米軍の戦闘機=沖縄県嘉手納町 戦火のなかでふるさとを追われるウクライナの人たちの映像が連日、ツイッターやテレビを通じて流れてくる。世界に関心を持ち続けてこられなかった自分を恥じながら、同時に、この十数年に出会った何十人もの方たちの顔を、その壮絶な体験とともに思い出している。 逃げ惑うなか、8カ月の長女ら家族を次々と奪われた安里要江さん、兵士の看護役として17歳で戦場に送り込まれ、多くの友を失った島袋淑子さん、家族を手にかけ、十字架を背負って生きてきた金城重明さん。戦死した学友たちのため、あの戦争の意味を問い続けた元知事の大田昌秀さん……。 復帰50年を考える、復帰50年を伝えるとはどういうことか。コロナ禍に入った2020年春に2度目の沖縄に赴任して以来、考えを巡らせてきた。安保や経済、貧困、芸能、スポーツ。テーマや切り口は実に広く、21年春から同僚たちと様々な試みを続けている。 復帰を考えるために心に留めておかなければならない一つはやはり、沖縄戦だろう。日本復帰までの米軍占領の始まりがここにあるというだけでなく、日本という国が沖縄をどのように位置づけていたのか、その結果が何をもたらしたのかを知ることは本土と沖縄の関係、復帰50年を迎える日本のありようを考えるうえで欠かせない。このような大前提を確認したうえで、私は、復帰を考えるもうひとつの原点について書いてみたい。 「長い長い占領は終った…」 ちょうど70年前の4月28日。サンフランシスコ講和条約発効によって、日本は独立を果たす。その当時、広く読まれた文章は次のように始まった。 《占領は終った。六年八カ月間の長い長い占領は終った……独立への新しい幕が開いた》 約800字の文章は、占領中の国民生活を振り返りながらこう続く。 《何といっても幸いだったこ… この記事は有料会員記事です。残り9669文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
沖縄の米兵、酒気帯び運転容疑で逮捕 「酒抜けたと思った」容疑否認
2022年5月15日 18時08分 沖縄県警は15日、米陸軍トリイ通信施設(読谷村)所属の特技兵スティーブン・ウィリアムス容疑者(23)を道路交通法違反(酒気帯び運転)の疑いで現行犯逮捕し、発表した。「ビールは飲んだが、眠ったのでアルコールは抜けたと思っていた」と容疑を否認しているという。 那覇署によると、ウィリアムス容疑者は15日午前6時15分ごろ、那覇市内の道路で、酒気を帯びた状態で車を運転した疑いがある。パトロール中の警察官が、道路の端に寄って走行していたウィリアムス容疑者の車を見つけた。調べたところ、呼気から基準値の約1・6倍のアルコールが検出されたという。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
Japon : à Okinawa, le sentiment identitaire ne faiblit pas
Une stèle en hommage aux victimes de la bataille d’Okinawa, à Itoman, en juin 2015. HIROKO HARIMA / AP Assis sur le bord du quai du petit port d’Aharen, à Tokashiki, île de l’archipel de Kerama, au large de Naha, un pêcheur âgé croque une pomme face à la mer. […]
両陛下、復帰50年式典にオンライン出席 「豊かな未来が沖縄に」
天皇、皇后両陛下は15日、東京と沖縄で同時開催された沖縄復帰50周年記念式典にオンラインで出席した。天皇陛下は、沖縄に思いを寄せてきた上皇ご夫妻の姿勢を継承。沖縄の人々の多くの苦難を「決して忘れてはならない」として、思いを寄せ続けている。 「今後、若い世代を含め、広く国民の沖縄に対する理解が更に深まることを希望するとともに、今後とも、これまでの人々の思いと努力が確実に受け継がれ、豊かな未来が沖縄に築かれることを心から願っています」 皇居・御所から出席した陛下は、沖縄には今もなお「様々な課題」が残されているとし、こう続けた。 疎開経験のある上皇ご夫妻は沖縄を繰り返し訪れ、戦没者を慰霊。戦争の傷痕や人々の苦しみに向き合った。昭和天皇の戦争責任を問う声が根強い中、皇太子ご夫妻時代の1975年の初訪問時に過激派から火炎瓶を投げられたが、上皇さまは「この地に心を寄せ続けていく」と談話で宣言。戦後50年の「慰霊の旅」などを含め、退位までにご夫妻で計11回訪れた。 上皇さまは天皇としての最後の誕生日を前にした会見で、「沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは、これからも変わることはありません」と発言。戦後の平和と繁栄が多くの犠牲と国民のたゆみない努力で築かれたことを忘れず「戦後生まれの人々にもこのことを正しく伝えていくことが大切」と述べた。 陛下や秋篠宮さまは幼少期からご夫妻を通じて沖縄の歴史や文化を学んだ。ご夫妻はお子さま方を同席させ、沖縄から訪れた「豆記者」と呼ばれる学生と交流。6月23日の「沖縄慰霊の日」などに黙禱(もくとう)を捧げてきた。上皇さまが即位後は陛下や皇后さまが豆記者と交流し、2016年には愛子さまも加わってバレーボールを楽しんだ。代替わり後は秋篠宮ご夫妻が引き継いだ。19年の懇談には悠仁さまが初めて出席した。 陛下はこれまでに沖縄に5回足を運んだ。2010年に皇太子時代の陛下が沖縄県立博物館・美術館を訪れた際、館長として案内した元同県副知事の牧野浩隆さん(81)は「沖縄に対する知識や思いをお持ちで、豊かで平和な国家運営に関心を持たれていることに感動した」と話す。 陛下は戦後70年にあたる15年の誕生日前の会見で「戦争の記憶が薄れようとしている今日、謙虚に過去を振り返るとともに、戦争を体験した世代から戦争を知らない世代に、悲惨な体験や日本がたどった歴史が正しく伝えられていくことが大切であると考えています」と述べた。即位前、戦没者慰霊の話題が出た際には戦争を知らない世代だからこそ、風化させないよう一層意識的になる必要性を皇室関係者らに示したという。今年2月の誕生日に先立つ会見では、沖縄の人々が多くの苦難を乗り越えてきたことを「決して忘れてはならない」と述べている。 側近は「両陛下には現地を訪れたいお気持ちが当然おありだ」と話す。10年に国立沖縄戦没者墓苑で陛下を出迎えた元糸満市長の上原裕常さん(73)は「足を運んでいただくことで沖縄の実情を見ていただき、県民の思いを理解していただければ」と期待する。豆記者を十数回引率した川満茂雄さん(75)は陛下が戦後生まれで、沖縄県民も世代交代が進んでいることに触れ、「上皇ご夫妻の平和に対するお気持ちは大切にされつつも、全てをまねされる必要はない。ご自身のお考えや新たな視点で県民とご交流いただければ」と話す。(多田晃子) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
復帰式典で岸田首相、玉城知事があいさつ 共に「辺野古」には触れず
沖縄の日本復帰50年を記念する15日の式典で、岸田文雄首相と玉城デニー知事があいさつに立った。会場は、移設問題を巡って政府と沖縄県が対立する米軍普天間飛行場に近い沖縄コンベンションセンター(沖縄県宜野湾市)。だが、ともに移設問題には触れなかった。 岸田首相は、戦後27年間にわたり米軍統治下に置かれた沖縄が日本に復帰したことについて、「戦争によって失われた領土を外交交渉で回復したことは史上まれであり、日米両国の友好と信頼によって可能になったものだ」と強調した。 アジアの玄関口に位置する沖縄は「国際的な交流拠点として大きな可能性を秘めている」と指摘。基地問題については、復帰から50年が経った今も在日米軍専用施設の7割が集中する沖縄の現状を取り上げ、「重く受け止め、基地負担軽減に全力で取り組む」と表明した。 続いて登壇した玉城知事は、復帰後は5次にわたる沖縄振興(開発)計画などで「本土との格差は縮小され、社会経済は着実に進展した」と述べた。 一方、全国平均の水準に届かない県民所得など「自立型経済の構築は道半ば」と指摘。米軍基地が集中する状況が続いていることには、「本土復帰にあたって県と政府が共有した『沖縄を平和の島にする』との目標は、なお達成されていない」として、「沖縄の本土復帰の意義と恒久平和の重要性」が国民全体で共有されるよう、政府に取り組みを求めた。(藤原慎一) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「怖いときは小鳥のように…」 堀江謙一さん、洋上から子どもと交信
小型ヨットで米サンフランシスコから単独無寄港太平洋横断に挑んでいる海洋冒険家の堀江謙一さん(83)と、大阪府池田市の子どもたちが15日、アマチュア無線で交信した。 堀江さんは日本最東端の南鳥島をすでに通過した。地元のカブスカウトの隊員ら、小学生から高校生までの6人は「何を食べていますか」「雨の日はどうしていますか」などと質問した。堀江さんは一人ひとりの名前を呼びながら丁寧に回答した。 「怖くなったときは」との問いに堀江さんは「キャビンの中で小鳥のように震えています」と答え、みんなを笑わせた。中学1年の高橋優介さん(12)は「どことつながるか分からないのが無線の楽しさ」と話した。 堀江さんが60年前に初めて… この記事は有料会員記事です。残り147文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
Baseball’s streaming push leaves fans scrambling to find games
The dawn of the streaming era once promised a brighter future for sports fans, a blissful world of a la carte consumption in which everyone could break free of their overstuffed, overpriced cable subscriptions and pay only for what they really wanted to see. The reality, as baseball die hards […]
Shohei Ohtani joins MLB’s 100-homer club
Oakland, California – Los Angeles Angels two-way star Shohei Ohtani hit his 100th homer in Major League Baseball on Saturday, going deep with a two-run shot during a 9-1 doubleheader nightcap win against the Oakland Athletics. Ohtani, the reigning American League MVP, crushed a two-run home run into center field […]
Angels’ Shohei Ohtani joins MLB’s 100-homer club
Oakland, California – Los Angeles Angels two-way star Shohei Ohtani hit his 100th homer in Major League Baseball on Saturday with a two-run shot in the fifth inning against the Oakland Athletics. Ohtani became only the third Japanese player to achieve the mark, joining Hideki Matsui and Ichiro Suzuki in […]
「空を見たい」と泣いたウクライナの少女、77年前と重ねた被爆者
広島市安佐南区の津島休映(よしえ)さん(91)は、ここ2カ月間、テレビをつけるのをためらう日々が続いている。映し出される光景が、忘れたくても忘れられない77年前の記憶と似ているからだ。「ウクライナの人はどんなに怖くて、不安で、悲しいでしょう」 テレビでは、薄暗い地下室に避難しているウクライナの少女が「もう長い間、外に出られていない。空を見たい。太陽を見たい」と泣いていた。1945年、B29爆撃機の空襲を避けるため、防空壕(ごう)に駆け込んだ14歳の自分と重なった。 「私の夫はどこにいるの」と叫びながら、がれきの中を捜し歩くウクライナの若い女性もいた。77年前の夏、となりで被爆し、行方不明になった仲良しの上級生を捜す自分と一緒だった。 1945年8月6日。爆心地から約2キロの広島市尾長町(現・広島市東区)にある自宅から、市立第二高等女学校に歩いて向かっていた。 午前8時15分。猛烈な熱風… この記事は有料会員記事です。残り749文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル