G7広島サミットが閉幕した。最終日にはウクライナのゼレンスキー大統領が参加するセッションも開かれたが、1991年から2期8年にわたって広島市長を務めた平岡敬さん(95)は憤りを隠さない。 ◇ 岸田(文雄)首相が、ヒロシマの願いを踏みにじった。そんなサミットだったと考えます。 サミットでは、米英仏という核保有国と日本をはじめとする米国の「核の傘」の下にある国々が、広島という地に集まり、核軍縮や不拡散といった軍事面が主に議論されました。 しかし、本来は核が人間に与えた悲惨さを考えるべきです。核を全否定し、平和構築に向けた議論をすべきでした。 加えて、19日に合意された「広島ビジョン」では、核抑止力維持の重要性が強調されました。 戦後一貫して核と戦争を否定してきた広島が、その舞台として利用された形です。 核兵器禁止条約に署名・批准した国と地域に「広島が核を許容した」と思われてしまう。こうした国々は広島を見ているのです。今後、広島が信用されなくなり、ものを言えなくなります。 だからこそ、議長国である日本の岸田首相は、とても罪深いと言わざるを得ません。 ウクライナのゼレンスキー大統領が招かれました。これは、いかにも政治的なパフォーマンスです。中国とロシアに対して、西側諸国の結束をアピールしたいという狙いが透けて見えます。 さらに、G7首脳との間では、軍事的な支援の強化が約束されました。「広島選出」を強調する岸田首相は、戦争を是認し、激化させることを広島の地で許したことになります。 核を否定し、平和を訴えてきたヒロシマを、これ以上利用するなと言いたいです。 広島を舞台にしてウクライナ戦争を議論するならば、一日も早い停戦と戦後復興について話し合われるべきでした。 中国とロシアを非難するだけでは、緊張が高まるだけです。いかに対話をするか、和解のシグナルを発信する必要があります。 戦争の種をなくし、平和を構築する。それが、岸田首相をはじめとするG7首脳たちに求められていることです。(聞き手・大滝哲彰) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「広島でこれだけしか書けないか」 G7声明にサーロー節子さん失望
有料記事 花房吾早子 岡田将平2023年5月21日 20時53分 カナダに住む被爆者のサーロー節子さん(91)は今月、生まれ育った広島市に帰郷した。コロナ禍で3年半ぶり。久しぶりに目にする地元に、G7首脳が集まった。 「広島まで来てこれだけしか書けないかと思うと、胸がつぶれそうな思い。死者に対して侮辱。死者に対して大きな罪だった」 20日に発表されたG7首脳声明を読み、失望した。 サーローさんは13歳の時、広島市で被爆。広島女学院高等女学部2年だった。多くの同年代が命を奪われた。おいは4歳で被爆死した。「焼けただれて、溶けた肉のような感じだったんです」。広島で過ごす日々で、そんなおいたちのことも思い起こした。 平和記念資料館を見学するG7首脳に、期待していたことがあった。 「政治家としてではなく、衣を脱いで、裸でもいい。人間と人間のふれあいとして見てほしい」 でも、首脳が何を見て何を感… この記事は有料記事です。残り685文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 G7広島サミット 日本や米国など主要7か国の首脳が広島に集い、意見を交わします。G7を知れば世界がわかる。あなたの知識をクイズで腕試し![もっと見る] Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「浅草は更に成長する」三社祭の神輿巡行、コロナ経て「迫力増した」
浅草の町に、生き生きと躍動する本社神輿(みこし)が4年ぶりに戻ってきた。三社祭は21日、氏子たちが神輿3基を担いで練り歩き、町の熱気は最高潮に達した。 浅草神社の境内から神輿を出す「宮出し」は、朝6時半に始まった。一本締めを合図に掛け声とおはやしが響き、神輿が上下左右に揺れながら進む。祝うように晴れ間も広がっていった。 コロナ禍で2020年から規模縮小が続き、昨年は神輿を台車に載せて町を巡った。担いで練り歩くのは4年ぶりだ。 3基の神輿は3方向に分かれて浅草を巡る。「オイサ、オイサッ」の掛け声が響く。勤務地が浅草で、初めて担いだ稲村勇太さん(37)は「重くて、人の密集もすごい。浅草に受け入れられた感じがした」と笑顔を見せた。 沿道には国内外からの見物客が駆けつけた。カメラやスマートフォンが向けられ、神輿を追って大勢の人が一緒に歩いていく。 毎年のように来るという川崎市の小原明美さん(83)は拍手を送った。「コロナ禍で神輿を担ぐ姿が見られずにさびしかった分、いつもより迫力があった。見てて元気になります」と話す。 長いコロナ禍で、多くの人がこの日を待っていました。記事の後半では、三社祭の担ぎ手と老舗菓子店の店主の思いを紹介します。 「格好良い」 訪日外国人も興奮 米国・シカゴから観光で初め… この記事は有料記事です。残り1660文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
Volodymyr Zelensky, invité surprise du G7, bouscule l’agenda du sommet à Hiroshima
Le président ukrainien, Volodymyr Zelensky, et le premier ministre japonais, Fumio Kishida, le 21 mai 2023, au parc du Mémorial de la paix d’Hiroshima (photo transmise par la présidence ukrainienne). AFP-PH Il est descendu de l’Airbus d’un pas alerte, le visage sombre, vêtu de son éternel treillis et polo kaki. La visite […]
鎧武者なのに兜→ヘルメット姿に 「自転車で着用すれば助かる命も」
高木智也2023年5月21日 10時36分 4月から自転車のヘルメット着用が努力義務となったことを受け、兵庫県警須磨署が20日、地元の伝説にちなみ鎧(よろい)武者が登場する寸劇を行い、着用を訴えた。 須磨は平安末期の源平の合戦の一つ、一ノ谷の戦い(1184年)が行われた地域の一つ。寸劇は、鎧武者たちが自転車に乗って戦に向かう設定。白バイ隊員にヘルメットを着用するように促された武者たちは、兜(かぶと)からヘルメットにかぶり替えた。 署によると、今年1月~4月末までの県内の自転車関連事故は1283件で、前年同期より45件増えた。 同署管内では昨年11月、自転車に乗っていた70代女性が転倒し、頭を打って亡くなる事故が発生した。同署の山田和弘交通課長は「いまだヘルメットを着用されていない方は多い。着用をしていれば助かる命があることを知ってもらいたい」と話している。(高木智也) 有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「何のために生きているのか…」生死さまよった演歌歌手 信じた言葉
愛川れい子さんは、ぐっと抑えた低音で歌い始めた。 昭和の歌姫・美空ひばりさんの「川の流れのように」。降りしきる雨をよける屋根の下、約50人のファンが見守っていた。4月15日、茨城県小美玉市内で開いた無料コンサート。クライマックスの高音部にさしかかると、豊かで伸びやかな声が響きわたり、こぶしも利いていた。 曲が終わり、年配の男女数人が歩み寄る。襟元にご祝儀袋をねじこんでいった。 水戸市出身の演歌歌手で、北関東や首都圏で活動している。20代でデビューして今年27周年を迎えた。無料コンサート以外にも、月10日ほど地方テレビ局の歌謡ショーやカラオケ大会の審査員、ゴルフコンペの打ち上げの仕事に出かけては歌う。 小中学生のころは脳の病気の影響で、左足が思うように動かせなかった。今は動くようになったが、そのせいで当時はよくいじめられた。20歳を過ぎると脊髄(せきずい)の病気で生死の境をさまよい、がんも患った。 「何のために生きているのかと悩み、ずっと苦しかった。病気になるのも、いじめられるのも、自分がネガティブだからなのだとずっと思っていた」 くじけそうな人生を救ってくれたのは、歌だった。 小さいころは賛美歌に親しんだ。「浜辺の歌」「ぞうさん」などの唱歌や童謡を母親と口ずさんでいた。ひばりさんのレコードを繰り返し聞いては歌い、歌唱力を磨いた。 周囲の大人は、歌のうまい少女を放っておかなかった。カラオケブームで、のど自慢大会が各地で開かれていた。勝手に応募されて何度も優勝。喜ぶ大人たちを見るのが好きだった。 歌手デビューはしたものの、大好きなひばりさんの歌を自分のコンサートで歌い始めたのは15年ほど前だ。「あの情感を表現できない。歌っちゃいけない」と思い込んでいた。 転機は、先輩歌手の渥美二郎さんとBS放送の音楽番組で一緒になったときに訪れた。持ち歌が足りず、不本意だったが、ひばりさんが歌っていた「裏町酒場」を披露した。驚いた渥美さんが、「お前、すごいよ。自信をもって歌い続けなさい」と褒めてくれた。 その直後にもう一つ、自信につながる出来事があった。真夏に長野県の湯田中温泉で、1カ月半にわたる連続ステージの仕事を引き受けた。渥美さんの言葉を信じ、40分ある出番の半分で、ひばりさんの歌を披露してみた。「愛燦燦(さんさん)」「みだれ髪」「津軽のふるさと」……。客の反応を恐る恐る見守った。「初日の聴衆は約70人だった。それが、どんどん増えていったの。最終週は千人を超えちゃった」 どんなステージでも、元気いっぱいだ。高齢のファンの中には、病気を抱えたり伴侶を失ったり、身内の介護で疲れたりしている人もいる。歌の合間、ファンに向けて「どんなときも笑顔を忘れず、強気に前向きに生きないと運もついてこないわよ」と語りかける。 ひばりさんの歌とともに自ら作詞した持ち歌も披露する。その一つ、「生涯青春」も人生の応援歌だ。 ♪ここが青春真っ盛り 長く歩いたこの道も どうかお役に立ちますように ファンは自主的に応援隊を作っている。那珂市の井上操さん(75)は「北関東応援隊長」を自任する。無報酬でマネジャー業を担う。「優しくて人なつっこくて放っておけない。こんな芸能人、他にいません」 無料コンサートの後、ファンと近くのカラオケ喫茶に直行して、何度も一緒に歌うこともある。ファンは大喜びだ。「歌で人の心を動かせたら最高の幸せです。それ以上の欲はありません」とほほ笑んだ。(河合博司) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
吉川友梨さんと娘を重ね捜査 命日となった日が物語る元刑事の宿命
【動画】吉川友梨さん行方不明事件から20年 大阪府熊取町の小学4年生、吉川友梨さんが下校途中に行方不明になった事件の発生直後から捜査にかかわってきた警察官がいる。大阪府警捜査1課に所属した加津(かつ)一真(かずま)さん。引退後も事件を気にかけ、4年前、この世を去った。妻の恵子さん(69)は「一日も早く解決し、夫の無念も晴れてほしい」と願う。 加津さんは友梨さんがいなくなった2003年5月20日の1週間後から、捜査に加わった。「加津班」班長として、「この事件は最後までうちが持つ」と捜査員に伝えたという。 普段から、恵子さんに事件のことを話すことはなかった。だが、久しぶりに家族で食事していた時、ふとつぶやいたことがあった。「友梨ちゃんが心配や。何とかして犯人を見つけんといかん」 当時、息子は大学生で、娘は高校生。恵子さんは、加津さんが友梨さんを自分の子どもと同じように考え、捜査にあたっていると感じた。 就寝時、加津さんは枕元に黒革の手帳を置いていた。友梨さんの事件を捜査する時は常に持ち歩いていたものだ。ページを開くと、友梨さんの顔写真や、身につけたリュックや制服の写真がクリップで留めてあった。 数十枚のルーズリーフには… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
100人調べ、絞れぬ犯人像 吉川友梨さん捜査「やれること何でも」
【動画】吉川友梨さん行方不明事件から20年 竹林や畑が広がる道から交差点を右に折れる。20年前のあの日、同級生と別れ、一人で帰宅した吉川友梨さんが歩いた道を、同じ時間帯にたどった。 緩やかな坂をのぼりきると、幅4メートルほどの道の両側に木造の民家が並ぶようになる。すれ違った歩行者は2、3人。時に見通しの悪いカーブが続く道を、数台の車が行き来した。そのたび、道の脇で通過するのを待った。 わずか200メートル、たった3分の間に姿を消した友梨さん。大阪府警の捜査本部は様々な可能性を視野に捜査を進めた。 まず考慮したのが、交通事故だった。 誰かが誤って友梨さんをはね、事故を隠すために別の場所に運んだ可能性はないか。 どんな小さな事故でもブレーキの跡や車の破片などの痕跡が残ると言われる。翌日から交通鑑識係が現場に入った。路上にはいつくばって調べたが、事故を示す証拠は見つからなかった。不審な物音を聞いた証言もなく、交通事故の線は間もなく薄れていった。 身代金が目的なのか。だが、要求はなく、事件につながるトラブルを抱える家族もいなかった。事件の有力な見立てから外された。 ならば、なぜ。その答えを探すため、大量の捜査員が友梨さん宅を中心に、捜索の範囲を広げていった。 疑わしい人物を「つぶす捜査」 雑木林、側溝、マンホール、納屋、ガレージ、井戸、河川……。近くの池も15カ所以上、水を抜いた。 捜索対象は友梨さん宅の東西3キロ、南北2キロ以上にわたった。それでも、事件につながる物は見つからなかった。 初動捜査に関わった捜査幹部は嘆いた。「手がかりがあまりにも少ない。リュック、いや靴の片方だけでも見つかれば」 消去法の末、捜査本部が重視したのが、わいせつ目的の可能性だった。 発生から2年余りたったころ、捜査幹部は取材にこう語っている。 「性犯罪で逮捕された容疑者… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
浅草に響く「オイサ」三社祭が最高潮 担いで町の練り歩きは4年ぶり
張春穎 中村瞬2023年5月21日 15時00分 東京の下町に初夏の訪れを告げる浅草の三社祭が21日、最高潮を迎えた。コロナ禍で2020年以降は規模を縮小しての開催が続いてきた。今年は通常規模での開催となり、3基の本社神輿(みこし)が4年ぶりに、氏子に担がれて町を巡った。 浅草神社の境内から担ぎ出す「宮出し」は、午前6時半に始まった。「オイサ、オイサッ」。威勢のいい掛け声とともに神輿が町へ繰り出すと、国内外から集まった多くの見物客からは、スマートフォンが向けられた。(張春穎、中村瞬) 有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
海で素潜り中に男性死亡 岩場で体が挟まったか 大島の海水浴場
2023年5月21日 16時45分 20日午後6時45分ごろ、東京都大島町差木地下原のトウシキ海岸で、友人1人と泳いでいた東京都昭島市の会社員、井戸本君敬さん(56)の行方が分からなくなった。下田海上保安部や大島署が捜索し、21日午前9時40分ごろ、近くの海中約2メートルの岩場にうつぶせの状態で沈んでいる井戸本さんを発見。午前11時ごろに死亡が確認された。 下田海保によると、井戸本さんは友人2人と旅行で大島町を訪れており、行方不明になった直前は海岸から約50メートルの場所で素潜りをしていた。同海保は、素潜り中に岩場に体が挟まったとみて調べている。気象庁によると、20日の大島の最高気温は22・0度、最低気温は17・7度だった。 有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル