「警視庁の柔道選手」としての活躍を思い描いていた男は、マッチングアプリで知り合った女性に結婚詐欺を働く常習犯に転落した。手口として利用したのは、輝かしいはずだった自分の姿。そして動機は「妻のため」だった。 2022年11月、東京地裁であった初公判。傍聴席20席の小さな法廷に、被告の男(27)は上下黒のジャージー姿で現れた。 マッチングアプリで出会った20代の女性3人から、21年11月~22年7月に計598万円をだましとったとして、詐欺罪で起訴された。 検察官が起訴状を読み上げると、被告はまっすぐ前を見て「間違いありません」と内容を認めた。 被告人質問などから事件の経緯をたどる。 被告は幼少期から柔道を始め、大学卒業後に警視庁の警察官として採用された。警察学校を卒業後、正式に警視庁所属の柔道選手になる予定だった。 しかし、大学時代にけがした足首が治らず、選手になれなかった。警視庁に入ってまもない18年に退職した。 給料は全て妻に その後は不動産会社で施工監督として働き始めた。21年1月、へんとうがはれて発熱する日が続いた。原因は不明だった。コロナ下で、発熱したまま会社には行けない。結局、治療に専念するため、会社を休むことになった。 休職して2カ月後、スマホ一つで他人とつながれるマッチングアプリを始めた。さらにその5カ月後の21年8月、アプリを通じて知り合った女性から初めて金を借りた。なぜ? 被告「病気のせいで休職することになり、生活費が足りなくなった」 傷病手当は出ていたが、元の給料より月約8万円少なかった。「それまでは給料を全て生活費として妻に渡していた。足りない分は女性から借りた」と続けた。 弁護人「どうしてマッチングアプリで知り合った人に借りようと思ったのか」 被告「初めは友人から借りて… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
天皇陛下、自ら財布を出して ご一家の私的訪問、人々の受け止めは
皇室の方々とゆかりが深い学習院大学の目白キャンパス(東京都豊島区)で、16日に開かれた「オール学習院の集い」。新型コロナウイルス感染症の影響で4年ぶりの開催ということもあり、会場は様々なブースや出店、イベントを楽しむ人々でにぎわっていた。 この日、会場を訪れることはなかったが、学習院OBの天皇陛下や学習院大学4年生の長女愛子さま、そして皇后さまも過去に何度も来場し、ある場所を度々訪問。飾らない素顔や貴重な買い物姿を見せていた。 「この子は何ていう子ですか」「何歳ですか」 前回開催の2019年4月。皇太子妃時代の皇后さまは、盲導犬を連れていすに座っていた視覚障害者らに近寄ると、しゃがんで握手をしながら一人一人に優しく語りかけた。 盲導犬の育成訓練や視覚障害者の歩行指導などに取り組む「アイメイト協会」のブースを、皇太子ご夫妻時代の天皇、皇后両陛下、当時学習院女子高等科3年生の愛子さまが訪れた。公務ではない、プライベートな訪問だった。 福島県いわき市から参加していた全盲の坂本光男さん(76)は皇后さまから話しかけられ、「とても優しく、私たちの目線に合わせてお声がけしてくれているのが分かり、お話ししやすかった」と振り返る。 それまでにも皇后さまとは数回対面しており、「震災の時は大変でしたね」と気遣ってもらったこともある。中でもうれしかったのは、再会時に坂本さんが前回連れていた犬を覚えてくれていたことだ。 協会関係者の女性は、皇后さまが取ったある行動が印象に残っている。 娘を導く母の思い、愛子さまは体験歩行を何度も経験 視覚障害者全員に声を掛け終… この記事は有料記事です。残り1466文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
金継ぎ漆芸家、3.3億円無申告 教室で収入「さぼった」 国税指摘
有料記事 東谷晃平 花野雄太2023年4月23日 6時00分 壊れた陶器を漆や金で修復する伝統技法「金継(きんつ)ぎ」を行う漆芸家の男性が名古屋国税局の税務調査を受け、2021年までの5年間で約3億3千万円の申告漏れを指摘されたことがわかった。 金継ぎ教室の講師や監修などで得た収入を申告していなかった。一部は悪質な課税逃れに適用される重加算税の対象とされ、追徴税額は約1億7千万円に上る。 この男性は一般社団法人「漆芸伝承の会」(名古屋市守山区)を主宰する栗原蘇秀(そしゅう、70)=本名・栗原義博=氏。 栗原氏は取材に「既に期限後申告し、納税した」とした上で、「確定申告があるのは知ってたけど、さぼった。仕事が忙しかった」と話した。 漆芸伝承の会のホームページ(HP)などによると、栗原氏は1970年に石川・輪島で漆塗りなどの技法を学び、85年に独自の技法を確立。 以降、作品を展示会で発表する傍ら、朝日カルチャーセンターを含む複数のメディア系の文化教室などで金継ぎの講師を務めるほか、弟子を講師として派遣するといった監修をしていた。 関係者によると、栗原氏は金… この記事は有料記事です。残り696文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
【そもそも解説】富士山噴火時の避難計画、どう変わったの?
Q 富士山の噴火(ふんか)に備えた避難(ひなん)の計画が、最近作り直されたの? A 「富士山火山避難基本計画」のことだね。富士山の噴火は江戸(えど)時代が最後なんだ。でも専門家の間では、いつ噴火してもおかしくないと考えられている。だから静岡、山梨、神奈川3県で2012年に協議会を作り、15年に最初の避難計画をまとめたんだ。その後、噴火の被害範囲(ひがいはんい)を地図でしめす「ハザードマップ」を改定(かいてい)し、3月末に避難計画も作り直した。大きな噴火時に噴出する溶岩(ようがん)の想定量が前より2倍に増え、被害の想定区域も広がったんだ。 Q 避難計画をどう変えたの? A 富士山は想定される火口… この記事は有料記事です。残り613文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
今こそドキュメンタリーを 警察不正特報、死刑囚と対話 裏話も披露
九州を現場にテレビでドキュメンタリーを撮り続けてきた、福岡の民放とNHKの3人が、共著で本を出した。撮影の裏話を披露し、ドキュメンタリーの可能性を論じ合う。ネット隆盛の時代の中、いかに撮るべきか。「三者三様」のスタイルから世に問いかける。 「ドキュメンタリーの現在 九州で足もとを掘る」(石風社)。出版したのは、KBC九州朝日放送(福岡市)の臼井賢一郎さん(58)、NHK福岡放送局の吉崎健(たけし)さん(57)、RKB毎日放送(福岡市)の神戸金史(かんべかねぶみ)さん(56)。 3人は、九州に軸足を置いて報道に携わる一方、放送局の垣根を越えて良質のドキュメンタリーを視聴し制作者と議論する勉強会「福岡メディア批評フォーラム」を2006年から続けてきた。コロナ禍でネットやテレビの映像を自宅でじっくり見る人が増えた今、「自分たちのこれまでの仕事を通じて、ドキュメンタリーのすばらしさを伝えたい」と本をまとめることにした。 吉崎さんは水俣病に関する番組を約30本作ってきた。 胎児性患者の半永一光(はんながかずみつ)さん(67)が、自ら撮りためた写真の展示会を開くまでを追った1991年のドキュメンタリーを作る過程では、患者や家族への偏見が残る中、番組によって平穏な日常が乱されることを心配した親族らを一軒ずつ訪ね、制作の意図を説明し、理解を求めた。幼い姪っ子と甥っ子には、世間に存在を隠されてきた半永さんが「こうして生きているんだ」と伝える番組だと必死に話すと、分かってくれたという。 作品は九州でローカル放映され好評を得た。ただ、全国枠で放映するにあたっては追加撮影を会社から求められた。さらなる取材に家族や支援者が難色を示す中で悩み、最後は半永さんに率直に相談した。 すると、少し考えた後で、追… この記事は有料記事です。残り1190文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
廃線のがれたローカル線、開通100年 駅前に響いた70年ぶりの歌
坂田達郎2023年4月23日 11時00分 【動画】当時中学生だった70年前に歌った長井線開通30年の祝い歌を披露する人たち=坂田達郎撮影 かつて国鉄の廃線対象の路線だった山形鉄道フラワー長井線が22日、赤湯―荒砥駅間(約30・5キロ)の全線開通100年を迎えた。山形県白鷹町の荒砥駅前であった記念式典で、開通30年に祝い歌を披露した当時の中学生約25人が70年のときを経て歌声を響かせた。 1923年4月22日に荒砥駅まで開通した。60年代に入ると赤字路線として廃線候補になり、地元は反対運動を展開。県と沿線4市町などが88年に第三セクターの山形鉄道を設立し、運行を引き継いだ。 開通30年の歌は楽譜が見つからず、元生徒の記憶をもとに再現した。古い資料で確認できた歌詞もあり、最後の「みんなで祝おう 感謝しよう」の部分は元生徒の記憶でよみがえった。 「荒砥前広場を中心に開通30周年記念事業が盛大に行われた。私たちは中学生で、目抜き通り1・3キロを日の丸の旗を振り、歌いながら祝いの行進をし、式典で全員でこの歌を歌った」 当時、荒砥中3年だった高谷誠司さん(85)はこの日、あいさつで経緯を説明。強い風が吹くなか、そろいの法被姿で舞台に立ち、鉄道が「文化の恵み」や「物産」を運んでくれたという歌詞を歌い上げた。 当時1年だった埼玉県の五十嵐徹さん(82)は高校卒業後、地元を離れて警視庁の警察官になり、定年まで勤めた。「曲を聴き、当時の記憶とともに歌を思い出した。きょうは懐かしい顔ばかりで、みんな元気でびっくり。地元に帰って式典に参加できてよかった」と話した。 長井線は普段1両か2両編成だが、100周年を記念した4両編成の列車が初めて走った。長井市が拠点のアマチュアフォークグループ「影法師」は、長井線存続運動のテーマソングだった「今日もあの娘(こ)は長井線」を披露するなど、会場は家族連れらでにぎわった。(坂田達郎) 有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
ひと夏の冒険のはずが…4年後に見たキノコ雲 海越えたつながり今も
夏休みのほんの1カ月ほどの旅のはずだった。1941年8月4日、米国・サンフランシスコから豪華客船「龍田丸」が出港した。日系2世で10歳だったジャック・ダイリキさんは父と乗り込んだ。 まだ見ぬ日本への冒険に心躍らせたが、カリフォルニア州・サクラメントで見送った母は「日本に行ったら、もう帰ってこられない」と泣いていた。再び米国の地を踏むまでは6年以上がかかった。その間に広島で、米国が投下した原爆の惨劇に遭うことになる。 奥海田村(現・海田町)出身の父は、カリフォルニア州でホテルを営んでいた。日本に向かったのは、故郷の祖父の具合が悪いと知らせがあったからだ。妊娠中の母と弟、妹を残し、ダイリキさんは長男として父についていった。 日本語教えてくれたおば 船と列車で奥海田村に着くと、米国からの客は珍しく、歓待された。だが、すでに日米開戦の足音は近づいていた。7月末に日本がインドシナ半島南部に進駐すると、米国は石油禁輸などの経済制裁を発動していた。 米国に帰る船がなくなり、地… この記事は有料記事です。残り1254文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
老舗茶屋で変わらぬ景色を 料理や酒を一層おいしく感じさせてくれる
有料記事 スズキナオ=ライター2023年4月23日 12時00分 琴ケ瀬茶屋(京都) 京都でも指折りの景勝地・嵐山は今日も観光客でにぎわっている。渡月橋を渡り切り、桂川沿いをしばらく上流に向かって進んでいくと、川岸に黄色い手こぎボートがとまっているのが見える。こぎ方の正解もわからぬまま、なんとか対岸へたどり着くと、そこは川面が間近に迫る特等席のような休憩所だ。 創業は大正8年。丹波から木材を運ぶ筏(いかだ)師や川船の船頭を生業にしてきた創業者が、保津川下りを終えて嵐山に着いた船に甘味や飲み物を提供する“売店船”を始めた。もともとはその船に売り物を積み込むための場としてあった土地が、いつからか休憩所としても使われるようになったのだ。 メニューはおでん、イカ焼き… この記事は有料記事です。残り365文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
宇治茶の産地で新茶初摘み 元会社員の農園主が作る英国からの特注品
【動画】宇治茶の産地で新茶の収穫始まる=樫山晃生撮影 宇治茶の産地のひとつ、京都府和束町で新茶の収穫が始まっている。同町の茶園森福では22日が初摘み。知人など助っ人も駆けつけて、手摘みで収穫作業をした。 茶園主の森崎領さん(38)は、会社員から8年前に茶農家に転身した。茶畑はふもとから軽トラックで狭くて急な農道を10分ほど登った場所にある。 同町では近年、従来の煎茶に加え、抹茶の材料となる碾茶(てんちゃ)の生産が増えているが、森崎さんはITの知識も生かしてインターネットで海外にも販路を伸ばしつつある。山あいの畑に残っていた在来種の木から付加価値の高いお茶を生産している。 この日収穫したのは、英国のバイヤーから依頼された特注品。新茶の「一芯二葉(いっしんによう)」という芽と、その下の2枚の葉を摘む必要があった。参加者は黄緑色の新緑を丁寧に摘み取り、次々とかごに入れていった。 森崎さんによると「3月が暖かかったため芽吹きが早かったが、4月に気候が安定して生育が例年並みに近づいてきた」という。 新茶の収穫は八十八夜の5月2日を過ぎて5月末ごろまで続く。(樫山晃生) 有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。 #KANSAI 近畿の魅力を再発見する新企画。社会・経済から文化・スポーツまで、地元愛あふれるコンテンツをお届けします。[もっと見る] Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
皇居で4年ぶり自然観察会 76人が豊かな自然や動植物楽しむ
多田晃子2023年4月23日 20時30分 天皇ご一家のお住まいがあり、江戸時代からの自然が残る皇居・吹上御苑で23日、70歳以上を対象とした自然観察会が開かれた。観察会の開催は4年ぶり。 新型コロナウイルス感染症の影響で中止となった2020年の観察会に応募して当選した人のうち、76人が3回に分かれて参加。皇居の森を散策し、新緑や自然を楽しんだ。5月4日には中学生以上を対象とした観察会が予定されている。 吹上御苑は約25万平方メートルに森や湿地などが広がり、約5900種類の動植物が生息する。普段は一般の立ち入りが禁止されているが、上皇ご夫妻の意向で2007年5月に初めて一般公開され、恒例となっていた。(多田晃子) 有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル