北村 玲奈2023年7月29日 18時00分 大林組技術研究所(東京都清瀬市)の一角に、繭のように丸みを帯びた「家」がたたずんでいる。同社が3Dプリンターで造った、床面積27.09平方メートル、高さ4.04mの建築物で「3dpod」と呼ばれる。空調、電気、水道を備え、3Dプリンターによる建設物としては日本で初めて、建築基準法に基づく国土交通大臣の認定を取得した。 3Dプリンターで、特殊なモルタルの外壁と内壁を作り、その隙間に、同社の独自素材である鉄繊維が含まれたコンクリート「スリムクリート」を流し込むことで、鉄筋を使用せずに強度を出し、ほぼ全ての工程の自動化に成功した。曲線状の構造も、鉄筋を使わないが故に実現できた。 プロジェクトリーダーを務めた坂上肇さん(39)は「自動化の技術は人口減による人手不足を解消し、将来的には人が立ち入れない危険な場所や宇宙空間などに展開できる」と、未来を見据えている。(北村 玲奈) 有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
【毎日更新】夏の小川、空襲恐れ人も少なく 1945年の今日、広島
学校でのできごと、友だちのこと、家族のこと、将来のこと――。 広島、長崎に住む10代の若者3人が、それぞれの何げない日常をしたためた日記があります。 1945年8月、「あの日」までの日々。毎日、1日分ずつ紹介していく予定です。 ■■■1945年7月29日(日)■■■ 夏の日曜日。広島第一高等女学校の熊本悦子さん(13)は小川へ行きました。空襲を恐れてか、それとも子どもが疎開に出たせいか、人影もまばらです。 家庭修練日。 今日は、井の口の親類へ行った。少し歩いたので、何となく足がだるくて仕方がない。桃を少しいただいたので、持って帰った。 昨日の南瓜(カボチャ)でご飯を炊いた。栗のように甘くて玉子飯のように黄色くて、大へんおいしかった。母の白毛を抜いて小川に行ったが、早くかえった。空襲におそれると見えて、人が少なかった。第二回疎開児童も出たせいであろう。尾長町の親類へ、五つの仕事をしにお使いに行った。今日の水泳は母に中止とされた。悲しくて悲しくてたまらない。向こうにつくと、その親類の方が来ておられた。弟と5カ月違いの男の子と一しょに遊んだ。面白くて夢中になっていた。 午後けいほうが出たので、解除まで待った。お姉ちゃんお姉ちゃんとなついたと思うと、かえらなければならない。両方とも悲しい。荷物が重いので、手がにがって(痛んで)ならない。電車の中でも居ねむりしていた。 家にかえるとすぐ、今もらったばかりの海水着を見せた。母は大へん喜んでいらっしゃった。私もうれしくてうれしくてならない。すぐあわして見て、しまっておいた。左手があまりにがるので、困った。入浴して髪を洗った。 今日は朝から空襲警報が発令されたが、正午ごろに敵機約三十数機が上空通過の際若干投弾した。ビリビリッという家の震動、キューンという音を発しつつ急降下し来る敵小型機。ダーンというたたきつけるような爆弾の音は最初の経験とて少々怖かった。何というざまだ。まだやっと序の口ではないか。本当の爆撃を食うのは今からだ。 午後Iの家へ行く。明日いよいよ彼も福岡なる九大工専へ行くそうだ。例のJ嬢が先客に来ていた。Iも存外幸福者だ。口ではかえってありがた迷惑みたいな口ぶりだったが、内心はまんざらでもないらしい。 3時半ごろちょっと夕立が来た。夕立だと思うと夏らしい気分がする。 米が模擬原爆「パンプキン」を投下 米の原爆投下部隊「第509混成群団」が訓練のために模擬原爆「パンプキン」を投下した。この日は、東京都や山口県、福島県など国内8地点が投下目標とされた。 記事の後半では、冒頭の日記を書いた森脇瑤子さんのスナップを、研究者の協力を得てカラー化した写真の数々を紹介しています。 この日の広島・長崎 広島 最高気温28.2度… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
「きみと死のうと思ったんだ」 娘へのラブレター、あの日の告白に涙
3月、大阪市のビルの中。 20~30代の若者たち50人ほどが床に座り、前を向いていた。視線の先に立つ男が手紙の朗読を始めた。 《娘・ミサトへ あなたの母親であり、私の妻であった、我々の最愛の女性は、ある、小さな記事として新聞にも掲載された交通事故により、きみがまだ6歳のときに亡くなりました》 朗読する橋本昌人さん(58)は、放送作家。漫才やコントのネタや台本をお笑い芸人たちに提供してきた人でもある。だが、この手紙はネタではない。滋賀県のある男性が書いたリアル、だ。 満足げな表情のきみは 《突然すぎて、悲しみ抜いて、途方に暮れて、精神的に参ってしまった私は、死のうとしたんです。 バカなことに、きみを連れてお母さんを追いかけようとした。 その日、最後の思い出にと、家族でよく出かけた遊園地に2人で行きました。 とにかくきみは楽しそうで、これが最後の遊園地になることも知らずに、いや、今日が最後の日であることも知らずに、元気いっぱい走っては、乗り物をハシゴしてた。 やがて、急流すべりを乗り終わって、こちらに駆けてきたきみは、満足げな表情で見上げつつ、私と手をつないで、ニコニコしながらこう言いました。 『もういいよ、お父さん。もう、お母さんのところに行こ』》 神妙な表情で手紙を聴いてい… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
長崎・佐賀県境の多良山系で福岡県の男性が遭難か 妻と登山中
長崎県諫早市の金泉寺付近の山中で26日午後5時50分ごろ、福岡県広川町の無職水本辰次さん(82)が行方不明になったと110番通報があった。警察や消防などが60~90人態勢で捜索を続けているが、29日昼過ぎの時点でも見つかっていないという。 長崎県警諫早署によると、水本さんは妻と2人で26日午後1時半ごろ、長崎県と佐賀県の県境にある多良山系に登山に入り、午後3時半ごろ金泉寺に到着。水本さんが近くに群生するキツネノカミソリを1人で見に行ったが帰ってこないため、妻が通行人に頼んで通報したという。 水本さんは身長165センチ、やせ形、白髪まじりの短髪で、クリーム色の長袖シャツに紺色の長ズボン姿。灰色のリュックサックを背負っていたという。(石倉徹也) 有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
遅れる、売れない、でも苦情は来る…週刊朝日最後の編集長が見た景色
【Last Day】日本最古の総合週刊誌である「週刊朝日」が休刊。最後の一日に密着した=井手さゆり、西田堅一、小林孝也撮影 総合週刊誌として日本最古の歴史を持つ「週刊朝日」が5月30日発売の増大号をもって休刊した。大正時代の創刊から数えて101年目。最後の編集長となった渡部薫さん(52)が見た、週刊誌を取り巻く厳しい状況とは。 朝日新聞の記者などを経て編集長になったのは2021年。 休刊までの2年あまりで最も強く印象に残るのが、昨年7月にあった安倍晋三元首相の銃撃事件だった。毎週の校了日は土曜日。事件が起きた8日は金曜日だった。「これほど大きな事件。報道するのが我々の仕事だ」と考えた編集部は、予定していた特集や企画を大幅に差し替え、「容疑者の動機」「銃の構造分析」「今後の政局」をテーマにした特集を急きょ取材。1日あまりで校了し、掲載した。 発売は翌週火曜日の12日。週刊誌としては早かったが、すでにネット上で事件は大きく取り上げられていたためか、思ったほど売り上げは伸びなかった。 一方で、この特集に対し、「人の死で商売をするのか」といったクレームがかかってきたという。 メディア報道への視線が厳しくなる中、情報はこれまでにない速度で消費され、週刊誌は構造的について行けない――。この一件で、渡部編集長は「週刊誌の役割が終わりつつあると感じた」と話す。 昨年末、週刊朝日の休刊が正式に編集長に伝えられた。続けたいと掛け合ったが、結果は変わらなかったという。 ◇ 休刊発表後YouTubeなどでは「週刊朝日休刊の真相」などと銘打って、臆測で「真相」を語る動画が次々に出てきた。 週刊朝日は編集部公式のYouTubeチャンネルを開設。休刊まで定期的に動画を公開した。渡部編集長は「自分たちの言葉で、休刊の経緯を説明したかった」と話す。 渡部編集長が最後まで頭を悩ませたのはライターの雇用問題だった。かつては多くの記者が正社員だったが、現在はほとんどの記者が「常駐フリー」と呼ばれる業務委託契約。正式な社員としての記者は数えるほどしかいなくなっていた。 渡部編集長は各所に声をかけ委託記者の次の職場を探したが、ほとんどは安定した仕事を見つけられないまま「フリー」として送り出すしかなかったという。 ◇ 5月末に発売された最終号は飛ぶように売れ、週刊誌では異例の増刷もした。編集部には「本当に辞めちゃうの」「増刊などの形で復刊してほしい」などといった休刊を惜しむ声も多く届いた。 これまで苦悩は尽きなかったが、渡部編集長は「週刊朝日を面白いと思ってくれる人はゼロではない。次につながるかすかな希望が見えて終われた気がします」と語った。(木下広大) Apple Podcasts や Spotify ではポッドキャストを毎日配信中。音声プレーヤー右上にあ る「i」の右のボタンでリンクが表示されます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
就業率?野菜の量? 「健康寿命」男女ともに全国1位、長野県の秘密
遠藤和希2023年7月29日 11時15分 要介護度をもとに算出した2021年の長野県民の「健康寿命」(日常生活動作が自立している期間の平均)が、男女ともに全国の都道府県で1位になった。男性は81・4歳で2年ぶり、女性は85・1歳で6年連続の全国1位となった。公益社団法人「国民健康保険中央会」の算出結果を県が27日に発表した。 「健康寿命」は、要介護度2未満の状態を介護などの必要度が小さく、日常生活の動作が自立していて健康に過ごせている期間ととらえて、その平均値を算出した。 全国平均は男性80・0歳、女性84・3歳。都道府県別の2位は男性が滋賀県の81・2歳、女性が島根県と広島県の85・0歳、男性の3位は奈良県の81・0歳だった。 県は、長野県民の健康寿命を押し上げた要因について、高齢者の高い就業率や、野菜摂取量の多さを挙げた。また、健康ボランティアによる健康づくりの取り組みや、医師や保健師など専門職による活発な地域の保健医療活動も長い健康寿命の要因とみる。 県は「生涯を通じ健康で活躍できるよう取り組んできた県民運動などの成果」と分析。引き続き、「県民の食生活の改善や、健診受診、運動の促進を図る県民運動などに取り組みたい」としている。(遠藤和希) 有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
マイナポータルと精神障害者手帳のひもづけミス、鳥取市で485人に
奥平真也2023年7月29日 11時44分 鳥取市で、精神障害者手帳を持つ人がマイナポータルにアクセスしたところ別人の情報が表示された問題について、市は28日、連携の誤りがあった人数が485人だったと発表した。障害者本人がアクセスし、別人の手帳番号や障害の等級などの情報を閲覧してしまったケースが2件あったが、個人が特定されるような情報流出はなかったという。 市障がい福祉課によると、485人には亡くなった人や失効した人も含まれており、現在交付されているうち、誤った人数は432人になる。 2018年に中核市になった鳥取市は、自市に加えて岩美、八頭、智頭、若桜4町の計約3千人に精神障害者手帳を交付している。県から手帳交付業務を移管されたとき、県と同番号をつけてしまったのが原因。同年10月にマイナポータルで手帳番号との情報連携が始まったが、紙の手帳のみで手続きする人がほとんどで、今年になるまで気づかなかったという。 市は手帳番号のつけ方を修正し、手帳番号に鳥取市独自の発行者番号を加えて県と同じ番号がつかないようにした。問題発覚後、中止していた手帳番号とマイナポータルとの情報連携は、8月1日午後5時から再開するとしている。 この問題は6月29日、市民から「マイナポータルに自分のものではない手帳の情報がある」と連絡があり発覚した。市は過去のアクセス状況などをすべて調査した結果、誤った閲覧はこのケースを含めて6月に2件だけだったのを確認したという。(奥平真也) 有料会員になると会員限定の有料記事もお読みいただけます。 マイナンバー問題 マイナンバーとひもづける公金受取口座に「家族口座」が登録されるケースが多発しています。問題を多角的にお伝えします。[もっと見る] Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
シャープペンシルの芯に500の穴 「見えない」超高度技術は何に?
高度な専門技術を持つ町工場が集まる東京都大田区で今月、特殊な技術を集めた展示会が開かれた。題して「見えない展」。極小、超微細、速すぎる……。肉眼ではとても見えないそんな技術を通して、大田のものづくりを紹介した。 「8ピコ秒(1ピコは1兆分の1)のレーザー照射によるマイクロ微細加工」 「セラミックスに見えない分離線を引き、海苔(のり)に見えない穴を開けます」 羽田空港近くの複合施設・羽田イノベーションシティで13日にあった展示会には、こんなPRの言葉が並んだ。出展したのは区内の中小企業など15社。スペシャリストの技術を採用したいバイヤー、最新技術を学びたい企業担当者ら約400人が来場し、3時間限定の開催にもかかわらず会場は熱気であふれた。 超微細加工を得意とする信栄テクノ(同区東六郷1丁目)のブースでは、シャープペンシルの芯に0・03ミリの穴を約500カ所開ける技術を紹介。ひっきりなしに訪れる来場者に、肉眼では見ることができない技術力をアピールしていた。 この技術は研究機関の最先端… この記事は有料記事です。残り699文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
深夜の1級河川に飛び込み男性救う 「泳ぎは苦手だったけど……」
深夜に服を着たまま1級河川に飛び込み、おぼれていた男性を助けた。でも実は泳ぎが苦手だった――。 6月5日午前0時半ごろ、埼玉県春日部市の自営業白瀬颯(はやて)さん(20)と大学生松永迅人(はやと)さん(20)は「大落古(おおおとしふる)利根川」の近くを歩いていた。中学からの同級生。友人の家からの帰り道だった。 「助けて!」 川の方から叫び声が聞こえたのは、突然のことだった。2人は川へ続く階段を下り、暗い水面に目をこらした。数日前の大雨の影響か、普段よりも水かさが増していた。月明かりに照らされ、人の顔が見えた。若い男性だった。手をばたつかせ、おぼれていた。 白瀬さんがとっさに川に飛び… この記事は有料記事です。残り555文字有料会員になると続きをお読みいただけます。 Source : 社会 – 朝日新聞デジタル
小学校前通学路に倒壊した旅館 「子どもが危険」と声上げ6年たった
小学校のすぐそばに、倒壊した建物が放置されている。子どもたちが毎日通る通学路沿い。「危険だから何とかして欲しい」と地元住民が声を上げて6年――。やっと撤去されることが決まった。 高知を代表する観光地・桂浜に近い高知市立浦戸小学校。正門から南に60メートルほどの道路沿いに、崩れかかった建物がある。赤茶色にさびた鉄骨は大きくゆがみ、白色のモルタルの壁がはがれ落ちている。 「前々から危ないと思っていた。強制的に撤去して欲しいと何度も頼んだが、一向に手をつけてくれなかった」と、近くに住む男性は憤る。 市や近所の人によると元々は木造2階建ての旅館(延べ床面積約216平方メートル)だった。建築された時期は不明だが、1980年に営業を始め、港湾工事の作業員らが定宿とした。6部屋すべてが埋まることもあったという。2010年代に営業を取りやめたとみられている。 17年10月、地元住民から高知市建築指導課に連絡があった。「危険な空き家があるので何とかしてほしい」 担当者が現地に出向くと、すでに建物は半壊状態。崩れた外壁が風で吹き飛ばされる危険性があった。 高知は台風などの自然災害が多いところです。地元の不安は大きなものでした。専門家は「なぜここまで時間がかかったのか疑問」「地元への想像力に欠けている」と指摘しています。 「空き家対策特別措置法」では、倒壊のおそれや景観面で悪影響を及ぼす物件を、自治体が「特定空き家」に指定。持ち主に補修や取り壊しを命じることができると定めている。 しかし旅館の経営者はすでに死亡。親族らも相続を放棄し、建物は「持ち主」不在の状態だった。 ここで意外な事実が判明した… Source : 社会 – 朝日新聞デジタル