石平道典2023年2月26日 20時30分 徳川家康と千代田のつながりとは――。東京都千代田区と区観光協会は、家康ゆかりの地などを紹介する動画や特設サイトの公開を始めた。NHK大河ドラマ「どうする家康」の放送を機に、江戸城下だった区内に残る家康の足跡を知り、訪ねてもらう狙いだ。 区は「千代田区と家康公の美味(おい)しいつながり」と題した動画を制作し、2月からユーチューブの公式チャンネルで公開。静岡市でロケを行い、家康をまつる久能山東照宮などもゆかりの地として紹介している。3月に公開予定の動画では、区内から紹介する予定だ。 また、区観光協会は1月、特集サイト(https://visit-chiyoda.tokyo/app/feature/detail/130)を開設。日枝神社や神田明神、家康が関東に移封される際に宿をとったことに始まる御宿稲荷神社など9カ所を、写真や地図とともに歴史や由緒を詳しく解説している。 観光協会内にある観光案内所(九段南1丁目)では、同協会観光大使を務める人気キャラクター「リラックマ」が家康に扮したぬいぐるみキーホルダー(税込み2500円)を発売中。今後もメモ帳や紙せっけんなど家康風グッズを販売する。すべて案内所での限定販売で、同協会は「区に足を運ぶきっかけになれば」としている。(石平道典) 有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
Anticipation building toward Roki Sasaki’s WBC debut
Roki Sasaki’s first pitch to Yuki Yanagita was a forkball. So was the second. The third was a fastball that registered 162 kph (100.6 mph) on the radar gun on a sunny afternoon at Sun Marine Stadium Miyazaki. That was followed by another at 161 kph. With the count 2-2, […]
造形物と判明した「人魚のミイラ」 秘蔵してきた住職が今思うこと
高井里佳子2023年2月26日 17時00分 岡山県浅口市の円珠院(えんじゅいん)が秘蔵してきた「人魚のミイラ」は、倉敷芸術科学大(同県倉敷市)による科学的調査で「造形物」だと結論づけられた。寺の住職を務める柆田(くいだ)宏善(こうぜん)さん(62)は今の心境について「(人魚に)申し訳ない」と語る。 主要な骨格がない、造形物だ――。同大の研究者らが調査結果を発表したのは2月7日。「ゆっくり眠っていたのに、人の目にさらされて『本物だ』『偽物だ』と言われて……」。柆田さんは朝日新聞の取材にそう漏らした。 寺に来た経緯は今も分かっていない。桐(きり)の箱に一緒に収められた文書には、元文年間(1736~41)に土佐の海で漁網にかかった、とあった。 約200㌔の防火金庫で保管 1970年代に新聞やテレビで取り上げられると、一目見ようと人々が押し寄せた。このため、先代の住職がガラスケースに入れて公開を始めた。 2014年に住職を継いだ柆田さんは、よりよい保管を検討。滋賀県の寺にあった「人魚のミイラ」が火事で焼けたことを知り、約200キロの防火金庫を買って守ってきた。 今回調査を受けたのは「詳しいことが分かれば、保存する上で役に立つと思ったから」だった。 今回、「造形物」と結論づけられたが、研究によって、中身が布や綿で、強いものではないと分かった。 いまはこう思う。「命あるもので作られた人魚。今後はもっと大切に、慎重に扱っていきたい」(高井里佳子) 有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「眠っていた人魚に申し訳ない」科学的調査を終え、住職が今思うこと
「人魚のミイラ」は人の手でつくられた造形物だった――。先日、そんなニュースが世間をにぎわせた。「ミイラ」を大事に守ってきたお寺の住職や地元の人たちは、科学的な調査の結果をどう受け止めているのか。岡山県浅口市の円珠院(えんじゅいん)を訪ね、柆田(くいだ)宏善(こうぜん)住職(62)に話を聞いた。 ――倉敷芸術科学大(同県倉敷市)の研究者らが、X線などを用いて調べた結果、「人魚のミイラ」には主要な骨格がなく「造形物」だと発表しました。 一番に思うのは、人魚に本当に申し訳ないことをしたなということです。ゆっくり眠っていたのに、人の目にさらされて「本物だ」「偽物だ」と言われて。 不老長寿のご利益を求め、写真を撮って携帯電話の待ち受けにしている人もいました。いろんな思いがつまったミイラが「偽物」のレッテルを貼られることになってしまい、反省しているところです。 ――今回、なぜ調査を受け入れたのでしょうか。 「見たい」という人がいても… この記事は有料記事です。残り1725文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
イタリア人も「おまえの方がうまかった」 世界を2度制したピザ職人
トラック助手席に置いたピザ生地の塊を、運転席からチラチラと眺める。家でこねた生地が発酵して、どう膨らんでいくのかを見るのが好きだった。 9年前、配送会社で働いていた美延智彦さん(44)の日々はそんな感じで過ぎていった。 大学卒業後にビーチバレーの選手としてツアーを回りながらバーに勤務。バーの経営もしたが、借金がかさみ、30歳からトラック運転手に転身していた。 「もう1回飲食で成功しよう」と心に秘めていた。 4ユーロのピザを食べて全身が震えた ピザとの関わりは2014年のこと。飲食関連のサイトで生地をこねる動画を見つけた。 「小さな塊が一瞬で伸びて、面白かった」。夜な夜な生地をこね始め、オーブンの展示場に行って「生地を焼かせてほしい」と頭を下げたこともある。 ある日、動画で見た「ピザのチャンピオン」がいる名古屋の店に行って、ピザを食べた。 「めちゃめちゃおいしい!」 借金も完済していたことから、翌日に会社へ辞表を提出した。勢いのまま、片道チケットでイタリア・ナポリへ飛んだ。 修業先はもちろんない。最初… この記事は有料記事です。残り974文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「キミのため 点検してね」 タレント重盛さと美さんが一日消防長
菊地洋行2023年2月26日 13時21分 春の全国火災予防運動週間(3月1~7日)を前に、三重県松阪市の大型商業施設駐車場で25日、啓発イベントがあった。松阪地区の防火協会と広域消防組合の主催。市ゆかりのタレント重盛さと美さん(34)が一日消防長を務めた。 重盛さんの母は松阪市出身で、屋外広告などを製作する看板店を経営。今回着用した「一日消防長」のたすきの文字も、同店で書いてもらったという。 イベントで重盛さんは、消火器の使い方をファンと訓練。特設舞台の上で消防職員と「1、ピンを抜く」「2、ホースを火に向ける」「3、ハンドルを握る」と声を合わせた。 また、住宅用火災警報器の設置義務化や、警報器の寿命が約10年であることなどをクイズ形式でファンとおさらい。自身が描かれたポスターの標語「キミのため 点検してね 住警器」を読み上げた。 催しの後で「皆さん、笑顔で応えてくれました。呼んでいただいてうれしい」と話した。(菊地洋行) 有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
亡き兄は職場で細菌に感染した…8年越しの訴え、認めさせた妹の思い
2歳年上の兄は独特ながら、妹思いの人だった。 妹が幼稚園に入園すると、なじめているかと人一倍、心配した。何度注意されても自分のクラスを抜け出し、妹の様子を見にいくことをやめなかったため、妹が兄のクラスに編入された。 人付き合いは不得手だったが、幼いころから虫や動物が大好きで、図鑑ばかり読んでいた。 獣医師を目指したこともあった兄、松本小市郎さんは熊本県の職員になると、やがて県畜産研究所に配属された。 2013年からは、研究用に飼育している豚のエサやりやフンの清掃、体重測定のほか、豚舎の維持管理にもあたっていた。 その2年後のことだった。首のリンパ節に腫瘍(しゅよう)ができ、15年1月、摘出手術を受けた。 聞き慣れない細菌の名前、いつも通りの様子から一変 そんなときでさえ、持ち前の… この記事は有料記事です。残り1579文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
戦争に翻弄され抱いた「平和への希望」、次世代へ 没後10年の催し
戦時中に大阪で生まれ、祖国・韓国と大阪のはざまを生きた在日コリアン男性がいた。平和を願って活動した男性の没後10年を機に、功績を振り返る催しが3月4日、大阪市である。 男性は2012年12月に亡くなった高仁鳳(コウインボン)さん。 「高仁鳳の軌跡」実行委員会によると、4歳で日本が敗戦した後、母と兄と共に朝鮮半島へ渡った。兄は朝鮮戦争に徴兵されて戦地へ。母が戦争中に病死したため、12歳の時に父が暮らす大阪へ戻った。 大阪で印刷会社を起こすと、いち早くハングル文字をコンピューターで自動写植するシステムを導入。角川書店の「朝鮮語大辞典」の印刷の一部を請け負うなど事業を広げ、90年代には中国語やベトナム語、アラビア語などの多言語印刷を展開した。 平和への願いも強かった。異… この記事は有料記事です。残り270文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
命救われた「男の子」、恩人の生涯を映画に コロナ下の保健師を応援
63年前、列車の中で命が危ない状態だった男の子を救った保健師がいる。青森県の保健師の草分けといわれる花田ミキさん。公衆衛生や予防医療に力を注いだ生涯を映画にしようと、その時の「男の子」が監督を務め、撮影を始めた。 夕刻、奥羽線の列車内で若い母親が、はしかで高熱を出し、ぐったりとした男の子を抱え、「お医者さんはいませんか」と走り回っていた。 乗り合わせていた花田さんと同僚が男児を抱き取ると、手足の先は冷たく呼吸は止まっている。人工呼吸をして次の駅で降りると、自衛隊の車に乗せてもらい、病院に向かった――。 1960年6月の地元紙・東… この続きは朝日新聞デジタル会員限定です。残り1255文字 1カ月間無料の「お試し体験」で記事の続きを読んでみませんか? Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
甲子園の3文字がずっと頭をよぎる 「オレらの代」の決着つける計画
「甲子園」の3文字がずっと頭から離れなかった。大学生になってもそうだった。 2020年5月20日。高校3年生だった大武優斗さん(20)がテレビを眺めていると、「夏の甲子園中止」という見出しのニュースが目に飛び込んできた。 スポーツ推薦で甲子園出場経験のある城西高校(東京都豊島区)に入り、ようやくレギュラーの座をつかんだところだった。 すぐには実感が湧かなかった。翌日、教室に集まったチームメートの顔は一様に曇っていた。新聞やテレビで連日報道され、現実を受け止めざるを得なくなった。 父から託された夢 かつて甲子園を目指した父親から夢を託され、小学1年から野球を始めた。 中学では強豪シニアチームに入ったが「上には上がいる」と知り、「プロが無理なら目標は甲子園に絞ろう」と思い定めた。 高校時代はひざのけがを繰り返した。2年の時の秋大会が終わってもひざの違和感が消えず、「最後の夏までは粘ろう」と決意。全体練習の後も夜遅くまで自主練に励み、翌年の春大会の前、背番号9をもらって先発メンバー入りを果たした。 そんなとき、新型コロナの第1波が国内を襲った。春の大会に続いて夏の地方大会と甲子園も、戦後初めて中止になった。 各地で独自の地方大会が開かれることになったが、練習には打ち込めなかった。甲子園への道が途絶えて、気持ちが切れた。 まもなく監督から、部員それぞれにメールが届いた。 「城西を背負って独自大会に… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル