山梨県立農林高校(甲斐市西八幡)の生徒たちが授業の一環として製造したワインが完成した。20日、生徒たちが自ら店頭に立ち、販売した。 商品名は作った生徒たちの年齢にちなんで「17ans」(ディセタン)。フランス語で「17歳」を意味する。県産ブドウを使って同高の施設内で醸造し、白、赤、ロゼの3種類をそろえた。 同高は「ワイン王国の次世代の人材を育てよう」と2020年に果実酒試験醸造免許を取得。食品科学科の約30人を対象にワインの製造から販売までを学ぶ授業をスタートさせた。 経験が必要な発酵作業などは、県内のメーカー岩崎醸造で研修を受けた教員が指導。瓶詰めや包装まで生徒が手がけて700本を製造した。 開店前から行列、120本が40分で完売 発売日の20日は、生徒4人… この記事は有料会員記事です。残り357文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
ネオン街に響く「NO WAR」 バンドマンに宿るスナオさんの心
広島市にある西日本有数の繁華街・流川。夜になると、飲食店のネオンが光り、酔客が行き交う。 4月上旬の土曜日。まちの外れにあるライブハウスは熱気に包まれていた。3組のバンドが、ある目的のために集まった。 30平方メートルほどの狭いホールで、照明が赤、青、緑と数秒ごとに切り替わる。体に振動を与えるほどの爆音が、地鳴りのように響く。 3人組のハードコアパンクバンド「AXE HELVETE」(アックス・ヘルベート)の演奏が始まった。 胸まで伸びた金髪に黒い革ジャンを着たヤマザキ(49)がギターをかき鳴らす。約20人の客は、グラスを片手に体を揺らしている。頭を前後に激しく振るヘッドバンギングを繰り返す客もいる。 12分後。ヤマザキはギターを置き、語り出した。 「ロシアによる戦争を今すぐやめてほしい。広島と長崎は武力で被害を受けた。核共有とか言ってる政治家もいるけど、外国人なら殺していいの? 日本人だけ助かればいいとか、まじありえねえ」 ボーカル兼ギターのマサキ(37)も続く。 「何か難しいことわかんねーっすけど、戦争ってこんな感じでいきなり始まっちまうんだって……。戦争はいらねえ、核なんかぜってぇいらねえ。NO WAR!」 反戦――。それが、ライブのテーマだ。 主催したのは、広島市中区で約30年間レコード店を営んできた大小田(おおこだ)伸二さん(56)。自身もパンクバンドでボーカルを務め、GUY(ガイ)という芸名で活動する。 大小田さんが反戦をテーマにライブを開いた理由は、ある被爆者との12年にわたる交流があった。 坪井直(すなお)さん。国内外で核廃絶を訴え、「ヒロシマの顔」と呼ばれた。 不良仲間と夜遊びを繰り返し、高校を中退した大小田さん。40代で出会った被爆者の言葉から、あることに気づかされます。ライブの終盤、大小田さんはウクライナとロシア、ヒロシマをつなぐ驚きのゲストを用意していました。 大小田さんは広島市で生まれ… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
どんな料理にも合う不思議なスパイス 「苫小牧味」の秘密とは
北海道苫小牧市が「ご当地スパイス」を作った。これをかけると、どんな料理でも「苫小牧味」になるのだという。そこには、ご当地グルメの壁を乗り越えたいという、苫小牧の人たちの熱い思いがこもる。 まるでれんがを削ったかのような赤茶色の粉末が、3月に完成したばかりの「苫小牧クラフトスパイス」。鼻を近づけると、アジアの香辛料のような特有の香りが感じられる。 なめるとまず塩っ気がくる。その後うまみを感じ、しばらくするとピリッとした辛さが。スパイス系の調味料といった感じだ。 独特のスパイスが使われた料理が味わえるのは、野鳥の飛来地として知られる苫小牧市の観光名所、ウトナイ湖にある道の駅。施設内の「ラポ・ラポラ食堂」の券売機前には「スパイス大作戦」というのぼりが立つ。 ご飯にふりかけただけでも…… スパイスを使うメニューはカレー。ただしルーではなく、ご飯の上にかかっている。スパイスが乗ったご飯だけを食べても、塩っ気とうまみがご飯とよく合う。 さらにルーと一緒に食べると、カレーにスパイスの風味が加わり、ちょっとぜいたくな雰囲気に。クセになりそうな味だ。 スパイスを生み出したのは… この記事は有料会員記事です。残り1496文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
大阪の魅力を伝えたい、ひとり飲み動画を配信 れいランランさん
関西ゆかりのインフルエンサーはどんな人? どんなことを考えて投稿しているの? 最近、思っていることは? そんな、こんなを、主にユーチューブで活躍する、れいランランさんにお聞きしました。 大阪をメインに、関西圏でのひとり飲み動画をユーチューブにアップしている。 動画の配信を始めたのは2018年。当時、百貨店でアクセサリーの販売員をしていた。海外からの客も多く、「何か海外向けに発信をしたい」と考えるようになった。 だが、英語は話せない。自分には何が発信できるのか。昔から食べること、飲むことは大好きだった。好きなことを生かしてできることはないか、ユーチューブの動画を「研究」した。 もともと大食い系動画が好き… この記事は有料会員記事です。残り557文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
浅草三社祭、3年ぶりに宮神輿3基が巡行 戻る活気、担ぎ手は厳選
浅草神社(東京都台東区)の三社祭が22日に最終日を迎え、宮神輿(みこし)3基の巡行が3年ぶりにあった。新型コロナウイルスの影響で2020年から規模を縮小したり、中止したりしてきたが、密にならないように担ぎ手を絞り、台車に載せて町内を練り歩いた。 午前7時、3基を境内から担ぎ出す「宮出し」も3年ぶりに実施した。例年は1基につき数百人規模になる担ぎ手を約100人に絞り、ワクチンを3回接種済みか、19日以降のPCR検査で陰性が確認されるなどの参加条件を課した。 午前8時から3基を台車に載せ、連なる形で町内を巡行。担ぎ手は十数人規模に絞り、担いでいる雰囲気が出るよう、氏子らが担ぎ棒を肩に当てるなどして巡った。 三社祭は約700年の歴史が… この記事は有料会員記事です。残り83文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
Aaron Wilkerson pitches Tigers past Giants
Nishinomiya, Hyogo Pref. – Aaron Wilkerson won a pitchers’ duel against fellow new import Matt Shoemaker as the Hanshin Tigers earned a 2-1 victory on Saturday over the Yomiuri Giants, who dropped out of the Central League’s top spot. Wilkerson (3-2) threw seven scoreless innings, allowing three hits and a […]
筆止まった「宝島」、沖縄の物語を書いて変わった内面 真藤順丈さん
平成最後の直木賞受賞作「宝島」は、沖縄が米軍に統治された1952年から72年の日本復帰までを描いた小説です。著者の真藤順丈さん(44)はいま、その続編を書いています。沖縄にルーツのない真藤さんが、なぜ沖縄に向き合い続けるのか。「沖縄は戦後日本の原点であり、原風景のように親しめる場所であって欲しい」。そんな願いにたどり着くまでには、多くの葛藤がありました。 しんどう・じゅんじょう 作家。1977年、東京都生まれ。2008年に「地図男」でデビュー。18年に出版した「宝島」が山田風太郎賞を受賞。19年には直木賞に選ばれ、講談社によると、文庫と合わせた発行部数は累計42万部。他に「RANK」「墓頭」などの作品がある。 ――2008年のデビュー以来、数多くの小説を発表してきました。「宝島」で沖縄を舞台にしたきっかけは何でしょうか。 「近現代を舞台にした小説を書いていると、アメリカとの関係、戦争の記憶、自然破壊、中央と地方との関係など、重要ないくつものアジェンダを突きつめた先に、いつも沖縄にたどりつきます。かつてそこでは、住民を巻きこんだ地上戦があり、戦後は米軍に占領され、その後日本に復帰しても基地負担は変わっていない。沖縄が向き合っている問題は、実際は日本に暮らす人すべてが直面している問題であるはずなのに、それがなかなか身近な手ざわりで『自分事』として感じられない。この事実を、長編小説を書きながら自分なりに咀嚼(そしゃく)してみたいという思いがありました」 小説「宝島」のタイトルや主人公に込めた思いは ――米軍基地から食料や物資を奪う「戦果アギヤー」を主人公にしたのはなぜですか。 「最初は、琉球警察を書こうと考えました。警察小説となると事件がいる。統治下で起こった事件を調べるうちに、戦果アギヤーの存在を知りました。基地や軍事施設から食料や物資を奪い、それを生活の糧として生き抜いていた。生きることが最優先課題なので、決して死んではいけない。ここから沖縄の『ぬちどぅ宝(命こそ宝)』という言葉を想起し、小説のタイトル『宝島』につながります」 記事の後半では、沖縄を描くことへの葛藤、それを乗り越えるために真藤さんが沖縄に足を運んで重ねたことなど、小説「宝島」を書き切るまでの作家の苦悩を明かします。沖縄と向き合うことで、真藤さんの内面も少しずつ変わっていったと語ります。 ――「宝島」というタイトルにどんな思いを込めたのですか。 「奪われた土地や資材をみず… この記事は有料会員記事です。残り3081文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
ファイルのアップに格闘1時間 デジタル化、相談所に教員の悩み続々
児童生徒に1人1台配られている情報端末のトラブルや、システム設定の対応にあたる「GIGA(ギガ)スクール運営支援センター」事業が全国の自治体で始まった。現場を訪ねると、効果的に端末を使いたい教員の要望に、丁寧に応じるスタッフの姿があった。教育現場のデジタル化が急速に進み、継続的にサポートする役割は大きいようだ。 茨城県笠間市の山あいに立つ「県教育研修センター」の一室に2人の女性が詰め、パソコンのモニターに向かう。「カレンダー機能を教科や学年ごとに分けて共有したい」「YouTubeが閲覧できない」……。モニターに映し出される管理表には、学校からの問い合わせ内容が書き連ねられている。 県教育委員会が今年度から始めたGIGAスクール運営支援センター事業。IT業者に委託して設けたヘルプデスクで、県立の高校や特別支援学校から寄せられるパソコンやネットワークに関する相談やトラブルを受け付ける。 運営支援センター専用ホームページ(HP)の問い合わせフォームに教員らが困りごとを書き込むと、センターの端末にメールで届く。パソコンやタブレット、アプリの操作などであればスタッフが対応し、修理やネットワークのトラブルなら専門の業者につなぐ「ワンストップ」の対応が売りだ。 約1カ月で寄せられた相談は約30件。「高度な機器の取り扱いから、初歩的なものまで様々」とスタッフの椎木菜穂子さん(42)は言う。印象的だったのは、体の不自由な人が視線を移動させることで文字入力などができる海外製の機器が動かないというトラブルだった。相談主は特別支援学校の教員。椎木さんが直接メーカーに問い合わせ、英語のメールでやり取りを重ねて解決に導いた。 逆に、「教材ファイルがアップできない」というトラブルに対しては、オンライン会議システムを使いながら、相談を寄せた教員と1時間近くにわたって格闘。容量の軽いダミーファイルを試してみると、簡単にアップできた。上げようとした教材のデータが重すぎた、という単純な原因だった。 「どう分かりやすく丁寧に対… この記事は有料会員記事です。残り977文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
10歳の時に描いたスカイツリー いまはわたしの道しるべに
彼女はいつも、つらいときには東京スカイツリーを見上げる。すると、ツリーはいつも勇気を与えてくれるという。「私のスカイツリーも、こんなふうに誰かを励ましているのかも」。この9年間、そう思うたび、不思議と笑みを浮かべている自分に気づく。 2013年の初夏。東京スカイツリーは地元の東京都墨田区内の小学生に、「明るい未来」をテーマに新しいライティングデザインを募集した。当時、両国小学校の5年生だった道上可彬さん(19)の作品が代表に選ばれた。 「明花」と名付けた、黄緑、緑、黄色、だいだい色などでまとめたデザインだった。同年8月下旬から半月の間、彼女のデザインをまとったスカイツリーが東京を照らした。 記録が残っていないのだが、採用されたライトアップは当初、ひと夏だけツリーを彩る予定だったようだ。しかし、東京スカイツリーの運営会社は、彼女のデザインへの思いに心動かされた。 コロナに奪われた夢 見上げたスカイツリーツリーは…… 応募用紙に、こう記されていた。 《これは、花を表しています… この記事は有料会員記事です。残り673文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
ポン菓子?いや北海道では「ドン菓子」です 伝統守る伝道師の技
北海道十勝地方の小さな町の一角で、毎日「ドーン!」という大きな音がとどろく。コメ、マメ、トウモロコシを自在にあやつる「ドン菓子の伝道師」が、今日もその太い腕で、ハンマーを打ち下ろしている。 全国的には「ポン菓子」の名前で知られるが、北海道ではその爆発音さながらにドン菓子と呼ぶことが多い。コメなどの穀類を釜の中で熱しながら圧力をかけ、一気に開放することで膨らませ、水あめなどをからめて食べる昔ながらのお菓子だ。 熱した圧力釜のフタは、ハンマーで機材を勢いよくたたいて開ける。この時に大きな爆発音がして、出来上がった菓子が一気に噴き出す。 北海道本別町の中心市街地で今日もドン菓子の機械に向き合うのが、つしま商店の対馬憲二さん(68)だ。本別の地名はアイヌ語で小さい川を意味する「ポンペッ」が由来。そんな「ポン」にもゆかりの深い町で、ドン菓子作りに励んでいる。 コンビニから一転、ドン菓子作りに 関東や札幌で過ごしていたが、家業だった食料品店を継ぐため、1990年代に本別に戻ってきた。その後、店をコンビニエンスストアに衣替えしたが、町内に大手のチェーン店が進出すると経営は一気に苦しくなった。「このまま続けていても難しい」と悩む日々だった。 転機は約20年前、近くの町… この記事は有料会員記事です。残り2224文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル