ANAHEIM, California – Shohei Ohtani belted his 11th home run of the year Saturday but his Los Angeles Angels could not climb out of an early hole in a 6-2 loss to the Minnesota Twins. The Japanese two-way star launched a long ball to right-center field for a solo home […]
漫画「はだしのゲン」はロシア、ウクライナ語版も 訳した女性の思い
ウクライナのゼレンスキー大統領が21日、G7広島サミットに参加し、広島市の平和記念資料館も訪れる方向で準備が続いている。核兵器の非人道性を伝える漫画「はだしのゲン」はウクライナ語にも、核兵器の使用をほのめかすロシアの言葉にも訳されてきた。両方の翻訳に関係した日本人女性は平和を願う。 「ゲン」は1975年に単行本化された後、24カ国語に訳された。全巻の翻訳が初めてされたのはロシア語で、中心になったのは、金沢市のロシア語翻訳者の浅妻(あさづま)南海江(なみえ)さん(80)だ。 94年、ある原爆の劇のロシア語訳を依頼された。旧ソ連で起きたチェルノブイリ原発事故で被曝(ひばく)し、治療のために来日するウクライナ人女性にみてもらうためと聞いた。 一緒に訳したロシア人が劇の内容に泣いたことに、浅妻さんは驚いた。「世界中が被爆の実相を知っていると思っていたけれど、何にも知られていなかった」 我が子が読んでいた「ゲン」が頭に浮かんだ。ロシアは、核兵器を大量に持つ国だ。「『ゲン』を翻訳できたら、ロシアの人たちにも被爆者の苦しみや悲しみがきっと伝わる」。そう考えた。 作品に共感したロシア出身の女性らに協力してもらい、7年かけて「はだしのゲン」全10巻の翻訳し、2001年に自費出版。全巻の翻訳はロシア語が初だった。 ウクライナ人女性も「ゲン」翻訳 浅妻さんはロシア語版の「ゲン」をあるウクライナ人に送った。治療のためにウクライナから来日し、浅妻さんが訳した原爆劇を鑑賞したあの女性、ニーナ・バシレンコさんだった。 ロシア語版の「ゲン」を読んだバシレンコさんから、手紙が届いた。 《どんな戦争も核戦争以上のものではありません》 バシレンコさんもウクライナ語への翻訳を決意。市民団体などと協力して、2巻まで出版した。 しかし、ロシアは昨年2月にウクライナに侵攻し、核兵器の使用もほのめかしている。G7各国がロシアへの非難を強める中、ゼレンスキー大統領はサミットに参加することになる。 浅妻さんはゲンの翻訳本を手に取る人々に思いをはせる。「『ゲン』を読んで、原爆の本当の非人道性を知れば、どの国の人でも核兵器は二度と使ってはいけないとわかるはず……。そう信じて『ゲン』を広め続けていきます」(興野優平) Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
へこんだ頭に伸びた鼻毛、並びの悪い歯…重要文化財「老子図」の謎
じゃがいものようにへこんだ頭に、唇に届くほど伸びた鼻毛。厚い唇は放心したように開き、並びの悪い歯がのぞく――。見る人によっては、ひどい身なりに見える人物画が岡山県立美術館で公開されている。「鼻毛老子」の別名を持つ国の重要文化財、老子図だ。 この作品は中国の南宋時代、現在の四川省に生まれた禅僧、牧谿(もっけい)が哲学者の老子を描いた水墨画。日本にいつ伝来したかははっきりしないが、非常に大切にされ、室町幕府3代将軍の足利義満が所有した。その後、御三家の紀州徳川家に渡ったが、昭和初期に行方不明になった。 「空襲で焼けた」ともうわさされ、この世にはもう存在しないと半ばあきらめられていたが、1989(平成元)年になってひょっこり現れ、県立美術館の所蔵に。かなり数奇な運命をたどってきた一幅だ。 なぜ、こうした姿が描かれたのか。専門家によると、あるルールがあったようです。記事後半で、学芸員の解説を紹介します。 画の大きさは縦88・9セン… この記事は有料記事です。残り570文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
クロワッサンでイノダ気分 毎日でも食べたくなるシンプルな味に
有料記事 小林明子=ライター2023年5月21日 12時00分 ブルーデル(京都) 1985年創業。コルネやジャムパンから本格的なドイツパンまでが並ぶ、地域で愛される存在だ。店内の一角にはコンテナが積み重ねられている。中には焼きたてのクロワッサンが整然と列をなしていた。店主の勝木義貴さんによると、この名物を求めて遠方からわざわざ足を運ぶファンも少なくないという。 クロワッサンを作るうえで勝木さんが大切にしているのは「毎日でも食べたくなる、シンプルな味」であること。フランス産と北米産小麦粉を独自の配合でブレンド。仕込みには牛乳を使い、発酵バターなどをバランス良く加えて上品なコクを出している。 実はこのクロワッサン、京都… この記事は有料記事です。残り348文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
京都の若き華道家・池坊専宗さん 文化庁は人を育て、つなげる土壌を
京都の華道家元池坊は、室町時代に「いけばな」の理念を確立した。45世家元の孫として生まれた池坊専宗(せんしゅう)さん(31)は、若者ならではの視点で、いけばなの魅力を伝えている。京都の伝統文化を担う若き華道家・写真家に、文化庁の移転について聞いた。 文化にはトップダウンがそぐわないと思います。京都だけでなく、その地域、地域で様々な個性が生まれ、受け継がれ、少しずつ変化していきます。 一方、行政はトップダウンで、結果を求めます。文化にしても、これだけの経済的な果実が見込めるから、これだけの予算を割り当てようと考えます。ただ、文化は数字に表れず、間接的に社会に影響を与えます。単にコンテンツを切り売りして、果実を見込むだけの観光商売では、日本の潜在的な文化力を失います。 日本の文化が富裕層向けのビジネスに傾斜している流れも感じます。高級なホテルが建ち、食も日本酒も高価な値付けをされています。文化庁のみなさんには、特別な商品、特定のブランドだけに光を当てるのではなく、地域の魅力を掘り起こし、世界にアピールする作業にもアプローチして頂きたいです。 京都を神聖視するつもりはありませんが、歴史が保存され、世界と戦えるだけのポテンシャルを持っていることは間違いありません。その京都ですら、東京で見かけるような店ばかりが並び、平準化しています。伝統の上ずみをつまんで観光資源にし、平面的に文化を切り取るビジネスが増えました。京都のポテンシャルが深まっていません。 後継者の減少は喫緊の課題 京都には器や刃物、染料、和紙など日本の文化の基礎となっている職人や文化の蓄積がありますが、その後継者がかなりのスピードで減っています。このままでは、私たちの世代のうちに必ず逼迫(ひっぱく)します。保存して活用するサイクルを築くことが喫緊の課題で、文化庁の支援は欠かせません。 職人の多くはSNSもスマホもない時代を生きてきたので、職人気質と言いますか、仕事の過程や、地域の人とどうつながっているか、裏側を見せることに遠慮があります。興味のある若者が情報を得ようとしても、その手段が不足しています。 発展する時代を知らない若い世代は文化に何を求めているでしょうか。記事の後半で池坊さんが語ります。 一方、若者はスマホが身近に… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
文化庁の移転、都落ちでお気の毒? 「京都ぎらい」の井上章一さん
京都市にある国際日本文化研究センターの所長で、新書「京都ぎらい」で知られる井上章一さん(68)は、京都に来た文化庁の職員は「お気の毒」と感じている。ただ、せっかく来たからには「文化の現場」を見て、霞が関のお役人体質を変えてほしいと願う。井上さんに文化庁の移転について聞いた。 国際日本文化研究センターの2代目所長、故・河合隼雄さんが文化庁長官の時、文化庁の関西分室を提案し、2007年に京都国立博物館に置かれました。文化庁を関西に持ってくる先陣となりました。それが今回実現したので、めでたいことです。これが公式見解ですね。 私個人としては、文化庁の方々に、ややお気の毒だなという印象です。もともと移転は第2次安倍政権の地方創生事業の一環でした。東京一極集中の弊害をなくそうと、中央省庁のいくつかを地方に移し、地方活性化の起爆剤にしようとしました。だが財務省や外務省を動かすわけにはいかず、霞が関では比較的、弱小省庁が候補に挙がりました。 この安倍政権の方針に「嫌だ」という声が文化庁の中でたくさん上がりました。文化庁は著作権や国語をはじめ、様々な文化、芸術を担っています。文化財にしても東京の博物館に多くが収蔵されています。東京にあるほうがメリットが大きいと合理的な意見を言い続けました。 官邸主導が強まっていたにもかかわらず、文化庁は安倍政権に忖度(そんたく)しなかったわけです。その意味で文化庁は、ほめてあげるべき省庁の一つです。 地方創生を掲げた文化庁に対し、京都側は「地方」にこだわったと、井上さんが記事の後半で語ります。 移転が決まり、文化庁の職員… この記事は有料記事です。残り1389文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
築100年の土蔵を「蔵宿」に インバウンド需要見込み6月末から
足尾銅山への火薬販売などで財をなした新宇(あらう)商店=群馬県みどり市大間々町=の築約100年の蔵がリノベーションされ、宿泊施設「銅(あかがね)の夢」に生まれ変わった。6月末から宿泊できる。インバウンド(訪日外国人旅行)の需要を見込み、日本らしい土蔵に泊まってもらう「蔵宿(くらやど)」として、過疎化が進む地域のにぎわいづくりの一翼を担う。 みどり市大間々町は、足尾銅山(栃木県日光市)で産出した銅を江戸に運ぶ「銅山(あかがね)街道」の中継地として栄えた。新宇商店はここで江戸時代から商売する。肥料や飼料、陶磁器、火薬、建材など、時代に合わせて扱う主力商品は変わってきた。 江戸時代は銅山街道の中継地 広い敷地には、明治以降に建てられた築100年前後の蔵が5棟ある。 このうち、2号蔵(1925… この記事は有料記事です。残り585文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
保育園で8カ月男児が給食中、意識不明 離乳食の魚ペーストとリンゴ
堀江泰史2023年5月20日 13時34分 愛媛県新居浜市の新居浜上部のぞみ保育園は20日、生後8カ月の男児が16日の給食中、意識不明の重体となったと発表した。園によると、離乳食の魚のペーストやリンゴを与えていた。男児は松山市内の病院で治療中だという。 園によると、16日午前10時半ごろ、20代の担任の保育士が男児を正面の椅子に座らせ、スプーンで給食を食べさせていた。リンゴ(縦7ミリ、横2ミリ、厚さ3ミリ)を2片、スプーンに乗せて口に含ませたところ、息をしなくなったという。 保育士は食事をのどに詰まらせたと思い、男児を逆さにして背中をたたいた。すぐに119番通報したが、心肺停止状態だったという。 当時、保育士2人と看護師1人が、離乳食を食べる園児5人の世話をしていた。男児は9日から通園を始め、滞在が1~3時間程度のならし保育中だった。給食は15日から始めていたという。 園は16日に市と新居浜署に事故を届け、19日夜に保護者説明会を開いた。20日に市内で会見した秋月ひとみ園長(56)は「安心で安全であるはずの保育園で事故を起こし、保護者の方々に不安を抱かせ、本当に申し訳ありません。二度と起こさないよう万全の対策を講じてまいりたい」と謝罪した。 同園は、社会福祉法人新居浜社会福祉事業協会が運営し、1978年に開園。これまでに、こうした重大な事故は起きたことがないという。(堀江泰史) 有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
ゼレンスキー氏へ 被爆者・ウクライナ人避難者、それぞれの願い
ウクライナのゼレンスキー大統領が広島を訪れた。母国に思いをはせて迎える避難者も、核の惨禍を知る被爆者も、ともに平和を願いつつ、訪問がもたらす未来を見つめる目には、期待と不安が入り交じる。 広島で核兵器廃絶運動を進めてきた森滝春子さん(84)=広島市佐伯区=は、ゼレンスキー氏の狙いは、軍事的な支援の強化を訴えることだろうと見る。ウクライナの人たちが自国を守りたいという思いも理解する。だが「戦争を一刻も早く止めるのが世界のウクライナに対する支援じゃないか」と訴える。 G7結束、ゼレンスキー氏の広島訪問、被爆者らの懸念 78年前の原爆投下時は、広島から山間部に疎開していて被爆を免れた。だが、戦後、孤児になった人など多くの被爆者を見てきた。その体験を原点に、戦後、平和運動を引っ張った父の思いを継ぎ、活動してきた。 G7サミットには、「西側諸国」だけで結束を強調することで、ロシアとの対立が深まるのではないかという懸念を抱いてきた。ゼレンスキー氏の広島訪問もその方向に働くことを危惧する。そうだとすれば「広島の意思に反する」と語る。「広島や世界中の人の闘いによる核兵器廃絶への道が遠くなってしまう。身を削った被爆者らの努力を水の泡にしてはいけない」と語る。 広島で被爆した田中稔子さん(84)=広島市東区=は、広島を訪れてG7首脳らと面会するゼレンスキー氏に「戦闘機を出してくれではなく、停戦を考えてくれないか、広島でみんなで平和をつくろうと呼びかけてほしい」と願う。 海外でも被爆体験を語ってきた田中さんは、2012年にウクライナを訪れた際、首都キーウで、原発事故があったチェルノブイリからの避難者とお互いの体験を語り合った。 ロシアがウクライナに侵攻した昨年、田中さんが「私に何ができますか」とメールを送ると、「あなたはあの原爆のときの惨状を話してください。核兵器が使われた時のことを知っているのだから、それを世界に発信し続けてください」とビデオメッセージが届いた。田中さんもつらい体験を話したいわけではない。だがその言葉を支えに証言を続ける。 平和記念公園にある慰霊碑の石棺に刻まれたメッセージ「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」は訪れる世界のすべての人々に向けられた誓いとされる。ゼレンスキー氏やG7の首脳には、核や戦争に脅かされる市民のことを考えてほしいと願っている。 「誰がいい、悪いではなくみんなの責任。それをもう一度思い返してほしい。このまま(侵攻が)続くと核が本当に使われるかもしれない。抑止力どころではないと気づいてほしい」 G7枠外の国との対話に注目 核兵器廃絶国際キャンペーン… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
原爆孤児は新聞をちぎって食べた 「死に場所」求めた男性支えた言葉
【動画】原爆で孤児になった男性。支えになったのは生前の母の言葉だった A-stories「わたしもゲンだった」 わたしもゲンだった 「はだしのゲン」連載50年 漫画「はだしのゲン」が6月、連載開始から50年を迎えます。原爆は広島と長崎の多くの子どもの命を奪い、生き残った子たちも「ゲン」のような壮絶な人生を余儀なくされました。 原爆は多くの子どもたちから、大切な親を奪った。漫画「はだしのゲン」でも原爆孤児の姿が描かれている。生きるために食べ物を盗み、捕まっていく――。そんな孤児たちの姿を見た主人公のゲンは叫ぶ。 「ちくしょう ドロボウをしなくてはいけないようにしたのは戦争じゃ ピカじゃ」 ◇ 桜の花が咲き誇る4月上旬、広島県北部・三次市の善徳寺に、昨年亡くなったある男性をしのぶため、彼を知る20人ほどが集まった。スクリーンに映し出された生前の姿を一緒に見ながら、思い出話を交わす。 男性の名は川本省三さん。広島の原爆の体験を語る「被爆体験証言者」として10年以上活動した。集まった人たちは、川本さんから話を聞き、亡くなった後も代わりに体験を伝える「伝承者」と呼ばれる人らだ。 「孤児たちが、どんなにつら… この記事は有料記事です。残り1250文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル