有料記事 文・杉村和将、写真・山谷勉2022年12月10日 15時00分 腕組みをして、じっと目を閉じている。写真に残るイメージより少し痩せているように見える。故郷の風景を見渡す丘の上に立ち、石川啄木は心に何を思い浮かべているのだろうか。 連なる山々に岩手山がひときわ大きくそびえる。眼下には市街地が広がり、北上川が蛇行してゆく。 山も川も、人々の営みも一望できる盛岡市の岩山公園。この標高340メートルの丘には、石川啄木の歌碑が並ぶ小道があり、等身大のブロンズ像が立つ。 ふるさとの山に向ひて 言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな 歌の中の山は岩手山とも姫神山ともいわれる。両方を望む丘で啄木の胸に去来するのはどんな風景なのだろう。 「いいことも嫌なことも思い浮かべているような感じがいたします」 そう語るのは石川啄木記念館(盛岡市)元学芸員の山本玲子さん(65)。 記事後半では、地元で人気のグルメスポット紹介や会員登録すると応募できるプレゼントもあります。12月18日(日)締め切り。 故郷の渋民村(現・盛岡市渋… この記事は有料記事です。残り918文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
母に手を引かれ逃げた3歳、9・11遭遇の被爆者、50年ぶり広島へ
今年6月。記者の私は、核兵器禁止条約の第1回締約国会議を取材するため、オーストリア・ウィーンに出張した。日本から参加した被爆者や海外の政府関係者らを6日間にわたり取材したが、ある被爆者に話を聞けなかったことに悔いが残っていた。 広島市西区西観音町の宮本季美枝さん(81)。ほかの被爆者のように被爆者団体の一員としてではなく、たった1人でウィーンに来たという。その理由を聞きたかった。 「よく来てくれたわ」。11月下旬、宮本さんは自宅で記者を迎えてくれた。 広島市江波町(現・中区)の祖母宅で3歳で被爆した。二つ下の妹をおんぶした母に手を引かれ、爆心地から西に約1・7キロ離れた自宅まで逃げたときの光景を記憶する。 自宅は半壊。2人のいとこは近くの国民学校などで亡くなった。翌年、焼け野原に咲いたアサガオを見つけた。植物の生命力に感動し、幼い頃から生け花の稽古を続けた。 広島大付属中・高を卒業し、京都外国語大へ。在学中に絵画や語学を学ぼうと、イタリア・ミラノや米テキサス州ダラスに留学した。帰国後は広島で英語教師をした。 自動車販売会社の営業マンだった1歳上の夫、明(あきら)さんと知人の紹介で出会い、25歳で結婚した。明さんも被爆者で、日系米国人の父親を原爆で亡くしていた。明さんから「父親の母国に行きたい」と言われ、30代前半で米国への移住を決意。「世界の中心を見てみたい」とニューヨークで暮らし始めた。 2001年9月11日。宮本さんは米同時多発テロが起きる約30分前まで、世界貿易センタービルで働いていました。黒煙を上げるビルから走って逃げた後、原爆とテロを重ね合わせ、絶望を感じたといいます。 37歳のころ、マンハッタン… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
焼けただれたほお、ひとりで死んだ8歳の娘 だれにも余裕はなかった
広島市の山本信子(38)=旧姓倉本=はいつも通りに登校した長女(8)を、原爆投下直後の広島で2日間捜しまわり、ついに、ある救護所の名簿にその名を見つける。 信子は、長女の名前があった学校を捜し、さらに緊急時に集まる約束の知人宅にも戻ってみたが、会えない。 翌朝。名簿に長女の名前があった学校に再び行ったが、見つからない。 信子は決心をして、校庭の隅に設置された、遺体を集めた小屋に向かった。 小屋のまわりにも、多くの遺体があり、顔を1人ずつ確かめていく。 核軍縮を議論する「国際賢人会議」が10日と11日、広島で開かれます。原爆投下についての故・山本信子さんの手記や遺族らへの取材をもとに、被爆の記憶をたどります。手記全文は遺族作成のHP(https://honoo-no-memoir.themedia.jp/)でご覧いただけます。 「なぜ気が狂わなかったのかわからない」 小屋に入ると、《ふたつの大… この記事は有料記事です。残り788文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
大声で怒鳴る・性行為を強要…デートDVに気づいて マンガ配信へ
黒田陸離2022年12月10日 12時04分 「普段はやさしい、だから今日も許してしまう」「怖いけど嫌いになれない」――。交際相手からの暴力(デートDV)について若者へ理解を深めてもらおうと、広島市は15日から公式SNSで啓発マンガを配信する。作品を手がける市出身の漫画家、田村茜さんは「加害と被害のどちらにも、気づくきっかけにしてほしい」と呼びかける。 デートDVは大きく4種類に分けられる。殴る、ものを投げつけるなどの「身体的暴力」▽大声で怒鳴る、行動を監視、制限するなどの「精神的暴力」▽デート費用を全く払わない、外で働かせないなどの「経済的暴力」▽性行為を強要する、避妊に協力しないなどの「性的な暴力」だ。 大学生らの恋愛を描いた「モブ子の恋」を連載中の田村さんは、デートDVについて「言葉は知っていたが、改めて学びながらストーリーを考えた」という。その被害は「束縛や嫉妬が『うれしい』から『苦しい』に変わったときに気づけないと深刻になる」と指摘し、「大げさにしたくない、相手に支配されていると思いたくないという気持ちで、自分をごまかしていないかを考えてみてほしい」と訴える。 市は配偶者暴力相談支援センターで相談を受けている。昨年度のDV相談1050件のうちデートDVは85件だった。男女共同参画課の担当者は「氷山の一角だと思っている。困ったときはぜひ相談をしてほしい」と呼びかける。 マンガは全4話。市の公式ツイッター(@HiroshimaCityPR)などで毎月1話ずつ配信し、デートDVの各タイプを紹介する。(黒田陸離) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
性の知識、小学生にどう教える? 産婦人科医の派遣授業に依頼相次ぐ
【千葉】性教育の授業に医師の派遣を依頼する学校が相次いでいる。県産科婦人科医学会が9月から始めた事業で、主に中高生が対象だが、性に関心を持ち始めた子どもたちとの向き合い方に悩む小学校からも申し込みがあった。「興味を持った段階で正しい知識を身につけ、自分も周りも大切にできる人になってほしい」という先生の思いは届いたのか。 松戸市立六実第三小学校の体育館で6日、6年生65人が授業を受けた。県産科婦人科医学会が小学生向けに医師を派遣するのは、この日が初めてだった。 松戸市の千葉西総合病院産婦人科の池袋真(しん)医師(34)と、市川市の行徳総合病院婦人科の坂本愛子医師(48)が登壇した。 「卵巣はどれくらいの大きさ… この記事は有料記事です。残り914文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
誰が、何のために置いた? 鴨川河川敷にたたずむ地蔵、お引っ越し
ジョギングを楽しむ人が行き交い、カップルが等間隔で座る京都人憩いの場、鴨川。三条大橋近くの西岸河川敷に、ひっそりと小さなお地蔵さんがたたずんでいる。老朽化した三条大橋周辺の改修に伴って移設されることになり、京都府などが所有者を調べたが、誰が、何のために置いたのか分からず、謎が深まっている。 地蔵は2体。一つは高さ約60センチで表面が削れていて表情ははっきりしない。もう一つは約40センチで、首から上が欠けている。近くには墓石のような形のものもある。だが、いつ、何の目的で置かれたのか、定かではない。 地蔵がある鴨川の河川敷を管理する府京都土木事務所の担当者は「記録などはなく、全くわからない」と話す。近くにある瑞泉寺の中川龍学住職(56)は「小学校の時に鴨川で遊んでいたが、少なくともその時から今の場所にあった」。 三条大橋周辺は、謀反の罪を… この記事は有料記事です。残り673文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
14時間勤務に休日なし「後悔ない」けれど 熱血教員の部活への思い
東京都の公立中学校教諭、前川智美さん(33)は、教員5年目だった2015年度、バレーボール部の主顧問になった。複数いるなかの筆頭格の顧問だ。 朝練がある日は午前7時過ぎに学校へ。指導後、担任として学級へ行き、授業が始まる。 当時受け持っていた授業時数は、中学教員としては多い週20時間超だった。 多くの日は空き時間が1コマしかない。その短い時間を印刷や学級便り作り、保護者への電話連絡に割く。連絡なく欠席した子の自宅に自転車をとばしたことも、たびたびあった。 放課後は部活や生徒会の指導。午後6時半に生徒が帰ると、買ってきた夕食を職員室で口にし、翌日の授業の準備や事務作業に取りかかる。 帰宅は午後9時を過ぎるのが常で、未明にタクシーで帰ることもあった。 さらに、土日はほぼ毎週、練習や試合があった。 試合の後は他校の教員との飲み会。次の練習試合を組んでもらおうと、飲みながらお願いすることが多かった。 24時間、常に生徒のことを考え、いつ休んだか記憶にない。 ただ、前川さんにとっては楽しく、苦痛ではなかった。「目の前の生徒がかわいかった」からだ。 連載「いま先生は」 授業だけでなく、事務作業や保護者対応、部活動……。さまざまな仕事を抱え、悩み、疲れ、それでも前に進む。そんな先生たちのリアルな姿を報告し、働き方のこれからを考える連載「いま先生は」。第3部では、部活指導の実態を取り上げ、今後のあり方を探ります。 すべての時間、仕事に捧げた20代 異動まで3年間、同じような働き方を続けた。結婚や出産を経て育休中のいま、振り返ってこう思う。 「教員人生に必要な経験だっ… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
用水路に浮いたサンダル、のぞいた先に高齢男性 通学途中の高校生は
【群馬】いつもと変わらない通学路のはずだった。 11月1日午前6時45分ごろ、高崎市の高校2年、東野此花(このか)さん(16)は、自転車で家を出た。通学路をこぐことわずか1分ほど。ふと田んぼ沿いの用水路に目をやると、1足のサンダルがぷかぷかと浮いていた。 この日の最低気温は10度ほど。「こんな寒い日に誰かいるのかな」。そっと用水路をのぞいてみた。するとサンダルのそばに、80代の男性が横たわっていた。 体の半分が水につかっており、裸足の状態。「用水路に落ちて、サンダルが脱げたのか」。助けなければ、と思った。 「大丈夫ですか」と声をかけたが反応は全く無い。男性の体は重く、引き上げることもできなかった。「助けて」と何度も叫んだ。そのとき、そばをトラックが通りかかった。 東野さんは道の真ん中に立ち、トラックを止めた。運転手の男性と、集まった近隣住民が男性を引き上げ、消防に通報してくれた。 東野さんは消防が駆けつけるまでの間、着ていたジャンパーを男性にかぶせてあげた。服がずぶぬれで寒そうだったからだ。男性は呼びかけに反応することなく、救急搬送されていった。 1限目の授業には遅刻した。男性のことが気になり、授業内容は耳に入らなかった。帰宅後、父から男性の命に別条がなかったことを聞いた。ようやく気持ちが落ち着いた。 東野さんは今月6日、高崎北署から感謝状を受け取った。「倒れている男性を見て自然と勇気がでた。命が救えて本当によかった」。吉田武署長は「発見が遅れていれば、低体温症で死につながっていたかもしれない。サンダルを見て『おかしいな』と思える機転がすばらしい」とたたえた。(吉村駿) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
旧統一教会、質問権行使は「違法」と主張 文科省に複数の意見書提出
文部科学省が世界平和統一家庭連合(旧統一教会)に対して行使した「報告徴収・質問権」について、教団側が「違法だ」とする意見書を文科省に提出していたことが関係者への取材でわかった。 文科省は11月22日、教団に「報告徴収・質問権」を行使し、組織や財産などについて報告を求める文書を郵送。この権限に基づく調査を始めた。 「報告徴収・質問権」はオウム真理教事件を機に1995年の宗教法人法改正で設けられ、行使されるのは今回が初めて。「法令に違反して著しく公共の福祉を害する」行為など、解散命令の要件に該当する行為をした疑いのある法人に対して、報告を求めたり、質問をしたりすることができる。 文科省によると、94年以降、教団の組織的不法行為や使用者責任を認めた民事裁判の判決が計22件あり、これらをもとに教団が基準を満たすと判断した。 関係者によると、これに対して教団側は複数の意見書を提出していた。 文科省が「報告徴収・質問権… この記事は有料記事です。残り449文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 旧統一教会問題 2022年7月8日に起きた安倍晋三元首相銃撃事件をきっかけに、旧統一教会の問題に注目が集まっています。特集ページはこちら。[記事一覧へ] Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
地球みんなで仲良くか、破滅してアメーバから始めるか 核使用に警鐘
広島県府中町の八幡(やはた)照子さん(85)は8歳のときに広島市の自宅で被爆した。2013年に、船で世界を一周して各地の人々と交流する「ピースボート」に参加し、寄港地で被爆体験を証言した。旅を通じ、「一つひとつの屋根の下にかけがえのない日常がある」と感じ、核廃絶への思いを強くした。 ロシアから侵攻を受けるウクライナのことはひとごととは思えない。8歳の目で見た惨状、人々が苦しむ声、物が焼け、遺体が腐っていくにおいが五感によみがえる。核使用の懸念に「地球全体が仲良くするのか、それとも人類が生きていけなくなってアメーバから始まるのか」。対話による解決を願う。 19年から広島平和記念資料館などで被爆体験を語る証言者として活動する。最近、新たな挑戦を始めた。自分の証言を翻訳してもらった英文を覚え、海外の人に直接話す。 「亡くなった人たちがどんなに生きたかったか、どんなに苦しかったか、自分の声で訴えたい」。来年5月に広島で開かれるG7サミット(主要7カ国首脳会議)で、海外から訪れる人に体験を証言することを目指し、英語を磨いている。(岡田将平、松尾葉奈) ロシアのウクライナ侵攻で核兵器使用の懸念が高まるなか、核兵器を持つ国と持たない国の参加者が一つのテーブルに付き、それぞれの国の立場を超えて知恵を出し合う「国際賢人会議」が12月10日と11日、広島市で開かれます。「核兵器のない世界」の実現に向けた具体的な道筋についての議論が深まることが期待されています。核兵器を取り巻く厳しい現状に、被爆者たちも深く心を痛めています。一瞬にして家族や友人らを奪われたり、長い年月、病気に苦しんだりしてきた実体験から、核兵器の恐ろしさを広く伝えようとしています。朝日新聞広島版で続く連載「聞きたかったこと」で過去に体験を語ってくれた被爆者のもとを記者が再び訪れ、いまの思いを聞きました。当時の記事も再録します。 (聞きたかったこと)家族思う気持ち一緒 広島県府中町 八幡照子さん(75) (2013年6月12日朝刊広島版掲載。年齢や年月日などは掲載当時のものです) 船で世界を一周し、各地の人々と交流する「ピースボート」。府中町の八幡照子さん(75)は7月出発の船に乗り、寄港地で平和を訴える被爆者の1人だ。5月のオリエンテーションで語った8歳のときの被爆体験が印象的だった。連絡を取り、詳しく話を聴いた。 ◇ 「大変なことになった」 八幡さんは4歳のときのある朝、父・加藤隆三さんが暗い声でつぶやいたのを覚えている。「尋常でないことが起きたのが子供心にも分かった」。それは太平洋戦争開戦の日だと後から知った。 その約2年後、神戸市から広… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル