広島への原爆投下から77年がたった6日、広島市であった平和記念式典では、広島市立幟町(のぼりちょう)小6年のバルバラ・アレックスさん(12)と同市立中島小6年の山崎鈴(りん)さん(11)が「平和への誓い」を読み上げた。 ロシアの侵攻で、ウクライナ各地で戦闘が続く。バルバラさんは「今この瞬間も、日常を奪われている人たちが世界にはいます」。山崎さんは「本当の強さとは、違いを認め、相手を受け入れること」と述べ、「本当の強さを持てば、戦争は起こらないはずです」と訴えた。 2人は最後に「平和な景色が映し出される未来を創(つく)るため、私たちは、行動していくことを誓います」と声を合わせた。 イタリア出身のバルバラさんは取材に「今は戦争の悲惨さを知るとき。いろんな国に届くように発信したい」、米国で5年ほど暮らした山崎さんは「一人でも多く平和について考えてもらいたい」と話した。(黒田陸離) こども代表「平和への誓い」 あなたにとって、大切(たいせつ)な人(ひと)は誰(だれ)ですか。 家族(かぞく)、友(とも)だち、先生(せんせい)。 私(わたし)たちには、大切(たいせつ)な人(ひと)がたくさんいます。大切(たいせつ)な人(ひと)と一緒(いっしょ)に過(す)ごす。笑(わら)い合(あ)う。 そんな当(あ)たり前(まえ)の日常(にちじょう)はとても幸(しあわ)せです。 昭和(しょうわ)20年(ねん)(1945年(ねん))8月(がつ)6日(か) 午前(ごぜん)8時(じ)15分(ふん)。 道(みち)に転(ころ)がる死体(したい)。 死体(したい)で埋(う)め尽(つ)くされた川(かわ)。 「水(みず)をくれ。」「水(みず)をください。」という声(こえ)。 大切(たいせつ)な人(ひと)を一瞬(いっしゅん)で亡(な)くし、当(あ)たり前(まえ)の日常(にちじょう)や未来(みらい)が突然(とつぜん)奪(うば)われました。 あれから77年(ねん)経(た)ちました。 今(いま)この瞬間(しゅんかん)も、日常(にちじょう)を奪(うば)われている人(ひと)たちが世界(せかい)にはいます。 戦争(せんそう)は、昔(むかし)のことではないのです。 自分(じぶん)が優位(ゆうい)に立(た)ち、自分(じぶん)の考(かんが)えを押(お)し通(とお)すこと、それは、強(つよ)さとは言(い)えません。 本当(ほんとう)の強(つよ)さとは、違(ちが)いを認(みと)め、相手(あいて)を受(う)け入(い)れること、思(おも)いやりの心(こころ)をもち、相手(あいて)を理解(りかい)しようとすることです。 本当(ほんとう)の強(つよ)さをもてば、戦争(せんそう)は起(お)こらないはずです。 過去(かこ)に起(お)こったことを変(か)えることはできません。 しかし、未来(みらい)は創(つく)ることができます。 悲(かな)しみを受(う)け止(と)め、立(た)ち上(あ)がった被爆者(ひばくしゃ)は、私(わたし)たちのために、平和(へいわ)な広島(ひろしま)を創(つく)ってくれました。 今度(こんど)は私(わたし)たちの番(ばん)です。 被爆者(ひばくしゃ)の声(こえ)を聞(き)き、思(おも)いを想像(そうぞう)すること。 その思(おも)いをたくさんの人(ひと)に伝(つた)えること。 そして、自分(じぶん)も周(まわ)りの人(ひと)も大切(たいせつ)にし、互(たが)いに助(たす)け合(あ)うこと。 世界中(せかいじゅう)の人(ひと)の目(め)に、平和(へいわ)な景色(けしき)が映(うつ)し出(だ)される未来(みらい)を創(つく)るため、私(わたし)たちは、行動(こうどう)していくことを誓(ちか)います。 令和(れいわ)4年(ねん)(2022年(ねん))8月(がつ)6日(か) こども代表(だいひょう) 広島市立(ひろしましりつ)幟町(のぼりちょう)小学校(しょうがっこう)6年(ねん) バルバラ・アレックス 広島市立(ひろしましりつ)中島(なかじま)小学校(しょうがっこう)6年(ねん) 山崎鈴(やまさきりん) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
橋の崩落現場近くで車を発見、大雨で不明の車両か 人は見当たらず
須田世紀、三井新2022年8月6日 19時30分 3日からの記録的な大雨で山形県飯豊(いいで)町の大巻橋が崩落し、通行中の車が川に流された現場付近で6日、車1台が見つかった。県警によると、行方不明となっている車と特徴がほぼ一致しているという。当時、車には男性1人が乗っていたとみられ、県警が行方を捜している。 車の中に人は見当たらず 県警によると6日午前10時50分ごろ、県道の大巻橋から数百メートル下流の川岸で、車が土砂に埋まっているのを県警と消防の合同捜索隊が見つけた。重機で引き上げたところ、車内に人は見当たらなかったという。 3日午後、橋が崩落し、車1台が流されたとの110番通報があった。その後、町内に住む男性の行方が分からなくなっているとして家族から捜索願が出されていた。(須田世紀、三井新) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「10万票を切ることはない」 旧統一教会が支えた安倍派候補
東日本に住む40代の女性は、「世界平和統一家庭連合」(旧統一教会)の2世信者。教団の合同結婚式で結婚した両親と、信者ばかりが暮らすアパートで育った。日曜は礼拝に行き、10代のころには韓国での修練会に参加したこともある。家には両親が教団から買った「壺(つぼ)」があった。 今年の参院選の投開票日を3日後に控えた7月7日。女性のスマートフォンにメッセージが届いた。 「祈・当選!井上よしゆき先生 政界に必要な人」 「井上候補はサタン側勢力と戦っています」 教団の熱心な信者から、比例区から立候補した自民党の井上義行氏への投票を呼びかける内容だった。女性は国政選挙のたび、親から指示された自民党候補に投票してきた。このときも疑問はなく、井上氏に投票したという。 井上氏は、旧国鉄職員から内閣府職員などを経て安倍晋三元首相の首相秘書官も務めた人物だ。2019年の参院選では約8万8千票の得票で落選したが、今回は2倍近い16万5千票で当選した。 「本部からは、20万票を目標に指示している。10万票を切ることはない」 参院選を前に、教団関係者は支援先である井上氏の当選に自信を見せていた。支持基盤が弱い候補者を当選させることが「うちの役割だ」という。 「前回と同じような票を」 安倍氏の答えは 16年の参院選では初当選した宮島喜文氏、19年参院選では再選した北村経夫氏が、教団の支援先だった。井上氏を含め、組織票の強みを生かせる比例区で出た安倍派の議員たちだ。 その安倍氏のもとを、今年に… この記事は有料会員記事です。残り914文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 【無料会員限定】スタンダードコース(月額1,980円)が3カ月間月額100円!詳しくはこちら Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
半旗掲揚の「配慮」求める通知 「教委自ら政治的中立性損なう行為」
安倍晋三元首相の銃撃事件を受け、福岡市教育委員会が7月12日、全ての市立学校長宛てに半旗(弔旗)の掲揚への「配慮」を求める文書を出していました。東京都や北海道帯広市、川崎市、仙台市、大阪府吹田市、山口県などでも、同様の要請が学校に通知されていました。9月には安倍元首相の国葬が予定されるなか、政治と教育の関係をどう考えればいいのでしょうか。教育行政学を研究する中嶋哲彦・名古屋大名誉教授に聞きました。 ――半旗の掲揚を求める教育委員会(教委)から学校への通知をどう見ますか 問題は二つあります。一つは教育の政治的中立性を揺るがす行為であるということ。もう一つは要請という形を取りながら、実際には学校側が応じざるを得ない強制のようなかたちになっていることです。 ――政治的中立性の点でどんな問題がありますか 7月に執り行われた安倍晋三氏の葬儀は、家族で営まれた個人的なものでした。また、日々、政治家を含めいろいろな方が亡くなっているが、一般に学校では弔意が示されることはありません。 もちろん安倍氏の銃撃事件自体は痛ましいものですが、その政治的な業績を肯定的に評価するか、否定的に評価するかは国民の間でも議論が分かれるところです。弔意を示すことは、学校側として安倍氏に肯定的な評価を示すことになりかねず、問題です。 ――法的な問題は 公教育では、子どもに対して… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
東京都教委が半旗掲揚求める文書配布、都立校に 安倍氏葬儀の前日
東京都教育委員会が先月11日、安倍晋三元首相の葬儀にあわせて半旗掲揚を求める内容が記された文書を都立学校に送っていたことが分かった。「強制ではなく参考として送った」などと説明し、教育基本法が定める政治的中立に抵触するものではないとしている。 都教委によると、文書は都総務局が庁内向けに作成した事務連絡。都庁本庁舎などで7月12日に半旗を掲揚することを伝えたうえで、「出先機関や事業所でも特段の配慮をお願いします」としていた。都教委はこの文書を高校や特別支援学校など都立255校に転送したという。 都教委の担当者は取材に対し、「事務連絡を参考として周知した。問題はない」と話した。掲揚実施の有無も把握していないといい、学校側からの問い合わせもなかったという。 一方、都総務局の担当者は取… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
安倍元首相の葬儀時に「半旗掲揚を」 教委の要請に困惑する学校現場
安倍晋三元首相の葬儀に合わせ、各地の教育委員会が学校に国旗や校旗の半旗(弔旗)掲揚を促していたことが、相次いで明らかになっている。実際に掲揚した学校があるなか、現場には疑問の声もある。 7月8日に銃撃され亡くなった安倍氏の家族葬は12日に東京都内で営まれた。 福岡市教育委員会は12日付で、市内全ての市立小中高校と特別支援学校の計226校の学校長宛てに、「民主主義を擁護し、犠牲となった安倍晋三元首相を悼む弔旗掲揚について」と題する文書を通知。12~15日に、半旗掲揚への「配慮」を求めた。 30代の男性教諭が勤める学校は、通知を受けて半旗を掲揚した。職員朝礼で、校長から「半旗を揚げます」と短く報告があったという。 この教諭は「個人で哀悼の意を示すのは構わないが、なぜ学校として弔意を示さなければならないのか。子どもや保護者から理由を問われたら、どう説明したらいいのか」と話す。 ただ、当時は終業式直前の慌ただしい時期。男性は「仕事に追われて冷静に考える時間もなかった」。朝礼で意見や異論は出なかったという。 40代の男性教諭が勤める学… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
沢登りツアーの約50人を救助 滋賀・東近江、川の増水で一時孤立
取り残された中州から救助される人たち=朝日放送テレビ撮影 6日午後0時35分ごろ、滋賀県東近江市杠葉尾町の神崎川で、「増水して沢登りをしているツアー客が対岸に取り残されている」とツアー会社から110番通報があった。約50人が川岸で動けなくなったが、約4時間後に全員が救助された。 東近江署などによると、取り残されたのは沢登りをしていたツアー客とガイドのグループ。県警機動隊員や八日市消防署員らが出動し、川にロープを張り、道がある方の川岸に誘導して救助した。けが人はいなかった。 また、同日午後0時40分ごろには、約2キロ下流側の東近江市黄和田町の愛知川でも、「中州に親子3人が取り残されている」と付近にいた人から110番通報があった。3人は約2時間後に救助され、けがはなかった。キャンプ中だったという。 彦根地方気象台によると、上… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
よう言わんかった原爆の日 「ばあちゃんしゃべって」93歳が決意
広島への原爆投下から77年。被爆者の高齢化が進むなか、胸に秘めてきたあのときの惨禍を次世代に語り始めた人がいる。被爆者の声に耳を傾けてきた若者は、その思いを世界に伝えていくとの決意を新たにした。 広島県世羅町の森鳰(もりにぶ)峰子さん(93)は6日、車いすで平和記念式典に初めて参列した。「動けなくなる前に、式典の場で亡くなった人に祈りを捧げたかった」。午前8時15分、涙を流しながら黙禱(もくとう)を捧げ、心の中で祈った。 「平和な世の中になりますように。誰もがみな幸せになりますように」 原爆投下から10日後。庄原実業学校女子部(現・県立庄原実業高校)で、16歳の生徒だった森鳰さんは広島県北部の庄原から担任の教諭に連れられ、広島市へ向かった。病院で7日間、救護活動に携わった。 やけどをした人の体からウジをピンセットでとったり、ガーゼを洗ったり。患者は次々と息絶えていった。「とにかく見殺しのような状態だった。気の毒でも何もできなかった」 戦後は広島県尾道市の病院で働いた。原爆についての体験は家族にもほとんど話さなかった。あまり思い出したくなく、「よう言わん」と思っていた。ただ、被爆者の高齢化が進む中、「何か残さなければ」との思いはあった。 口を開くきっかけになったの… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
【速報中】原爆ドーム前、川面に揺れる灯籠2500個 3年ぶり
6日、広島は被爆77年の「原爆の日」を迎えました。平和記念式典には地元選出の岸田文雄首相や国連のグテーレス事務総長が参列しました。ロシアによるウクライナ侵攻の中、広島に集まった人たちからは、核兵器のない世界の実現をめざす声が上がりました。タイムラインで速報しています。 (タイムスタンプは日本時間、括弧内は現地時間) 【連載】奪われた笑顔 家や学校でいつも通りに過ごしていた子どもたちが、原子爆弾に突然襲われました。遺族の記憶と、被爆前の写真のカラー化によってよみがえった無邪気な笑顔が、核兵器の非人道性を今に伝えてくれます。 ■■■8月6日(日本時間)■■■ 18:00 原爆犠牲者を悼み、平和を祈る灯籠(とうろう)流しが、原爆ドーム(広島市中区)前を流れる元安川であった。新型コロナウイルスの影響で2020年と21年は関係者のみで実施し、大規模な開催は3年ぶりとなった。 「核兵器のない世界を」「世界に平和を」。市民が約2500個の灯籠に託した言葉は明かりに照らされ、川面で静かに揺れた。 17:40 爆心地から500メートルの旧天神町では、原爆投下から約10時間が経った午後6時ごろも、まだ火が燃え上がり町内に入れなかったという。女学生らが元安川の川岸で抱き合うようにして横たわっていたという記録も残る。 「何千度という熱で灰になってしまい、拾う骨もなかったようですね」。8年ほど前から原爆資料館でボランティアガイドをする佐藤弘さん(69)=広島市佐伯区=は川面を見やりながら、オカリナの音色を響かせていた。「原爆を許すまじ」「見上げてごらん夜の星を」……。鎮魂のような音色に誘われた留学生へ、この川辺の惨禍を英語で説明した。「これからももっともっと伝えていかなくては」 16:00 核戦争をいかに防ぐか 平岡敬さんが講演 ロシアのウクライナ侵攻が続く中、「核戦争をいかに防ぐか ヒロシマで考える」をテーマに広島市内で開かれた講演会で、元広島市長の平岡敬さん(94)は、「日本は世界と和解していかなければならない」と述べた。そのためには、第2次世界大戦でアジアで行ったことへの「謝罪」と「補償」、「再発防止の誓い」が必要だと指摘した。 その上で、原爆投下をめぐっては米国も同じだと主張。「米国が原爆投下の責任を認めて謝罪しない限り、核兵器を無くすことはできない」と強調した。 講演会は市民団体「核兵器廃絶をめざすヒロシマの会(HANWA)」が主催し、オンラインを含め約110人が参加した。 15:40 母の命日に振る舞うお好み焼き 広島市南区のお好み焼き店「KAJISAN」はこの日も開いていた。店主の梶山敏子さん(81)は記者が注文した「肉玉そば」を焼いてくれた。 原爆の日に県外から広島に来るのに合わせ、お好み焼きを食べに寄る人もいる。だから、毎年開けておくようにしている。 梶山さんも被爆者。爆心地から約1・2キロにいた。逃げる途中、雨が降ってきたことを覚えている。 8月6日は、梶山さんにとって母の命日。爆心地近くで、空襲での延焼を防ぐためにあらかじめ建物を取り壊す「建物疎開」の作業に出ていたという。 母は帰ってこず、遺骨も見つからなかった。すでに父は亡くなっていたため、梶山さんは孤児となった。同じように孤児となった夫の母も遺骨はどこにあるのかわからない。 身元がわからない原爆犠牲者の遺骨を納めてある原爆供養塔に、2人の母の骨も入っているのでは。供養塔にお参りをしてきた。今年は7月に足を運んだという。「会いに来ましたよ。長生きさせてくれて、見守ってくれてありがとう」と思いながら。 【記者の視点】被爆者一人ひとりにあいさつしたグテーレス国連事務総長 広島市内を見渡す高層ホテル。32階の一室に入ってきたアントニオ・グテーレス国連事務総長は、待っていた5人の被爆者一人ひとりに頭を下げ、あいさつした。事務総長としては初めてだが、自身にとっては2回目の訪問。被爆者への敬意がにじんだ。 平和記念式典であいさつしたグテーレス氏は、直後に被爆者との対話に臨んでいた。冒頭の自己紹介などだけ公開。グテーレス氏はその後の記者会見で、非公開の時のことをこう述べた。 「長崎の被爆者が見せてくれた紙芝居に感銘を受けた。世界中に届けることをその場で提案した」 どんな紙芝居だったのか。実は、記者の私は前夜にその紙芝居を見ていた。以前、長崎にも勤務経験がある。3歳の時に被爆した体験やその後の人生を取材させてもらった長崎市の三田村静子さん(80)が長崎の被爆者代表として、広島に来たため、会いに行った。 その際、三田村さんが見せてくれたのが、長崎で被爆死した少年の写真をモチーフにした紙芝居だった。 この少年の写真は、被爆翌日に爆心地付近で撮影され、長崎の原爆の悲惨さを伝える1枚としてよく知られている。 三田村さんは、子どもでもわかるように紙芝居で長崎の原爆被害について伝えており、この少年を題材とした。 私もこの写真をめぐる取材を… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
鈴鹿8耐の英国人ライダー、練習走行中に転倒し重体
6日午後2時55分ごろ、三重県鈴鹿市稲生町の鈴鹿サーキット国際レーシングコースで、オートバイの鈴鹿8時間耐久ロードレース(鈴鹿8耐)のフリー走行中だった英国籍のレーサー、ジーノ・リアさん(32)がシケインと呼ばれるコーナーで転倒し、コース外壁に衝突した。病院に運ばれたが全身を強く打っており、意識不明の重体。 翌7日の決勝に備えたフリー走行は同日午後2時15分からで、43台のオートバイが走行していた。公式HPによると、今年の8耐には45台が出場。ジーノさんは「F.C.C.TSRホンダ フランス」のチームに所属していた。 鈴鹿8耐は新型コロナのため… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル