オウム真理教元代表の松本智津夫(麻原彰晃)元死刑囚(当時63)の死刑が2018年に執行されてから7月で5年。死刑執行は「心神喪失」の状態だと停止されるが、執行直前に法務省から照会を受けた東京拘置所が、「詐病の可能性」に言及して「精神疾患の所見はない」とする回答書を作成していたことが分かった。法務省が執行を決めた根拠の一端が公文書から明らかになった。 刑事訴訟法は死刑囚について「心神喪失の状態の場合、法相の命令で執行を停止する」と定める。精神障害などで死刑という刑罰の意味を理解する「受刑能力」を失うケースを想定している。 遺族側「心神喪失で、執行は違法」 松本元死刑囚の精神状態は裁判当時から焦点になっていた。遺族は21年、「元死刑囚は心神喪失で、執行は違法だった」と国に賠償を求めて東京地裁に提訴した。 今も続く裁判で国側は、反論の根拠として、収容先の東京拘置所が作成した文書を提出。朝日新聞は訴訟記録として閲覧した。 拘置所は、18年7月6日の執行の8日前にあたる6月28日に、法務省から松本元死刑囚の診療状況などの照会を受け、翌29日に文書で回答した。死刑が確定した06年9月から直近までの計65回の定期健康診断や医師の診察状況のほか、生活状況などがまとめられている。 診察のうち11回は精神科医が実施した。07年2月の最初の診察では、医師の問い掛けに、右腕を払う動作などをして「あーあー」と声を出したり、「うーうー」と体を揺らしたりしたという。 「これはつまり戦争をしかけられているんだ」などとつぶやく――。記事の後半では、死刑執行1カ月前までの精神科医による診察状況を、詳しく紹介します。 その後は、食事をしているか… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
秋篠宮さまと悠仁さま、研究発表や実習活動視察で高校生と交流
多田晃子2023年7月30日 20時30分 秋篠宮さまと長男悠仁さま(16)は30日、鹿児島県内で開催中の第47回全国高校総合文化祭「2023かごしま総文」の会場で研究発表や作品を見学し、高校生と交流した。悠仁さまが地方公務に臨むのは今回が初めて。 自然科学部門の会場では、高校生による生物分野の研究発表を見学。秋篠宮さまは皇族初の理学博士号を取得するなど、生物関連の研究に取り組み、悠仁さまはトンボ類の生息環境の調査などを続けている。悠仁さまは発表した生徒に「トンボにすごく興味がある」「トウキョウサンショウウオを見てみたい」と話したという。 美術・工芸部門の会場に続き、県立曽於高校も訪問。「第12回全国和牛能力共進会」の特別区で首席を獲得した同校の出品牛にエサやりをし、牛の引き運動や静止調教を見学。秋篠宮さまは調教の目的などを、悠仁さまは牛のきれいな姿勢の保ち方などを質問したという。 29日に総文祭の総合開会式に出席し、パレードを観覧。悠仁さまについて側近は「(秋篠宮さまの)なさりようを間近にご覧になって、色々なことを学ばれたのでは。皇室の方が公的行事にお出ましになるということはどういうことなのか、これから徐々にお感じになったり学ばれたりする、その一歩」と話した。新型コロナの感染が確認された紀子さまは訪問を取りやめ、宮邸で開会式とパレードをオンラインで視聴した。(多田晃子) 有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
高知県合唱コンは9団体が四国大会へ 合唱の様子を写真で振り返り
第32回高知県合唱コンクール(県合唱連盟、朝日新聞社主催)が30日、高知市九反田の市文化プラザかるぽーとで開かれた。小学校、中学校、高校と、大学職場一般の大学ユース・室内合唱・混声合唱の各部門に計12団体が出場した。 記事後半では全出場団体と表彰式の様子を写真でご覧いただけます。 中学高校部門の最優秀賞には高知学芸高コーラス部が選ばれた。また、大学職場一般に出場した混声合唱団Pangeには全日本合唱連盟理事長賞が贈られた。 小学校の優秀団体は、11月に福岡市で開かれる全日本合唱コンクール全国大会に、小学校以外の部門で優秀な成績の団体は、県代表として9月に高知市で開かれる四国支部大会に、それぞれ出場する。(竹田真志夫) 県大会の結果は次の通り(◎は県代表)。 【小学校】金賞=◎高知大付… この記事は有料記事です。残り200文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
ねぇ、どうして嫌いになったの 50年捨てられない手紙、今日も私は
初めての恋は社内恋愛だった。 1歳年上の彼と急接近したのは、彼女が名古屋市の商社に勤めていた時のこと。22歳だった。 営業部の彼はとにかくかっこいい。外回りが多く会社にいることは少なかったが、たまに会社に上がってきた時は目立っていた。 ある日、勇気を出して「レコードを買いたいんだけど、一緒に見てくれない?」と声をかけてみた。そのまま2人で名古屋駅のレコード屋に行った。 それから何度も2人で会った。 書類にメモを挟んで…数え切れないほど重ねたデート 彼は会社に上がってきた時、「5時半」「6時」などと書かれたメモを書類に挟んで渡してきた。名古屋駅での待ち合わせ時間だ。会社帰りに数え切れないほど2人で食事をした。 ファーストキスはミニスカートのワンピースを着て出かけた夏祭り。周りにたくさん人がいるのに、急に抱き寄せられた。 友だちカップルと泊まりがけで海水浴にも行った。みんなで同じ部屋で雑魚寝だったけれど、ずっとドキドキしっぱなし。秋には実家暮らしの彼の家に招かれ、お母さんにごあいさつもした。 彼女には彼と付き合う前にウワサになった男性がいた。その男性には婚約者がいたし彼女も恋心は抱いていなかったのだが、彼との仲が会社で知られるようになると、彼の耳にもその話が入ったようだ。 10月末。公園で「あいつと何があったのか。君のことをもっと多く知りたい。必ず返事を書くから手紙を書いてほしい」と言われた。その男性とは何もなかったことを手紙で伝えた。 その年の大みそか。彼から速達で手紙が届いた。 大切にしてくれた年末年始、でも彼は… 《僕の心境は真面目一本》《… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「対馬丸」生存者の平良啓子さん死去 長年「語り部」続ける
棚橋咲月2023年7月30日 17時30分 太平洋戦争中、米潜水艦の攻撃で沈没し学童784人を含む計1484人が犠牲になった疎開船「対馬丸」の生存者で、語り部として長年証言を続けてきた平良啓子(たいら・けいこ)さんが29日、急性大動脈解離で死去した。88歳だった。葬儀は8月2日正午から沖縄県大宜味(おおぎみ)村喜如嘉(きじょか)232の2の大宜味村火葬場で。喪主は長男基(もと)さん。 9歳だった1944年8月、国の疎開方針に伴い沖縄から長崎に向かうため乗船した対馬丸が、鹿児島県のトカラ列島沖で米潜水艦の攻撃を受けて沈没。いかだで6日間漂流した後、流れ着いた無人島で救助された。半年後に戻った沖縄で沖縄戦が始まると、避難生活を余儀なくされた。 戦後「命の大切さを教えたい」という強い思いから、小学校教諭となった。沈没事件には箝口令(かんこうれい)が敷かれ、戦後になっても語れない生存者がいるなか、平良さんは早くから語り部として体験を伝えた。84年には「海鳴りのレクイエム 『対馬丸そうなん』の友と生きる」を出版した。今年も各地を回り、「戦争は絶対に許されない」と改憲に反対する活動にも携わった。(棚橋咲月) 有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
今日も「危険な暑さ」午後4時現在、全国223地点で猛暑日
川嶋かえ2023年7月30日 18時00分 本州付近が高気圧に覆われた30日、全国的に晴れて気温が上昇した。気象庁によると、日中の最高気温は、埼玉県鳩山町で39・6度、群馬県伊勢崎市で39・5度などで、各地で危険な暑さとなった。猛暑日(35度以上)は午後4時現在で、全国914の観測地点のうち223地点。厳しい暑さは8月4日ごろにかけて続く見込み。 都心の最高気温は36・6度で、東京消防庁の管内では熱中症の疑いで8~98歳の計39人が搬送された(午後3時現在、速報値)。同庁は、こまめな水分補給やエアコンの使用を呼びかけている。 熱中症による死亡が疑われる事例も起きている。山形県米沢市では28日、部活動の帰りに倒れたとみられる中学1年の女子生徒が救急搬送され、その後死亡。東京都東村山市では29日、自宅で死亡している80~90代の夫婦が見つかった。室内で扇風機は回っていたが、エアコンは動いていなかったという。(川嶋かえ) 有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
【毎日更新】また一人友人を遠くへやった 1945年の今日、長崎
学校でのできごと、友だちのこと、家族のこと、将来のこと――。 広島、長崎に住む10代の若者3人が、それぞれの何げない日常をしたためた日記があります。 1945年8月、「あの日」までの日々。毎日、1日分ずつ紹介していく予定です。 ■■■1945年7月30日(月)■■■ 医学生秋口明海さん(17)は福岡に行く友人宅を訪ね、ささやかな送別会をしました。 今日は、学校へ行って、朝礼をしていると警報が出て、すぐに下校したが、己斐まで行くと解除になったので、また学校に行って、授業を受けた。 E先生とF先生の送別式があった。 15時16分の船で帰宅した。お水が飲みたくてたまらなかったので、船が着くと走って家に帰った。そうして、すぐにお水を飲んだ。とても、おいしかった。 けいほうのため草津までかえって、また登校した。3校時からなので、実業ばかりだった。私はくわをつかって中耕作業をした。汗がだらだら流れて、もんぺが足にくっついて、うるさくてたまらない。4校時も作業したら、おなかがすいて倒れそうになった。食事は大へんおいしかった。午後また元気をとりもどして作業した。 午後は病院の方の疎開作業をやる。皆汗だくだくだ。4時おやつとして大きな握りが配給された。 ちょうど帰る時になって警戒警報が発令されたが、構わずKとそのままIの家へ行った。行ってみると明日行くんだなぞとほざいている。のんきなやつだ。おばさんと無理に勤めて今夜立たせるようにした。おばさんの速成の料理でささやかな送別会をやった。 Iとも別れた。あるいはこれが最後の対面となるべく運命づけられていないとどうして言えよう。 また一人友人を遠くへやった。 記事の後半では、冒頭の日記を書いた森脇瑤子さんのスナップを、研究者の協力を得てカラー化した写真の数々を紹介しています。 この日の広島・長崎 広島 最高気温29.5度… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
愛媛県の無人島で「人がおぼれた」と通報 外国人男性2人が死亡
戸田拓2023年7月30日 13時23分 愛媛県今治市の怪島(けしま)近くで29日午後8時5分ごろ、「人がおぼれている」と118番通報があった。今治海上保安部が救助したが、フィリピン国籍の男性2人が死亡した。 海保によると亡くなったのは、いずれも今治市内に住む32歳と35歳の男性会社員。怪島は同市の亀岡漁港から沖合約2キロにある無人島で、2人は同日午後7時40分ごろ、フィリピン人と日本人の知人ら計7人で、プレジャーボートに乗って同漁港を出港。約10分後に怪島周辺に到着し、魚突きをしようと救命胴衣を着けずに泳ぎ出し、島の南端から約100メートルの海域でおぼれたという。(戸田拓) 有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
あの夏一番近くにいたから 球児へ贈った手紙 届いた返事に支えられ
あの夏届いた返信は、4段あるレターボックスの一番上、「一番大事な手紙ボックス」に入っている。 2009年8月末。甲子園で、中京大中京高校(愛知)が、4041校の頂点に立ってしばらくのころ。大阪市平野区の上脇公徳(こうとく)さん(71)は、ひと夏中考えた末、やっと書き出した。 宛先は、堺市の府立三国丘高校硬式野球部。 《突然お便りいたします失礼をお許し下さい。 ここに1個のボールがあります。試合終了の整列のとき高津高校の選手から返還されたボールです。受け取った瞬間、足を何度もつりながら熱投した小根森君に渡そうと考えました。 奪三振13の小根森君も素晴らしい。一番悔しい思いをした内野君に立ち直って欲しい。チームを引っぱりまとめたキャプテンの緒方君の努力も大変だったろう。そう考え出すと誰に渡していいのか分からなくなってしまいました》 7月18日、第91回全国高校野球選手権大阪大会の7日目、2回戦の高津(大阪市)と三国丘戦は、実力ある公立校の戦いだった。 その日の球審が、上脇さん。1976年から軟式野球の審判員として活動を始め、85年から高校野球の審判委員としてデビューした。仕事の合間を縫って、休日はほぼ審判へ。決勝や準決勝などで球審もした。 しかし、この日は、いつにない不安と緊張で帰りたいほどだった。開幕日前日に転倒し、右腕があがらなくなり、4試合欠場。今大会最初の審判の日だった。ちゃんと、できるだろうか。 試合は、八回まで無失点の投手戦。九回表1死一、二塁。高津の犠打を絡めた攻撃に、三国丘の送球が乱れた。その間に、2点が奪われた。送球ミスしてしまった内野遣斗(けんと)選手が、小根森雄太投手に駆け寄る。小根森さんは、「大丈夫や」と笑顔で抱き締めた。 だが、2点差は縮められず、ゲームセット。2時間19分だった。 上脇さんは、ボールを持ち帰り、1カ月余りが過ぎた。 負けてしまった試合だったけど 《考えあぐんだ末、至った結… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
危険! 若いヒグマの「好奇心」 人恐れない個体、増えている印象
有料記事 奈良山雅俊 新谷千布美2023年7月30日 10時00分 北海道北部の幌加内(ほろかない)町の朱鞠内(しゅまりない)湖で5月、幻の魚・イトウ釣りをしていた男性がヒグマに襲われて死亡した。大自然の奥深くへ分け入る北海道の川釣りだが、ヒグマが釣り人を襲ったとみられる事故は、実はこの60年間で5件しかない。基本的に人間を避けて暮らしているヒグマだが、どんなタイプのヒグマが人間を襲うのか。 事故が起きたのは5月14日。死亡した男性は午前5時過ぎ、朱鞠内湖を管理するNPO法人「シュマリナイ湖ワールドセンター」のボートで、湖北東部の「ナマコ沢」と呼ばれる入り江に渡った。波打ち際まで数メートル~数十メートルの開けた湖岸で釣りをしていて、背後の森から出てきたヒグマに襲われたとみられている。 実は5日前の9日、「予兆」があった。男性が襲われた地点から数キロほど南の対岸で、別の釣り人がヒグマにつきまとわれ、NPOに救助を求めていたのだ。 朱鞠内湖のイトウ釣りの解禁… この記事は有料記事です。残り1401文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル