北海道・知床半島沖で乗客・乗員計26人が乗った観光船「KAZUⅠ(カズワン)」が沈没した事故で、海上保安庁は28日、業務上過失致死容疑で船体を押収し、午後に運航会社「知床遊覧船」の桂田精一社長(58)の立ち会いのもと現場検証を行う。また、船内に取り残された行方不明者がいないか捜索を進める。 船体は27日に台船上に引き揚げられ、シートに覆われて網走港に到着。28日は船体の周囲に柱を立ててシートで覆う作業が進められた。船内の水を抜き、海底で詳しく見られなかった機関室などを中心に、行方不明者につながる手がかりがないか調べる。 海保は、事故を予測できたのに対策を怠り、事故で乗客らを死亡させたとする業務上過失致死容疑で、桂田社長と、行方不明になった豊田徳幸船長について調べている。 海保は捜査を本格化させるた… この記事は有料会員記事です。残り202文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
30歳目前、銀行員からスナックママに 北海道の小さな町に来た決意
30歳目前、銀行事務職の女性の転職先はスナックママ。それも北海道のど真ん中、人より飼育されている牛のほうがはるかに多い、新得(しんとく)町への移住だった。転職のきっかけからコロナ禍の逆境をくぐり抜けつつある現在までの3年間の物語の登場人物は、思いのほか多い。 人口約5500人、牛約3万6千頭の町の夜は寂しい。日が暮れると、JR新得駅近くの中心街は人通りが途絶える。シャッター通りで夜に開いている飲食店は数えるほど。 そんな一角に、スナック「F」はある。ママの中原綾奈さん(33)がこの物語の主人公だ。 この場所には以前、別のスナ… この記事は有料会員記事です。残り1343文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
出所した重信房子・元最高幹部が謝罪 支援者や街宣車集まり一時騒然
1970年代を中心に世界中でさまざまなテロ事件を起こした過激派グループ「日本赤軍」の重信房子・元最高幹部(76)が28日、懲役20年の刑を終えて出所した。収容されていた施設の近くの公園で報道陣の取材に応じ、「多くの人たちにご迷惑をおかけしたことをおわびします」と謝罪の言葉を述べた。 重信元幹部は日本赤軍の解散を宣言しているが、現在もメンバー7人が国際指名手配されており、警察当局が今後の動向を注視している。 重信元幹部はこの日午前8時前、弁護士らに付き添われ、東日本成人矯正医療センター(東京都昭島市)の正門から車の後部座席に乗って出所。黒の帽子を深くかぶってマスク姿で車から降りると多くの支援者や報道陣に取り囲まれ、近くでは街宣車が抗議活動するなど一時騒然となった。 その後、公園に場所を移して取材に応じ、「50年前の戦いで、人質をとるなど、みずしらずの無辜(むこ)の人たちに被害を与えたことがあった。おわびします。今後は病気の治療に専念します」などと話した。 「21年以上の獄中生活も、振り返ると、とても短かったようにすら感じられます」。記事の後半では、記者宛ての年賀状につづった元最高幹部の胸中を掲載しています。 日本赤軍は、60年代の学生… この記事は有料会員記事です。残り1216文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
明治用水ひとすじ30年の学者は見た 「田植えの遅れで2割減収も」
愛知県豊田市の取水施設「明治用水頭首工(とうしゅこう)」で起きた大規模漏水問題。この明治用水を約30年にわたって研究している名古屋大大学院の三浦聡助教(食料経済学)は、「田植えの時期がずれれば、計画が崩れるだけでなく、台風や気候の影響も受けやすくなる。少なくとも1~2割の減収が見込まれる」と指摘します。 問題の背景や、今後の復旧について、話を聞きました。 ――今回大規模な漏水を起こした明治用水頭首工ですが、さまざまな問題が指摘されています。 現在の頭首工が完成したのは1958年。補修はあったにせよ、60年以上経過した施設の「老朽化」はずっと前から指摘されていました。 みうら・さとし 1963年生まれ。名古屋大大学院生命農学研究科食料経済学研究室所属。大学院生だった1992年ごろから、明治用水管内の自治体や農家の調査、研究を続けている。主な研究テーマは、「農業・農村の地域資源管理手法に関する研究」。 頭首工の改築は、大型予算が必要であることに加え、水をせき止めて代替水路を用意しないと工事はできません。この施設は、農業、工業、上水を取水するための施設であり、難しい問題を抱えています。 農業用水路については、本線・支線の改修工事は破損や漏水などの発生に応じてやってきました。今回は、矢作川の本川から取水する施設での漏水。大規模に水が抜けるというのはあまり聞かない話です。 ――仮設ポンプの設置やほかの河川からの水のくみ上げなど、問題が起きてからの国や行政などの対応をどう見ますか。 「緊急避難的にこれしかない… この記事は有料会員記事です。残り1204文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「ナチスは良いこともした」という逆張り その根底にある二つの欲求
「ナチスは良いこともした」――。そんなSNSでの発言に対し、ナチズムを専門に研究する田野大輔さんは「間違っている」と指摘してきました。すると、自分が批判にさらされてしまう、という経験が田野さんにはあるそうです。なぜネット上にナチスを肯定的に捉える言葉が広がるのか。その背景について聞きました。 たの・だいすけ 1970年生まれ。甲南大教授。ファシズムを体験する講義が話題に。著書に「ファシズムの教室」など。 私が専門とするナチズムの領域には、「ナチスは良いこともした」という逆張りがかねてより存在します。絶対悪とされるナチスを、なぜそんな風に言うのか。私はそこに、ナチスへの関心とは別の、いくつかの欲求があると感じています。 ナチスを肯定的に評価する言動の多くは、「アウトバーンの建設で失業を解消した」といった経済政策を中心にしたもので、書籍も出版されています。研究者の世界ではすでに否定されている見方で、著者は歴史やナチズムの専門家ではありません。かつては一部の「トンデモ本」に限られていましたが、今はSNSで広く可視化されるようになっています。 それらが「良い政策」ではなかったことは、きちんと学べば誰でも分かります。たとえば、アウトバーン建設で減った失業者は全体のごく一部で、実際には軍需産業の雇用の方が大きかった。女性や若者の失業者はカウントしないという統計上のからくりもありました。でも、こうやって丁寧に説明しようとしても、「ナチスは良いこともした」という分かりやすい強い言葉にはかなわない。対抗するならば、「それ、ナチスが信じ込ませたかったストーリーだからね」ぐらいでしょうか。「ナチスを批判するならウイグル問題も批判しろ」と、悪を相対化しようとするのも、よくあるレトリックです。 ツイッターで私が「ナチスの政策で肯定できることはない」と発言すると、多くの反発がありました。私にナチスの「良い政策」を示し、「こんなことも知らないのか」とばかりにあざ笑う人もたくさんいました。そんな反応を見て、逆張りの根底にある二つの欲求に気づきました。 「逆張り」の根底にある欲求は、陰謀論や「歴史戦」にもつながっていると田野大輔さんは指摘します。かつてはドイツの人たちにも、そんな欲求が広がったことがあったそうです。 正しいことへの息苦しさ 一つは、「正しいこと」に縛… この記事は有料会員記事です。残り1093文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
デモクラシーが背中を押した 「職業婦人」が誕生、100年前の光景
朝日新聞写真館 100年ほど前、大正デモクラシーは女性の社会進出を後押しした。 女性事務員が増え始めたのは、東京駅前に丸ノ内ビルヂング(旧丸ビル)が完成した1923年ごろからと言われる。新しい職業と洋装が広がり、多くの女性が「職業婦人」と呼ばれて活躍した時代だ。 一方、女性に参政権が認められ、39人の女性衆院議員が誕生するのは戦後。46年4月10日の総選挙でのことだった。 ◇… この記事は有料会員記事です。残り184文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
祖父の闇いつか伝えたい、2児の母になったモデル知花くららさん
モデルの知花くららさん(40)は昨年、次女を出産し、2児の母親になりました。祖父から沖縄戦の体験を聴き、父からは最近、沖縄の本土復帰の歴史を聴き、自らの今の姿と重ね合わせています。「命はつながっている。遠い話とは思えないんです」。そう語る知花さんは、沖縄のことを伝える難しさを感じてもいます。 ――復帰50年を迎えた今月、沖縄に帰省されていたそうですね。 「はい。半年ぶりに実家に帰りました。子どもの頃に買い物したり遊んだりした国際通りにも行きました。おみやげ屋さんが増えましたね」 ちばな・くらら 1982年、那覇市生まれ。2006年、ミス・ユニバース世界大会で準グランプリを獲得。モデルのほか、07年から国連世界食糧計画の活動を続けていた。 ――沖縄が本土に復帰して50年となりました。どう感じていますか。 「復帰のことを考えてみようと父に聴いてみたんです。当時中学生だった父は復帰の日の5月15日、(那覇市の)与儀公園であった(米軍基地が残ったままの)復帰に抗議する集会に、先生に引率されて参加したそうです。いろんな話を聴きましたが、『50年、まあ何も変わっていないよね』と淡々と言いました。 私は復帰から10年後に生まれましたが、子どもの頃は少し前まで沖縄がアメリカだったとは信じられませんでした。ただ、祖父母は今の那覇市・新都心で自転車店を営んでいて、すぐ近くに米軍の住宅地がありました。私が沖縄にいた頃はまだ返還されておらずフェンスが張られている状態で、中に入れなかった。その景色が私の小さい頃の記憶としてすごく残っています」 ――今は返還され、跡地として栄えています。 「沖縄は、基地と経済がすご… この記事は有料会員記事です。残り1183文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
記者宛ての年賀状につづった胸中 日本赤軍元最高幹部、28日出所へ
「21年以上の獄中生活も、振り返ると、とても短かったようにすら感じられます」 今年1月、記者の元に1枚の年賀状が届いた。差出人は「重信房子」とある。1970年代を中心に、世界中でさまざまなテロ事件を起こした過激派グループ「日本赤軍」の元最高幹部だ。 年賀状には「命をつなぎ出所出来そうです」とも書かれていた。5月28日、76歳になった重信受刑者が懲役20年の刑を終えて出所する。 いまだ逃亡中のメンバーへの影響など、重信受刑者の出所後の動向は捜査当局が注視する。日本赤軍は自ら解散を宣言しているが、過去の数々の事件に対してどんな思いでいるのか。記者は、逮捕から20年の節目にあたる2020年秋から関係者らへの取材を進めてきた。 便箋にびっしり並べた文字 同年11月、重信受刑者の近況を取材した記者に対し、弁護人を務めた大谷恭子弁護士から、大谷弁護士に宛てた便箋(びんせん)7枚の手紙の写しを受け取った。 そこにはびっしりと小さな文字が並んでいた。 手紙ではまず、大阪で逮捕さ… この記事は有料会員記事です。残り1213文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
多様な意見、歴史もつ沖縄 からまる糸の束を貫く芯とは
記者コラム 「多事奏論」 編集委員・谷津憲郎 堅苦しい式典のひとコマに、世相が映し出されることがある。かつて赴任した沖縄で、何度かそんな場面があった。 2017年の慰霊の日。安倍晋三首相が演壇に進む。その一瞬に浮かんだ、翁長雄志知事の射すくめるような視線を覚えている人は少なくなかろう。 10年前の復帰40年の式典では、地元出身の上原康助・元衆院議員が「なぜ(日米)両政府とも沖縄県民の切実な声をもっと尊重しないのですか」と熱弁をふるった。持ち時間をオーバーする長広舌にもかかわらず、会場から大きな拍手がわき上がった。 沖縄が復帰して50年がたった。 これまでの歩みを総括し、未来につなげる。歴史の節目だ。だが今回の式典は、いささか拍子抜けだった。 国土面積の0・6%の沖縄に全国7割の米軍専用施設が集まる。その構図について岸田文雄首相は「大きな基地負担」と言い、玉城デニー知事も「過重な基地負担」と言った。だがどちらも、米軍普天間飛行場の辺野古移設には触れず、対決を避けた。天皇陛下のおことばにあった「沖縄には、今なお様々な課題が残されています」というくだりのほうが、言葉に込められたものを想像させ、かえって胸に響いた。 会場は空席も目立った。沖縄の潮目は変わりつつあるのだろうか。 県民に聞いたこんなデータが… この記事は有料会員記事です。残り953文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
南海高野線の特急が料金不要の通勤電車に 脱線で車両使えず
松永和彦2022年5月27日 19時38分 27日午前0時20分ごろ、和歌山県橋本市の南海電鉄小原田(おはらた)車庫で、回送中の特急電車(4両編成)が脱線した。乗務員にけがはなかった。 南海によると、電車は高野線の特急「こうや」「りんかん」に使われる30000系。特急用車両はほかに2編成があるが、影響でともに車庫から出せなくなった。復旧のめどがたっておらず、南海は少なくとも29日まで特急「こうや」「りんかん」を全席自由席の通勤車両で運転し、特急料金は徴収しない。 南海によると、脱線した電車は営業運転を終え、回送で27日未明に車庫に入った。構内の留置線へ移動させる際、運転士が赤信号を見落として前進したため正しく切り替わっていなかったポイントを壊した。さらに損傷に気づかず電車を後退させたため、4両中2両が脱線したという。(松永和彦) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル