全国霊感商法対策弁護士連絡会(全国弁連)が18日、東京都内で集会を開き、国会議員や地方議員、首長ら政治家に対し、改めて世界平和統一家庭連合(旧統一教会)との関係断絶を求める声明を発表した。 声明で全国弁連は、教団が政治家との関係を築くことは「信者や献金の獲得活動を進めやすくする」などの目的があると述べ、政治家が決別しないと「反社会的団体の違法活動にお墨付きを与え、不正行為を助長する」と強調。統一地方選を前に、改めて議会で関係断絶を議決し、各政党や各議会で各議員について教団との関係の有無を調査し発表するよう求めている。 集会では、教団が地方議会や首長に食い込んでいる実態を各地の弁護士らが報告。韓国の研究者が教団の現状について講演した。 このほか「宗教2世」をめぐる問題について、旧統一教会や「エホバの証人」の元2世信者らが体験を語り、対策を求めた。(編集委員・北野隆一) 有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。 旧統一教会問題 2022年7月8日に起きた安倍晋三元首相銃撃事件をきっかけに、旧統一教会の問題に注目が集まっています。特集ページはこちら。[もっと見る] Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
法隆寺金堂壁画、収蔵庫を改修して一般公開へ 保存活用委が提言
戦後すぐの火災で焼損し、原則非公開の奈良・法隆寺の金堂壁画(国重要文化財)が、境内にある収蔵庫を改修して一般公開される見通しになった。調査研究を続ける保存活用委員会(委員長=有賀祥隆〈よしたか〉・東京芸大客員教授)が18日、公開による劣化を最小限にするため、風除室の新設などを求める提言をまとめた。 壁画(7世紀後半~8世紀前半)には仏の世界や菩薩(ぼさつ)が描かれ、インドのアジャンター石窟群(せっくつぐん)や中国・敦煌(とんこう)の莫高窟(ばっこうくつ)の壁画と並び、仏教絵画の至宝とたたえられる。1949年の金堂火災で焼損。52年にできた収蔵庫で保管されている。 寺は一般公開をめざし、2015年に文化庁と朝日新聞社の協力で同委員会を設置。8年にわたって調査を進めてきた。 提言では、壁画は直ちに修理… この記事は有料記事です。残り1461文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「サクラサク」福岡市で桜開花 つぼみの成長順調で平年より4日早く
伊藤隆太郎2023年3月18日 18時00分 福岡管区気象台は18日、福岡市で桜が開花したと発表した。平年より4日早く、観測史上最速だった一昨年よりは6日遅い。 午前9時半ごろ、福岡市中央区の気象台内にあるソメイヨシノの標本木に、6輪ほどが咲いているのを職員が確認した。今年は1月下旬に強く冷え込んだ後、2月以降は平均して気温が高くなったため、つぼみの成長が順調に進んだようだという。 開花から満開までは平年で8日前後。今後の気温が高くなれば満開も早まる見込みだ。(伊藤隆太郎) 有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
結婚願う母さんに伝えた「僕は…」 苦悩したTV局員が変えたい空気
「朝日放送テレビ」(大阪市)の朝の情報番組で編集長をしている報道局主任の山田健太郎さん(38)は2年前にゲイであることを家族や同僚に打ち明けた。かつては「絶対にばれたくない」と、女性と付き合い、いくつものうそを重ねてきた。「異性愛を前提とする社会で、人からどう見られるかばかりを気にしながら生きてきた」と振り返る。 飲み会の「ノリ」になじめなかった 自分がゲイだとはっきり気づいたのは20歳を過ぎた頃でした。とても戸惑い、激しい自己嫌悪に陥り、命を絶つことを何度も考えました。 女性を好きにならなければと思い込み、30歳過ぎまで何人かの女性と付き合いました。でも、気持ちが追いつかず、長続きしなかった。自分はゲイではないとカムフラージュするために他人を利用してしまい、本当に申し訳ないことをしました。 友人の結婚式ではふたりのなれそめのVTRを何本もつくってきました。頼まれるのは光栄なことと思いつつ、僕はこうしたものをつくってもらえることはないし、温かい家族に囲まれて生きていくことはできないと思っていました。 男性ばかりの飲みの席では、「あいつは胸がデカい」「あの女がいい」といった下ネタに付き合わされる苦痛を感じてきました。 僕は自分の性的指向がばれないように必死で押し隠しているのに、相手はダダ漏れで同調するように強いてくる。恋人の有無や性的な経験を共有することで親睦を深めようとするあのノリは何なんでしょうね。まるで違う宗教のよう。彼らの幸せそうなノリに入りたいんだけど、どうしてもなじめない。 話を振られるとつらいので、とにかくお酒を飲んで、ぐでんぐでんなキャラを装っていました。 職場で同性愛を公表している人はおらず、十数人いる同期の中で独身は僕一人。「ゲイなんじゃないの」とからかわれると、「めっちゃ女好きだよ」とごまかしてきました。 ゲイだとバレるのは本当に恐怖でしかなかった。自分が大うそつきだと露呈してしまうこともそうだし、メディアがつくったイメージなどから気持ち悪がられるのではとの不安もありました。 ひと月に3人の女性を紹介され… 30代半ばを過ぎて独身でいると、同僚や取材先から「良い人がいるから」「とにかく一度会って」と、やたら女性を紹介されてしまう。僕のことをよく伝えてくださっているので先方も前向きで。断るのにいつも苦労してきました。 2年前の春、1カ月に3人もの女性を紹介され、僕は疲れ果てていました。人からどう見られるかを気にしながら生きるのはもうやめたい。まず最初に、自分にとって一番大切な家族にカミングアウトしようと考えました。 東京に暮らす母は「子どもを作って育てることが社会への恩返しだよ」と説いていた。僕が実家に帰る度に「いい人いないの?」「結婚はまだ?」と尋ね、僕の結婚を心から願っていました。 親を悲しませてしまうと思うとなかなか勇気が出なかったのですが、5月の母の日に、両親と妹、それぞれに手紙で打ち明けました。 「僕は、ゲイです。 治療すれば治るのかもしれな… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「大食い女王」菅原初代さん死去 わんこそばが導いてくれた人生
「大食い女王」として知られた菅原初代(すがわら・はつよ)さん=盛岡市=が今月9日に亡くなった。59歳だった。菅原さんは2007年から「全日本わんこそば選手権」(会場・岩手県花巻市)を3連覇し、テレビのバラエティー番組などで大胆な食べっぷりを披露して活躍。昨年、大腸がんであることを公表していた。本人のツイッターアカウントに代理人が「3月9日深夜、菅原初代は永眠いたしました。長い間お付き合いいただきありがとうございました」とツイート。親しい関係者も死去を明らかにした。 岩手が好き、食べることも好き。好奇心が旺盛で、興味を持ったことにはとことんこだわった。 1歳で普通のお弁当をペロッと平らげ、出されたものは必ず食べきる子どもだった。2006年、花巻市で「全日本わんこそば選手権」が開かれるのを住んでいた水沢市(現奥州市)の広報紙で知り、「面白そう」と軽い気持ちで応募。当時、女性の出場は珍しく、2位になって注目された。 大食いという自覚はなかったが、翌年には圧倒的な強さでトップに輝いた。「優勝はうれしかった。取材され、ひらめくようなものがあった。来年もここに居たいと思った」 好きなものを好きなだけ味わった菅原さん。亡くなる3カ月前、約2時間にわたり、食べることや愛する岩手について語っていました。 テレビ番組の出演機会が増え… この記事は有料記事です。残り880文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
陸自石垣駐屯地に弾薬搬入 住民ら「ミサイル反対」と抗議行動
小野太郎2023年3月18日 16時30分 防衛省は18日、沖縄県・石垣島(石垣市)の陸上自衛隊石垣駐屯地に弾薬を運び込んだ。16日に開設された石垣駐屯地のミサイル部隊が扱う12式地対艦誘導弾などが含まれているとみられる。政府は昨年末に12式地対艦誘導弾の射程を延ばし、敵基地攻撃能力(反撃能力)を担わせる方針を決定。防衛省は石垣島を含む南西諸島への運用部隊配置を検討しており、住民からは懸念の声が出ている。 この日は午前7時ごろに海上自衛隊の輸送艦「おおすみ」が石垣港に入港。弾薬を積んだとみられる「火」のマークを付けた約15台の自衛隊車両などが船から港に降り、午前9時半ごろから公道を通り、駐屯地に向かった。港の近くでは、配備に反対する30人ほどが「ミサイルを持ってそのまま帰れ!」などと抗議の声を上げた。車両の移動を阻もうとした数人が警察官に排除された。 早朝から現場を訪れていた石垣市の弁護士、藤井光男さん(76)は「いよいよ危なくなる。ミサイルが搬入されれば、相手からの攻撃目標になるだろう」と語った。住民投票を通じて意思表示をしたいが、市長も議会も消極的だ。「本当にもどかしい。自分たちが関与できないところで、どんどん進んでしまう」 防衛省は22日に石垣市民対象の説明会を開く。4月2日には政府や地元関係者らが参加する開設記念式典が行われる予定だ。(小野太郎) 有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
手塚治虫が伝えた「本当の戦争」 16歳で生き延びた漫画の神様
「漫画の神様」と呼ばれた故・手塚治虫さんは16歳で、戦争を生き延びた。後年、戦争で感じた理不尽さを糧に「火の鳥」や「アドルフに告ぐ」を世に送り出す。ウクライナ侵攻で国際情勢が緊迫する中、手塚作品が伝える「本当の戦争」とは何か。 手塚さんは太平洋戦争末期の1945年、勤労動員で働く大阪の軍需工場で死に直面する。同年3月13日から終戦前日の8月14日までに計8回あった大阪大空襲だ。 B29戦略爆撃機の大編隊が見え、焼夷(しょうい)弾が頭上に落ちる音がした。「おれはもうおしまいだ!」。焼夷弾はたまたま、手塚さんのすぐ横を通過。仲間が死んだ。 戦後は大阪大空襲の体験を交えた作品「紙の砦(とりで)」など、戦争をテーマにした作品を多数描いた。 生前から戦争の風化を感じていた手塚さん。戦後生まれの人に向けて、自著にこんな言葉を残している。 《戦争とは、かっこいい兵器がでてきて、いさましい突撃があって(中略)とワクワクする人がいる。 でも、ほんとの戦争はそんなもんじゃない。あなたのあたまの上にたまがおちてきて、あなたがこっぱみじんになってあなたが死ぬのですよ。》(長富由希子) 有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
戦時中、漫画に感じたカタルシス 手塚治虫が描いた「本当の戦争」
【動画】手塚治虫がみた大阪大空襲 16歳の少年は、一瞬の差で戦争を生き延びた。戦争で感じた理不尽さを糧に「火の鳥」や「アドルフに告ぐ」を生んだ漫画家の故・手塚治虫さん。ロシアのウクライナ侵攻で国際情勢が緊迫する中、手塚作品が伝える「本当の戦争」とは何か。遺族や識者に聞いた。 小学校では、いじめられっ子 髪は縮れていて、背が低く、小学校ではいじめられっ子。登校すると、容姿をからかう歌を歌われた。 自分にしかできないものを作れば、いじめられないのでは。そう考え、小学校で漫画を描き始めた。 当時はすでに戦争中で、手塚さんも巻き込まれた。戦意高揚の映画を学校で見て、同級生とは戦争ごっこ。父親も後に出征する。 《当時の子どもたちは、戦争には勝たなくてはならない、兵隊には行かされる。これはひとつのエスカレーターのようなもので、(中略)あきらめていました》(「手塚治虫 漫画の奥義」) 1941年。太平洋戦争が始まった年に旧制中学に入学した。勤労動員で軍需工場に働きに行かされたが、昼休みに漫画を描いた。工場長ににらまれても、空襲警報が鳴っても描き、「読者」が欲しくてトイレの個室内に作品を貼った。 漫画がくれた「カタルシス」 明日生きているかもわからない戦時中。漫画を描くことは「カタルシス」(浄化)だったと後年語る。 《描いていることで、ぼくは… この記事は有料記事です。残り1361文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
群馬県、ウクライナ学生を支援へ 語学学校との学費めぐるトラブルで
川村さくら2023年3月18日 13時11分 学校法人「ニッポンアカデミー」(前橋市)とウクライナから避難してきた学生との学費をめぐるトラブルで、群馬県は学生たちが学校を移る時に一時金10万円を支給するなどの支援をすると発表した。16日の定例会見で、山本一太知事が明らかにした。 支援の対象はウクライナから県内に避難している学生ら。同法人から他校へ移籍を希望する学生のほか、他の学校の学生やこれから入学する人も支援する。県は学生と学校とのマッチングを支援し、通訳や相談窓口を通じて心理的なケアもする。前橋市もオンラインでの日本語学習を支援する。 支援にあたっては、国、県、市の3者が事前に協議して役割を分担する。また学生への連絡は出入国在留管理庁を通して一括で行う。学生らが混乱しないよう連携してサポートしていくという。 一方、17日に会見した同法人の清水澄理事長は、学生らはすでに十分な支援を受けているとして、県の対応を「過剰支援」だと批判した。 2月の会見で避難民を「難民貴族」と発言したことについても触れ、「(学費を支払わない)一部の学生の状況を記者に正しく認識してもらうために発した言葉」だったと説明。認識は今も変わらないとした。 その上で、「難民貴族」と発言した際に、記者らにこの言葉を報道しないよう「警告」したとも釈明。報じたメディア側に問題があるとの認識を示し、「みなさん(マスコミ)が負うべき責任」だとも話した。 この発言で法人は、県から行政指導を受けている。(川村さくら) 有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
36色の色鉛筆で描いた似顔絵 捜査官が忘れられない、12年前の涙
12年前の東京電力福島第一原発事故では、原発が立地する福島県沿岸部から多くの住民が避難を強いられた。避難所に集まった人々の心のケアにあたるため、山梨県警からもたくさんの警察官が福島に派遣された。その中には、得意のイラストで子どもを励ます「似顔絵捜査官」がいた。 その捜査官は生活安全企画課の警部補、土橋枝利子さん(42)。当時は鰍沢署地域課の巡査長だった。福島とは縁がなく、訪れたこともなかった。 東日本大震災の発生から2カ月余りが過ぎた2011年5月24日から約1週間、福島県内の避難所を約10カ所巡回した。警察官数人でチームを組み、「お元気ですか」と声をかけ、相談事や要望を聞きながら防犯パトロールを続けた。 「帰りたい」「死ぬまでに家に戻って、あそこで死にたい」 ひざ詰めで話し込んだ何人ものお年寄りがそんな風に嘆いていた。原発事故の収束が全く見通せず、故郷に帰還できるめどは立たないからだ。軽々に「帰れますよ」とは言えず、ただ聞くだけだった。 避難所には子どもも多かった。しかし、避難所暮らしは周囲に気を使い、大声ではしゃぐこともはばかられる。そこで、「子どもが自然と笑顔になれる手伝いがしたい」と考えた。 土橋さんは趣味のイラストの腕前が認められ、県警の似顔絵捜査官に任命されていた。福島を訪れて4日目、第一原発から西に約100キロ離れた会津若松市の避難所を訪ねた。土橋さんは山梨から持ってきた36色の色鉛筆を取り出し、女の子の似顔絵を約20分かけて仕上げた。 似顔絵を眺める、子どももお年寄りも笑っていた たちまち人の輪ができ、周りの小学生から「私も描いて」とせがまれた。似顔絵を眺める子どもも、お年寄りも笑っていた。 どの避難所でも、描いたのは笑顔だった。「自分の笑顔を見れば、いつでも自然と笑えますからね」。当時の取材にそう答えていた。 福島県警の警察官の似顔絵も描いた。警察官もまた被災者。疲れた心を癒やしたかった。あの時、似顔絵を描いてあげた女性警察官が流した涙は忘れない。 あれから、多忙な業務やコロナ禍もあり、福島を再訪できずにいる。「ずっと会えない親戚がいる街に遊びに行きたい。そんな思いですね」。土橋さんはアルバムを見返してつぶやいた。(池田拓哉) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル