報し、駆けつけた警察官らが自宅敷地内で倒れている女性を発見した。すでに亡くなっていたという。女性は一人暮らしだった。(大室一也) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
救急搬送の0歳とみられる男児が死亡、皮下出血の痕 福岡・大野城
2022年5月15日 0時42分 14日午後4時ごろ、福岡市内の病院から、救急搬送されてきた0歳児とみられる男児が亡くなったと、福岡県警春日署に通報があった。 署によると、男児は、大野城市内の家族と暮らす自宅マンションから同日に救急搬送された。男児の体に皮下出血の痕が複数みられたことから、病院が通報したという。署は15日に司法解剖し、死因や事件性の有無を調べる。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
大量の血を洗い流したか、現場近くの路上に形跡 愛知の殺人事件
有料会員記事 良永うめか、東谷晃平、高橋俊成2022年5月14日 21時37分 愛知県知立市の道路脇の側溝から男性の遺体が見つかった殺人・死体遺棄事件で、現場近くの路上に血が洗い流された形跡があったことが県警の調べでわかった。県警は犯人が遺体の発見を遅らせるために洗い流したとみて調べている。 捜査本部によると、男性は同県岡崎市の無職三浦正裕さん(29)。三浦さんの遺体は11日朝、前輪が脱輪した状態で止まっていた車の下で見つかった。顔など上半身を中心に十数カ所の刺し傷があり、死因は失血死だった。 捜査関係者によると、車は三浦さんのもので、車内には血痕があった。車近くの路上にも大量の血が残っていた形跡があったが、洗い流されたとみられる。近くの用水路や鑑賞池から調達した水を使った可能性もあるという。いずれも三浦さんの血とみられ、捜査本部は三浦さんが車内で襲われた可能性もあるとみて殺害場所の特定を進めている。 これまでの調べで、遺体は毛布でくるまれ、遺体の上には金属製の側溝のふたのほか、土や草花が置かれていたことがわかっている。捜査本部は犯人が遺体の発見を遅らせるために重ねた工作だとみている。 なぜこんな目に――。殺害された三浦正裕さんを知る地元の友人たちは、突然の訃報(ふほう)に言葉を継げなかった。 13日昼、愛知県知立市の遺… この記事は有料会員記事です。残り839文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
ビルの隙間で発見の遺体、他殺か 身元は暴力団幹部 大阪・ミナミ
2022年5月14日 22時24分 大阪市中央区東心斎橋2丁目の雑居ビル敷地内で13日に見つかった男性の遺体について、大阪府警は14日、司法解剖の結果、死因は頭を強く打ったことによる頭部挫滅だったと発表した。死亡したのは今月8日ごろとみられ、府警は傷の状況などから他殺の可能性があるとみて調べている。 捜査関係者によると、死亡したのは同市天王寺区の関将孝・暴力団幹部(48)。関幹部は13日朝、飲食店などが入るビルの非常階段の下で見つかった。隣のビルとの約70センチの隙間に仰向けで倒れており、その場で死亡が確認された。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
山梨県警、当時の捜索「問題なかった」 女児の骨発見まで2年半以上
小学1年生だった小倉美咲さん(不明当時7)が行方不明になったのは2019年9月のこと。DNA型が一致した肩甲骨が発見されたのは、それから2年半以上が過ぎた今月4日だった。 美咲さんは19年9月、家族や友人の家族らと2泊3日で訪れていた山梨県道志村の「椿荘(つばきそう)オートキャンプ場」で、沢沿いの遊び場に向かったほかの子どもたちを追いかけて広場から離れた後、目撃情報が途絶えた。 警察、消防、自衛隊などが約2週間にわたり総勢約1700人で周辺の山中や沢、ダムなどを捜索したが見つからなかった。ボランティアも捜索していた。 母親ら家族も美咲さんの写真… この記事は有料会員記事です。残り400文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
山中の人骨、小倉美咲さんと断定 DNA型鑑定の結果 山梨・道志村
2022年5月14日 19時29分 山梨県道志村の山中で見つかった骨について、県警は、DNA型鑑定の結果、近くのキャンプ場で2019年に行方不明となっていた小学生の小倉美咲さん=千葉県成田市=と断定した。 骨は4月23日、ボランティアで捜索を続けていた男性が山中で発見し、同25日に県警に通報。県警がDNA型の鑑定を進めていたが、身元を特定できず、別の鑑定方法としてミトコンドリアDNA型鑑定をした結果、美咲さんの母方と血縁関係にあることに矛盾はないと発表していた。 県警は、ほかに見つかっていた骨についても、並行してDNA型鑑定を進めていた。 美咲さんは19年9月21日午後3時40分ごろ、母親のとも子さんらと訪れていたキャンプ場で、先に遊びに行った友人らを追いかけてテントを出た後、行方がわからなくなった。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル