有料記事 平川仁 武井風花2023年3月10日 21時28分 東日本大震災から12年となるのを前に、仙台市若林区の沿岸部では10日、仏教や神道などの宗教者が住民とともに行脚する合同慰霊があった。 黒色の法衣姿の僧侶ら約10人が一列になって寺を出発。田畑を抜け、海岸近くにある観音像「東日本大震災慰霊の塔」に向かって歩いた。塔では、白い作務衣姿の神職も加わり、全員で黙禱(もくとう)を捧げた。 市によると、観音像のある荒浜地区では、当時約2200人が暮らしていたが、約190人が津波の犠牲になった。今は「災害危険区域」に指定され、人は暮らせない。 参加した同区三本塚の菊地貞一郎さん(72)は友人を津波で失った。「十三回忌で一区切りではあるんだけれども、3・11はやはり忘れちゃいけない。亡くなった人たちを思い出しながら歩いた」と話した。 主催したのは、被災者や終末… この記事は有料記事です。残り533文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
【震災12年】羽生結弦さんが鎮魂の舞 「満天の星は希望の光に」
【動画】「希望の灯火」灯籠に火をともし、亡くなった人たちを追悼した=吉田耕一郎撮影 東日本大震災から11日で12年になります。関連死も含め死者・行方不明者は2万2212人に上りました。大津波に奪われた多くの尊い命を悼み、東京電力福島第一原発事故の影響を今なお受ける人たちの苦悩を忘れない――。きょうをそんな日に。各地の動きをタイムラインでお伝えします。 ■■■3月10日■■■ 【動画】釜石市の海岸で地元の警察、消防、海上保安庁らが捜索活動を行った=藤原伸雄撮影 18:00 エールと鎮魂の思い込め、桜色にライトアップ 被災地へのエールと震災で亡くなった人への鎮魂の思いを込め、大阪府豊中市の市立文化芸術センターが、桜色にライトアップされた。震災直後から東北の被災地支援を続けてきた市社会福祉協議会が企画した。期間は12日の夜まで。 豊中市は、岩手県の大槌町や陸前高田市などと災害時の相互応援協定を締結している。また、豊中市内にある府立桜塚高校は被災地支援のボランティアをきっかけに、2012年に岩手県立大槌高校と、両校の校章が桜をモチーフにしていることから「さくら協定」を結び、交流を続けている。そこで今回、桜色にライトアップすることにした。 10日にあった点灯式には、市社協職員や桜塚高校の生徒のほか、大槌高校の生徒たちもオンライン会議システム「Zoom」で参加し、全員で黙禱(もくとう)した。 大槌高校の生徒たちが復興の歩みなどを紹介し、桜塚高校の生徒の1人が「修学旅行で大槌高校を訪ねて、またいつか関われたらと思っていたので、もう一度再会できてよかったです」と話した後、一緒にカウントダウンして点灯した。 17:00 羽生結弦さんが鎮魂の舞「満天の星は希望の光に」 フィギュアスケートで五輪2連覇を果たし、プロとして活躍する羽生結弦さん(28)が、地元の宮城・セキスイハイムスーパーアリーナでアイスショー「羽生結弦 notte stellata(ノッテ・ステラータ)」を開催し、鎮魂の舞を披露した。 12年前に羽生さん自身も仙台市内で被災。避難所に向かう途中に夜空を見上げた時に、「満天の星」が見えたという。羽生さんは「ノッテ・ステラータは『星降る夜』という意味です。満天の星は希望の光になりました。一つ一つのプログラムが輝く星になるように滑ります」と語った。 ショーには羽生さんと親交のある国内外の著名なスケーターのほか、体操個人総合で五輪2連覇を果たした内村航平さんも出演した。 17:00 「ずっと一緒だよ」「会いたい」 600個の灯籠にあかり 東日本大震災の被災集落跡にある宮城県岩沼市の公園で、市の追悼行事「希望の灯火(あかり)」があった。亡き人を導くように並べられた約600個の灯籠(とうろう)に、元住民や遺族らが次々と火をともした。 灯籠には「ずっと一緒だよ」… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「エホバの証人」から意見聴取の意向 厚労相 「輸血拒否は虐待」
キリスト教系新宗教「エホバの証人」に関連した児童虐待が起きている可能性が指摘されていることに関して、加藤勝信厚生労働相は10日の衆院厚生労働委員会で、「(教団側から)団体としての認識や実情などについて聴くことが必要だ」との考えを明らかにした。今後、輸血拒否など宗教がかかわる児童虐待の実態を把握するための調査研究を進める方針も示した。 立憲民主党の早稲田夕季議員の質問に答えた。 加藤氏は「医師が必要と判断した輸血などの医療行為を受けさせないのは、いわゆる医療ネグレクトにあたる」と改めて説明。「信者である保護者が輸血拒否などを行っているとの指摘をふまえ、法人関係者から団体としての認識などを知るということも大事」と述べた。また「調査研究などにより、輸血拒否の状況も含めた宗教が関係する児童虐待の実態把握を今後行っていきたい」とも話した。 エホバの証人をめぐっては… この記事は有料記事です。残り169文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「おとうはもういないんだ」5年後初めて泣いた娘 心の復興支える場
有料記事 武井風花 平川仁 本山秀樹2023年3月10日 22時00分 東日本大震災から12年。2万人余りが犠牲になり、原発事故があった福島を中心に今も3万人が避難を続ける災害で、「心」の復興は一律には進まない。震災後に生まれた寄り添いの形が草の根で展開する一方、複雑になる被災者の悩みや不安をどうすくいあげ、適切な支援につなげるかが課題だ。(武井風花、平川仁、本山秀樹) 宮城県栗原市の訪問看護ステーション脇で2月中旬、移動傾聴喫茶「カフェ・デ・モンク」が開かれていた。東日本大震災で大切な人を失った被災者の悲しみを受け止めようと、地元の住職らが始めた。 テントでたき火を囲む10人ほどの輪が出来た頃、阿部朋佳(ともか)さん(27)がホットサンドを焼き上げ、運んできた。 阿部さんは同県南三陸町の職員だった父良人さん(当時53)を津波で失い、震災の半年後、母淑子さん(63)と実家近くの通大寺で供養をした。泣き崩れる母のそばで、涙をこらえた。当時は高校1年生。主催する金田諦應(たいおう)さん(66)は気になった。「悲しみを吐き出せない方がつらい」。翌夏、子ども向けの寺のイベントを手伝ってもらったのを機に、傾聴喫茶に誘った。 阿部さんはお手伝い感覚で参… この記事は有料記事です。残り2181文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
Masataka Yoshida leads charge as Samurai Japan routs South Korea in World Baseball Classic
Masataka Yoshida made the unprecedented move by a Japanese player to leave his first MLB spring training to compete in the World Baseball Classic. It looks like a good move so far. Yoshida, who has been playing at a high level since leaving spring training with the Boston Red Sox […]
クラーク国際の選抜初戦は大会7日目 新岡主将「一番よい日程」
第95回記念選抜高校野球大会の組み合わせ抽選会が10日にあり、クラーク国際は大会7日目の24日の第1試合(午前9時開始予定)で、大垣日大(岐阜)と沖縄尚学(沖縄)の勝者と戦うことが決まった。 抽選会は昨大会までコロナ禍の影響でオンライン開催だったが、今回は各校の主将が会場でくじを引いた。 クラーク国際のエースの新岡歩輝主将(3年)は、全体の15番目にくじを引いた。新岡主将は緊張した面持ちで「25番です」と宣言した。 参加校36校中35番目の登場となる。佐々木啓司監督は「土の上で練習できる時間が増えた」と前向き。新岡主将も「自分、チームにとって一番よい日程」と話す。 対戦相手は、昨秋の九州大会を制し選抜大会で2度優勝した沖縄尚学か、選抜準優勝経験のある大垣日大か。「どちらも打撃がよいイメージがある。両者の試合を見て、攻撃スタイルをよく見極めたい」と新岡主将。 抽選会後、選手たちは札幌大通キャンパスなどとオンラインでつないだ壮行会に参加した。男子サッカー部員らから「同じクラーク生として誇り。皆さんの力で、新たな歴史を刻んでくれると思う」と激励を受けた。新岡主将は「全国のクラーク高校の代表として、思いっきり、自信を持ってプレーしてきます」と応えた。(石垣明真) クラーク国際・新岡歩輝主将 昨大会のサヨナラ負けの悔しさを晴らすためにも、まずは初戦突破が目標。自分の投球が勝利の鍵になるため、内外の投げ分けや変化球の精度を上げていきたい。 クラーク国際・佐々木啓司監督 相手の試合を見てから対戦できるのがよかった。初戦まで時間があるので、打撃力を向上させていきたい。守備からリズムを作り攻撃につなげる試合展開を想定している。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
5類移行後の医療、大丈夫? 「発熱患者を診るか決めかねる」自問
新型コロナ感染症の5類移行後も、感染者が安心できる医療体制は維持されるのか。ウイルスの感染力が変わるわけではなく、引きつづき医療機関側は感染対策などの負担がある一方、財政支援は減らされ、現場からは対応に戸惑う声も聞かれる。 「5月以降、発熱患者を診るか決めかねている」。東京都新宿区の内科の診療所院長はそう話す。新型コロナ下で、発熱患者は基本診てこなかった。38度以上の熱がある患者が来ると、都の相談窓口を案内してきた。患者の大半は高血圧などの持病がある60代以上で、脳梗塞(こうそく)や心筋梗塞を患う高齢者の訪問診療もしている。「ほかの患者にコロナを感染させてしまうのではないか不安だった」からだ。 だが、5類移行後は、医師法に定められた「応召義務」により、コロナ感染やその疑いを理由とした診療拒否ができなくなる。違反すれば医師免許の取り消しや停止があり得る。「発熱患者を診なくては」という思いはあるが、「高齢のかかりつけ患者に感染が広がらないか。守れるのか」。院長は自問自答している。 都内の婦人科診療所院長は… この記事は有料記事です。残り1066文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
空襲の証言映像、都がデジタル化へ 祈念館構想で収集も非公開20年
有料記事 土舘聡一 渡辺洋介2023年3月10日 21時16分 約10万人が犠牲になった78年前の東京大空襲をめぐり、東京都は新年度から、収集・記録しながら非公開としてきた証言映像や戦争資料について、デジタル化する方針を固め、公開を検討する。1990年代に都平和祈念館(仮称)の展示用に集めたものの構想が凍結され、その大半が20年以上、倉庫に保管されたままになっている。 収集したのは空襲体験者330人分の証言映像のほか、焼夷(しょうい)弾の破片などの戦争資料の約5千点。都によると、昨春の都議会で小池百合子知事がデジタル化を進める方針を表明した。「ウクライナ侵攻で平和への意識が高まっていることから、資料や映像を活用して戦争の記憶を風化させない」とねらいを説明。23年度予算案には費用として6402万円を計上した。 都は、330人の証言映像のデジタル化や公開に向けて、展示以外での使用について出演者や家族に意向確認を進めてきた。今年1月末時点で113人の同意を得たが、遺族や体験者本人と連絡が取れないケースも多いという。 貴重な資料はこれまで、市区町村に一部が貸し出されるなどするだけだった。集めたのになぜ、活用されてこなかったのか。 「一歩前進」と評価 祈念館に向けた議論も 祈念館の展示内容や歴史認識… この記事は有料記事です。残り705文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
« Le bazooka monétaire supposé réveiller le Japon n’aura pas suffi »
Au pays du Soleil-Levant, on n’hésite pas à prendre des retraites tardives. A 78 ans, Haruhiko Kuroda, le gouverneur de la Banque du Japon, présidait, vendredi 10 mars, son dernier conseil à la tête de l’institution. Son successeur, un « gamin » de 71 ans, Kazuo Ueda, était officiellement adoubé ce même jour par le […]
生きて帰れず七年過ぎ行く 偏見、孤独…短歌に無念つづり、逝った母
朝、窓を開けると鳥のさえずりが聞こえ、夜は満天の星に包まれる。 集落を囲む山々は、春に淡いピンクのヤマザクラで彩られ、冬には雪化粧をまとう。 阿武隈山地の山あいに広がる福島県浪江町の津島地区。 人口1500人ほどと小さく、住民らが家族のように支え合って生きてきた。アイドルグループの「TOKIO」がテレビ番組の企画で住み込み、農業体験をした「DASH村」の舞台にもなった。 紺野リシ子さんは、この津島で育った。 12年前、83歳だったあの日まで、この地で生涯を終えるつもりだった。 それなのに――。 故郷から引き離され、再び帰れる日はこなかった。 突然失われた日常 リシ子さんは1927年生まれ。同郷の広衛(ひろえ)さんとの結婚を機に小学校の教師をやめ、4人の子宝に恵まれた。 よく笑う明るい性格で、趣味は短歌を詠むこと。 家には毎日のように近所の友人が訪れ、茶飲み話で盛り上がった。 周囲からは「リシちゃん」と呼ばれ、家庭の相談を持ちかけられるなど頼られた。 夫に先立たれてからはひとり暮らしで、家事と畑仕事をひとりでこなした。 12年前のあの日も、当時83歳だったリシ子さんは津島にいた。 山も地球も爆発するかと思うほどの揺れと、聞いたこともない大きな地鳴り。 身の危険を感じ、家の前の木にしがみついて時が過ぎるのを待った。 町内の最大震度は6強。人生を大きく狂わす悲劇は、その直後に訪れた。 地震の翌日、さらに2日後と、南東に30キロ離れた東京電力福島第一原発の1、3号機で相次いで水素爆発が発生。浪江町は2011年3月15日、国の避難指示を待たずに、独自で全町民を避難させると決めた。 「原発事故で避難してきた」 病院の待合室で明かすと… リシ子さんは薬も持たず、着の身着のままで避難。福島市の長男宅を経て、東京都内の長女のマンションに身を寄せた。だが、急な環境の変化に持病のリウマチの症状が悪化し、精神的にも不安定になった。 「早く福島に帰りたい」。浪江町の職員で、福島に残っていた三男の則夫さん(68)の携帯に何度も電話するようになった。 5月、遠く離れた故郷を思い、日記帳に短歌をしたためた。 《東京の 広き大空 眺めつつ 早く帰りたし 福島の里に》 津島に帰れる日はいつか。この先の生活はどうなるのか。 不安でいっぱいの心を、避難者への偏見がさらに苦しめた。 リウマチの薬をもらうために行った病院の待合室。同年代の女性と話し込んだ。 「どこから来たの」 「福島の浪江町。原発事故で避難してきた」 そう言うと、親しげに話していた女性がスッと席を立ち、いなくなった。 原発事故で避難してきた人の近くにいたら、自分も被曝(ひばく)すると恐れたのだろうか。 「悲しかった。がっかりしちゃった」と則夫さんにこぼした。 「ほがらかな気持ちがどこかへ逃げていった」 7月、日記帳に記した言葉には、家族への気遣いと望郷の念が交錯した。 《東京に来て四カ月以上もお世話になりました。 御迷わくをかけて、すまない気持ちでいっぱいです。 毎日福島に帰ることだけ考へて来ました》 《津島の人達はどこにいるのだろうか。 早く皆さんに会いたいです。 会って大きな声で話し笑い合いたいです。 私のあのほがらかな気持ちがどこかへ逃げて行った様な気分です》 《福島を はなれて早や四月 思いて遠し 山里の道》 仮設住宅に移ったが… 「孤島に老婆 一人きり」 ふるさとを追われ、半年が経とうとしていた2011年8月29日。 リシ子さんは、福島県本宮市に完成した浪江町民向けの仮設住宅に居を移した。 入居ができるようになった、初日のことだった。 市内に避難していた三男の則夫さんは、震災後初めて母の姿を見た。 「どうしちゃったの」 震災前のふっくらとした面影はなく、別人のようにやせていた。 リシ子さんは東京で下痢が続き、震災当時54キロあった体重が10キロも減っていた。 […]