つくばエクスプレス開業で人口が増加している東京都足立区東部に、昨年11月にオープンした区営の六町駅前安全安心ステーション(愛称・ろくまる)が1年を迎えた。住民から交番を求める声が上がったが、新規の設置が難しく、区内初の「みんなの交番」として設けられた。連日のように相談が寄せられ、地域の防犯拠点になっている。 ろくまるは、つくばエクスプレス六町駅前にあり、午前8時~午後9時、元警察官のろくまる隊員が交代で常駐し、登下校する児童の見守りや、防犯に関する相談の受け付けなどを行っている。また、テレビ電話があるスペースは24時間開放され、ボタン一つで綾瀬署に通報できる。 区犯罪抑止担当課によると… この記事は有料記事です。残り637文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「死を覚悟させる部活って…」 息子が残した手紙に両親が思うこと
やさしくて、穏やかで、思いやりのある息子だった。何より、バスケットボールが大好きな子だった。 「僕は今、キャプテンとして部活に取り組んでいます」 そんな書き出しで息子がルーズリーフにつづった文章を読むたび、母親(54)は胸が強く締め付けられる。 高校2年生、17歳だった息子は10年前、強豪校として知られる大阪市立桜宮高校(現府立)バスケ部でキャプテンをしていた。文章は、その年の12月19日に当時46歳だった男性顧問宛てに書いた手紙だった。 「僕は先生に言われたことをしようとは思っています。考えようと努力もしています。でも、なかなかできないです」 「先生は僕に完璧な人間になれと言っているようにしか僕は聞こえないです」 「なぜ、翌日に僕だけがあんなにシバき回されなければならないのですか?」 「僕は問題起こしましたか。キャプテンしばけば解決すると思っているのですか」 「もう僕はこの学校に行きたくないです。それが僕の意志です」 キャプテンとしてチームを強くしようとしていた。だが、顧問による暴力や高圧的な言葉に悩まされていた。 手紙は結局、部員に止められた。息子は渡さずじまいだった。 手紙を書いた3日後。顧問は「プレーが意に沿わない」と大勢の選手がいるコートで延々と息子の顔を殴った。 「30、40発たたかれた」 息子は帰ってくると、母親にそう言った。 顧問からの暴力を苦に、バスケ部キャプテンが自殺してから10年になります。両親はどう過ごしてきたのか、部活動に対して今、何を思うのかを話してくれました。記事の最後では、部員が顧問に宛てた手紙の内容も掲載しています。 母親は、顧問に対する不信感… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
桜宮事件から10年、後を絶たない体罰 息子失った両親が今願うこと
大阪市立(現在は府立)桜宮(さくらのみや)高校バスケットボール部の主将だった男子生徒(当時17)が、当時46歳だった部活顧問の暴力を苦に自殺してから、2012年12月23日で10年になる。10年たっても、部活動などでの教師による暴力は後を絶たない。遺族は、息子が残した「教訓」を生かしてほしいと願う。 「部活の現場は10年でどれだけ変わったのか。学校は子どもたちの成長の場であることをわかった人に指導してほしい」。生徒の母親(54)は朝日新聞の取材に対し、そう力を込めた。 元顧問は、生徒に繰り返した暴力が自殺の大きな要因になったとして懲戒免職となった。2013年9月に傷害と暴行の罪で懲役1年執行猶予3年の有罪判決を受けた。16年2月には自殺の原因を暴力だと認める民事訴訟の判決も出た。 父親(53)は「裁判を通じて、部活が顧問の地位を守り、名誉を得るための『特殊な場所』になっていると感じた」と振り返る。 学校の部活動の現場で、顧問らによる子どもへの暴力や暴言は後を絶たない。ニュースに触れるたび、「部活動を廃止するくらいでないと暴力や暴言はなくならないのではないか」とさえ感じている。だからこそ、両親は願っている。 「決して暴力的な指導をしてはならない。部活動は子どものためのもの。そんな当たり前のことが当たり前になってほしい」(長野佑介) 悩みのある人の相談先 【#いのちSOS】 0120・061・338 月木金24時間、その他の曜日午前6時~翌日午前0時 【チャイルドライン】 0120・99・7777 毎日午後4~9時 【子供のSOSの相談窓口】 0120・0・78310 毎日24時間 【いのちの電話】 0120・783・556 毎日午後4~9時、毎月10日午前8時~翌日午前8時 【厚生労働省による相談窓口の紹介HP】 https://www.mhlw.go.jp/mamorouyokokoro/ Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
地下鉄天神南―博多開業まで100日 新駅を公開、山笠模した壁画も
福岡市内の中心部を結ぶ市営地下鉄七隈線の延伸区間(天神南―博多)の開通まで、17日であと100日となった。来年3月27日の開通に向け、中間駅となる櫛田神社前駅の主な設備が完成し、報道機関に内部が公開された。 同駅は長さ約180メートル、深さ約25メートル、延べ面積9447平方メートルで、七隈線の中でも天神南駅と並ぶ最大規模の駅となる。「櫛田の銀杏(ぎなん)」にちなんだ木目柄の天井や、櫛田神社の境内をイメージした床タイル、博多祇園山笠を模した壁画など、歴史ある街の雰囲気を表現している。 駅舎内の全長28メートルの… この記事は有料記事です。残り189文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
質問ぶつけ続けた遺族、愛知県警は全て「調査中」 勾留中に男性死亡
愛知県警岡崎署の留置場で勾留中の男性(43)が死亡した問題で、県警幹部ら4人が17日、県内の警察署で男性の父親(71)と面会した。県警側は署の対応について徹底調査することや本格的な捜査に乗り出したことを説明したという。父親は「警察は『調査中』を繰り返すばかりで信用できない」と話した。 4人は署の留置業務を所管する県警本部の留置管理課長や署の対応の調査をしている監察官室長ら。約1時間の面会では父親は県警に対し、拘束中の男性を映した監視カメラの映像の公開などを要望したという。 この問題を巡っては県警が16日夜、岡崎署の対応が男性に肉体的・精神的な苦痛を与えた疑いが強まったとして特別公務員暴行陵虐容疑で同署を捜索。男性が勾留されていた保護室内の映像を記録したハードディスクなどを押収した。 県警の刑事部を中心とした捜査チームは、本部の留置管理課が保管する資料も差し押さえており、今後押収資料約40点を精査するとともに署員らから事情を聴くなどして実態解明を目指す。 男性は今月4日未明に保護室で動かない状態で見つかるまで、のべ140時間以上にわたりベルト手錠や捕縄で身体拘束されていた。搬送先の病院で死亡が確認された際は脱水症状があり、死因は腎不全だった。 この問題では、署幹部を含む複数の署員が拘束中の男性に暴行を加えたり、持病の糖尿病の薬を与えなかったりしたことがわかっている。 「息子の死の真相を明らかにしてほしい」 「言葉に誠意は感じず、不信感は払拭(ふっしょく)されていない。警察を信用出来ない気持ちがむしろ強まった」 県警幹部らとの面会を終えた約1時間後。愛知県内で会見を開いた父親が口にしたのは、警察の対応への不満だった。 父親が県警に求めたことは… この記事は有料記事です。残り494文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
視覚障害者が特急にはねられ死亡、駅員不在の時間帯 大分・津久見駅
奥正光、倉富竜太2022年12月17日 21時00分 大分県津久見市のJR津久見駅構内で15日、線路上にいた高齢の女性が特急列車にはねられて死亡する事故があり、女性は視覚障害者だったことが捜査関係者への取材で分かった。事故当時、同駅は駅員が不在の時間帯で、県警は当時の詳しい状況を調べている。 県警臼杵津久見署によると、15日午後5時50分ごろ、線路上にいた女性が大分発宮崎空港行きの特急にちりん13号(4両編成)にはねられた。女性は同市津久見の無職小島得江さん(82)で、頭を強く打ち、搬送先の病院で死亡が確認された。 特急列車の運転士は「線路からホームへはい上がろうとしていた」と話しているという。ホームには杖が残されており、小島さんがホームから転落したのかどうかなど、状況を詳しく調べている。 JR九州は経営の合理化を理由に県内でも駅の無人化を進めており、津久見駅は午後3時以降に駅員が不在になる「時間帯無人駅」になっている。(奥正光、倉富竜太) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「目に見える形で残したい」 生後2カ月の娘と取りつけた祖母の名前
有料記事 鈴木春香、宮島昌英2022年12月17日 21時00分 阪神・淡路大震災の犠牲者らの名を刻んだ神戸市の「慰霊と復興のモニュメント」に17日、新たに6人の銘板が加わった。6434人が亡くなった大災害から来年1月17日で28年。「目に見える形で残してあげたい」。残された人々の胸に、そんな思いが広がる。 「娘に震災のことを伝えていくのに、ひいおばあちゃんの名前が見えたほうがいいと思いました」 兵庫県芦屋市の赤阪美智子さん(29)は、生後2カ月の娘を抱いて式典に臨んだ。銘板に刻まれたのは、祖母の竹永邦子さん(当時54)の名だ。 芦屋市にも祖母の銘板はあるが、木箱に入れて芦屋公園の地下に納められ、直接は見られない。神戸の銘板は追悼行事が開かれる東遊園地(中央区)の一角にあり、日中に訪れることもできる。 ブレスレットには、7月に亡… この記事は有料記事です。残り478文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
【祈りの1日の全記録】「西沢先生ならきっと」クリニックの放火1年
大阪市北区のクリニックで26人が犠牲になった放火殺人事件は、17日で発生から1年となりました。オフィスや飲食店が集まる街で、多くの人の心の支えとなっていたクリニック。関わりのあった人たちの表情などを取材しました。 9:15 大学特任教授「安全に避難しやすい制度が前進、と報告」 クリニックが入っていたビルは、オフィスや飲食店が集まる大阪・北新地にある。週末の17日、普段と違って出勤する人たちの姿は少ない。 霧雨が降るなか、大阪工業大学特任教授で、建築安全計画が専門の吉村英祐さん(67)は現場から少し離れた場所で、ビルに向かって手を合わせた。「『事件後、安全に避難しやすくなる制度が一歩前進しました』と報告しました」という。 事件を受け、国土交通省と総務省消防庁は16日、避難経路となる階段が一つしかない建物での「退避区画」活用を盛り込んだガイドラインをそれぞれ公表した。 吉村さんによると、小規模なビルでも、より柔軟に対策が取れるようになるという。 9:45 男性「事件、風化させたくない」 大阪府吹田市の島晃さん(67)は電動車いすで現場を訪れ、手を合わせた。この日で4回目といい、「亡くなった人への追悼の思い、事件を風化させたくないという思いで来ました」と話した。 自身は障害があり、妻は心の病で入院したことがあるという。この日、現場ではクリニックに通っていた人たちの家族の気持ちにも思いをはせた。「犠牲になった人たちは、社会復帰をめざしていた人たちだった。それを残念に思います」 10:15 会社員男性「先輩、会いに来たよ」 和歌山市の会社員男性(25)は、専門学校の先輩を事件で失った。駅から現場への道すがら、「亡くなった先輩と歩いた道やな」と思い出したという。「気持ちの整理がつかなかったので、1年という節目で足を運びました。お世話になった先輩に、『会いに来たよ』とだけ伝えました」 1年たったが、先輩の死に実感はわかないという。「いまも時間が止まったような感じです」と話した。 ■初めて訪れた院長の親友「よ… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「無理して泣かないで」放火事件の喪失感に向き合うため 続ける集会
大阪市北区のクリニックで26人が犠牲になった放火殺人事件から17日で1年。通院先を失った患者をはじめ、不安を抱える人たちが集うオンラインサロンを開き続けている人がいる。障害者向けのウェブサイトを運営する「障害者ドットコム」(大阪市)の代表、川田祐一さん(50)は「よりどころを作り、孤立する人を減らしたい」と話す。 現場となったクリニックに通っていた患者ら約20人が参加した3日夜のオンラインサロン。大阪教育大付属池田小学校(大阪府池田市)で2001年に起きた児童殺傷事件で長女の優希(ゆき)さん(当時7)を亡くした本郷由美子さんを招き、事件による喪失や悲しみとの向き合い方を語り合った。 「涙が思いっきり流せないんです」。そんな参加者からの訴えに、本郷さんは「自己防衛もある。無理して泣く必要はない」と語りかけた。 事件の発生日など特別な日が近づくと心身に不調をきたすことへの向き合い方を尋ねる声もあった。本郷さんは、「自分の気持ちや感情に素直でいてほしい。1年目の反応をモニター(観察)することで、翌年以降はストレスを緩和し、向き合い方をコントロールできるようになる」と助言した。 質問したクリニックの元通院患者の男性は「対策の話は参考になった。1年は節目ではなく、ずっと生活が続いていくんだと実感した」と話した。 このオンラインサロンは、障害者ドットコムが開いた。同社の取り組みは15年に川田さんが妻の直美さん(50)とスタートさせ、今では全国で4万以上の福祉事業所を検索できるサイトを運営。就労相談にも応じており、事件当時、事務所がクリニックの西約200メートルにあった。事件の犠牲者の中には相談に来ていた男性もいた。 命を奪われた人だけではない… この記事は有料記事です。残り600文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
トヨタをやめて…カベポスター「心地いいツッコミ」で初M-1決勝へ
M-1グランプリの決勝が12月18日に開かれる。史上最多7261組の中から勝ち上がり、決勝に挑む9組の横顔は――。 □ ■ 会社員時代はトヨタ自動車に勤め、芸人になるとM-1ファイナリストへ――。 吉本芸人「カベポスター」のツッコミ、浜田順平は、肩書だけ見るとまぶしい。 でも、実際に会うと、あれ? 遠慮がちにポツポツと話す。 「リア充」のイメージとはちょっと違う。 相方の永見大吾も雰囲気が似ている。おっとり、テンション低め。 二人とも、イケイケドンドンのM-1戦士には見えない。 けれど、芸人は本来こうなのかも。どこか屈折していて、希望を捨てきれず、はいつくばっている。 □ ■ □ ――初の決勝です。当日はどんな気持ちで挑みますか。 浜田「僕は緊張すると、ネタが飛んだり、かんだり。コメントも、ちゃんと話せるか不安なんです。ミスってもいいかと思ってやらないと。ほんなら自然と楽になる」 永見「僕はどんな感情になるんやろ。まだイメージができていなくて。当日にならないとわからない。初めてディズニーランドへ行った日もそうでした」 浜田「ええ~……。そうなん? 緊張ゼロってこと? M-1やで」 脱落していく仲間たち ――浜田さんは大阪・阿倍野の出身ですが、今回の決勝は関西勢が少ないですね。 永見「大阪を背負って――」 浜田「そういうのいややねん。ずっしりくるねん」 ――しっかりしてそうに見えるのに。 浜田「芸人の中にいるからそう見られる。周りの芸人がぬるすぎるんです」 永見「NSC(吉本興業の芸人養成所)に入った当時、600人くらいいました。卒業の時点では100人くらいに減っていました。ほとんどがやめる」 働きたくなくて芸人になる人々 浜田「芸人は社会に適合しにくい人が多い。働くのがだるいから芸人をやるって人が大半を占めてるんで」 ――浜田さんは脱サラ経験者。もともと、トヨタにお勤めでした。 浜田「車の部品調達の部署にいました」 ――向いている仕事でしたか。 安定した会社から出ることをなぜ選んだのか。芸人になる人は「社会に適応しにくい」と語る真意とは。記事後半では、独特の漫才の世界観について。永見さんは大阪の街でよく奇妙な体験をするそうで――。 浜田「全く向いてなくて。仕… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル